第3話 お先に失礼
授業が終わると、クロエは黙って教室を出て行った。少し時間をずらし、
二つ隣の空き教室のドアを開けると、クロエは窓際に寄せられた椅子の一つに腰かけていた。窓が一つ開けられている。秋晴れの空は、雲一つない。爽やかな風が彼女の長い髪をなびかせ、白い頬をくすぐった。
彼女の周囲だけ、別の写真を貼りつけたコラージュのようだ。
澄んだ空を背景に椅子へ座る少女は、こちらを見て静かに微笑む。
この世を救うべく遣わされた、魔法少女――。
彼女のそんな世迷言を信じたくなってしまうほど、非現実的な美しさがある。だが、残念ながらこれは現実だ。自分たちは、約一年後には大学入試で四苦八苦しているであろう、どこにでもいる高校二年生なのだ。
意を決し、友介は口を開いた。
「ああいう話は、そういう話が通じる友だちとだけにしておいたほうがいい」
「はい、先ほどはご迷惑をおかけしました」
意外なことに、クロエは素直に頭を下げてみせた。
(よかった。滑りまくったジョークの辞めどきが分からなくなってただけか)
安堵のため息に被せるように、クロエは続ける。
「徹底した監視社会なんですね、この世界は」
「待て、どうしてそっちに行く」
その言葉に眉間にしわを寄せると、ずかずかとクロエが座る席へ近づいていく。
バン、と大きな音を立て、友介は机に手を叩きつけた。
「俺は、十七にもなって小説やゲームの世界設定を教室で垂れ流すのはやめろ、って言ってんだよ。そういうのが好きな仲間と、互いの家や部室で話す分には構わない。趣味の範囲でやれ、って言ってんだ!」
「……この世界は、それほどまでに過酷な密告社会なのですね。想定していたものと違って、どうやらここでは社会戦も求められるみたいだわ」
「社会戦じゃなくて、自分で地雷を埋めて自分で踏んでるような状態だぞ。気づけ、頼むから」
「はい。どこで誰が監視しているか、分からないですものね」
すると、先ほど机へ叩きつけた友介の手に、白く柔らかな手が重ねられた。
思わず引っ込めそうになったそれを、クロエはぎゅっと握りしめる。
「危険を冒してまで教えてくれて、ありがとう。あなたが教えてくれなかったら、私……そういう組織に処分されてたんでしょうね」
「おまえが来たのは、いつの時代だ。戦前の昭和か、明治か大正か」
「平成三十二年です」
ベタな返答に、思わず友介は噴き出してしまった。
クロエはそんな友介の姿を、ぽかん、と口を開けて見上げている。
「令和にアップデートしようぜ、さすがにさ」
「れい、わ? 昭和ではなくて?」
「はいはい、下手なジョークはそのくらいにしておけ」
呆気にとられたような顔をしていると、ただの美少女だ。“ただの”という修飾語を、“美少女”という単語に使っていいものかは分からないが。
季節外れの転校生ということは、事情があって急に学校を変わる必要があったのだろう。或いは、これだけの美人だ。前の学校で何か嫌な経験をして、学校そのものにトラウマを持っているのかもしれない。
そう思うと、ほんの少し可哀想な気がしたのだ。
友介は、スマホを取り出して近隣の地図を表示した。椅子に座ったクロエにも見えるように、前のめりの姿勢になる。
「ここがうちの高校で、こっちが最寄り駅。で、これが通学路。分かる?」
「はい、地図は読めます」
「通学路をずっと行くと、駅前広場の近くにマックがあるだろ。放課後になったら適当に飲み物でも買って、二階席にいろ」
「えっ」
「そういうゲームとか好きな奴ら、何人か誘って行くから」
一転して、クロエの表情が曇る。
「いえ……ここまで情報統制が厳しいのなら、不用意に多人数に話すのは危険です」
「自己紹介でアレをぶっ放した時点で、致命傷レベルだったと思うぞ」
「分かってます。だから、慎重を期して、あなただけに聞いてもらいたいんです」
「ご指名かよ、おい」
そういえば、というように口を噤んで目を
「
「海野くん……」
「そろそろ休み時間も終わるし、教室へ戻るぞ。こんな空き教室に二人きりだった、なんて知られたら変な噂立てられるし、俺が先に出るから。
「はい、では放課後に」
「おう」
とりあえず、これで今日のところは静かになるだろう。
そんなことを考えながら、友介は空き教室を出た。後ろ手でドアを閉め、廊下を進む。二つ隣にある教室の前まで来ると、何食わぬ顔でドアを開けた。
もうすぐ授業が始まるからか、殆どの生徒は既に着席していた。紺色のブレザーの男女が整然と並んでいる。いつもと変わらない光景だ。
窓際、一番後ろの自分の席を見る。
次の瞬間、悲鳴を上げそうになった友介は、思わず口もとを手で覆っていた。
自分の席の隣に、黒セーラーを着たクロエが座っている。そうしてこちらを見ると、涼しい微笑みを浮かべてみせたのだ。
(――こいつ、いつの間に俺を追い越したんだ?)
宇宙人でも見るような目でクロエを凝視しながら、ドア付近から動けなくなってしまった。そんな友介の肩を、訝し気な顔で叩く数学教師。
教師に声を掛けられても反応できないほど、友介は激しく動揺していた。
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