髪を切る頻度


ブログネタ:髪を切る頻度



髪を切る頻度・・・というのは、僕には縁のない話題で・・・


ヨン様のように?伸ばし放題に伸ばして、「挑発(長髪)してるんだよ!」とかガンを飛ばしている始末なのです・・・

最初は鬱陶しかったが、伸ばすだけ伸ばすとまたそこになんだか趣が出てきて、

切るのが惜しくなってきた。

髪の毛には毒素を溜める管のようなものがあって、ナポレオンの毛髪を調べると、

砒素で毒殺されたことがわかったらしい。

で、あんまり早く切りすぎると毒の溜まる暇がないし、あんまり放置していても

毒が溜まりきってしまうかもしれない・・・とか悩むわけです。

生まれてから今くらいに髪を長く伸ばしたことは、前代未聞かもしれない。

最近うっすらと思うことは、拙い文章ではあるが、ブログに書いたこと、というのが、誰某のデスブログではないが、実際に実現する、そういう傾向が最近出てきて、ということである。


これはだから、文章化されることによりある観念が共有化、共同化される、

そのことが副次的な何らかの作用を現実に及ぼすのではないか?

話が逆みたいだが、実はそう言う作用が公共的な場にさらされるブログというエクリチュールには存在するのではないか?そういう発想も可能なわけです。

競馬のPRのコピーの文言がレースの結果に反映されている、よくそういう話を聞くが、これは超次元的な話ではなくて、そのコピーが広く流布されて、意味が群集心理に作用する、その結果ではないのか?そう考える方が合理的ではないのか?

そういう発想なわけです。

場、とかそういうものの作用から完全に独立できる現象はありえない、

大小強弱無数のパラメターが歯車のように複雑に作用し合って出来上がった答えというものがこの世の凡ゆる現象であり、大小強弱を決定する要因というものが文脈であり集団心理であり各人の個性である・・・そうすると、

高い知性、或いは高い知性や、先見性、無意識的な分析能力、文章の社会へのプレゼンス、そういうものを総合してある特異なパラメターが高い値になった場合に、

所謂、デスブログ、が存在するのは当然の帰結ではないか?

偶然、と言っても所詮にサルがシェークスピアを書くことはありえない。

動因となるベクトルの力がなくては何事も成らないし、起こらないのではないか?

そう思うわけです。だから、単純に先を読めるというだけの人もいるだろうが、

僕なんかの場合は、先行きに影響する・・・そういうことを無意識にでも?

書いているのかもしれない。自分がこうしたい未来、そういうものを

書き綴っているのかもしれない・・・

そうなると書けば書くほどにだんだん良くなる法華の太鼓となるわけですね?

それで間違ってないかな?




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