第4話 かぼちゃの紳士


 嫌な夢をみて、私は目を覚ました。

 不慣れな場所で寝たせいか、寝すぎたのか疲れなのか。体は気怠いし、よく眠れた気もしない。それでもだいぶ寝ただろうから、上半身を起こしまた制服を整えて、カーテンを開けた。

 そして驚いた。

 まだ暗い。

 私は階段を降りて、しっかり窓の外を確認した。

 暗闇だ。

 次に窓際の棚上にある時計を見て、スマホも確認する。現時刻は10時半。寝たのは確かに23時半。けれども外はまったく変わり映えしない。

 冬の夜は底冷えする。

 トイレに行きたくて起きてしまった私はとりあえず、個室を出て仕切りになっている扉をさらに開けた。左右見渡しても真っ暗だが、通路の壁際や床下には点々と明かりが灯っている。すこし赤みがあったり小さかったりと光の加減は微妙に違うが、壁際のライトから床に置かれた灯篭のようなものまで、様々なあたたかいオレンジ色がぼんやりと通路全体を照らしていた。

 通路のどちらに向かったとしても、車両の切り替えには必ずトイレがあるものだ。

 そう思い、私はとりあえず列車の走る方向である右に向かって歩いていったのだが、見えた通路の案内書きに「←厠TOILETWC」とある。


「あれ」


 真逆。私は元来た通路を戻ろうと、振り返り、勢いよく誰かにぶつかった。

 

「おっと危ない」

「あっ、すみません」


 ぶつかった背広姿の人物に思わず頭を下げると、にょっと私を覗きみた。


「お嬢さん、お怪我はございませんか」

 

 かぼちゃ頭のそれは、穏やかな口調で私の身を按じた。

 ひょろりとやけに高い背広姿のそれは、縦縞のシャツの胸元には地味だが高級そうなネクタイを締めており、磨かれた黒い革靴を履いている。だが頭はハロウィンのジャック・ランタンを彷彿とさせるような、目と口をくり抜かれた大きな南瓜を被っていた。

 やっぱり、ここの住民はややおかしい。

 手にした金装飾のキャンドルの炎がゆらゆらと揺れ、煌々とそのオレンジの頭を照らしていた。

 

「失礼いたしました」


 かぼちゃ頭は恭しく頭を垂れた。

 物腰は柔らかく、男性らしい声は優しいものだ。すこし不気味な風貌だが、紳士的な面持ちを感じさせる。

 

「こちらこそ、すみません。トイレに行きたくて、急いでて」

「ああ、それでは私が案内して差し上げましょう。どうぞこちらへ」

「いや大丈夫ですよ。この表記に沿っていきますし」

「仕事のついでですから、お構いなく」

「あ……はあ、それじゃあ。お言葉に甘えて」


 ずい、と押し迫ったかぼちゃ頭に私は口籠る。

 親切心を無碍にするのは苦手だ。

 目の前の変人が歩くたびに、周りの灯りが彼のオレンジの後頭部を、ゆらゆら妖しく照らす。

 私は彼とすこし離れてかぼちゃ頭に続き歩いていく。


「もしかしてお嬢さんは、新しい乗客ですか?」

「はい、つい昨日?あたりから」

「どうりで。それじゃあまだこちらの生活に慣れないでしょう」

「なかなか……今日だって寝たのに、もう夜だし」

「はは、この列車に朝なんてありませんよ。基本外は駅の近くにならない限り、このままです」

「なるほど」

「我々は駅に辿り着くまで、ずっと長いトンネルにいるようなものです」


 コツコツ、とかぼちゃ頭は窓をノックしてみせる。


「トンネル……か」

「ええ」


 やがて車両の切り替えに辿り着き、がらりとかぼちゃ頭は扉が開けて私を案内する。

 切り替えにはフェッテングルームと称された茶色い部屋と、小さな小窓があった。


「それでは厠はこちらです、どうぞごゆっくり」

「ありがとうございます」

「私はすこし周ってきますので、終わりましたらこちらでお待ちください」


 帰り路も案内してくれるのだろうか。

 小部屋はわりかし綺麗だった。便器は古い和式けどしっかり掃除されてるし、色褪せた壁紙や天井の花形ランプなんかもどこか古びた内装だけれどどこか可愛いし寝台とちがって埃っぽい感じはしない。

 

「あんな人も、いるんだなあ。人かわかんないけど」


 私は室内でひとりでぼやく。

 かぼちゃ頭はあまりやりとりができない不愛想な車掌とか、自分の話ばかりの野良猫とはまるで違う。なんというか、唯一まともに話せた乗客だった。表情が見えない分怖いけれど、話は通じそうな感じはする。

 上下に茶色い戸棚が備え付けられた鏡のある、まっしろな洗面台で私は自分を久々に確認する。鏡に映った自分をひさびさに見た。

 表情はだいぶ疲れている。くまもひどい。

 でもいつでも、こんな顔をしていたはずだ。

 私はぐるりとこの個室を見渡す。

 そしてトイレが唯一、ひとりになれる空間だと気づいた。

 気づいてしまった。


「……外、でたくないなあ」


 この部屋を出なければ、私はひとりで居られる。

 このままずっと、私は行く先もわからずあの狭い室内で、奇妙な住民と共に暮らすのだろうか。

 もういっそ、このままトイレに籠っていたい。

 ――あの時みたいに。


『――●●●×△』


 一瞬。鏡の中で、なにかが映った気がした。

 私が鏡に手を触れたその時、こんこんとノックする音が聞こえた。


「大丈夫ですか?」


 あの、かぼちゃ頭の声だった。


「あ、はい。大丈夫です」

 

 私は返事すると同時に、すぐ個室を出た。



「おかえりなさいませ」


 トイレを出ると、カボチャ頭はすでに待っていた。


「失礼しました、顔色があまりに悪かったものですから、巡回して戻ってきたらまだでしたので。まさか倒れていないかと」

「ああ、すみません」


 かぼちゃ頭は私をじっと覗き見た。


「ふむ、顔色が優れませんね。ここに乗車して、なにか召し上がりました?」

「寝る前にパンを」

「それだけですか?」

「ここにいて空腹ってあまり感じないですし」

「ふーむ……」


 私の受け答えに、かぼちゃ頭は腕を組んですこし考えるような素振りを見せた。

 その時。第五車両の通路の扉を開き、黄色いライトがすっと紅い絨毯に差し込む。


「まったく!!あのガキと言ったらふざけやがって!」


 ぺたぺたと足音を鳴らし、怒った様子で通路に出てきたのは、ちいさな緑色の禿げ頭だった。

 1メートルにも満たない小さな体にコックらしき真っ黒な制服を着たちいさな恐竜のようなバケモノ。でもあきらかに大人サイズのそれはぶかぶかで裾は引きずっており、袖も捲し上げている。うるうると大きい黒目が並ぶバスケットボール並みの大きさの顔もどこか愛嬌がある。

 おおきなトカゲ、ちいさな怪獣。そんな表現がぴったりだった。


「どうしたのですか、プティ・シュー」

「昨日からいる例の客さ。おれの料理がたべれないなんて、死人のくせに贅沢ぬかして!」


 手に持っていた帽子を叩きつけ、大層怒る口にはぎざぎざの歯と長い舌がのぞいていた。

 怒る姿も可愛らしく、私は笑いをこらえる。


「こらこら、お客様に聞こえたらどうするのです」

「しるか!あんなガキ!!」

「他のお客様もまだいるでしょう?」

「ふん、もうそいつ以外バイトも客も帰ったさ。残ってるのはそいつだけだ」

「おや、鈴木くんたちもですか?」

「そうだよ!!まだ片付けがあるってのに今日に限って星がきれいだからどうのとさっさと早退しやがったんだ、使えないバイト共め!これだから学生バイトは信用できないってんだ、雇ったのはおまえだぞ!!そのおまえも巡回から帰ってこねえし!!」

「それはそれは、申し訳ございません」


 にぎり拳をあげ、怒涛に捲し立てるプティ・シューとやらを掌で抑えつけながら、かぼちゃ頭は深々と頭を垂れた。


「どんな理由であれ、一人前のシェフが持ち場を離れてはなりませんよ」

「むう……」

「でも困りましたねえ、あなたは仕込がありますし私もまだ巡回業務が残ってますし」


 まだなにか言い足りない様子のプティをやんわりと嗜めながら、かぼちゃ頭はかぼちゃ頭を悩ませる。細かいことはよく分からないが手伝いが欲しいことはわかった。


「あの、私でよければ手伝いましょうか?洗い物とかならできますし」


 めずらしく積極的になったのは、単に今帰りたくないだけだ。

 猫たちのいる寝床に帰っても、きっとすぐには寝付けない。

 いまは、気を紛らわしたい。


「本当ですか?それはありがたい」

「待て待て、こいつ身元不明人だろ?車掌から聞いたぞ、そんなやつ雇ってたまるか」


 プティは警戒するように私を一瞥した。

 学生バイトとやらが使えないらしいのだから、当たり前だろう。


「手伝ってもらうだけですよ。それに他のお客様はいないんでしょう?問題ありませんよ、洗い物だけでも片づけていただきましょう」


 かぼちゃ頭の提案に、プティはしぶしぶ頷いた。


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