第10話 メロンソーダ

「ご一緒にドリンクなどいかがでしょうか」


 ウェイトレスのお姉さんに訊かれる。昼食をとるために、動物園内にあるカフェに入っていた。


 メニューを見る。『パンダのブレンドコーヒー』『ジャッカルのハーブティー』、『コツメカワウソのマンゴージュース』・・・・・・。とってつけたように動物の名前がつけられている。さすが動物園。そういう趣向なのだろう。それに、やけにお値段がお高い。レジャースポットあるあるだ。


「じゃあ、この『アイアイメロンソーダ』ください。珠里は? 」

「じゃあ、私もそれで」

「それではご一緒にお持ちしますね」


 にこっと笑ってウェイトレスのお姉さんは店の奥へ引っ込んでいく。

 お姉さんはとても充実感にあふれて見えた。動物園内で仕事をする、というのは楽しいのだろうか。


「アライグマかわいかったねー」

「あのくりくりした目、たまんないな」

「わかるー。いっぱい写真撮っちゃった」


 珠里は楽しそうに話し、スマホを見せてくる。写真フォルダはアライグマの写真で埋まっていた。どうやら相当のお気に入りらしい。


「お先にドリンク、失礼しまーす」


 先ほどのウェイトレスのお姉さんがドリンクを持ってきたようだ。

 さっき『ご一緒にお持ちしますね』って言っていなかったか。それは、食事と一緒にドリンクを持ってくる、そういう意ではなかったのだろうか。違和感を感じた。細かいことを気にしすぎだろう。そんな小さな違和感を振り払う。


 大きなグラスに入ったメロンソーダがテーブルの中央、珠里と由之の間に置かれた。


 ウェイトレスさんは忙しそうに、そそくさと立ち去っていく。

 

 メロンソーダは想定していたより量があり、そこは値段相応、いやそれ以上といったところだろう。

 だが大きな問題がある。メロンソーダは由之と珠里の分、合わせて二人分運ばれてくるべきだ。しかし、運ばれてきたグラスは一つ。そしてストローが二本ささっている。どうぞお二人でお飲みください、とでも言いたげにメロンソーダはこちらを見つめている。


 しばしの沈黙が流れる。どう反応してよいか分からず、珠里の顔を見ることができない。


「お待たせしましたー。こちらご注文のパスタとカレーになります」


 沈黙を破るように先ほどのウェイトレスさんが注文したパスタを珠里の手元に、カレーを由之の手元に置く。


「ご注文は以上でよろしかったでしょうかー」

「あのー。これ・・・・・・」


 テーブルの中央に置かれたメロンソーダを指差してウェイトレスさんを見つめる。よく質問されるのだろうか、ウェイトレスさんは得意げな顔ですらすらと説明しだす。


「『アイアイメロンソーダ』は動物のアイアイ、相合傘のように二人で飲むという意味でのあいあい、カップルに愛を育んでいただくという意味でのあいあい、以上のトリプルミーニングとなっております」


 うまくねぇんだよ! どうすんだよ、これ。取り替えてもらうべきだろうか。しかし、そんなクレームまがいなことをしたくはない。


「ごゆっくりー」


 悩んでいるとウェイトレスさんはニコニコとしながら去っていってしまった。


 冷や汗が流れる。鼓動が速まる。

 珠里はどう思っているだろうか。


 珠里の方を恐る恐る見る。

 いたって普通の顔をしていた。


「飲まないの? 」

「で、でも・・・・・・周りの人に変な目で見られるかも」

「よしのん、今女の子なんだから誰もそういう風に見ないよ」


 珠里はストローに口をつける。


 たしかにそうなのだろうか。女の子同士なら、ありなのかもしれない。しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。


「ちょっと、これ一人で飲んでる方が恥ずかしいんだけど・・・・・・」


 飲むかどうか決めかねていると珠里に言われた。

 たしかにカップル用のものを一人で飲んでる方が、滑稽こっけいに見えるかもしれない。珠里をそんな目にあわすわけにもいくまい。

 ここはもう飲むしかないのだろう。ごくり、と生唾を飲む。

 意を決して、ストローに口をつける。


 大丈夫。珠里の顔を見なければ平気なはず。


 つー、とストローからメロンソーダを吸い上げる。前方からは珠里の気配を感じる。気配とともにシャンプーの香りだろうか、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


——ちらっ。無意識に珠里の顔を見てしまった。目が合う。珠里は照れ臭そうに微笑む。


——! ゲホッ! ゲホッ!


 動揺して咳き込んでしまった。


「大丈夫? よしのん」


 珠里が心配そうな顔でこちらを見ている。

 これは相当精神が削られる。もうこちらのライフはゼロに等しい。珠里には悪いが耐えられない。


 ストローを口に再度含み、メロンソーダを一気に吸い上げる。限界量まで口に含んではごくごくと飲み込んでいく。二人分だからだろうか、全然飲み終わらない。


——パシャリ


 近くでカメラのシャッター音がした。目線を上げると、珠里がスマホ越しにこちらをニコニコとしながら見ている。


「ごめん。なんか動物みたいで可愛かったから、つい」

「消してくれ」


 二人分のストローが入ったカップル用のメロンソーダを必死にがっついている写真など人生の汚点だ。早急な消滅を求める。


 珠里は、はいはい、と言いながらスマホをいじる。どうやら消してくれているようだ。


 珠里がスマホに気を取られている今がチャンス。再びストローに口をつけ、今度は最後まで一気に飲み干す。


 珠里は、もー、私も飲みたかったのにー、などと言っている。口ではそう言っているが、本当は恥ずかしく、早く飲み干してしまいたかったのか、どこか満足気である。


 飲んでしまったものは仕方ない。もう戻ってこないのだから。

 問題児であるメロンソーダを先に処理したところで、メインのカレーに手をつける。具材がゴロゴロと入っていてなかなかに美味しそうだ。


——! かっら! 口の中が炎上している。水分を求めて見渡すが、すでにドリンクのグラスは空っぽ。


 切望している水分は自身の目からこぼれる。泣いてなんかいない。だって男の子だもの。


******

 

 六時過ぎに動物園を出て、帰りの電車に乗る。

 楽しい時間は終わるのはあっという間だ。さらばサーバル。また会う日まで。


 そういえば、あれから結局ツチノコと再会することはなかった。広い園内でもう一度見つけることは難しかったのだろう。二人で『アイアイメロンソーダ』を飲んでいるところを見て、満足したから接触してこなかった、とはけっして考えたくない。知らない人に見られても恥ずかしいのに、あれを知っている人間に見られていたと思うと羞恥で死んでしまう。


 そんなことを考えていると眠気に襲われる。一日中歩き回ったので疲れているのだろうか。電車の定期的なリズムで起こる揺れがよりいっそう睡眠を促す。

 しかし、家に帰るまでが遠足、女の子をおうちへ見送るまでがデート。こんなところで寝るわけにはいかない。

 

 珠里は、とった写真を整理しているようでスマホとにらめっこしている。画面には、メロンソーダを必死にストローで吸っている少女の姿が映っていたような気がしたがきっと気のせいだろう。


 今日一日で、仲を深めることはできたのだろうか。幼馴染の横顔を気づかれないようにこっそり眺める。

 楽しかったとは思う。それに珠里も楽しそうだった。だが由之の姿に変化はない。

 疑問に思う。

 本当に珠里が女の子になって欲しい、そう思ったのだろうか。わからない。

 だとしたらなぜ今頃なのだろうか。わからない。

 そもそも空想が具現化することなどあり得るのだろうか。わからない。


 視線をそっと窓の外に戻す。世界は夕焼けによって赤く染まっている。

 

 わからないことが多すぎる。当たり前だ。体が変わって女の子になる。それ自体が意味不明なのだから。


 考え事にふけっているとさらに強い睡魔に襲われる。

 

 デート中に寝るなんて、そんなの——

 

 意思とは裏腹に意識は遠のいていく——

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