第5話 催眠術です!

「今日はオカ研いくの? 」


 昼休み、珠里に話しかけられた。


「なんでわかったんだ? 」


 確かに今朝は手紙が下駄箱に入っていて、集合がかかっていた。しかし、珠里には見られていなかったように思う。


「よしのんが楽しそうだったから、もしかしたらと思って」

「楽しそう? 」


 そんな顔していただろうか。


「うん。最近楽しそうだよ。しばらくつまらなさそうだったし——」


 そうなのだろうか。自覚がない。


「楽しきことは良きことだよ」


 そう言って珠里はどこかに行ってしまった。


******


 放課後、オカ研部室に行くと明日香はすでに来ていた。

 どこから持ってきたのか、みかんでお手玉をして遊んでいる。待っている間、よほど暇だったんだろう。落ち着きのない子だ。

 

「催眠術です! 」


 明日香はみかんを放り出し、由之を指差して言った。

 空中に放り投げられたみかんたちは、そのまま宙を舞い、地面に散乱する。

 催眠術・・・・・・。命中率6割のゴミ技、もしくはエッチな漫画の定番ですね。知ってます。しかし、意図がわからない。


「催眠術がどうしたんだ? 」


 明日香は慌ててみかんを拾い集めている。最初からしなければいいものを、なにをやっているのだか。


「催眠術を使って河内さんの深層心理に語りかけましょう。そしたら、体が変わってしまった原因がわかるかもしれません! 」


 催眠療法というやつだろうか。テレビかなにかで見たことがある。精神的な問題を抱えた人をリラックスさせ催眠状態にし、問題解決へのアプローチをはかるみたいなやつだったか。


「でも、催眠術なんてできるのか? 」

「できます。昨日、ネットで調べました! 」


 うん。これはできませんわ。


「とりあえず、椅子に座って楽にしててください」


 明日香は椅子を差し出してくる。その手には『催眠音声スクリプト』と書かれた紙が握られている。

 どうやら本気でやるようだ。

 断れば動画を晒すなどと言いかねないので、おとなしく指示に従う。どうせ催眠にかかるわけないのだから、テキトーにやって明日香に満足してもらおう。


「それでは目をつむってください。そして呼吸を整えていきましょう。私の言葉に合わせて呼吸してください。すってー・・・・・・。はいてー・・・・・・。すってー・・・・・・。はいてー・・・・・・」


 催眠術といえば、振り子のイメージが強かったがどうやら使わないらしい。

 明日香の声に従い、呼吸をする。


 すー・・・・・・。はー・・・・・・。

 すー・・・・・・。はー・・・・・・。


 く、くるしい! 呼吸の間隔があまりにも長い!


「もう元の呼吸に戻していいですよ」


 やっとふつうの呼吸に戻れた。リラックスとは程遠い。やはり素人にやらせてはダメだな。


「どうでしたか。気持ちよかったですよね。あなたは私の声に従えば気持ちよくなれるんです」


 暗示をかけようとしているのか。

 あれが気持ちよかっただと? 笑わせてくれる。


「それでは次は全身をリラックスさせましょう。まずは右足から。ぎゅーっと力を入れてー。・・・・・・はい、緩めてー」


 右足、左足、右手、左手と順番に力を入れては抜いていく。なかなかに心地よい。もしかしたら先ほどの長ったらしい呼吸もこの心地よさを手にいれるための仕掛けだったのかもしれない。眠気に襲われる。


 不意に明日香の気配が近づいてくるのを感じる。そして、耳元でささやかれた。


「どうでしたか。気持ちよかったですよね。私の声に従えば気持ちよくなれる、そうでしょう? 」


 ——!! 体中がゾワッとする。明日香の吐息を感じる。

 これが話題のASMRというやつか。なんという破壊力!恐るべし。すべてをこの声にゆだねても、いいんじゃ・・・・・・。


「今から3、2、1と数えてから手を叩きます。手を叩いた瞬間あなたはより深い催眠状態へと落ちていき、再び手を叩かれるまで、目を覚ますことはありません。それでは、3、2、1」


——パンッ


 手を叩く音がする。

 数十秒の静寂。眠い。意識が遠のいていく。もしかして——


******


 どこからかささやかれる。


「ここは催眠の世界。ここでは私の声がすべて」


 誰だろう。聞いたことがあるような。

 頭がぼーっとして思考がまとまらない。


「頭に意識を集中させましょう。目を閉じたまま眼球だけ、額を見るように動かして」


 言われた通りに行動する。なんだろう。よく分からないが思考がまとまってくるのを感じる。


「あなたは私の言う通りにしか行動できない。だって私が命令したから」


 そうなのだろうか。よくわからない。


「試しにそのまま目を開けようとしてみて。あなたがどんなに目を開けようとしても開くことはない、そうでしょ」


 ホントだ! 目が開かない! 催眠すげー!


 ——ってなるか! どうやって眼球を上に向けたまま目を開けるんだよ!変な顔なるわ!


「それでは今からあなたにいくつかの質問をします。それに答えてください」


 テキトーに返答してこの茶番を終わらせよう。


「あなたは可愛い服を着てみたかった? 」

「いいえ」


「あなたは可愛くなりたかった? 」

「いいえ」


「あなたは男の子に恋している? 」

「いいえ」


「最後の質問です。あなたは女の子になりたかった? 」

「いいえ」

「わかりました。もういいですよ。目を開けてください」


 やっと、終わったか。これで、納得するだろうか? 目を開け——


 いや、待て。明日香は、先ほど次に手を叩くまで決して目覚めないと言っていた。ここで目を開ければ先ほどまでも催眠状態ではなかったということになり、先ほどまでの質問は無意味になる。

 これはフェイク。おそらく由之が本当に催眠状態になっていたか、カマをかけているのだろう。こんなものにはひっかからない。そのまま目をつむったままにする。


「おーい。河内さん? もういいですって」


 体を揺らしてくる。


「うーん。催眠から目覚めないなんて」


 明日香は困ったなぁ、といった感じをかもし出している。

 安っぽい演技だ。騙されはしない。


——ひらっ


 風でも吹いているのだろうか。唐突にスカートがめくれたような感触が伝わる。

 

 ん? なかなか布の感触が戻らない。それどころか何かに吊り上げられているような・・・・・・。


「——しろ」


 明日香がつぶやく。

 下半身がそわそわしだす。

 まさか! めくってのぞいているのか!?なんと卑劣な真似を!

 しかし、耐えなければ。反応をうかがっているのだろう。これは罠だ。


 数秒の静寂の後、スカートが元の位置に戻される。

 なんとか堪えられたようだ。

 柊明日香・・・・・・。恐ろしい子!


「まさか、私の中途半端な催眠術のせいで・・・・・・。このまま目が覚めなかったら、わたし、わたし・・・・・・」


 おっと、今度は泣き落としか。その手にものらない。そろそろ諦めてくれないだろうか。面倒だからいっそ眠ってしまおうか。


「我慢できなくなっちゃう! 」


 ん? 流れ変わったな。


「いい・・・・・・ですよね? 」


 ちょっと待て! それはなんの確認だ!

 肩を掴まれ、膝の上に乗られる。顔面にはハアハア、と荒い息がふきかかる。


 ——やばい! ヤられる!

 しかし、時すでに遅し。

 唇に柔らかいものが当たる。そして、口の中に異物感が広がった。

 

 ——!!!!!!


 驚きのあまり目を開く。


 明日香はニコッと笑う。


「甘いですよ! 河内さん! 」


 口の中にあるものを味わう。たしかにみかんは甘かった。

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