欺瞞の暴君

3.1

 カスタータ王宮一階、西の中庭には、細い雨がしとしと降っている。

 ディオネの屋敷から帰還してはや四日、グランセは針のむしろから抜け出せないでいる。ジェロニー地方における緑の女王の名声を妹から奪い、不当に名乗っていたといううわさが広まっていたのだ。今日の昼にはディオネ王女が王宮に到着する予定なので、周囲の関心はますますグランセに集中している。

 傘もささず、グランセは庭へ出て行った。灰色のドレスはすぐに雨を吸って黒ずみ、そこにマーマレードブラウンの髪がへばりつく。側廊の上に並ぶ眷神たちの彫刻が、みじめに濡れそぼつ王女を覗き込んでいた。

 大樹のもとに身を寄せると、噴水のふちに腰を下ろす。青々と茂る葉が雨を遮ってくれる中、しばし無心でいたとき、誰かの駆け足が近づいてきた。若い使者が噴水の前に膝をつき、王女への届け物を渡すと、また慌ただしく去っていく。

 手紙の束を膝に置き、紐をほどくと、一番上にメモがあった。宰相ニルの遺品である旨が書かれている。あとでギルテに渡そうと考えながら紐を結び直そうとしたら、失敗し、手紙が膝からこぼれてしまう。濡れる前に慌てて拾っていると、一通、気になる宛名を見つけた。

 ――グランセへの手紙であった。差出人は、王妃。

 なぜニルが、これを? しばらく手が止まっていたが、意を決したグランセは手紙の封を切る。内容は、クロト家とサイデン家の伝説にまつわる記述だ。

 クロト家当主とサイデン家当主は、連合軍相手に自決同然の立てこもり戦を行い、共に戦死したというのが定説だ。しかし王妃は、これに異を唱えていた。伝説となったクロト家当主は王妃の父にあたる人物で、当時、王妃の母である妻への手紙にこう書いたという。決死の覚悟で挑んだ抵抗戦だったが、妻の妊娠を期に考えが変わった。いったん前線を引き、改めて戦局を立て直すことにしたので、自分の帰還を待っていてほしい。

 その後、彼は帰らぬ英雄となった。

 王妃の筆致は乱れながらも、こう語る。まだ連合軍に包囲される前の手紙なので、撤退が間に合わなかったとは考えにくい。おそらく彼の死は、無理心中だった。右腕として常に付き添っていたサイデン家当主は、狂信的な忠誠心を持っており、クロト家当主は伝説を築くために彼に殺されたというのだ。

 手紙を持つ手が震えている。いったん気持ちを落ち着かせるため、深呼吸した。そしてもう一度手紙に向かおうとしたグランセの視線が、ふと横でゆらぐ噴水のみなもに移る。そこに映ったギルテの姿に気づくや否や、グランセは勢いよく振り返った。

 大樹に背を預けたギルテは、王女の視線には応じずに、手元の手紙を注視している。

「母の遺品ですね、それ」

「そうだが、しかし」

「お渡しください」

「これは母上がわらわに宛てた手紙ぞ。きっとニルが隠したのだ」

「お渡しください」

 大きな手がグランセの腕を掴むと、手紙を抜き取っていく。王女に対し、ギルテがこのような有無を言わさぬ行動をとるのはめずらしい。……そうさせたのは、グランセだ。王女に裏切られ、伝説にも裏切られたギルテは、もう拠り所を。

 手紙に目を通しながら、ギルテはふいに微笑んだ。

「やけに美しいと、思ったのです。両家の絆の伝説を初めて知ったときに」

 ギルテの手から放り捨てられた手紙は、噴水に飲まれ、底へ沈んでいく。母の言う通りでした、と続ける声は、やさしくも重苦しい。

「この伝説は、剪定によって築かれた美しさだったのですね」

 大樹の幹に手を添えたギルテは、その王権の象徴に額を寄せた。そして剣をさやから抜くと、あろうことか――幹から左上へ伸びる一本の枝を、スパンと切り落としたのだ。驚く王女を振り返り、ギルテは機嫌よさげに笑う。

「ずっと気になっていたのです、この枝。どうです、美しくなったでしょう?」

 何も言えず、グランセは青ざめていた。剣を収めたギルテは、王女の手を掬いとると、そのまま歩き出す。王女の意向にまったく配慮しないギルテの背中があまりに冷徹で、グランセは引っ張られるままついていくことしかできなかった。

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