もう一人の私

伊ノ守 静

もう一人の私

子供は親を選べないとよく言うが、親も子供を選べないのだと、私は言いたい。誰しも一度は考える。もっと裕福な家に生まれたかった。もっと自由に色んなことをやりたかった。もっと愛し合っていて欲しかった。もっと一緒にいたかった。幼い頃の苦い思い出。アルバムを開けば、姉のお下がりの服ばかり着せられていた。色あせたトレーナーにパジャマ。サイズの合わない学生服。気づけば姉妹そろって同じクラブに入り、訳もわからず懸命に練習した。私は音楽が好きだった。ピアノやバイオリン、ヴィオラ。けれど口に出せなかった。疲れて帰ってきた母の顔を見ると、胸の奥の方にじんわりとして重たいものが蟠って、声が出なかった。酔っ払った父が母を蹴りつける。いつもは優しい父は、何かに怯えるようにお酒を飲む。そして、時折母を打つ。父の寝顔は泣き顔だった。母は部屋を借りた。姉もそこへ移り住んだ。私は父と共に残った。私だけは父の痛みを理解していた。家を出る時、母は私に「有り難う」と言った。悲しいはずなのに、涙は決して流れてはくれなかった。

 私は利口でありたかった。素直でありたかった。我儘でありたかった。けれど、そのどれにもなれなかった。私は高校を卒業してすぐに家を出た。アルバイトをしながら大学へ通った。それから四年間、一度も家族には会っていない。連絡も取っていない。住所も伝えていない。私は一人になりたかった。あの場所に居たくなかった。必然的な、先天的な宝物を、どうしても持っていたくなかった。私は自分自身すら壊してしまいそうでしっかり掴むことが出来なかった。

 大学の卒業式。既に職についているであろう姉が、校門の前で私を待っていた。小さい頃から真新しい綺麗な服を着ていた彼女は、大人になって一層華やかに着飾っていた。

今、両親はあの家で一緒に暮らしている。自分たちのせいで貴方に辛い思いをさせてしまった。どうか、一度でいいから帰ってきて欲しい。

二人がそう言っていると、彼女は伝えた。私は色んな思いがごちゃ混ぜになって、その場に泣き伏した。どうして今になってそんな事が言えるのだろう。どうして何処までも付き纏うのだろう。大嫌いだ、言われた通り全部両親のせいだと思った。けれど、私は姉の姿を見て恐ろしい思いがした。彼女はずっと両親の側にいたのだ。ずっと娘であり続けていたのだ。同じ家庭に生まれて、同じ親を持って、同じ境遇にあった彼女は、私と違う。彼女の瞳に映った私は、ひどく愚かだった。

 私はもう一人の私を見る。子供らしく甘えている私。記念日にピンクのカーネーションを渡している私。悲しさを目一杯見せることの出来た私。家族を愛している私。そんな私は、鏡の中には映らない。

 子供は親を選べない。それはきっと間違っている。親は子供を選べない。私はそう言いたい。

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