第二十二話 マル暴
三ヶ月前。浮島を捕まえようとしたヤクザ達とともに一行は管轄警察署に。
午後八時半過ぎ。警察に着いてから二時間も待たされている。私はおとなしく、その警察署二階にある刑事組織犯罪対策課、いわゆるマル暴と呼ばれるその担当課の外、通路のソファーにじっと座って、読書をしながら待っていた。浮島成海は先に呼ばれて事情聴取されているようだが、私はちょっと待ってて、ということだったのだけど、どこがちょっとなのか……。しょうがない、そろそろ今日の張り込み仕事が終わっているはずの三島に電話して仕事の確認でもしよう。
〈お仕事お疲れさまです。ちょうど張り込み終わったところで〉
「そっちはどうだった? そっちの方の浮気の写真は撮れたの?」
〈バッチリ取れましたよ。二人でホテルに入っていくところを撮れたので、この案件はこれで終わりですね。そちらは?〉
「大変だったけど、うまくいったわよ。お昼の連絡でもちらっと話したけど、香西雪愛はやっぱ詐欺師だったみたい。浮島の旦那にも話して、浮気の事実は認めたし、追加経費も払ってくれるみたいよ」
〈よかったじゃないですか。で、社長は今どこなんですか?〉
「城西警察署」
〈あれ? 警察絡みの案件なんてありましたっけ?〉
「そうじゃなくてさ、浮島の案件、ただの浮気じゃなくってさ、また詳しくは後で話すよ。報告書も三島くんにお願いしなきゃなんないしさ」
〈えー? それ社長が書くって言ってなかったでしたっけ?〉
「申し訳ないけど、ざっとは書くけど、まとめるのはお願いする、あたし今週時間なくてさぁ」
〈分かりました。あ、城西警察署でしたよね? じゃぁ、ちょうど会社に戻る途中になると思いますので、そっちに寄りますね〉
「ありがとー。今日は車、途中で停めてきちゃってるからさ、そこまで送って欲しいし」
〈じゃぁ、後ほど〉
そっかー、三島の方の案件もうまくいったんだな。今日は漆原くんもよく働いてくれたし、あの香西雪愛の企みも潰してやったし、気分がいいから、遅くなるけどみんなで簡単にぱーっと祝杯でも上げるかな――。
「藤堂さん、こちらへどうぞ」
と、そのマル暴のドアが開いて、中から女性警察官が私を呼んだ。部屋の中に入ると、二十人分くらいのデスクがあるのに、その女性警察官と刑事風の男性の二人しかいなかった。時間外だからだろうか。そして刑事風の男性に手招きされて、その隣の席に座らされた。
「初めまして。辻川と申します。失礼ですがお名前と……」
辻川と名乗ったそのマル暴の刑事さんは、一見してマル暴の刑事さんには見えない。マル暴の刑事は暴力団を相手にするので、相手に舐められないような風貌、例えばオールバックにして剃りこみを入れたり、眉毛を細く整えたりするような人もいたりするのだけど、辻川さんは四十代半ばくらいの見た目で、七三分けで黒縁眼鏡をかけた、なんだかどこにでもいるようなサラリーマンにしか見えない。物腰も柔らかくて優しそうに見えるんだけど……。
「それで、藤堂さんは浮島さんとはどのようなご関係なのですか?」
「浮島さんについて……えっと、調査を依頼されてお仕事させていただいている探偵です」
「申し訳ないのですが、差し支えなければいま口籠られた、その調査の中身について具体的に教えていただけませんか?」
ったく警察はこれだからやなんだよなぁ。世の中には言ってはいけないことってあるっつーの。こっちは被疑者ですらない。探偵だって名刺まで渡してるんだから、そこは察しろよ。良い人そうに見えたのに……。
「お言葉ですが、私からそれはお話することは出来ません。守秘義務がありますので」
「守秘義務、ですか。……分かりました。一応は、浮島さんの方から、浮島さんご自身が浮気をなさっていて、その調査をされていたのが藤堂さんだとはお伺いしています。それを藤堂さんご本人に確認したかったのですが、それでよろしいですか?」
知ってたんだったら、先に言えっつーの。口調は丁寧なのに、なんかやな感じのする刑事さん。ちっとも良い人じゃないなぁ、やっぱ。
「……はい、それで結構です」
「それは誰からのご依頼なんですか?」
だからさ、私からそれは言えないんだってば。あんただって刑事さんなんだから探偵のことくらい知ってるだろ? 良い人じゃないどころか妙な刑事だ……。
「まぁ、その辺は先程も申し上げましたとおり、守秘義務が――」
「奥様だと」
ムッ。この辻川って刑事、食えんやつだな。要するに誘導尋問なんだろうけど、被疑者でない人間に誘導尋問するとか、普通のマル暴刑事より酷くね? もう普通には返事してやらんからな。
「言えません。あの、申し訳ないんですけど、あの場で見たことを話せというのであればいくらでもお話しますけど、それ以外の私の仕事に関する質問については一切お答えできませんよ?」
すると、辻川は腕組みしてなにか思案したかと思うと、そのデスクの上にあった電話の受話器を手に取って、どうやら内線ボタンを押したような仕草。
「どう? そっちは。なんかしゃべった? ……ああ、そう、そうなのね。そんな女、知らんと。それで? ……何にもしてない、か。……、そうだなぁ、ガイシャさん怪我一つしてないもんなぁ、……うん、分かった、じゃぁ」
なんだか、この辻川って刑事、結構身内には偉そうな喋り方する人だな。
「藤堂さん、どうもよくわからないんですが、通報者は、浮島さんがヤクザのような人に襲われてるからすぐ来てくれ、ということでうちの署員が現場に急行したわけです。それで署員も浮島さんが襲われている風だったから緊急逮捕もした。しかしですね、逮捕した暴力団員は――まぁ、彼らは確かに暴力団員でしたけど、何もしてないっていうんですよ。浮島さんは確かに怪我一つしていない。これってなんだか変じゃないですか?」
それは確かにな。あそこで鬼ごっこしてただけだから。でもなぁ、襲われそうになってたのは事実なんだから。
「ですから、私はあのビルの一階で何があったかについてはお話出来ますって、さっきも――」
「いえ、それは浮島さんの方からお伺いしていますし、あのビルにだって監視カメラがあって録画もされているでしょうから、後で確認すればいいだけの話です。浮島さんは、大金を持っておられて、その大金を奪われようとしていた、という話もお伺いしていますよ? そのバッグの中身も確認しましたからそれは間違いないでしょう。でも変でしょ?」
何だ何だ? 一体何が言いたいんだ? この刑事。
「辻川さん、一体何が仰っしゃりたいのかさっぱりわかりませんけど。確かに、浮島さんは怪我はされてないとは思いますけど、あのヤクザが浮島さんを恐喝していた証拠はありますよ? それも浮島さんは言ったはずです」
「ええ、そうなんですよ。あなたがその恐喝の現場を録音したと。探偵さんですからね、盗聴録音されたデータがあるんでしょう。あとでそれは聞かせて頂きましょう。それさえあれば、あいつらを恐喝の件で逮捕も出来ます。でもですね、どうも妙です。だとすればまるで仕組まれたように、あいつらを逮捕出来たように思えてならないんですが。大金も無事ですしね。これはどういうことなんでしょうね? それに最も妙なのは、どうしてあなたがその場にいたかということです。探偵さんが、調査対象のそばにいるなんておかしいじゃないですか?」
――鋭いな、こいつ。ちょっと舐めてた。私としては、ヤクザを警察に逮捕してもらって浮島さんの財産を守れたらそれで良かったわけだから、細かく警察に突っ込まれるとまでは想定してなかった……、が、しかし。
「それはそれ、守秘義務がありますので、こちらもそうなった事情はお応えできません。ただですね、だからといって何か問題でもあるんですか? 浮島さんへの恐喝の証拠も出せますし、ヤクザもそれを認めるしかないと思いますし、浮島さんは被害者だし、私は単なる関係者。なにか問題でも?」
「問題ねぇ……、私は別に何か問題があると言っているんじゃないですよ。ただどうも妙だなと。普通に考えたら、恐喝されて、その財産の入ったバッグの隠し場所にあいつらを案内してですよ? あのビルの一階ロビーで逃げ回るだけで、外に出ていかないなんてあり得ますか? 通報から10分ですよ? しかもさっき言ったように隠れてなきゃならない探偵のあなたまでそこにいた。これはいくらなんでも妙でしょう」
そうだよ。私が仕組んだんだよ。浮島に逃げ回れとは言ってないけど、警察が来るまで抵抗しろとは言った。でももうそんなことどうだっていいだろ? なんなんだこいつは?
「辻川さん、あなたが一体何を仰っしゃりたいのかよくわかりませんけど、ともかく私が今持っている恐喝の録音データを聞いていただけませんかね? そちらの方が重要なのでは?」
すると、辻川刑事は自分の両頬を右手で挟むようにして撫でながら思案をし始めた様子。髭の濃そうなジャリジャリという音がする――。
「分かりました、まぁいいでしょう。とりあえずその恐喝の状況をお聞かせ願えますか?」
――マル暴から開放されたのは午後十時過ぎだった。辻川は録音データを何度も聞き返して、根掘り葉掘り色々と聞き出そうとしたが、私は特に何も詳しくは説明しなかったし、香西雪愛の話もしなかった。そんなややこしい話をしたって、一円の銭になるわけでもないし、そもそも辻川って刑事はネチネチしつこいから。でも、嫌ではあったけど、私の印象としては、警察官は事務的に仕事を片付けようとする人が多く、辻川のように事実の真相を知りたがる人ってあまりいない。かなり鋭くて正直ビビった。
「藤堂さん、すみません、こんな遅くまで付き合わせてしまったみたいで」
「いえいえ、あの恐喝録音データを警察に渡すのが目的だったし、それは果たせましたから。それより浮島さんは奥さんにしっかりお詫びなさって下さい」
「そうですね。では、私はこれで失礼します、今日はありがとうございました」
と言って浮島は、城西警察署の玄関前からタクシーに乗って帰っていった。
「もうこんな時間なっちゃったね」
「ですねぇ、僕もまさかここに来て一時間も待たされるなんて思いもしませんでしたけど、一体今日は何があったんですか?」
「その武勇伝をだな、三島に今日は語り明かそうかと」
「語り明かそうって……、えーっ? 今から社長の車を取りに行ってからなら、日付変わっちゃいません?」
三島は普通に嫌そうにそう言ったので、気分の良かった私は、その城西警察署の玄関前でヘッドロックしてやった。
「しゃ、社長、わ、分かりました。行きます、行きます――」
「私の驕りなんだから文句言わず付いて来い! ……ていうか、漆原どこ行った?」
そう、漆原もこの城西警察署に来ていたのに、マル暴の前で待ってるうちにいつの間にか消えてしまっていた。
「漆原さんねぇ……、あの人、ほんとに社長の言う通り、凄い人ですね」
「ん? どういう意味?」
「だって、僕がここに着いたとき、この警察署の署員みたいな女性と一緒にどこかへ消えてしまいましたから。多分ナンパしたんじゃないですか?」
えええ。女性警察官にまで手を出すのか? あの野郎――。
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