第4話 秘密の告白

 できるだけクロエのことは考えないようにしながら、どうにか一日を乗り切った。

 幸い、悩みの種の張本人は、二人で話した後は静かに「季節外れの転校生」という役を演じてくれているようだった。

 にこにこしている分には、害はない。それどころか、その清楚で朗らかな微笑みは、中間試験前の殺伐とした教室に潤いを与えてくれる。

 昼休みになると、早速、数名の女子が一緒に弁当を食べよう、と誘っていた。

(……さっきのはきっと、俺がぼんやりしている間に廊下で追い抜かれたんだろう。きっとそうに違いない。それ以外、あり得ない)

 静かに授業に参加しているクロエは、ただの美少女だ。自己紹介以外、挙動不審なところも見られないし、不規則発言もしていない。

 帰りのHRが終わる頃には、女子だけでなく数名の男子も、バイバイ、と声を掛けていった。

(このまま何事もなく馴染め。馴染むんだ、雪森ゆきもり。今朝の自己紹介は張り切りすぎちゃいました、テヘペロ。とか、そういうものであってくれ……)

 友介ゆうすけも、普段話すクラスメイトに軽く声を掛け、教室を出た。少し先を行くクロエの後をつけるように、歩調を合わせて歩く。

 他のクラスの生徒だけでなく、街を行く通行人までもが、クロエとすれ違いざまに振り返る。シックな印象の黒セーラーのスカートと、手入れの行き届いた長い髪が、秋風に煽られてなびいている。

 きっと友介も、街で偶然すれ違ったら振り返ってしまうだろう――朝の自己紹介さえ見ていなければ、の話だが。

 マックに入ったところで歩調を早め、追い付く。

 友介は、メニューを選ぼうとしている彼女の隣に並ぶと、スマイルゼロ円な店員へ話しかけた。


「俺、ホットのコーヒー、Мサイズで」

海野うみのくん!?」


 尾行に気づいていなかったのか、クロエは華奢な肩を竦めた。

 クロエが名前を呼んだことで、店員は二人連れと判断したのだろう。特に怪しむ様子もなく、マニュアル通りの応対を続けた。


「ご注文はご一緒でよろしいでしょうか」

「一緒で。雪森は何にするんだ」

「あ、あの、私は紅茶……冷たいのが良いかな」

「レモンとミルクはお付けいたしますか?」

「レモンだけ」

「サイズはどちらにいたしますか?」

「普通でいいです」

「ご注文を繰り返させていただきます。ホットコーヒーのМサイズがお一つ、アイスティーのМサイズにレモンをお一つ。以上でよろしかったでしょうか?」


 先に行って席を取ってこい、とクロエに告げると、友介は財布をポケットから取り出した。会計を済ませ、商品を受け取って階段を上がる。

 奥まった二人掛けの席から、クロエが軽く手を挙げるのが見えた。


「あの、お金……」

「俺が誘ったんだから、気にするな」

「でも」

「百円やそこらで恩を着せたりしないって」

「ありがとう、ご馳走になります」

「どういたしまして」


 困ったような顔で笑うと、クロエは小さく頷いた。

 彼女は癖なのか、胸の前で手を組んでいる。その仕草や困ったような微笑みが、妙に儚く感じられた。秋の夕陽が錯覚させるのか、どこか物悲しさを感じさせるのだ。

 どう考えてもお触り厳禁な痛い女のはずなのに、そうと決めつけて放置してはいけないような気がしてくる。

 気まずさを打ち消そうと、友介は湯気を立てるコーヒーをすすった。


「俺も普通にゲームくらいやるし、漫画も読むからさ。まあ、なんだ。雪森に話したいことがあるなら、少しくらい聞くぞ。ルーム長として」

「これは“小説の話”――そういうこと・・・・・・として話せばいいんですね?」


(あくまでも、そこは譲らないか、頑固者め)

 苦笑いしつつ頷く。こうなったら、乗りかかった舟だ。

 彼女の妄想話を聞いてやりながら、クラスや知り合いでサブカルに詳しい奴に当たりをつけておく。受け入れてくれそうな――できれば女子のグループが望ましい――が見つかったら、そちらへ引き渡せばいい。

(もう受験勉強の追い込みは始まってる。クラスの雰囲気を乱されないためにも、ここは俺が多少、ガス抜きになってやるしかないな)

 頬杖を突きながらコーヒーを口にする友介を相手に、クロエは滔々と語り出した。彼女がこの世界へ来た、その理由と方法、そしてその目的を――。


 長々と語ってくれた壮大な物語を三行にまとめると、次のようになる。

 ①クロエは、自分の意志で志願し、異世界転移された魔法少女(自称)。

 ②この世界を苦しめる『悪』を斃さなければならない。

 ③彼女と同じく、灯台プハロスの女神に選ばれし魔法少女はたくさんいる。


 クロエの説明を聞くうちに、友介の頬杖がズレていく。

(これは……異世界転移でチートスキル、という設定アレなのか)

 試しに幾つか質問してみたが、妙に整合性のある返答ばかりだ。

 同性異性構わず振り返るほど麗しい容姿だけでなく、授業で当てられても苦も無く答えるだけの知性を持ちながら、何ゆえ彼女はこれほどまでに中二病をこじらせてしまったのだろう?

 そう考えると、少しだけ同情心と好奇心が沸いてきそうになる。

 ただ、これと同類と思われたら、自分までクラスで浮いてしまう。

 やや毒舌気味だが普段は物静かなルーム長、という今の地位を捨てる勇気など、友介にはなかった。

 話が一段落したところで、腕時計を見る。そろそろ解散すべき時間だ。


「五時になったし、そろそろ帰るか」

「もうそんな時間ですか? すみません、お付き合いさせてしまって」

「雪森は電車通学? 駅まで送るけど」


 すると彼女は、口もとを押さえて息を呑んだ。

 さぁああっ、と顔が青ざめていくのが見て分かる。


「私、帰れないんです……」

「はぁ?」

「帰る家なんて、どこにもないから」


 途方に暮れているクロエを前に、友介は少し苛立っていた。

 これだけ話に付き合ってやったのだから、ここは気分よく、さよならすべきではないのか。


「何とかの女神とやらは、住む場所くらい用意してくれないのか?」

灯台プハロスの女神様は、魔法少女を他の世界へ転移させてくれるだけです。言語の変換や最低限の常識は、このAI搭載石盤タブレットが教えてくれますけど、住む場所は自分で見つけないと」

「……他の魔法少女は、どうやって住む場所を決めるんだ」

「ですから、普通はこちらの世界に巣食う『悪』の手下を幾つか倒すことで、人々の信頼を得て……そうすると大概、住む場所くらいは提供してもらえるって……」

「あのなぁ! 暗くなったし危ないから、駅か家まで送ってやる、ってこっちが言ってるんだから――」


 苛立ちを声に滲ませて言いかけたところで、ふと口を噤む。

 クロエは両手で顔を覆い、俯いてしまっていた。演技と思うには、小刻みに震える肩があまりにもリアルだった。

 彼女の言葉の全てを、真面目に受け取ることはできない。

 だが、家に帰れない、というのは本当なのだろう。

(そもそも高校二年の秋に転校してくるなんて、ちょっと珍しいわけで)

 家族の転勤なら、夏休みの前後で調整するのが一般的だろう。それに、受験に備える時期に入っている。親戚の家に居候するとか、父親だけ単身赴任、といった生徒はクラスにもいる。

(だとしたら逆で、親の離婚とかで急に引っ越さなきゃいけなくなったのか?)

 例えば――両親の離婚で母親についていったら、再婚相手が背中に如来菩薩の和彫りを背負った筋肉達磨で、「十八になったら身体で金稼いで来いや!」と怒鳴るような奴だとか。

 連れ子同士の再婚で、義理の兄になった奴が毎晩、風呂を覗いてくるとか。

 何せ、同性も黙るほどの美少女だ。何があってもおかしくはないだろう。魔法少女云々は、そういうつらい現実から逃避するための妄想なのだろうか?

 そんなことを考え始めると、益々可哀想になってくる。

(出逢ったばかりの俺にこんな話をする、ってことは……そうとう追い込まれてる状態なんだろう)

 目を閉じているふりをしながら、そっと薄目で正面に座る彼女を見やる。

 長いまつ毛を伏せ、クロエは胸の辺りで組んだ手を握りしめている。涙を堪えているようだが、目の端には透明な涙が滲んでいた。


「本当に、帰る場所はないのか」

「……はい」

「分かった。そしたら、俺の家に来い。押し入れの上の段くらいは貸してやる」

「押し入れ……?」

「猫型ロボットの時代から、居候は押し入れの上の段、って決まってるだろ」

「ああ、ドラえ――」

「皆まで言うな、皆まで」


 友介は立ち上がってトレイを手にすると、軽く笑ってみせた。


「とりあえず、今晩だけだからな。あと、もう少しちゃんと事情を説明しろ」

「はい!」


 屈託なく微笑むクロエを前に、あれこれ言おうとしていた忠告や説教は、全部頭から吹っ飛んでしまっていた。

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