第5話 デート

 日曜の正午。駅前のパン屋の前。

 それが愉快な誘拐犯が提示した待ち合わせ場所だった。

 今は十一時五十分。待ち合わせなら完璧の十分前行動だ。

 そして五分前になると、犯人も悠々とやってきた。


「こんにちは、先輩」

「無事のようだな」

「何のことですか?」


 小首を傾げる詩春。

 あ、もうその設定はないのね。


「今日のプランは考えているのか?」

「もちろんです。まずはそこでパンを買います」


 だからパン屋が待ち合わせ場所だったのか。

 中へと入ると、焼き立てパンの香りが一気に鼻を覆い尽くす。そこにいるだけでお腹がいっぱいになりそうなほどに。

 詩春はお盆とトングを持つと、足を止めて悩み始めた。


「何で迷ってるんだ?」

「あんパンか、クリームパンか……です」

「そうか。長くかかりそうか?」


 基本的に詩春のこだわりは強い。その為、こういう二択の場合、決めるのにそれなりの時間が必要になる。


「少し待っててください」

「あいよ」


 これは長考パターンである。詩春の体感時間では数秒でも、現実は数分だ。

 邪魔をせずに凛太郎はそっと店から出た。そして自販機で缶コーヒーを買って、詩春が買って来るまで待つ。


「お待たせしました」


 八分後に詩春が戻ってきた。


「パンを食べるのか?」

「はい。公園で食べましょう」


 駅から近い公園は一つしかなかった。自然と足先は揃い、デートは始まる。

 ちょうど空いているベンチがあった。そこに腰を落とし、詩春は買ってきたパンをさっそくパクッと頬張った。

 薄黄色いクリームが口についていたので、クリームパンなのだと分かる。


「先輩も食べますか?」

「俺はいいよ」

「そうですか」


 それほど夢中になって食べられたら横取りはできない。


「先輩、大変です」

「なんだ?」

「さっきまで手元にあった私のクリームパンが消えてしまいました」

「真実は一つ。お前の胃の中にいったんだよ」

「なんと⁉ 盲点でした、名探偵さん」


 なんて茶番を挟みつつ、のんびりとした時間を過ごす。

 これが詩春と凛太郎のデートである。


「先輩は……」


 急に真っ直ぐ遠くを見つめながら詩春は言う。


「先に卒業してしまいます」

「まだ一年以上も先だがな」

「卒業しても、先輩は私とデートしてくれますか」

「愚問だな」


 そんなことは答えずとも詩春だって分かっているはずだ。


「私は先輩が好きですが、先輩は私のことが好きなのか時々不安になります」

「急にどうした」


 詩春の弱気な発言は珍しかった。


「会えない時は特にです。昨日、私は家で一人ぼっちでした」

「ああー、寂しかったのか」


 コクッと詩春は頷いた。

 だからあんな電話もしてきて、今日のデートも誘ってきた。意外と弱い一面を兼ね備えているらしい。


「今日はずっと傍にいてやるぞ」

「特別に手を繋ぐ許可も出します」

「それはどうも」


 凛太郎は詩春の細い指に自分の指を絡める。

 そしてギュッと力が籠もった。


「先輩、手汗が酷いです」

「悪かったな! これでも少し緊張してんだよ!」


 だけど、詩春から手を放すことはなかった。

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