第11話 恋慕
目の前に可愛い少女がいる。よく知った少女だ。これは夢なのだろう、とすぐにわかる。なぜなら、そのよく知った少女は、今はもう少し成長した姿をしているからだ。
場所は教室。室内ではグループがいくつかできており、歓談に花が咲いているようだ。場面は休み時間かなにかだろうか。
少女は一人でいる。周りの人間は少女に話しかけようとはしない。少女も周りに話しかけようとはしない。
少女は孤独だった。ただそれは少女が望んでつくった孤独ではなく、悪意のある孤独に感じた。
理不尽さを感じ、夢だとわかっていながらも少女に声をかける。
少女はなんでもないよ、とでも言いたげな笑顔でこちらを向く。その笑顔がたまらなく辛い。
******
意識が覚醒する。あまりいい夢ではなかった。いや、夢というより記憶に近かったように感じる。心が痛い。
ここはどこだろう。なにやらガタンゴトン、と音がし、それと同様に自分の体も揺れている。自分が電車の中にいることを自覚する。
眠っていたようだ。ぼんやりとした意識のまま目を開ける。目の前には空席の乗車席、そして窓越しに夕日によって赤く染まった空が見える。
電車の中で横になって眠ってしまっていたのだろうか。世界が横を向いている。しかし、その割に無理な体勢にはなっていない。視界は乗車席よりも一段高くなっており、何か枕のようなものを頭に敷いているらしい。
右ほほには、布越しに柔らかい感触、そして人の体温程度の温もりが伝わる。左後頭部には、なんだろうか、優しい圧力を感じる。
状況を整理しよう。一度、目を閉じる。電車は軽快なリズムでガタンゴトン、と揺れている。
ここは珠里とのお出かけの帰りの電車の中。不覚にも眠ってしまっていたようだ。それも、なにかを枕のようにして横になっている。右上半身が車席ならびにその枕と接触していることから自分が右に傾いたことがわかる。
眠る前、右隣には珠里がいた。だとしたら、珠里はどこに行ったのだろうか。眠ってしまったことに呆れて帰ってしまったのだろうか。しかし、珠里はそういう人間ではないと思う。そのため、それは考えにくい。
珠里のことは一旦置いておいて、現在、枕として使っているこの物体はなんだろうか。柔らかく、そして温もりがある。なにかしらの生き物のような感じさえしてくる。また、嗅ぎ覚えのあるような甘い匂いに包まれている。
寝起きのために鈍かった思考が、だんだんと研ぎ澄まされていく。電車は速度を上げてガタンゴトントン、と揺れる。
導き出される結論はただ一つ。本当は目を開けた時から結論はわかっていた。しかし、まさかそんなことはないのでは、と考えてしまった。
ひざまくら。
それは
どうやらその行為が現在、行われているようだ。
右ほほに伝わる柔らかい感触。これは珠里の太ももではないだろうか。そして先ほどから感じている左後頭部の謎の優しい圧力。これは、珠里の手ではないだろうか。要するに客観的に見て、現在、赤子のように眠ってしまった由之を珠里があやしているような状況にあるのではないだろうか。
電車の中で寝てしまい、幼馴染に膝枕をされ寝かしつけられる。人生の汚点だ。男の尊厳などあったものではない。
この状況を打開できる一手はないだろうか。思考をフル回転させる。
ないです。詰みです。降参します。神様助けて、お願いします。
すべてを諦めて、頭に置かれていた珠里の手を恐る恐るそっと払い退ける。珠里はどんなことを思って膝枕などしているのだろうか。呆れているだろうか。気になって鼓動が速まる。ゆっくりと体を反転させ、珠里の方を向いた。
そこには、よく知った幼馴染の顔があった。
珠里の顔はこちらをまっすぐ見下ろしている。予想よりも顔が近く、それも正面にあったのでドキッとする。
しかし、目は閉じられていた。反応もない。先ほど払いのけた手も力なくそのまま動く様子もない。どうやら珠里も疲れて眠ってしまっているようだ。
膝枕は、偶然。二人とも眠っており、電車の揺れによって寄りかかり、結果的に膝枕されている。頭に置かれた手も偶然。そう思うことにしよう。きっとそうだ。いや、そうにちがいない。
珠里の寝顔は、とても満足そうに見えた。さしずめ、今日見たアライグマの夢でも見ているのだろう。
今日一日のことを思い出す。
アライグマもフェネックも可愛かった。珠里も楽しそうだった。ツチノコ・・・・・・はどうでもいいな。
お昼には『アイアイメロンソーダ』を一緒に飲むことになった。まったく、人に恥ずかしい思いをさせて。モンスターカスタマーとしてグルメサイトの口コミ評価を下げてやろうか。めんどくさいのでやらないのだが。
来てよかった、楽しかった、そう思う。久々に珠里と楽しく遊んだ気がする。今日のようなことなど、以前までであればなかっただろう。この点だけは体が女の子になったことに感謝せねばなるまい。
珠里は依然として心地よさげに眠っている。起きる気配はない。そういえば寝顔を見るのも久しぶりだ。昔の面影を残しつつ、大人びた、しかしまだ、完全には大人と言い難い、かわいい顔をしている。
ほぼ無意識に無防備な珠里の顔に手が伸びる。
『かんちがいだよ』
昔、言われた言葉が脳内に響く。
あの時、どうするのが正解だったのだろうか。今でも考える時がある。
珠里は、いじめ、とまではいかないが一時期、それまで仲の良かったクラスの女の子のグループに無視されていたことがあった。そんな珠里を放っておくわけにもいかず、その時は積極的に一緒にいるようにした。登校も下校も休み時間も一緒。一人にはさせたくない、そんな思いだった。しかし、日に日に珠里の元気はなくなっていく。ただ珠里を励ますことしかできなかった。
そんなある日、珠里に聞かれた。どうして一緒にいてくれるの、と。
その問いの答えは決まっていた。男の子と女の子が一緒にいる。それにはそれ相応の理由がいる、そう考えていた。今でもその考えは変わっていないのかもしれない。
その言葉を口にした。
珠里は困ったような顔を一瞬浮かべ、そして表情を変えてこう言った。
『かんちがいだよ』
その痛々しい作り笑顔とその声は、今でも鮮明に思い出せる。
後になって知ったのだが、あの無視の原因の一端は、由之にもあったようで、珠里と一緒にいることが多かったことが、周りからすれば常にいちゃいちゃしているように見えて、グループ内のリーダー的な人に嫌われてしまったらしい。
一人にしたくない、と一緒にいたことは逆効果だったようだ。そんなこと珠里は一言も言っていなかった。おそらく気をつかってくれていたのだろう。珠里にしてみれば、いい迷惑だったはずだ。原因が逆に近寄ってくるのだから。
由之が女友達である方が、都合が良かったのだろう。幼馴染であり親友。そうであれば、男女の仲の疑いをかけられ、変な目で見られることもなく、誰かに嫌われて無視されることもなかったはずだ。
結局、すぐにグループ内での無視は改善されたのだが、あれ以来、珠里と気まずくなった。別に仲が悪くなったわけでもない。ただ、それまでは顔を見れば大体考えていることがわかると思っていたのに、わからないことが多くなり、時折それが寂しく感じられる。
幼き日から共に成長してきた幼馴染の力になりたい、一緒にいたい、そういった思いに理由付けされたものは、はたして恋愛感情と呼べるのだろうか。それとも、珠里の言うようにただの勘違いなのだろうか。
その答えは今も出ていない。
無意識に伸びた手を意識的に止めて、珠里を起こさないように注意しながらそっと引っ込める。
「かんちがい、か」
つぶやく。
そして、この物語のからくりをはっきりと認知する。
だとしたら、もう少しこのままでもいいのかもしれない。
そう思って、もう一度、目を閉じた。
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