六話

「お母さん!いいよー!」


「よーし!……それっ!」


「あははっ!お母さんへたくそー!」


「そうねぇ、もう修ちゃんの方が上手ねぇ。」


「修!次はお父さんと遊ぼう!」


「いいよー! じゃあ、鬼ごっこね! お父さん鬼ー!」


「よっしゃぁ!行くぞ修!」


小学生の頃、僕には両親がいた。

……実際には今もいるのだが、親らしい事をして貰っていたのはこの頃だ。

誰もが羨む、暖かい家庭だったと思う。


両親は二人とも仲が良く、息子である僕にも優しかった。


だが、それは作られた優しさだった。

少なくとも母親の方は。


-----


「ただいま」


「おかえりなさい。ご飯、出来てるわ」


「ああ……」


「お父さん、おかえりなさい。」


「ただいま。修。」


そう言って父は僕の頭を撫でると、弱々しく笑った。


思えば、その日父の笑顔を見たのはこれだけだった気がする。


その日の夜、僕はリビングから聞こえてくる二人の言い争いを聞いてしまった。


「…本当に、やり直せないのか?」


「無理よ。私はもう、貴方に対する愛情は無いもの。」


「っ!…じゃあ、修はどうなんだ?腐っても母親だろう?」


「………………同じよ。」


「………お前は親失格だ。」


母の言っていることが理解できなかった。

僕に対する愛情が無い?

……嘘だ。

あんなに優しかったお母さんが、僕を愛していないわけがない!


その後も言い争いは続き、再び自分の名前が出て来た。


「一人暮らしなんて無茶だ!あの子はまだ小学四年生なんだぞ!」


「……そうよね……はぁ……修がもっと強かったら良かったのに……」


「…自分の子供に当たるとは………」


この時、母の、"もっと強ければ"という言葉が強く耳に残った。


僕は小学生なりの考えを駆使して、どうすれば強くなれるかと思案した。

言い争いは益々激しくなったが、集中している僕にとっては、気にもならなかった。


僕は考えた。考えて考えて考え抜いた結果、出てきた結論は、"守るための力"を身につけるという事だった。


第一に、自分を守る為の力を。


第二に、大切な人を守る為の力を。


この二つが、僕の考えの基礎となった。

そして、この結論を得たことで、僕にとってのやるべきことが見えた。


僕が決心を固めた時には、既に言い争いは終わり、両親は眠りに着いた後だった。



次の日、母は荷物を纏めて出て行った。

悲しみはあったが、使命感が泣くのを止めさせた。


そして、その日から僕は行動を開始した。

家事を率先してやり、勉強も一生懸命に頑張った。

その頃は美咲とも仲が良かったので、美咲には心配を掛けないようにと、母親は単身赴任に行ったと説明した。

僕の家は共働きだったので、その言い訳はとても都合が良かったのだ。


-----


中学一年生の時、僕に妹が出来た。

父が再婚したのだ。


僕は父の再婚について、何も言わなかった。

父のやりたいようにすれば良いと思ったのだ。


新しく出来た妹は一つ年下で、かなり可愛かった。


……そう。冬香だ。

僕と冬香は、義兄妹なのだ。


今こそ義理の兄妹には見えないほど仲が良くなったが、当時の冬香は人見知りで、側から見てもとても弱々しかった。


美咲には従兄妹と住むと言っておいた。


もう、隠し通すのは難しそうだった。


-----


その年の夏休み、僕は一人で山に行った。

自然に触れて疲れた心を癒したかった。


一時間かけて頂上に登り、持ってきたお弁当を食べた。そして、山の中を散策した。

頂上を中心に、円を描きながら山の中を歩いていると、不意に周囲の音が途切れた。


声をあげても山の中に響くだけ。

生き物は愚か、風の音さえも聞こえない。

不気味に思った僕は、頂上に戻ろうと歩き出した。


だが………


「どうして……戻れないんだ?」


どれだけ歩いても、僕は同じ所をぐるぐると回っているのだ。

方向はちゃんと合っている筈なのに。


普通の中学生だったらここでパニックになるだろう。

…だが、僕は悪い意味で普通ではなかった。

冷静に今の状況を分析し、一つの結論を導き出す。


「……遭難した……」


遭難した時の一番良い対処法は、その場から動かないことだ。

なるべくエネルギーを使わず、救助隊が来るのを待つ。

幸い、持ってきた携帯食料と水はある。

これで幸い一週間は持つ。

僕は取り敢えず余計な事は気にせず、助けを待つことにした。




待つこと三時間。

あたりは薄っすらと暗くなり、夕暮れ時が訪れている。


その時だった。


キーン………と、幻聴が聞こえる程の張り詰めた空気が僕を襲った。


「………なんだ?」


愚かにも、僕はその空気が強くなる方に向かって歩いて行ってしまった。


「………神社?」


張り詰めた空気が最高潮に達した所には、石造の鳥居があった。奥には、同じく石で造られた社がある。


神社なら安心だと思い、僕は鳥居をくぐって社の前まで行った。


「……賽銭箱が無い。」


確か、賽銭箱の風潮が広まったのは鎌倉・室町時代の時。という事は、この神社はそれ以前に建てられたという事か。


携帯食料を一つ社に置き、二礼二拍手をしてお祈りをする。

願い事は、何時もと同じ。


(守れる力が付きますように……)


そう願った直後、張り詰めた空気がさらに強くなり、耳鳴りがし始めた。


ザワザワザワザワ…………


普通の耳鳴りでは無い。

ラジオのチャンネルを合わせる時のような、雑音がしている。


ザワザワザワザワ---------。


唐突に、その雑音が消えた。

次の瞬間、激痛が全身を襲う。

体の組織が壊れて行くようだった。


「あぁぁぁっ!痛いっ!痛いっ!」


激痛の最中、僕は不思議なものを見る。

それは、何か大きな動物のようだった。


それは僕に近づいてきて……


そこで、意識が完全に途絶えた。


------


次に目覚めたのは、病院の白いベッドの上だった。


「お兄ちゃん!」


叫びながら冬香が僕に抱きついてきた。


「……何がどうなってるんだ?」


状況がさっぱり分からない。


「お兄ちゃん、山で遭難したんだよ?

覚えてない?」


「……ああ」


確か僕はあの神社で………


「冬香、僕が最後にいた場所ってわかる?」


「……え?確か、森の中の開けた場所だって聞いてるけど……」


……成る程。どうやら僕は、神隠しの類に遭遇したらしい。通りで迷ってしまった訳だ。


「ありがとう冬香。心配してくれたんだね。」


僕が優しく言うと、冬香は顔を真っ赤にして、


「……うん……」


と頷いた。


看護師さんから聞いた話によると、冬香は僕が運ばれてきた時から片時も側を離れなかったらしい。


……良い妹を持ったことに感謝だな……


それから暫くして、父親も顔を出した。

父は僕が無事なのを確認すると、安心した顔をして「もう危険な事はするな」と言って帰っていった。父は仕事が忙しいのだ。


病院で一泊し、もう一度検査をされ、その日の夜に僕は晴れて退院した。


しかし、運の悪い事に、その帰り道で僕と冬香は不良達に絡まれてしまったのだ。


「おい、可愛い子連れてんじゃねぇか」


「ちょっと面貸せ。」


冬香はぶるぶると震えている。

僕はその不良達に強い嫌悪感を抱いた。


不良の一人が冬香に触れようとした。


しかし……


「ぐぁぁっ!」


冬香に触れる寸前、そいつの体は前方に吹っ飛んでいった。

いつの間にか拳を握っている事を見ると、無意識のうちに僕が殴りかかっていたらしい。

人間、緊急時には馬鹿力が出るというのは本当のようだ。


だが、不良達は僕を見て何故か怯えている。


「な、なんだ……お前……」


「目が………」


目がどうしたんだ?

僕は冬香の方を向いて聞く。

冬香は呆然としながら言った。


「お兄ちゃん……目が…紫色に光ってる…」


……紫色に光ってる?


ちょうどそこにカーブミラーがある事を知っていたので、そちらに顔を向ける。

すると………


「……っ!?」


僕の虹彩が、紫色に強く光っていた。


「……くそっ!なんだ知らねぇが行くぞ!お前ら!」


「お、おう!」


不良達が迫ってくる。普通なら絶体絶命と思う時なのだが………


………見える。


奴らの動き一つ一つが、はっきりと見える。

次にどんな行動をするのかも分かる。

そして、体に力が満ちている。


僕は頭で倒す順番を組み立てると、アスファルトを蹴って飛び出した。

瞬時に一人目の前に辿り着く。


「うおっ!?」


バキッ。


顎を打ち上げる。その力で飛び上がって、飛び蹴り。


ガスッ。


空中で回し蹴り。


ドスッ。


顔面にパンチ。


その僅か五秒の間に、不良達は全員ノックアウトしていた。

僕も慣れない暴力で息が上がっている。


「……はぁ……はぁ……」


……なんなんだ?この異常な力は。


「お兄ちゃん!大丈夫!?」


冬香が駆け寄ってくる。


「……ああ。大丈夫だ。」


「……帰ろう。お兄ちゃん。」


「ああ……」


-----


その夜、冬香と話し合った。


僕が神隠しにあった事、神社にお参りした事、全身の痛み。僕が感じた事をありのままに話す。


もう一度自分が体験した事を緻密に話していくと、原因が朧げながら分かってきた。


恐らく、あの神社で僕は、『守れる力』を神様に授かったのだ。

たかが携帯食料の見返りにしては大きすぎると思ったが、それ以外に理由は……


……ああ、あるな。


その時、何故かは分からないが、自分が人では無くなった事を悟った。






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