第162話 この渇きを潤すは誰か
ダニエル・K・イノウエ国際空港。
そこは
そして、そんな荒廃した空港跡地にて天羽とウォルターは地に伏していた。
その眼前で、囚人服姿の若々しい男が一人、身の丈程もある戦斧を肩に担いで笑みを浮かべていた。
「で、次は何を見せてくれる?」
◇
刻は数十分前に遡る。
天羽は後方に下がりバフによる支援を行い、ウォルターとレイモンドが互いの武をぶつけ合っていた。
「そんなものかね?
「まだまだこっからだ
言葉通り、ウォルターは交戦開始早々に奥の手を切る。
これこそが天羽が後方支援へ回った理由。
彼女が描いた、空港全域へ及ぶ超巨大な魔法陣。
その眩い輝きがウォルターへ力を与える。
「
彼の身体に真紅の紋様が広がる。
焔を想わせる複雑怪奇な紋章が全身に巡り、彼の紅き眼光には金色の
それは、魔法陣の範囲内に限り、北欧の全神性の力を己が力とする魔術。
この魔法陣内に限り、彼はレート7(最上位)にさえ届きうる力を得ることができる。
「出し惜しみはなしだ!」
ウォルターはバックステップで一度距離を取る。
そして、それと入れ替わるように天羽が十字の大剣を手に前線へと躍り出て、レイモンドを牽制する。
「ククク、心配せずとも技は発動させてやるさ。その上で打ち破ってこそ価値がある」
「随分余裕ぶってるけど、そんな余裕があるかな?」
レイモンドは天羽の大剣を戦斧で受け止めながら余裕の笑みを浮かべる。
対する天羽も不適な笑みを浮かべるが、その内心には焦りが滲む。
「
一度投げれば必ず当たり、対象を撃滅する。
そういった概念が形を成した大神オーディンの力の象徴ともされる北欧最強格の槍。
故に、投擲に力は要らない。
その槍は放たれたと同時に対象のみへ着弾する。
そして、大神の槍は音もなく天羽諸共にレイモンドを貫いた。
諸共とはいえ、天羽に傷はない。
対象のみを貫くこの槍はたとえその過程で何かを貫こうとも、決して影響を与えることはないからだ。
だが、
「主神格の神造兵装とはいえ、同じく主神格相当の神造兵装であれば防げて当然であろう」
レイモンドはその手に持つ戦斧を介してシヴァ神の世界さえ焼き尽くす蒼き焔を引き出し、槍の着弾点である腹部に集中展開することで防ぎきっていた。
「やっぱりそうなるか」
嫌な予感が的中した天羽は苦々しい表情を浮かべる。
全盛期のレイモンドの強さを知る彼女は老化で衰えた現在でさえもこの程度は防ぎきるであろうと予想していた。
だけど、だからこそ二の矢を用意していたとも言える。
「
天羽がレイモンドと鍔迫り合いながら詠唱を唱えた頃には、既にそれは仕事を終えていた。
レイモンドの首が断ち切られ、ゆっくりと地面へと転がり落ちる。
その背には、彼の首を断ち切った原初の暗殺者の姿があった。
死神を想わせる、
それよりも遥か前に存在した、表の歴史には刻まれなかった英霊。
彼の武装は外套に隠されており、レイモンドの首を何で断ち切ったのかは定かでない。
しかし、そんなものは些事である。
かの暗殺者は得物など選ばない。
何を武器にしようと、或いは無手であろうとも仕事を全うする。
なにより、死んで初めて傷を知覚する技量。
死して尚その気配を知覚できない隠密能力。
不治の傷を刻む、権能さえ凌駕する超克技術。
それら卓越した暗殺技術こそ、遥か神代の時代にて『死』そのものとして恐れられ、終ぞ姿を見られることのなかった暗殺者たる所以であった。
「紋章絶技:
本来ならば、かの暗殺者に命脈絶たれし者は死を知覚することさえ許されない。
だが、レイモンドは常人の枠組みから大きく外れ、神さえ凌駕するレート7でも最上位の怪物。
故に、己の死を知覚できた彼は即座に己の一〇八ある紋章画数の内、十画を消費して紋章絶技を発動した。
その力は時間遡行。
ほんの数秒とはいえ、絶対の法則である時の流れを巻き戻す絶技。
そして、逆行する世界の中、続け様にもう一度同様の紋章絶技を放つ。
「紋章絶技:
更に十画消費し、今度は時を巻き戻すのではなく、一時停止させた。
停止した世界にて、レイモンドは望んだもの全てを与えるカーマ・デーヌという神牛を召喚。
そして、神牛から若返りの秘薬を手に入れて飲み干した。
途端、彼の身体はみるみるうちに若返っていき、その身にはかつて手にしていた圧倒的な力が、神さえ捩じ伏せた天下無双の暴虐が蘇っていく。
そして、時は再び動き出し、時の巻き戻しを再開する。
レイモンドの首が断ち切られる前。
天羽の英霊召喚の詠唱が完了する直前にまで時は巻き戻り、再び未来へ向けて動き出す。
「星の記憶より顕れ、汝が使命を果たせ。信仰深き幽界の番人よ……!?」
英霊召喚の詠唱を唱えきった天羽は驚愕に眼を見開く。
それは、眼前にいたレイモンドの姿が大きく変貌していたからだ。
長い白髪を
しかし、彼女が驚愕したのはそれだけが理由ではない。
眼前の青年は天羽の大剣を片手で持った戦斧で受け止めながら、開けたもう片手で彼女が召喚した原初の暗殺者の
「やはり、若さはいい。動きやすさが段違いだとも」
そこからの動きはウォルターには視認さえ難しかった。
鍔迫り合いしていた天羽を片手で吹き飛ばしたレイモンドは、彼女が召喚した原初の暗殺者と交戦を始める。
音が何千、何万と重なって聞こえる程の超高速戦闘。
戦闘の軌跡がそのまま嵐となるような常軌を逸した戦い。
斬撃の余波が周囲を斬り刻み、決して消えることのない傷を深く刻みつけていく。
そして、蒼炎が視界を焼き尽くす。
「実にいい。何者かは知らぬが、噛みごたえのある英傑であったぞ」
蒼炎が晴れた後、出てきたのは身体に多少の消えぬ切り傷を残した若きレイモンドの姿のみ。
原初の暗殺者が残したその傷も、シヴァ神の蒼炎によって焼かれて流血は止まっていた。
「さて、次はどのような英傑を馳走してくれるのかな?」
「…………ッッ!!」
レイモンドがかつて伝説を築いた全盛の力を取り戻すという、想定していた最悪の事態に天羽は遂に焦りを見せる。
(これは、……まずいね)
少しでも思考時間を稼ぐべく、天羽は英霊を立て続けに召喚する。
新撰組最強の剣客沖田総士が誇る三段突き。
常軌を逸した速度によって同一地点を三度同時に突き穿つという、純粋な剣技のみで事象崩壊現象を引き起こす必滅の刃。
——大地を踏み砕き、体勢を崩した所を戦斧で両断。
レオニダス一世率いる三〇〇の勇猛なるスパルタ兵。
その豪傑なる肉体と盾による堅牢なる護り。
——戦斧の一閃によって両断。
毘沙門天の化身にして、戦国最強と称された比類なき英雄、上杉謙信。
文字通り、毘沙門天を宿した神の一撃は天地諸共に敵を両断する。
——常軌を逸した超克による殴打にて斬撃諸共に真正面から破砕。
「さて、次は?」
召喚する英霊の悉くを凌駕する暴虐の化身に天羽は決断を迫られる。
(奥の手を使えば奴を倒す見込みは充分ある。だけど、この先を考えると安易にその手段を使うわけには……)
彼女の奥の手を使えば、それだけで周囲の魔力は枯渇し、オアフ島全域及び周辺海域は数十年先まで死滅する。
その上、今オアフ島にいる敵は彼だけではない。
(アトランティスが本格的に介入してきている以上、まだ何かが来るはず。死傷者ゼロで終わらせるには魔力を温存させないと……)
ザンドはもちろんだが、天羽はそれ以上にアトランティスの企みこそを警戒していた。
魔力感知でオアフ島近海にてポセイドンとアルテミスが革命軍と交戦していることは知覚している。
つまりそれは、彼らがそれほどの戦力を動かすだけの計画が動いているという証左でもある。
天羽はそう考えていた。
そして、もしその通りだとするならば必ず誰かが死ぬような事態になるはずだと……。
故に、この先の悲劇を見越して蘇生分のエネルギーだけは温存する必要が——
「未来を見据えるのは君たち英傑の善い所であり、悪しき癖でもあるな」
次々と召喚されていた英霊を一蹴したレイモンドは大気の質量を増大させ、天羽とウォルターを地へ押し潰す。
「当然だが、私は臨界者だ。そんな私を同じ領域へ立つまでもなく、力を温存して勝つなど不可能だろう」
そう言うレイモンドの容姿は更なる変化を遂げていた。
囚人服姿から、腰布と肩布、蒼炎で構築された左肩の聖紐という古代の
紋章は所有者の実力が極まった時や精神的に大きな変動が起きた際に覚醒という特殊な現象を引き起こす。
だが、それはレート7の怪物たちにとっては入口へ立ったに過ぎない。
覚醒には深度というものが存在しており、より深く紋章を理解することで魔と一体化し、人の道から外れていく。
その深度が深ければ深いほど紋章から受ける影響が強まり、体構造そのものが紋章に由来するものへと変質していく。
そして、その深奥である臨界点に至り、変質した己の力を完全なる支配下に置いたものこそが臨界者。
これこそがレート7の最上位たる証左。
レートはその強さと脅威度で分類されるが、7の上位と最上位の間には明確な差がある。
それが、覚醒の先、臨界点へと到達した者であるか否かだ。
「君に先のことを考えるだけの余裕などない。今この瞬間全力を出さねば、……芥が如く散るだけだぞ?」
そう言って、レイモンドは右足を上げる。
その動きに連動するように天羽らの頭上に半透明の巨大な足が現れ、踏み潰さんとばかりに待ち構える。
「無責任なことを言ってくれるよ。私が本気を出したらそれだけでオアフ島は終わってしまうって言うのに……」
その窮地において、天羽の決心がついた。
「でも、まぁ、ここで出し惜しみしていても事態は悪化するだけってのも事実だね」
先まで降り頻っていた雨は上がり、晴れ間が覗く雨上がりの地を揺るがす衝撃波が吹き抜けると共にオアフ島全域が脈動したかのような感覚があった。
ドクンッ
直後、周囲一体。
否、オアフ島全域の植物が朽ち果てた。
豊かな自然を生きていた動物達は力無く倒れ、眼に見えぬほど小さな生物に至るまで死滅していく。
そして、そんな彼らが生きた大地さえも干上がり、荒廃した。
「オアフ島全域の植物及び微生物を含む動物の生命エネルギー。そして、龍脈からもエネルギーを引いてきてやっとと言ったところかな」
天羽の身体から仄かな光が溢れ出る。
大地が脈動するのと比例するように、彼女が纏う光の粒子が増大していく。
最早彼女を押さえつける謎の重圧など存在しないとばかりに、平然と立ち上がる。
「この技はそれだけの生命エネルギーがないと発動できない。発動させるだけで周辺地域を破滅させてしまうんだよ」
——
オアフ島に存在する人間を除いた全生命エネルギーが彼女の元へと収束し、その身に宿る。
身に宿る生命エネルギーは細胞レベルで変質を引き起こし、彼女の身体を臨界者としての在るべき姿へと変質させていく。
腰まで届く艶やかな茶髪は純白に染まり、淡い燐光を纏い輝く。
琥珀色の瞳は黄金に染まり、純白の火花を散らす。
その身から迸る魔力の燐光だけで彼女の頭上にて待ち構えていた巨大な足は弾け飛んだ。
(何も感じられねぇ……か……)
側から見るウォルターには最早彼女の魔力を感じ取ることさえできず、歯軋りする。
途方もない魔力。
海の総量を人の身では測れぬように、同等の領域に立つ者でなければ彼女の魔力量を測ることさえできないのだ。
しかし、その稀有なる者であったレイモンドは彼女の魔力量をしかと感じ取り、戦慄すると共に笑みを浮かべていた。
「面白い。これが限定的にとはいえ、あの朝陽昇陽にさえ届きうる領域にいるとされた君の力か」
「やめてくれよ。彼と比べられると自信を無くすからさ」
「謙遜するな。臨界者である時点で君は充分我らのいる領域に立っているとも」
「そう、ありがとう」
これで、形勢は五分。
だが、今回に関しては彼女の判断は悪手だったのかもしれない。
事態は良くか悪くか、……加速する。
突如として現れた黒い泥がレイモンドを飲み込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます