第5話 踏まれた黒猫亭
――『踏まれた黒猫亭』。
鉄製の看板が掲げられた五番車両の扉を開けると、レストランのような空間が広がっていた。
天井には小さいが装飾の豪勢なシャンデリアと天使の絵が描かれている。臙脂色のカーペットが敷広がる車室には、真ん中の通路を挟み、白いクロスのテーブルと椅子の客席が両サイド並んでいる。
旅行番組でしか見たことがないような、特殊な列車を思わせる車両だ。それでも厨房が奥に見えて、やや広さもある気がする。列車の構造に深入りするのはやめたが、やっぱりこの列車はおかしい。
かぼちゃ頭は厨房に私を案内して、なにかを手渡した。
「制服です。雑用だけでも、正装して頂いております。ここは格式高いお店ですので、身なりには厳しいのです」
「わかりました……でも、これ」
受け取った制服をひろげ、わたしは困惑する。
「サイズがすこし大きいかもしれませんが」
そういう問題ではない。
渡された制服は白い詰襟のブラウスに、こっくりと深い緑色をしたワンピース型の給仕服と、フリルのついたエプロン。ワンピースの丈は膝下と長く品があるが、胸元に黒い簡素なリボンがついており、シンプルだが可愛いデザインだ。そして頭用に、両端に黒いリボンのついたヘッドドレスのような造りの、レースのついたカチューシャ。
かぼちゃ頭が教えてくれたとおり、カーテンとパーテーションの仕切りだけの簡易なフェッテングルームで私はメイドのような給仕服に着替えた。
恥ずかしそうに出てきた私に、「お似合いですよ」とかぼちゃ頭はさらりと一言。
着替えてから私はプティやかぼちゃ頭に言われるままテーブル席から洗い場へ食器を運ぶ。
「こんな格好、文化祭でもしたことないのに」
「文化祭とは?」
首を傾げるかぼちゃ頭は、申し訳なさそうに言う。
「すみません、私は海外圏から来た者でして。乗客の方と話すたび、まれに文化に触れることはあるのですが、皆さま方はせっかちさんですから、そう話を伺う機会がないのです」
「学校のお祭りみたいなものですよ。でも、外国でもイベントごとはあるでしょ?」
「どうでしょうか。私は何世紀も前の生まれで、学校というもの自体がない時代でしたから」
「へえ、そうなんだ……」
学校の無い、時代。
彼は、いつからこの世界にいるのだろうか。
「わたしが、いつからここに居るか気になりますか?」
「まあ、それなりに」
「私が生きていた頃は食べることに必死でしたから、生きる為ならなんでもしました」
「盗みとか?」
「それは日常茶飯事ですよ。私は死んでも、私の魂は降りることが許されないのです」
「降りる、って天国へ行くってこと?」
「あなたには、どう見えますか?」
「どうって」
私は、洗い場の向かいに映る、窓を見やる。
窓の向こうは、すっと闇が広がっている。
闇に映る自分が、なにか自分ではない気がして、怖くなる。私はまた洗い物へ視線を逸らす。
「……質問に、質問で返さないでよ」
「はは、失礼いたしました。私の悪い癖でして」
彼は私の洗った皿を拭きはじめる。
「それで、あなたはそのお祭りとやらでどういう格好をなさっていたのですか?」
「どうって、いい思い出なかったわよ。だいぶ前だから覚えてないし。中学校も、高校も――」
――『だいぶ、前?』
自分で言ったその言葉に、ひっかかる。
耳の奥でなにかが、こちりと鳴った。
*
「困りましたね、あれも食べれないとは。『最期の晩餐』だというのに」
かぼちゃ頭は隣のテーブルを片付けながら、ふう、とそのお客さんを見て深くため息をついた。
私は片づけてから、ふと気づいた。
奥のテーブル席に誰かがいたことに。
窓際に座っているのは私よりすこし背の低い、赤毛の男の子だった。
推定からして中学生くらいだろうか。黒い詰襟のインナーにパーカーを着込み、ズボンはオーバーサイズでだらしない。着崩した制服と頭髪、耳に開いた複数のピアスとか、不良っぽい雰囲気を漂わせた男子学生。
でもその顔は、喧嘩が原因とは思えなかった。
彼の左顔から下半身、半分すべては見れたものではない。
彼は左半分がぐしゃぐしゃに抉れ、ただれていた。
左目は失っており空洞が空いている。
赤毛の不良くんは、片目だけの鋭い目つきで目の前の食事とメニューを睨んでいた。
「さっきからいくら
そういえばさっき、プティが料理を食べないお客さんがいるとかどうのと言っていたっけ。
彼がそのお客さんなのだろう。
「車掌さんのくれた案内図には食堂の印があったけど、ここがそこなんですか?」
「いいえ。この第四車両の黒猫亭で召し上がることができるのは、階級の高い方々のみ。つまり、生前に善い行いをして亡くなってしまった者だけです」
「へえ……」
あの少年は、見た目は強面だけれど、この場に値する子なのだろう。
けれどもなぜ、彼は頑なに食事を拒否するのだろうか。
かぼちゃ頭が何回か彼に尋ねても、彼は首を横に振るばかりだ。
事情はわからないが、すっかり冷めたカキフライやグラタンが、かわいそうに思えたけれど。
それよりも、そもそもカキフライを好きな子って少ない気がする。
「私も、好きじゃないけどな」
おもわずぽつりと独り言が漏れて、背後から悪寒を感じた。
「ルイさん、こちらもお願いします」
「あ、はい」
プティの包丁裁きが妙に大きく感じて、私はそそくさとかぼちゃ頭の元へ向かった。
*
「――おや、もうこんな時間ですか」
かぼちゃ頭は胸元から金の時計を取りだし、時間を確認する。
「ちょうどまかないの時間ですし」
そして洗い物が終わった私の前にことりと、二枚のお皿とスプーンが渡される。
淡いクリーム色のスープのお皿と、すこしひびの入った綺麗なお皿には穀物パンがふたつ、バターが一切れ。
「どうぞ」
「ありがとう」
私は受け取ったものの、しばし立ち尽くす。
「どうしました?席ならそちらの円形の椅子を」
「え……と、これ食べて平気?食べたら帰れない、とかないよね」
「当然ですよ。もちろん、ひとくちでも口にしたら帰れることはできません」
「……え?」
私の戸惑いに、かぼちゃ頭はくっくと喉を鳴らして笑った。
「冗談です。あなたはわかりやすい方だ」
「……あのさあ、やめてよ」
「我々、死人乗務員はたしかに基本的に食事は不要ですし、生者は食べてはなりません。ただ、あなたのような"半端者"は終着駅がわかりませんから、慣れるまで少々口にした方がよろしいのです。体調を整える為にも、ね」
半端者。私は車掌さんの言葉を思い出した。
「わたしの駅は、どこなんだろ」
「その件に関しまして、我々には判断できかねますからね。乗客や従業員の大半は、生前の記憶を所持していて、行先も切符に記されています。自分自身も自分の目的地も分からないものは、延々と旅をするだけです。あなたがここにずっといるのも、あなた次第です」
延々と、永遠と。
――つまりそれは。
「そして、たとえ思い出しても、残る者もいます。私の様に」
かぼちゃ頭は、消えそうなか細い声でそう言った。
優しいかぼちゃ頭の空洞は、外と同じ闇が広がっていた。
眼球がない空っぽなのに、鏡に映った私の目と、よく似ていた。
「さあ、冷えますから。まずはひとくち、召し上がりなさい」
わたしはかぼちゃ頭にすすめられ、おずおずと銀のスプーンで掬った。
お皿に入っていたのはかぼちゃのスープだった。口当たりがまろやかで、おいしい。
私は客人が気になり、彼を見た。
彼は私に気づかずただ茫然と、冷え切った食事を見下ろしていた。
私はどうしても放置されていた料理が気になって、おそるおそる彼のテーブルに近づいた。
試しに、声をかけてみる。
「カキフライ、苦手?」
「……!」
男の子はやっと私に気づいたかのような、あからさまに驚いた反応をして見せた。
じろじろと上から下まで観察され、私は自分の格好を思い出した。
自分より年下の子に、こんな姿を晒すのは羞恥にもほどがある。
「……い」
「え?」
「魚臭い」
「なるほど、匂いか。私は歯ごたえが嫌いだな、噛み切れなくて」
「……へえ」
興味ないように、彼は返事してメニューを指さした。
「あんた、これ読める?」
次にとんとん、と自分の無事な目を指した。
「こっちの目だけじゃわからん」
「見えづらかったのね」
「……それもあるけど、漢字も読めない。これ、むずかしいのばっか」
ぶっきらぼうな言い方とすこし人間らしい理由に、私はおもわず笑っていた。
「なにが、食べたい?」
引き継ぐメモもなしに、おもわずそんなことが口に出ていた。
「ってまあ、私が作るわけじゃないんだけど」
繋ぎにそんなことを言ってから、まるでお母さんみたいだなと苦笑した。
「コロッケ。挽き肉と、じゃがいもだけのやつ」
赤毛の少年はぼそぼそとこたえた。
「承知いたしました、お待ちくださいませ」
ぶつくさ文句を垂れるプティに頼んだ。今から揚げ物なんて手間かかるだろ、とサービス業にあるまじき愚痴を吐いたけど、それでもてきぱきとプティは調理を開始した。
その間私は少年の元へまた戻る。
「えーっと、ごはんとかはいらない?」
レストランの雰囲気的にお味噌汁を作ってくれるとは思わないけど、お米くらいはあるろう。
「おにぎり、なら。あとカキ食えないから、エビフライがいい」
「あれ、甲殻類苦手なんじゃないの」
「なんだ、コウカクルイって?」
互いにきょとんと顔を見合わせて、私はおもわず笑ってしまう。
ああ、そういえば私も――若い頃はエビフライは食べれてカキフライは無理だったっけな。
「なんだ、食べたいものあるんじゃない。早く注文すればいいのに」
「あんな連中と口が利けるわけないだろ」
「そうかな?話してみたら意外と話が通じるよ」
「いやそういう意味じゃなくて……いや、いい」
私は初めて人間らしい人と出逢ったこともあって、すこし気分が落ち着いていた。
なぜだろう。半分は人を留めていないしグロテスクだけど、平気だった。
また調理場に戻ってきた私を、かぼちゃ頭は嬉々としてはしゃいだ。
「驚きました。よくあの彼が返事をしましたね」
「ちゃんと話できましたよ?カキフライが苦手なだけみたい、あと文字が読めないって」
「カキフライが苦手!?なんてわがままなやつだ!」
かぼちゃ頭にそう報告すると、プティが後ろから声を荒げた。
「まあまあプティ。お客様の好き嫌いに我々がどうこういう筋合いはありません」
「なにいってんだ!そもそもおまえが最初のオーダーで確認しないからだろう!!メモには"生野菜は好き。トマトだけ抜いて"としか書かれてないじゃないか!」
「おやおや、そうでしたっけ」
「これだから野菜しか頭にない、頭からっぽのカボチャは!」
「失礼な。からっぽ頭はピーマンですよ、まあこうしてオーダーを無事承れましたし、そう癇癪を起さずとも」
「おまえのせいだろう!?」
「まあまあ」
おかしい二人のおかしい喧嘩を私は宥める。
プティはライスでいいだろと言いながらまんざらでもなさそうに塩にぎりをみっつも作った。
プティは料理が心底好きなのだろう。
こんがり揚がったきつね色のコロッケをみっつと、キャベツの千切りとトマトが備え付けられたお皿、そしておにぎりを少年の元へ運ぶ。
けれど少年はお皿をじっと眺めるだけで、箸にもフォークにも手をつけない。
「食べないの?」
また冷えてはもったいないと、つい急かしてしまう。
「ガキが……」
「え?」
「ちいさいガキが、母親に、落とされたんだ」
ぽつりぽつりと少年は、自分の経緯を語った。
いつも通りの、学校の帰り。ホームで電車を待っていた彼は、同じく電車を待つ隣の親子が目に入った。いつものどこにでもある光景。元々親がいない彼はそんな光景を見る度に羨ましいと思いつつ、恨めしいとも思う。
だがその時見た親子――母親は、なにかが違った。
ひたすらお母さんお母さんと声を掛ける子供に、無反応な表情の母親。
ひどく硬直し、憔悴した表情を浮かべ、繋ぐ手は、ぎこちない。
『次の電車がまいります――』
アナウンスが掛かった時、それは起きた。
子供がホームから身を乗り出すようにはしゃいでる時を見計らい、母親は子供から、手を放した。
「俺以外は誰も動かなかった。俺は気づけば線路に降りて、子供をホームにあげた」
ああ、鮮明に彼の見た景色が、私の中にも流れ込む。彼の頭上で、スマホを向ける列と、嗤う母。少年は淡々と語っていた。
「ホームから見下ろすやつら見たとき、あの顔を――あいつらがいるあんな世界に、俺を捨てた母親がいる世界に、突き飛ばした親がいるのに、ガキを助けてよかったんかね」
「……どうだろう」
その天秤は、私には計れない。
こういう時に、私はなにも言えない。
喉まででかかって、肝心なときになにも言えない。
手足がぶるっと痺れ、わずかに熱い。
それ以上は、なにもない。
「なんだ、まだ食ってないのか」
後ろからふと聞こえた、声に驚く。
いつの間にか、車掌さんが後ろに立っていた。この人はいつも、突然だ。
「事後報告によると母親はあの後逮捕され、子供は良心も金もある親戚に預けられた。心配することはない」
車掌さんは、ナプキンを取り付けながら意外な報告をした。
「だからさっさと飯を食え。おまえの食事が終わらないとここは店仕舞いできないんだ」
車掌さんは少年を見やる。
少年は、ゆっくりナイフとフォークを手にとった。
向かいの席に、車掌さんも同席する。
かぼちゃ頭がわざわざ直接、車掌さんにオーダーをとる。
「いかがしますか、いつもので?」
「オムライス」
メニューも読まず、手を組んだまま車掌さんと目が合い、私は気まずく目を逸らす。
鋭い視線はじっと私を睨んでいた。
「俺が離れた間、うろうろしていただろ」
車掌さんの確認に、私は動揺する。
「トイレ行きたかっただけよ」
「そのあとに手伝いか。流されやすいな君は」
「ええ。おかげで助かりました。迷子になってくれてよかったです」
「君のことは既に彼から報告を受けている」
「……」
あ、あのかぼちゃ頭。そこまで仕事人間、いや仕事かぼちゃじゃなくてもいいだろうに。
「お人好しも大概にしろ。ここでは流されるなよ」
「偽善とはおもってません。気分を紛らわしたかっただけです」
私のはっきりとした返答に、車掌さんはすこし驚いたようだったが
「そうか、ならいい。でももう、付き添いなしで出歩くな」
頷いてからは、なにも言わなかった。
「なんだ、なに笑っている」
「いえ、別に」
さっきの話は、事実だろうか。
この人だったら彼を送り出すために手段を厭わなそうだ。
だとしても、だとしたら尚更、彼はおそらく善良な人間なのだろう。
それにしても、オムライスは意外だった。
その後の少年が追加注文して、プティがまた怒ったりしたけれど、かぼちゃ頭がそれを嗜めて私は残りの洗い物を済ませながら、メイド服のまま二人のしずかな食事を見守った。
赤毛の不良くんはただ黙々と、熱々のコロッケを掻きこんでいた。
車掌さんはその横で、丁寧にオムライスを口に運びながら、時折、夜空を眺めて言った。
「今日も綺麗な星だ」
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