100年後

 100年前というと1915年で、第一次大戦の頃でしょうか?

100年後にもう文明は滅びていて、何もないのなら別ですが、大正時代に行くくらいなら「はいからさんが通る」という漫画でも読んでいたらいいだけみたいな気もする?

 その頃の小説とかを読んでみても今よりもいいところというとただ人心が淳朴というのか、素朴というのか、おっとりした感じだというだけで、基本的に大して今と違っていない気もするのです。

 が、100年後というと、全く手がかりはないし、バクチみたいな面白さがあるか?

 最近はあんまりもう未来に夢を持てなくなったのか?

 未来論というのか、かつての「第三の波」みたいな、バラ色の未来、は語られなくて、つまり、もうこれからは病気であるところの地球を必死で看病しつつ、何とか現状を維持していくのが人類にはもう精一杯なのだろうか?という気もします。

 ただ、悲観論が多い気もするが、2012年の「アセンション」という一種の奇跡的な世界の刷新、とかいうのがあって、その時にはなんとなく希望を抱いたが、

結局何もなく徒過されてしまった。

 人類だけでは難しくても、もっと高次の生命体というものの、救済があれば、

人類の「幼年期の終わり」が出来して、新たなステージへと飛躍的な進歩が遂げられるかもしれない・・・

 故・小松左京さんなどは、常にそうした壮大なビジョンを描いて、熱心に下らない日常に埋没するな、と巨視的な視点から警鐘や夢のメッセージを送り続けていた偉人のように思う。あと、糸川英夫とか・・・あんまりよく知りませんが。

 ホモ・サピエンスというのは叡知人という意味で、つまりはパスカルの言う「考える葦」である。考えずに破壊ばかり、いじめばかりやっているのは、人類とは、だから本来は言えないのである。

 今の時代はどこかおかしい。どうか輝かしい共生の未来のユートピアを築くために

全人類が小異を捨てて大同につき、手を取り合って邁進していってほしいものだ。


それまで僕がコールドスリープしていろというならしているよ。



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