第2話「老人と幼き少女」

ペリー率いる黒船の艦隊がこの国に訪れてから時代は大きく変わろうとしていた・・・

幕府VS討幕軍の争いは日増しに地方へと引火し、この国の全土を巻き込む形で広がって行った。


平穏な田舎町であったこの宿場町も例外では無く、幕府に従うを良しとする大名所縁の者たちと幕府を倒し平等な世の中を目指す者たちによる争いは日増しに激しく

なって行くばかりであった。


町で小さな宿屋を営む老人が住んでいた・・・

連れ添った妻に先立たれ子供も無く、泊りに来る客とて無く小さな庭で飼っている鶏と粗末な畑で採れる野菜を糧に細々と日々を暮らしていた。


孤独ではあるがこの先、長く生きられる命でもないので安穏と暮らしているに過ぎない・・・

彼はそんな毎日に満足しながら生きていたのである。


そんな彼にも時々、人生でやり残したことがあるような錯覚を覚えるときがあった!

自分は何か、大切なことを忘れている・・・

若い頃から頭の中で誰かが呼び掛けているような気がして歩いている途中で振り返ったり、誰かを懸命に探して方々を旅して歩き回ったりしていたのだが最後に辿り着いたこの宿場町で今日に至っていた。


裏の畑で鍬を奮っていると表の方で何やら子供の泣き声が聴こえてきたような気がして裏口から入り、玄関を開けて見るとまだ4,5歳ぐらいであろうか?

幼き女の子が玄関先でうずくまりながら泣いていた。


慌てて周囲を見回すがこの子に関係ありそうな人物は誰1人見当たらなかった・・・

「迷子にでもなったのかい?」

老人は子供の頭を優しく撫でてやりながら尋ねた。


「役に立たないから捨てられた」

それが女の子の答えでどうやら旅芸人の一団に混じって一緒に旅をしながら廻っていたらしいのだが芸を覚えるのも遅く、いつもキョロキョロしながら誰かを探しているみたいに落ち着きもない・・・

その子はいつの間にか一座にとって足手まといになったようだ。


いつもの調子で歩いていたら仲間の姿は見えなくなり置いて行かれたらしい。


そんな調子で細かく事情を訊いた老人は女の子にここで暮らせばいいと言った

泣いていた彼女は老人の顔をみつめながら頷いた。


きっと老人が本気で言ってくれているのかを確かめていたのであろう?

とても賢い子だ・・・仲良く暮らせるかも知れん。


そう感じた老人は女の子の手を取り立ち上がらせた瞬間!

「・・・!?」

つないだ小さな手から伝わる何か・・・

それはこれまで生きて来た彼にとって初めての感覚!

探し続けていた何かがその手の温もりの中にあった。




子供が居ない老人は身体の大きさで4,5歳ぐらいかと判断したのだが彼女は6歳だと言った・・・

まだ戸籍などは重要視されず、世間の目は一緒に暮らしていれば祖父と孫だと単純に思われた。


全くの他人であり、会ったばかりである2人の生活はこうして自然な形で始まったのである!

彼女は何かと言えば老人の手を握りたがった・・・

彼が感じた不思議な感覚を彼女も感じていたのかも知れないのだが老人と幼子ではそんな会話が成立するはずもなく、並べた布団の隙間から手を伸ばした彼女と老人の手はしっかりと握られたまま朝を迎える。


老人の表情は明るくなった

孤独を当たり前だとし、毎日を暮らして来た彼にとって居なくてはならない存在で必要な存在・・・

それは愛情でもなく、友情でもない、表現しようもない不思議な気持ちだったのだ。


しかし時は残酷なモノで2人が仲良く暮らす日々はそう長くは続かなかった・・・

老人は体調を崩し床に寝ていることが多くなった!

人は老いて、やがて死を迎えるときが来る。


そんな日がもう目の前まで迫っていることを彼は知っていたのだが彼女と暮らす楽しい日々を終えたくない!

そんな想いが胸を締め付け彼は時々、布団をかぶり嗚咽を漏らしながら泣いた。


そんな老人の姿を知っていた彼女だったが魔法を使えるわけでも無く、時間を止めることも巻き戻すことも出来ない彼女は彼がこの世を去って自分の前から居なくならないようにと祈るしかなかった。


そんなある夜のこと・・・

彼女がいつものようにしっかりとつないだ老人の手からこれまで見たこともない光景が伝わって来た!

小さな小屋の中に差し込む月明かりに映し出された老人の若かりし頃を思わせるような青年の姿。


時が止まってしまったかと思わせるような幸せな瞬間が彼女の心の中、いっぱいに広がり満たして行く!

自分はどこかでこの光景を見たことがあるのだと思った。


彼女は薄っすらと思い出し始めていた・・・

自分の命より大切な人!

何度、生まれ変わろうとも待つべき人!

それなのに・・・それなのにナゼこんなにも時を違えて生まれて来てしまったの?


老人と偶然に出会い、偶然に暮らし始めて1年・・・

彼の命の灯が消えようとしているこんな時になってからやっと思い出すなんて。




彼女は身体を起こすと隣りで眠る老人を見た

苦しそうな息が微かに繰り返されているだけで次の瞬間にも、その呼吸は途切れてしまいそうな感じだった。


汗が滲んだ彼の額を自分の袖で拭いてやりながら彼女は大粒の涙をポタポタと畳にこぼした・・・

「ごめんね・・・」

「私がもっと早く生まれていれば良かったのに・・・」

次から次に溢れ出て来る涙を拭くこともせず、愛しそうな目で老人をみつめながら囁いた。


「また、あなたの死を目の前で見ることになるのね?」

「どんな姿でもいい!」

「あなたともっと、もっと一緒に居たかった・・・」

彼女は動くことさえ叶わない彼の身体に強く抱きつくと遂には号泣してしまった。


「お願い!」

「私を置いて死なないで・・・独りにしないで!」

そう叫びながら懇願する彼女の手を彼は微かな力で握りながら笑った。


「会えて良かった・・・」

「君に巡り合えて本当に良かった」

老人は幸せそうな顔でそう言うと静かに黄泉の国へと再び、旅立ってしまった。


それでも諦め切れない彼女は老人の身体を揺り動かしながら「行かないで」と声にならない声で呼び続けた!

身も心も疲れ果て衰弱した彼女は彼の痩せ細ってしまった胸に顔を埋めると動かなくなった・・・

わずか7歳の子供が抱え込むにはあまりにも大き過ぎる悲しみと後悔が彼女の生きる力を奪ったのだろう?


姿を見なくなったことに気づいた近所の住人が訪れてみると、重なり合って死んでいる2人の姿を発見した!

これといった墓地も見当がつかない付近の住人たちは裏の畑に穴を掘り、2人の亡骸を一緒に埋めて丁重に葬った。


墓石とも言えないほどの石を積み上げただけの墓はいつの間にか人々の記憶から消えた・・・だが2人の魂は次に出会える日を夢見て再び来世へと彷徨い続ける。

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