筒井康隆の文体模写

"海は見るもの?入るもの?" ブログネタ:海は見るもの?入るもの? 参加中

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 存命中のおれの老母は、漁師町の出身であり、南海地震の時に、被災した。

「海から5分」というホームドラマがあったが、まさしく海から5分くらいのところに生家があり、もしかしたら、「サザエさん」のモデルはおれの母ではないかと真面目に考えることがあるが、(名前が似ている)あれだけの人気を博した漫画家であれば、超時空的な「直観力」を発揮しても、別に驚くには、あたらない現象かもしれないのだ。

 津波に遭ったのはそれが恐らくは空前にして絶後となる母の生涯かもしれないが、本人には余程恐怖だったらしく、数え切れないほどその話は聞かされた。

 が、避難して、水が退いた後、自宅に戻ると、生家は無傷のまま何も損傷被害その他皆無だったらしい。福島の地震のエネルギーは阪神大震災の1000倍だったらしいが、この南海地震だと、高々「阪神」のさらに10分の1くらいだったのかもしれないが…

 これは和歌山の新聞の地方版によく出る話題だが、「いな村の火」、という小説だかノンフィクション小説だかが、当時教科書に載っていて、「津波は怖い」という先入観は共有されていたらしい。

 それを、避難を渋る自己バイアスの強い住民へのインフォームドコンセント?的な心理的教育を、目的として、自治体が生涯教育だのの一環として復刻しようという話があるのだが、今となっては流石に避難を渋る蒙昧な輩などはおらまいて。(よしんばひきこもりで、半ばバカになっている本来のわしのような奴がいても、やはり命は惜しいとなれば本能的に逃げるだろう…)

 海はフランス語でもラ・メール、「母」という意味で、見てのとおり、海という漢字には母という字が入っているが、命の故郷、そういう捉え方の優しい「海」が、今回の地震では何故か人間に向かって、夜叉のごとき、羅刹の如き恐ろしい顔で文字通りに「怒涛の如く」押し寄せ、一瞬にして東北は壊滅した。

 おれにはこれは、もしかしたら、「母」というものの本来の姿を象徴的に表している、一種の自然のアイロニーかもしれない、などと思うのだ。

 穏やかな、慈母の様な海は美しい。

 しかし、一皮向くと、そこには「夜叉」の顔が隠されている。

 似非文学的な陳腐なセンチメンタリズムで、われながら少し気が差す感じだが、

表現しきれるまで考える時間が、今は無い。

 ともあれ、つまるところ、一人の男が自立する場合にも「母」は倒さねばならない恐ろしい「龍」、ユング的に言うと、ともすれば子供を呑み込んでしまいかねない「グレートマザー」であろう。しかし、こういうことも最早今の時代では言われ尽した陳腐な表現に近いかもしれないが。

 それにしても何故優しかった「母」は激怒したのか。その象徴的な意味が、どこかに、もしかしたら存在するのかも…

 おれにはそんな気もするときがあり、そのたびに又震え上がってしまうのだが…


(2011.7.11)

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