第161話 おはよう

 



 ハワイ大学マノア校。

 ジョーカーによって致命傷を受けた影響で未だ精神世界にて目を覚まさぬ八神に代わり、肉体の主導権を代行するルシファー。

 

 無限に存在する並行世界の内、観測可能な数千兆もの世界に存在する己の可能性を統合することで人外の領域へと踏み込んだジョーカー。


 両者が繰り広げる激闘は校舎を全壊させるだけに留まらず、校庭にいくつもの底の見えぬ大穴を開けていた。


幼き綺羅星スパラグモス・達の戯れアステール


 小規模な天体がジョーカーを取り囲むように展開し、その四肢を引きちぎるが如く超強力な重力場を発生させる。

 

 ジョーカーは重力の発生源である天体を破壊すべく、右腕を変形させて構築した銃口から莫大な熱線を放つ。


「ま、……じか……!!?」

「まだまだ想定が甘い。一手の遅れが致死に至ると悟れよ」


 ジョーカーの放った熱線はまるでホログラムを撃ち抜いたかのように、重力場を発生させる天体を素通りして校庭に新たな穴を開けた。

 

 そして、そのような隙をルシファーが見逃すはずもない。

 

 天体から発せられる重力によって身動きが取れないどころか、このままでは身体が引きちぎられかねないジョーカーを見下ろすように、黄金の髪を靡かせる死の女神が指を振り下ろす。


虚空に星はありてアニムスフィア


 それに実体はなく、虚構であるが故に不可視にして防御不可能の質量攻撃であった。

 金星に等しい仮想質量の塊がジョーカーへ激突し、マノア校諸共に吹き飛ばした。


 衝撃のベクトルは可能な限りジョーカーへ集約させたが、それでも文字通り金星が直撃したに等しい威力の一撃だ。

 その余波はオアフ島全域を揺らし、全ての建物を崩壊させる程の衝撃波が駆け抜けた。


「……生命の息吹が消えた? 天羽あもうが何かしたか」


 先の一撃により空いたマノア校一つ分の底の見えぬ大穴。

 その縁へとルシファーが降り立つ。

 足元に薙ぎ倒された、真っ白な灰のように枯れ果てた木を踏みつけると、何の抵抗もなくふわりと風に溶けて消え去った。

 

 ルシファーはこの刹那で起きた周辺環境の変化からその発端を察していた。

 そして同時に、これが促すこととなる黒きうねりも。


「ひひ」


 深淵より、黒々とした汚泥が噴き出す。


「ヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!!」


 地の底より天を衝くほど高く噴き上がった汚泥。

 そこから響く狂ったような嗤い声はまるで産声のようだった。

 それは、ひとえに狂信であった。


 信仰の結実。


 故の嬌声。


 同時に、ルシファーは己の内から途方もない力が目覚めるのを自覚する。

 今の今まで眠りこけていた寝坊助。

 死を経験することで己の真価を自覚し、汚泥に呼応する形で漸く覚醒した主人の目覚めを。


「なるほど。ヤツの目的は俺様の力でないことは分かっていたが、よもやこの俺様という存在を隠れ蓑として利用するとはな」

  

 ルシファーは己の内で覚醒しつつあるその力の正体を知ることで、神秘のベールに包まれていた八神が生み出された理由を悟った。

 

 Project Lとは、唯一神にさえ並ぶ力を持つルシフェルルシファーの紋章者を創り出すことで、人の手によって現人神を造る為の計画……ではなかった。

 

 あの計画において重要だったのはルシフェルソフトではなく、八神ハードであった。

 ルシフェルルシファーの紋章に耐えうるような特別な肉体と魂こそが真に重要であり、ルシフェルルシファーの力はそこから注目を逸らす為の隠れ蓑に過ぎなかったのだ。

 

「だが、今代の霊長がアレを乗り越える為にはそれくらいの不正チートでもなければ成せぬか」


 天をく黒泥から姿を現したジョーカーの姿は先までの人らしいものから逸脱していた。

 全身は光を飲み込む黒に染まり、神代から現代に至るまでに存在したあらゆる文字による呪詛が泡沫が如く蒼白く浮かび上がっては消えてゆく。

 漆黒の焔を羽衣が如く纏い、ねじくれた枝に蛇が巻き付いたかのような錫杖を携える。


 その姿を見たルシファーは即座にその正体と脅威を看破する。

 アレは魔獣の力を手にしたジョーカーなどではない。

 ジョーカーとしての片鱗など、産声を最後に掻き消されてしまったことだろう。


 アレこそは、ゾロアスター教にてこの世全ての悪の象徴とされる悪神にして、当代の霊長を淘汰し、新たな霊長を生み出す為のサイクルを回す七体の魔獣が一つ。


 第一の魔獣 アンリマユ。


 今はまだジョーカーの身体を依代とした仮想顕現に過ぎないが、それでもヤツは悪性の頂点とされる存在だ。

 この世全ての悪を統べる存在である、かの魔獣に対し善悪で言えば当然の如く悪に分類される存在であるルシファーでは相性が悪過ぎる。

 ルシファー悪性に起因するあらゆる事象の支配権を奪われて勝負にさえならないだろう。


 その事実にルシファーは舌打ちを鳴らして、精神世界で寝惚ける主人のケツを蹴り飛ばす。


 「起きるならさっさと起きろ。寝坊助な我が主人よ」


 そして、天魔に代わり、本来の身体の持ち主である彼女が目覚める。


「うん。おはよう」


 目覚めと共に、生命の息吹が吹き荒ぶ。

 天は快晴を持って、地は草花の芽吹きを持って第二の救世主の再臨を言祝いだ。

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