「涙晶の月」
新豊鐵/貨物船
第1話「姫と貧しき青年」
その年の干ばつは酷く、不作により民は食べる物さえも無く飢えに苦しんでいた。
飢えと病で動けなくなってしまった母を抱えたその青年は何とか助けようと大名屋敷に忍び込み食料を手に入れようと試みた・・・
だが、盗んだ経験さえ無い彼は見張りにみつかってしまい刀で切り付けられ傷を負い屋敷の庭先へと逃げ込み身を隠した。
その時に侍女と偶然、庭先の縁側に居合わせた若き姫は飛び込んで来た青年に驚いたが指先を口に当てると侍女に口止めをし、素知らぬ振りで追って来た家来たちに誰もここには来なかったと告げ立ち去らせた。
止めようとした侍女を制し、身を隠す青年へと近づくと
「怪我をしているのではありませんか?」
優しい声で問い掛けた。
青年は黙して答えなかったが、小さな声で心配そうに何度も問い掛ける姫に
「大した傷ではありません・・・すぐに立ち去ります」
「助けて戴き、誠にありがとう御座いました」
そう言ってお礼を述べた。
「そんな風には見えませぬが・・・?」
姫は侍女に部屋から薬を持って来るように言うと
「怖がることはありません!」
「この薬を塗ってあげますからしばらく動かないでね」
そう言って侍女から受け取った薬を傷口に塗った。
青年は黙ったまま、手当てをする姫の顔をじっとみつめていた・・・
「何をそんなに見てるの?」
「恥ずかしいわ・・・」
照れながらも親身に手当てを続ける彼女の横顔と香りに青年は傷の痛みも忘れてしまったかのようであった。
「これで大丈夫よ」
「この傷薬は持って行ってその傷に塗って頂戴」
姫はそう言いながら彼を高い塀際まで連れて来ると
「塀の外からも見えるこの松の木の部分を一枚だけ簡単に外れるようにして置くわ」
他の板塀とは違い幅広く取り付けられた板を指差しながら言った彼女に青年は意図がわからず彼女を見る。
「食べ物が欲しくてこの屋敷に忍び込んだんでしょ?」
「その痩せた身体を見れば私にもそれぐらいわかるわ」
「十分な量は用意出来ないかも知れないけど毎夜、用意して置くから取りに来て・・・」
そこまで言った彼女は言葉を切り、深呼吸すると
「またあなたに会いたいの・・・来てくれる!?」
真っ赤に顔を染めながら言った。
「ありがとう御座います」
「明日の夜、また必ず会いに参ります!」
そう言った青年は松の枝に手を掛け身軽に登ると塀の瓦に飛び移り、笑顔を浮かべると向こう側に飛び降り闇の中に消えて行った。
姫は一切の出来事を侍女に他言しないように口止めすると彼が乗り越え、消えて行った塀を名残り惜しそうな目でしばらく眺めていた。
あの夜から毎夜、何度も会った2人は次第に深い愛情を抱き合うようになり2週間ほどが過ぎていた。
「何だか具合が悪そうだけど大丈夫かい?」
彼の問い掛けに微笑みながら
「私は元気よ」
「あなたにこうして会えることが嬉しくって夜が来るのが待ち遠しくて・・・離れたくない」
そう言うと彼の胸に顔を埋めすすり泣いた。
そんな彼女の髪を優しく撫でながら強く抱き締めた彼の顔を見上げた姫は
「私を誰も居ない場所に連れて行って・・・」
涙をいっぱいに浮かべながら言った彼女に彼は頷くと
「塀の外はここと違って粗末な場所しか無いけどそれでも良いのなら一緒に連れて行くよ」
青年はそう言うと彼女のこぼれた涙にくちづけをした。
月明かりが微かに差し込む小さな小屋の中で2人は互いの名を何度も何度も呼び合いながら敷き詰められた藁に着物を重ね、初めて結ばれた・・・
その頃、侍女は姫を心配し帰りを待っていた
姫が毎夜、彼に渡している食べ物は姫が食べるはずの食事であり、彼女はそれに口をつけること無く彼に全て渡していたのだった!
屋敷の中にも余分な食料は無く、そうしなければ彼に捧げる食べ物など無かったのである。
姫は見る間に痩せてしまい侍女が何度、止めても彼女の青年を想う気持ちは強く、聞き入れてはくれなかった!
我が身を犠牲にしても彼に尽くす姫の気持ちは侍女にも良くわかっていたのだがこのままでは姫が死んでしまう。
姫の身を案じた侍女は遂に他言してしまった・・・
侍女の話しを聞いた屋敷の主はすぐに捜索隊を編成すると屋敷を出発させた!
主人の命令は青年を切り殺し口封じをし、姫を無事に連れ帰ることであった。
ことの顛末の一部始終を知る侍女はその場で殺された!
そんなことは何も知らない2人に向かって捜索隊は猛烈な勢いで差し迫っていたのだ。
一瞬とも永遠とも思える静寂の中で持てる想いをぶつけ合い、求め合った2人は裸のまま抱き合い小屋の格子窓から見える月を眺めていた・・・
激しい馬のいななきと蹄の音が聴こえたかと思うと激しく小屋の扉が開け放たれ、数人の男たちが乱入した!
姫は小屋の隅に敷いていた着物で身を隠しながら逃げたのだが青年は落ち着き払った表情で動かなかった。
恐らく姫と恋に落ちたその日から彼はこうなることを知っていて、覚悟を決めていたのであろう・・・
彼は乱入した男たちを気に留めるでもなく、彼女の方を振り向くと笑顔のまま
「短い間だったけど、君に会えて良かった」
「次に生まれ変わっても僕は君を必ず探し出す・・・」
その言葉が終わらぬうちに背後から刀で切りつけられ
「うぐっ・・・ま、待っててくれるかい?」
切られた痛みに苦悶の表情を浮かべながらも青年は姫に最後の約束をし、彼女の答えを聴く前に息絶えた。
「必ず、必ずあなたを待っています!」
「何度、生まれ変わろうともあなたを必ずみつけます!」
「何度、巡り合っても私は全てを捧げます・・・」
聴こえてはいないとわかっていても息絶えてしまった彼の魂に答えるように叫んだ彼女は持っていた短刀で深く胸を突き刺し、血まみれで横たわる彼のもとに寄り添うように進むとその手を掴み果ててしまった。
あまりの予想だにしなかった状況に男たちは慌てた!
ことの次第を詳しく知らされていなかった為に姫が男にさらわれたモノだとばかり思っていたのだ。
姫が掴んだ彼の手から引き離そうとしても強く握られたその手はどうやっても離れない!
困り果てた彼らは姫の手を刀で切り落とし、自分たちがここに来たとき、すでに姫は殺されていたのだと主人に報告することにした。
総勢で素早く穴を掘り、青年の遺体を埋めると姫の遺体を戸板に乗せ、屋敷に連れて帰ったのである・・・
2人の手は強く握り合ったまま、来世へと彷徨う。
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