2.3

 首都カスタータから西へ、馬車でゆられること三日。王女の鬱憤が狭い車内に充満しきったころ、ようやく目的地に到着した。

 ジェロニー地方は、王女をして「どこもかしも鬱蒼として緑緑緑ばかりで緑がうっとうしい」と言わしめる、森が多い土地柄である。あまりに森ばかりで『緑の国』との異名をとるような場所なので、グランセは昔一度来て以来、寄りついていない。代わりにこの土地に寄りついた物好きな王女がいる。グランセの一つ下の妹で、ローゼン派クロテミス人の側室を母に持つディオネだ。

 現在この土地はディオネ王女が治めている。グランセにしてみれば何が楽しいのか気が知れぬ治政だが、妹はそこそこ楽しんでいるらしいことは、ごくたまに来る手紙が語っていた。

 そしてディオネの治めるこの土地にゾラタ遺跡があるため、あらかじめ手紙で調査協力を依頼してある。もちろん王女の第一目的は神器奪還であり、あわよくば誰よりも先に手に入れ、兄から王座を掠めとるためにうまく利用するもくろみだ。妹への手紙には、ゾラタ調査のことは先代王とシュヴァインには内緒にするよう言い含めてある。

 立派な門が開き、王女の乗る馬車が迎え入れられた。屋敷はかなり年季の入った四階建てで、森の木々がアーチのようにその屋根にのしかかっている。馬車は屋敷前の噴水を迂回するようにして停まった。

 馬車の戸を開け、降りる王女の手を支えたのは、別の馬車から先に降りていたジャンスだ。金縁眼鏡の奥で機嫌よさげな目が屋敷を見あげ、ほうと感嘆の吐息を吐く。

「こちらに、ディオネ王女殿下がいらっしゃるのですね」

 ひっかかりを覚え、王女は眉をひそめた。

「まるでディオネに会いにきたような口ぶりだな。そなたの目的はゾラタの盗掘集団だろうに」

「え? ああ、もちろんもちろん!」

 ははは! と軽快に笑うと、ジャンスは気合の入ったジャケットの襟を整えながら玄関のほうへ歩いて行った。妙なやつだ、とあきれながら、王女はそのあとをついていく。別の馬車からニルも降り立ち、杖をつきながら王女の横を歩く。

 本日のグランセは、緑色をベースにしたドレスに身を包んでいる。それほど好きな色でもないが、ここはジェロニー。森と共に生きる林業の盛んな土地柄で、森林信仰もある。単純だが、このように緑色を身なりに取り込むのも心証をよくする助けになる。こういったさりげない演出はネフェルメダが長けていたな、と思い出してしまったグランセは、胸を締めつける苦しさを咳でごまかした。

 王女が玄関まで辿り着く前に、扉が開く。楚々とした妹王女が、数人の従者を引き連れながら階段を降りてきた。

「ようこそいらっしゃいました。グランセお姉さま」

「ひさしぶりだな、ディオネ。こうして会うのは五年ぶりか?」

 うなずいたディオネは、各段に美しい姫に成長していた。濡れたようにしっとりとした黒髪、細い肩、ゆったりとした動作の静けさ、そのあたりは当時から変わらない要素だが、色気が混ざったような印象を受ける。大人びた双眸が、上向きのまつげで豪奢に飾られた目線をよこすのも、昔から変わらない。

 多少緊張しつつ、グランセは「しばらく世話になるが、よいか」と確認する。

「もちろんですわ。でもお姉さま、クロテミスの遺跡がこの近くにあるというのは、まことですの?」

「ああ、情報提供者によればな。ここと目と鼻の先にあるようだ。盗掘の取り締まりと保護活動の拠点として、しばしそなたの屋敷を借りることになるだろう」

「協力は惜しみません。まずはごゆっくりお休みになって」

 ディオネが姉を屋敷内に案内しようとしたところへ、突如、ジャンスが彼女の足元に膝をついた。驚くディオネに深々と礼をする。

「お初にお目にかかります、ディオネ殿下。わたしはジャンス。いやしくも千煉祈祷会の会長を務める者でございます。どうぞお見知りおきを」

「ああ、ディオネ。今言った情報提供者とは、この者だ」

 グランセに紹介されて、ディオネはジャンスに軽くねぎらいの言葉をかけた。しかし、感激をあらわにしたジャンスと違い、ディオネはどこか上の空。彼女の視線はグランセの後ろにひかえるニル宰相のほうへ吸い寄せられている。ニルがふと丸眼鏡をかけた顔をあげると、ディオネはさりげなさを装って遠慮がちに声をかけた。

「ニルも……ひさしぶりですわ。お手紙は届いているかしら? その……お返事がないようだから」

「忙しいもので、申しわけございません。その話は後ほどお伺いいたします」

 ニルは冷徹に話を終わらせ、ディオネがさみしそうに「わかったわ」と応じる。気をとり直した様子で、ディオネはみなを屋敷に歓迎した。


 高価なガラスをふんだんに使った温室には、水に濡れた土のにおいが満ちていた。グランセは、ドレスの裾を気にしながら、妹に続いて温室内を歩いていく。入口付近でアラマンダの大輪の花びらに迎えられ、グズマニアとアナナスの刺々しい葉が入り混じるようにして咲く中を通り抜けていく。薄暗くなった棚の下では仏炎苞を真っ赤に染めたアンスリウムが並び、来訪者の行く路を華やかに彩っていた。

「見事なものだ」

 思わずこぼれたグランセの感嘆のため息を、ディオネがうれしそうに受ける。

「みな気候が合わない子たちばかりだから、最初は失敗ばかりでしたのよ。足元のアンスリウムは気難しくて、明るいと葉が弱ってしまうし、暗すぎたら花が弱ってしまう」

 しゃがみ込み、アンスリウムの赤い葉をなでながらディオネが説明するが、グランセの耳はそれを右から左に聞き流している。

「何か足りないものはあるか? わらわが用意してやるぞ」

「大丈夫ですわ、お姉さま。もう充分なものを揃えてもらったから」

 ディオネはそう言って、いつも望みを隠す妹であった。まだ王宮で一緒にいたころのディオネは、グランセほどではないにしても、それなりに希望を口に出す子どもだったと記憶している。それがいつの間にか、ぱたりと望みを言わない娘になっていた。王座をめぐる敵でもあった妹がおとなしいのは、グランセにとって都合はいいが、ときどき気になるときはある。

「ディオネよ。結局そなた、天紋賛会にも即位式にも出席しなかったが……よいのか? 兄上ともまだ顔を合わせておらぬし、父上にも全然お会いしておらぬだろう」

「お気遣い、うれしいですわ。でもわたくしは、身分をわきまえなくてはいけないの。王族方の晴れ舞台を台なしにしないように」

「そなたも王族だ」

「わたくしは側室の子ですから」

 昔は、側室の子だとばかにしてきた子どもを姉妹一緒に懲らしめたものだ。いつの間にこんなにちぢこまった娘になったのだろう。

 ディオネは、グランセの探る目つきから逃げるように、温室の奥へ進む。ついて行ったグランセは、そこに並ぶ植物を見た途端、言葉を失った。

「お姉さま、ご存じかしら。ハエトリグサ――『女神の蠅捕り罠』とも言いますの。棘の並んだ二枚の葉を、女神のまつげに見立てたことからきたのよ」

 ロゼット状の茎を伸ばしたハエトリグサは、強烈な見た目をしている。二枚貝のように合わさる葉のふちに、鋭利な棘がびっしりと並び、見る者を誘うような妖艶さで静止していた。しかし、王女が衝撃を受けたのは、食虫植物の見た目ではない。

 ハエトリグサの二枚葉は、どれも紐で結ばれ、開くことを許されていなかった。これでは蠅を捕食できない。

「……枯れてしまうぞ」

「枯れませんわ。捕食はあくまで塩類をとるためで、水と日光で生きていけるもの。多少、栄養不足にはなるけれど」

「しおれてしまうのではないか」

「ええ。報いです」

 しらっと答えたディオネは、まぶたを縁どる棘のようなまつげをゆったりと上下させ、薄暗い笑みを浮かべた。

 陰惨な沈黙が続いた中、ディオネの従者が主人の名を呼びながら温室に入ってきた。

「ご歓談中、失礼いたします。ご到着いたしましたので、報告にあがりました」

「あら、早かったのね。すぐ行きます」

 グランセらのほかにも来訪予定者がいたらしい。ディオネは姉に目礼したあと、温室を去ろうとしたが。入口付近で足を止め、妙にゆっくりと振り返る。

「どうぞ、お姉さまも一緒にいらして? ご挨拶に向かいましょうよ」

「ふむ……到着したのは誰なのだ?」

「お父さまと、お兄さまよ」

 王女は、ひゅっと息を飲み込むと、思わず怒鳴った。

「どういうことか! わらわの送った手紙に書いてあったはずだ。ここへ来ることは父上と兄上には伏せたいと」

「ええ、読みました」

 ディオネは両手をひらりと合わせて口元にあて、挑発的に目をすがめる。

 ……ねえ、お姉さま。

 ディオネの声は、森の中で不意に出会う猛毒のように、グランセの耳に痛かった。

「先代と現国王陛下に隠れて、いったい何をなさるおつもりかしら。もしお姉さまが、シュヴァイン陛下を出し抜いて王座に座ることをまだ望んでいるのなら、それは実に、浅ましいことですわ」

 わきまえなくてはね、と笑いながら、ディオネは姉の手を取った。妹に手を引かれるまま歩き出した王女は、一度だけ振り返り、目に焼き付ける。

 紐で口を結ばれたハエトリグサがゆれる、不穏な光景を。



 今朝のグランセは目覚めが悪かった。昨日、父に嫌味を言われながら食べた晩餐がよくなかったのか、胃がもたれているような不快感がある。しかし侍女は、王女の体調にかまわず寝間着を脱がせ、てきぱきドレスを着せていく。深緑色のシンプルなドレスの上に、黒い男性型ジャケットを合わせた乗馬服だ。

 一瞬、出かけるのをやめようか、と思いそうになった。本日、王女が加わるゾラタ調査団は、形式上のものだ。盗掘集団がいるかもしれない遺跡にいきなり王族が乗り込むわけにはいかないので、神専衛兵団が先だって出発し、調査と捕縛を終わらせてある。行っても行かなくても状況は変わらない。だがさっきから扉をノックしているディオネにそれを言う勇気はなく、王女は妹に急かされるまましぶしぶ自室を出た。

 玄関ロビーまで降りていくと、ほかの面々も支度を終え、あらかた集まっているようだった。しかしニルやジャンスはともかく、父の進言によりシュヴァイン(とヨモ)が参加することになったのがグランセは気に入らない。

 朝から眠そうな顔をする兄を、目の仇にしながら階段を降りたのがいけなかったらしい。すこっと足を踏み外し、危うく出発前から負傷する失態を演じそうになった王女は、とっさに伸びたヨモの腕に救われた。

「――っと、危ない危ない。殿下ったら、ドジだなぁ」

 ふわっと笑った子羊だったが、王女を横抱きにして受け止める二の腕は、子羊とは思えぬ安定感があった。こうして近くで見れば存外肩幅も広く、ヨモは意外に精悍な体躯をしているのだと――あらためて気づかされ、グランセは妙に気恥ずかしくなる。

「さっさと降ろさぬか!」

「うわああ! ごめんなさいっ」

 照れ隠しに傲岸不遜な対応をされて、ヨモは子羊らしく震えあがった。だが王女を降ろす仕草は決して放り出すようなものではなく、壊れ物を降ろすように床に立たされ、グランセはなぜか泣きそうになる。

「殿下? どうしたの? え、まさか、どこか痛めちゃった?」

 うつむくグランセの様子を勘違いしたヨモが、長身をかがめ、おろおろしていると、横からギルテ警護官の腕が差し込まれ、ヨモを王女から遠ざけた。

「ヨモ、身分をわきまえろ。おまえの礼儀知らずは目に余るものがある」

 ギルテの叱責で、ヨモは萎縮してしまった。それを横目で見ていたグランセは、噴きあがる苛立ちに任せ、ギルテを睨む。

「ギルテ、余計な口出しは無用。そなたは兄上に誠心誠意尽くしておれ。ヨモ、気にせずわらわと一緒に来るがよい」

 つんと背筋を伸ばした王女は、子羊を引き連れて、玄関扉を開け放つ。すると、思いがけない歓声が飛び込んできた。屋敷の門前に集まった民衆が一斉に声をあげているのだ。ニルやギルテが慌てて王女の前へ踊り出て、盾になるように並んだが。

「緑の女王! グランセ殿下、ようこそジェロニーへ!」

「歓迎いたします、グランセ殿下!」

「緑の女王グランセ、万歳!」

 唖然とするグランセに、後ろからディオネが声をかけた。

「手を振ってさしあげてね、お姉さま。民はあなたを支持しておりますわ」

 緑の女王? たしかに到着した日に緑色のドレスを着ていたし、今もジャケットの下は深緑色のドレスではあったが。ゆかりのない土地でよもやこのような歓待を受けるとは予想だにしておらず、グランセは当惑しつつ機械的に手を振る。民衆の喜びが目に見えて大きくなり、段々心地よくなってきた王女は、にんまりと笑んだ。

 緑の女王――そう、女王だ。わらわは、女王グランセぞ。

 隣にいるシュヴァイン国王を差し置いて、グランセを女王と呼ぶ民衆の声は、讃美歌よりも甘美に王女の耳に響いたのだった。ゾラタ調査には加わらず、部屋で療養している先代国王にもこの声が聞こえていればいい、とグランセはほくそえむ。

 民衆の注視を受けながら、玄関前の三段階段をグランセは優雅に降りた。そして噴水の前で従者らが用意する馬のそばに立つと、鞍の前橋に手を添えながらあぶみを踏み、勢いをつけて居木をまたぐ。

 急ぎ足で近づいたニルが、「そのような乗り方をなさるなど」と忠言した。王女には横座りで乗馬してほしかったようだが、グランセはふふんと笑い飛ばす。

「早う馬に乗れ、ニル。置いていくぞ」

 そう言ってドレスの裾を整えていた王女は、まだ馬に乗っていないヨモに気づいた。不安げに丸まる背中に「どうした?」と声をかけると、子羊が困ったように振り返った。

「馬、乗るの?」

「まあ、乗ったほうがよい。目的地は山の奥地で、歩きは厳しいぞ」

「……うま、のるの?」

「……乗れぬのだな」

 グランセはがっかりとした目でヨモを見た。

「仕方あるまい。わらわの後ろに乗るがよい」

 そう言うと、ヨモはパっと明るい顔になり、嬉しそうに王女の乗る馬に駆け寄った。ニルやギルテがあからさまに渋面を作ったが、それを無視し、王女はヨモに手を貸してやる。だがあぶみの踏み方がへたくそで、なかなか乗れずにいると、後ろからシュヴァイン国王その人が直々に手助けをしてきたのだ。

「よいしょっ、乗れたよ! シュヴァイン、ありがとね」

 王女の後ろで無邪気に笑ったヨモを、シュヴァインは満足げに見あげた。そこへニルのしかめ面が近づき、耳打ちする。

「恐れながら申しあげます、陛下。ヨモは、その、陛下のおそばに置いたほうがよいのではないでしょうか」

「これでいいよ。ヨモが望むようにしておやり」

「しかし……」

「この子は、自由にするべきだから」

 そう言ったときのシュヴァインは、いつもの眠そうな顔ではなかった。めったに見せない硬質な無表情は迫力があったのか、ニルは無言で引き下がる。

 ふとグランセは、兄を見ていて思うことがあった。

 シュヴァインは、ヨモの『正体』を知っているのだろうか?


 細い山道を、一行は一列で進んでいった。ときおり枝に頬を打たれそうになるが、意外にも背後のヨモが王女にあたらないよう枝をよけてくれる。気が利くではないか、とグランセは機嫌がよくなった。

 先頭を行くのは、ゾラタ遺跡の場所を知る初老の男であった。もとは盗掘者だったが、案内人に転身したという。布を頭に巻きつけ、身体もマントで覆った重装備の案内人を見失わぬよう、グランセは注意深く手綱を操ってついていく。

 少し森が開けた。右側が崖になっているせいで視界は明るくなったが、その反面、足場は不安定かつ恐ろしい。緊張で固くなった王女の後ろで、さらに竦みあがったヨモが、縋るようにグランセの腹部に両腕を回してきた。ヨモの体温を背中全体に感じ、王女の手綱を持つ手が乱れそうになる。しかし、たかが子羊に抱きつかれたくらいで動揺していると思われるのも癪だったので、グランセは平静を装った。

 代わりにヨモの所作を見咎めたのは、後ろにいたギルテだ。

「おい、ヨモ。手を離せ。触りすぎだ」

「でも、あの……怖くて」

 じれた王女が「うるさいぞギルテ!」と口を挟む。

「怖いというのだから、仕方なかろう」

 そう言って王女は、大きく横へ身を乗り出し、大柄なヨモの後ろにいるギルテを睨みつけた。するとギルテは、めずらしく苛立ちを露わにする。

「殿下……あなたは、本当に……!」

 彼らしくない憤りを目の当たりにし、グランセが戸惑うと、それを感知したヨモが腕の力を強めた。まるで親羊が子羊を守るような必死さで、ヨモはグランセを抱きしめる。それがギルテをますます苛立たせるのだと知っているのか、いないのか。あきれた王女がどうしたものかと思索をめぐらせたとき、背後で隊列が乱れる音がした。

 ヨモの横から身を乗り出すと、ギルテの馬がいくつか後ろへ下がっており、代わりにジャンスを乗せた馬がいた。金縁眼鏡をきらめかせ、ジャンスはさらに馬を急きたてて王女の真横に並ぶ。

「ジャンス会長、危険なことをするな。ただでさえ狭いし、横は崖なのだぞ」

「大丈夫ですって。わたし、こう見えて馬術はなかなかのもんでしてな!」

 ははは! と笑ううるさい騎手だったが、意外にも馬には嫌われていないようだ。

「それより殿下、ちょっとおもしろい話を拾いましてな? ぜひ殿下のお耳に入れておきたいと思ったのです」

「ほう。不安定な馬上でする話か?」

「気になりません? なぜ殿下が民衆に緑の女王と讃えられたのか」

 前に向けられっぱなしだったグランセの鼻先が、ジャンスのほうを向いた。

「このジェロニー地方なんですがね、ここまで緑あふれる土地になったのってまだ最近の話らしいです。昔から林業が盛んな土地だったが、度重なる伐採ですっかり森の資源は枯れ、死の大地となりつつあった。そこで十年前、ある人物が対策を講じました。輪伐の提唱です。山を区分けし、年単位で伐採する場所を移っていくんですって」

 山を十個の範囲に区分けする。一年目は第一区だけを伐採し、植林する。二年目は第二区だけを伐採、植林。それを十年繰り返すと、十一年目にふたたび第一区に戻ってきたとき、そこには豊かな森があるので、また伐採と植林を徹底する。

「理屈で言えば、山は禿げないってわけ。でもすぐには浸透せず、林業者は組合の規定を無視して自分の土地で伐採し続けてしまった。そこでその人物は、組合の者を全員集め、あるはげ山に連れて行きました。一度木がなくなった山肌は、まともに雨風を受けますね? すると土壌の栄養がどんどん流れ出すし、土は固くなる。つまり植林しても育つのが難しい。はげ山の再生がいかに難しいことなのかを懇切丁寧に教えたことで、林業者のあいだに意識改革が起きたのです」

 それがジェロニー地方の緑が再生するきっかけとなった出来事だった。

 グランセは素直に感心する。

「して。その人物とは誰なのだ?」

「あなたでございます――緑の女王」

 馬上で恭しく頭をさげたジャンスに、グランセは目を丸くした。

「わあ、すごい!」

 と喜び出したヨモを、「違うわ!」と抑えながら、王女は混迷を極めていった。違うのだ。自分ではない。どういうことだ。ジャンスに尋ねてみようにも、馬上で嫌味ったらしく笑っている男に頭をさげるのが嫌だった王女は、大声で宰相を呼びつける。

「いかがなさいましたか、殿下」

 駆けつけてきたニルに、ジェロニー地方の緑再生の経緯を話す。成し遂げた人物が誰か知らないかと尋ねると、ニルは丸眼鏡の奥に戸惑いを滲ませた。だが彼女の口から出てきたのは、知らぬ存ぜぬの返事だけ。その様子をいぶかしんだのはグランセだけではなかったようで、近場にいたギルテが「なぜ話せぬのです?」とニルを問い詰める。

「口を挟むでない。知らないからそう答えただけ」

「嘘を言うな。あきらかに何か隠しただろう」

 厳しく追及してくる息子に、ニルは鬱憤をぶつけた。

「人に意見している場合ですか。最近、あなたはことに情けないですよ。ただただ先代の命令を鵜呑みにし、カカシのように国王陛下にお仕えする体たらく。警護官としての誇りがあるのなら、仕える主人くらい自分で決めたらどうです」

「話をそらさないでいただきたい。だいたい母上はいつもそうだ。自分の理想に他人を押し込め、添わなければ剪定して無理やり型にはめ込もうとする」

 自分の理想を押し付けるあなたの傲慢さが、俺は昔からきらいだったのだ。そう言うギルテの口ぶりも、日ごろの鬱憤を吐き出すように厳しい。

「姉上が自殺したのは、誰のせいとお思いか」

「今のあなたがあるのは、わたくしの剪定のおかげです。剪定なくして、曲がることも、余計な枝をつけることもなく伸びる木はない。わたくしたちは、剪定を責務とする人間です」

「俺はあなたに剪定された覚えはない!」

 どんどん加速していく母子喧嘩は、「よさぬか二人とも!」という王女の一喝でいったん収束したかに見えた。しかし二人のあいだに流れる空気はピリついたまま晴れず、王女は仕方なくニルに後方へ下がるよう命令したのだった。

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