第16話 青空の下で

 活気のあふれた廊下を抜け、階段を上り校舎の三階に到着する。このフロアは職員室、準備室など、主に教職員用の部屋で構成されている。そのため普段は静かなものだが、今日は階下の騒がしい声がこの階にも響いていた。


「おい、どこ行くんだ」


 このフロアにさしてめぼしいものはなかったように思う。

 明日香に問いかけた。

 だが、明日香の足はこの階で止まることはなかった。


「いいから、いいから」


 そう言って、そのまま階段をのぼり始めた。

 この校舎は三階建てだ。もうこれ以上の階層はない。階段を上っていっても屋上へと続く扉があるのみである。


 屋上は立ち入り禁止となっており、屋上へと続く扉はいつも鍵がかけられ、閉じられている。危険防止のためだそうだ。そのため、三階から上への階段を利用する人はめったにいない。


 だが、目の前にある、階段を上りきった先にあった外へと続く扉は、木製のドアストッパーによって開いた状態で固定されていた。

 扉の向こうには、コンクリートのタイルと落下しないように付けられた柵、そして晴れた空が見える。


 先に外へと飛び出した明日香に続いて青空のもとへと一歩を踏み出す。初めて校舎の屋上に足を踏み入れたため、高揚感に包まれた。


「到着です! どうですか」


 明日香は、嬉しそうにドヤ顔で訊いてくる。


「いいのか、勝手に屋上に入って」


 そんなドヤ顔に対して、素直に感動の意を示したくなかったので、訊かれたことと関係ないことを尋ねる。


「学園祭中は毎年、解放されているみたいですよ。教師の粋な働きというやつで。みんな知らないみたいですけど」

「ふーん」


 明日香の言葉に相槌を返しながら、それならば、と思いもっと景色を眺めようと柵にすがりつく。

 校舎からは騒がしい声が響いてきて賑わいが感じられる。

 グラウンドでは数人の教職員と生徒によって今日の夜のキャンプファイヤーの準備のために木々が組み立てられていた。今どき、キャンプファイヤーをやっているのは近隣住民の苦情や環境面への配慮からとても少ないと聞く。それでもこの学校では学園祭の日の夜に毎年行っている。なんでも今の校長がどうしてもやりたい、と言ってきかないらしい。物好きなものだ。

 更に視線を上げていくと、街並みが見渡せる。通学路の並木道、昔よく利用した公園、最近できたコンビニ。

 気づけば、由之に習うように明日香も柵にすがりついていた。


「知ってますか、度々校舎の屋上に立ち上る謎の煙の話」


 唐突に話しかけられた。


 ここは普段、立ち入り禁止となっている。だが、時折屋上から小さな煙が発生するという噂になったことがあった。実際に見たこともある。これだけだと明日香の好きそうな不思議なことなのだが、真実はいたって単純で、多くの人間がその真実を知っている。

 休み時間にこそこそと教師数人が屋上への階段を上っていく。全面禁煙の校舎内で、隠れてタバコを吸っているらしい。

 そこまでして吸いたいものなのか、と少し呆れたふうにも思うがそれに対し誰もとやかく言わない。このご時世に肩身の狭い喫煙者に気を使っているのか、問題だ、と声をあげるのがただただ面倒なのかわからない。


「タバコ吸ってんだろ。先生が」

「ええそうです」


 すんなりと答えが返ってくる。明日香も真実を知っていたようだ。


「それが? 」


 それが一体どうしたというのだろうか。


「つまんないですよねー」

「そうかもな」


 つまんない、そう言いながら明日香は楽しそうに微笑んでいる。たしかに真実としてつまらないものかもしれない。だが、普段偉そうに授業をする教師の秘密を知ったようで、それが楽しく感じられる。明日香もそう感じているのだろう。


「それで、元の体に戻らなくていいって、どういうことですか」


 話がいきなりぶっ飛んだ。思わず動揺してしまう。


「そのままの意味なんだが」


 心の動揺しているのを悟られないようにぶっきらぼうに返事をする。どうやら本題はこちらのようだ。


「そうですか」


 明日香は、どこか納得したように、うんうん、とうなずきながら口を開く。


「とうとう自分が女の子になりたかったという自覚するようになった、と」

「違いますわよ」

「あらー」


 あまりの突拍子のなさにふざけてお嬢様言葉で返してしまった。


「ただ——」


 明日香と知り合った際に言われたことを思い出す。『空想を実現する力』、そんなことを言っていた。誰かの空想によってこの体になった、そういった仮説を立てた。

 そして、この体になって一番都合が良かったのは一体誰なのか、その答えにたどり着いた。   

 ただ、それだけ。

 根拠はない。しかし、その考えは、パズルの最後の一ピースを埋めるようなすっきりとした感覚で、自分の中でぴったりと当てはまる。


 だが、その先の言葉を言うのは躊躇ためらわれた。自分自身の秘密をさらけ出してしまうようで、単純にそれが嫌なのだろう。


「ただ? 」


 その言葉の先を促すように見つめられる。


 少しの沈黙が二人に間に流れる。


 そして、こちらの口からその先の言葉が出てくるのを諦めたのか、視線を外してどこか遠くの方へ向け、明日香が口を開いた。


「本当にそう思っているのならいいですけど、もし違ったら——」


 一呼吸おいてからその先の言葉を告げる。


「自分に嘘はつかないほうがいいですよ」


 それは明日香の信条的なものなのだろう。少しの間だが彼女の行動を見てきてきっちり当てはまるように思う。

 だが、その声色はどこか寂しそうに聞こえた。

 それに違和感を覚える。


「さあ、行きましょうか。早くしないと劇の席、無くなっちゃいますよ」


 違和感の正体をつかむ前に明日香は歩き出していた。明日香としては、言いたいことは言えたらしい。

 声色は普段通りだった。

 それにつられて歩き出す。


 校舎へと続く扉をくぐり、演劇の行われる体育館へと向かった。

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乙女心は秋の空〜女の子になったけど今日も元気です〜 今泉緑 @imaizumi_ryoku

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