第159話 終末の芽生え
「まずは礼を言うよ。ありがとう、フィンランドの英雄シモヘイヘ。私と私の親友を助けてくれて」
「礼ならば彼女に言うといい」
シモヘイヘはぶっきらぼうにそう返すと、瓦礫に腰掛けた。
「分かった。後で言っておく」
史実通りに寡黙なシモヘイヘに静は苦笑する。
しかし、史実で知っているからこそ彼の言葉の真意を読み取ることができた。
彼は静の礼を突っぱねているのではなく、謙虚なだけ。
ルミの想いに応えてほんの少しの助力をしたに過ぎないと考えているのだろう。
そして、真に偉大なるは親友を助けたいという一心のみで紋章術の最奥である覚醒の扉をこじ開けるばかりか、その深層へと到達した上であえてシモヘイヘに己が肉体全てを明け渡した彼女であると。
そこまで考えた静はある疑問に行き着いて少々焦りを見せる。
「そうだ! 言うなれば今の状態って覚醒の失敗例、覚醒した偉人の人格に肉体を奪われた状態ってことでしょう? ルミはちゃんと元に戻れるの!?」
かつて、八神が己に課せられた封印を解かれてその身に宿るルシファーに肉体を奪われたのと同じように、偉人格は覚醒した偉人の人格を調伏できなければ肉体を奪われてしまう。
今回の場合は傷を負った状態では何もできないと考えたルミが人格の乗っ取りに伴い、肉体がその身に宿る偉人のものへと変化することを利用した肉体復元のため、意図的に肉体を明け渡した形ではある。
だが、それでもルミ自身がシモヘイヘを調伏できなければ肉体が戻ってこないという点においては同じはずだ。
「大切な人を護りたい。その強い想いがある限り、私は彼女の力となる」
そう言葉を残してシモヘイヘは仄かな光に包まれた。
それこそが、静の先の問いに関する返答だ。
調伏とはなにも精神世界で覚醒した偉人を討ち倒すことだけではない。
その本質は、”覚醒した偉人に己が在り方を示して認められること”だ。
そして、シモヘイヘは彼女の想いを認めていた。
認めていたからこそ、少女の肉体を乗っ取るという彼の兵士としての矜持に反するような外道を犯してでも彼女とその大切なものを護りぬいてみせたのだ。
シモヘイヘを包み込んでいた光が消える。
その後には傷のないルミの姿が戻っていた。
「ただいま」
「……もう。おかえり!!」
何事もなかったかのようにふわりとした笑みを浮かべるルミに静は涙を堪えた笑みを浮かべ、堪らず彼女を抱きしめた。
心配だったのだ。
もしかしたらもうルミは戻ってこないんじゃないかと内心気が気ではなかったのだ。
だからこそ、彼女の無事な姿を。
いつも通りの静かな笑みを見ることができて静は嬉しかった。
ルミだけがその身の全てを賭けてでも静を助けたいと想う訳じゃない。
想いは一方通行ではなく、静だって彼女のことを何より大切に想っているのだ。
大切な親友の無事な姿。
それを見ることができて、思いの丈が溢れてしまうのも無理はないのだ。
「相変わらず仲が良いようで何よりだ」
突如聞こえた声にルミは反射的にライフル銃を放ち、静は足刀による風の刃を放っていた。
しかし、それは声の主に届くことなく共に蜘蛛の巣を払うかの如く素手でいなされてしまった。
「あなたこそ、相変わらず化け物じみた強さしてて震えちゃうね」
手加減などない、本気の一撃を難なくいなされたことに冷や汗をかく静であったが、眼前の人物であればそれくらいはやっても何も不思議ではないと納得してしまえた。
瓦礫の陰から突如として現れて、彼女たちの前に立つ人物。
その名はザンド。
ハワイ大監獄からの脱獄囚でありながら、同じ脱獄囚のおよそ7割を単独で殲滅した正義の怪物。
元特務課第五班所属でありながら、その首に70億9500万円もの莫大な懸賞金がかけられた特務課史上最悪の汚点にして裏切り者だ。
「懐かしい同僚の顔を見にきたって訳じゃないんでしょう?」
「そうしたかったところだが、そんな悠長な状況ではなくなった」
ザンドは割れたペストマスクから覗く白目が漆黒に染まり、黒目が夕焼け色に輝く異形の瞳を鋭くさせる。
「オアフ島に魔獣が顕現する」
魔獣。
それはあの
「魔獣って……確か恐竜だの神様だの、その時代の霊長を殲滅することで文明をリセットしてきたっていうよく分かんないやつ?」
「……大方はその認識で問題ない。奴等はそうすることで世界を一新し、新たな霊長の誕生を促す存在だ」
魔獣はその時代の霊長を殲滅して文明をリセットすることが目的なのではない。
その真意は、世界を一新することで次の時代を担う霊長を生み出し、生態系のサイクルを回すことにあるのだ。
故に、彼らの眷属である
そんな自然の摂理とも形容できる彼らに対し、過去、世界の頂点として君臨した恐竜や神が霊長として生き残りを掛けて挑んだが、いずれの存在も現世から姿を消していることから分かるように敗北している。
その次の世代である魔術師も蘆屋道満がギリギリのところでなんとか魔獣アエーシュマを退け、救世主が人々の内に眠る魔術的素養を紋章という形で表出させたことによって生き繋いでいる状態であり、未だこのサイクルを打破して
「そんなことより、これからの話だ」
そういうと、ザンドは
空間が裂かれたその先、そこには方舟の内部空間が広がっていた。
ザンドは引き裂いた空間から方舟内部へと侵入しながら、静らの方を
その視線を受けた静とルミは互いに視線を交わす。
(ついて来いって言ってるみたいだけどどうする?)
(ザンドは私たちを裏切った犯罪者。だけど、それは己の正義を果たすためのもの。目的を同じくするなら協力するのは良い手だと思う。なにより……)
(私達に拒否権はない……か)
この場でザンドの協力を蹴ったとして、それでザンドが機嫌を悪くして二人を殺すなどということは万に一つもありえないだろう。
だが、ここで協力しようとしまいと結局は魔獣の対応にあたることになる。
そうなれば別々に動いたとしても、結果的には協力したも同然となる。
静が拒否権がないと判断したのはそういう意味でのものだった。
「……」
「……」
二人は互いに頷くと、ザンドの手を取ることを決断し、その後を追って方舟内部へと入った。
その様子を気配で察したザンドはモニターを起動してある映像を映し出す。
それは、多くの人々が高専生や
「オアフ島の住民であればワタシが侵食領域で一纏めにして糸魚川の方舟で日本へ全て避難させた」
高専生ら総員を含むオアフ島一般住民はこれからの戦いにおいてお荷物以外の何者でもない。
故に、侵食領域内に全員引き摺り込み、掌大の大きさに縮小させた領域を糸魚川の方舟で運ぶことで迅速な避難を完了させたのだ。
「なるほど、方舟の入口は最大でも五、六人程度が同時に通れる程度の大きさしかないから大人数の出入りには時間がかかる。それを侵食領域で解決したって訳ね。…………できるのそんなこと?」
静はザンドが行ったことは理解したものの、その手段があまりにも荒唐無稽な常識外のものであったが故にたまらず横にいるルミへと尋ねるのであった。
「普通は出来ないよ。そも、紋章画数の消費なしで侵食領域を展開してる時点で常軌を逸してるんだけど、その規模を自由自在に操作するなんて更に無理。キャンパスに絵を描くのが通常の侵食領域とするなら、アレは完成した作品はそのままの状態でキャンパスの大きさを自由にこねくり回してるようなものだからね。仮にできたとして、歪めることはできても戻すことはできないよ」
“でもできてるよ?” と言いたげな顔でザンドを指差す静をルミは“アレは例外中の例外だから”と考えることを放棄した眼で諭した。
「コホンっ」
“話を続けるがいいな?” と咳払いしたザンドは思考を脱線させていた二人に視線を向ける。
あきれているのか、割れたペストマスクから覗くその眼は心なしかジトっとしているように見えた。
「という訳で現在オアフ島に非戦闘員はいない」
そう言いながらザンドはコンソールパネルを操作して映像を切り替える。
すると、次の画面にはオアフ島全域と周辺海域を映し出した映像が出力された。
「現在の戦力分布は我々を含め、特務課十一名、アメリカ兵二名、革命軍三名、脱獄囚四名、アトランティス二機、狂嗤う
ディスプレイには所属ごとに各色分けれた点が表示されていた。
おそらくこの点がそれぞれに現在地を示しているのだろう。
「見ての通り、それぞれが現在も交戦中だ。そんな中、自由に動かせる戦力は避難誘導にあたっていた浅井と瀬戸の二名のみだった」
オアフ島各地を凄まじい速度で移動し続ける点にカーソルを合わせて、映像を表示する。
『ポイントG-5に現れた黒い
『よし! なら次のポイントへ急ぐぞ!!』
『はいっス!』
そこには白い虎の獣人へ変容した浅井とそんな彼女に背負われた瀬戸の姿があった。
どうやら彼らはオアフ島各地に出現した黒い靄を瀬戸の紋章術で素粒子レベルまで小さくすることで無力化していっているようだ。
だがそんな折、彼らが目指す次のポイントにてそれはいた。
『浅井先輩! マズイっス!! もう魔物が……!!』
『狼狽えんな!! 速攻で処理して次へいくぞ!!』
黒い靄から産まれし魔獣の眷属——魔物。
それは、首が異様に長く、牙が鋭い人型の怪物であった。
真っ黒なタールを固めたような黒々とした体表はゴムのような材質であり、生物みを感じさせない異質さがある。
だが、未だ不完全な顕現なのかその身は不安定であり、一部がドロっと形を崩しているようだった。
浅井は即座に己が喰らった紋章、偉人格長尾景虎の紋章を励起させる。
光の粒子が集い、長尾景虎が愛用した武器の一つである姫鶴一文字を右手に握ると……
——一閃。
目にも止まらぬ速さの一太刀にて首を落とすと、そのまま四肢も全て切り落とし、最後に無名の槍へと持ち替えて胴へ瞬く間に八つの風穴をぶち開ける。
『っし! 手応えあったな。……
『こっちも無力化完了っス!』
『よし、続けていくぞ!』
黒い靄から現れた魔物は形を崩して泥となり消えて、その発生源であった黒い靄も瀬戸によって極小化された。
そうして二人は再び場所を移動して黒い靄の無効化へと動き出した。
「彼らにはオアフ島各所に異常発生した黒い靄及びそこから発生する魔物の対処を任せている。お前たちにはこの作業を手伝ってもらいたい」
声が導くままに、静らの視線はモニターから再びザンドヘ向く。
確かに、ザンドが言う通り各所に発生している黒い靄の対処は急務であろう。
だが、彼女らには一つ懸念があった。
「黒い靄の対処をしなきゃならないのは理解した。勿論、請け負うわ。だけど、私たちにはアレをどうにかする方法がないけどアテはあるの?」
黒い靄は物理的作用では干渉できず、瀬戸のような概念的干渉方法を静らは持ち合わせていない。
封印術に関しても、そもそも魔術の存在を
「当然だ。これに魔力を通せば誰でも封印術を行使できる。これで黒い靄を封印していってくれ」
そう言ってザンドは幾何学模様が描かれた正方形の物体を手渡した。
その大きさは手のひらに収まる程度の大きさで、まるでおもちゃのような軽さであった。
「霊装ってやつ?」
興味深げに見ながら静が問いかけると、ザンドはため息を漏らした。
「いつまで秘密にしているつもりだあのバカは……。…………あぁ、そうだ。それに魔力を流せば封印術が使える」
ザンドは静の反応から紋章術の起源が魔術であることや術式、霊装についても教えていないことを察して、かつての上司の秘密主義に辟易して誰にも聞こえない小さな声で愚痴を溢しながらもそう答えた。
「黒い靄の位置情報等のオペレートは
そう言い残したザンドはあっという間に影の中に消えてしまった。
言いたいことを言うだけ言って話を勝手に切るのは
とはいえ、ザンドはやり方こそ過激なれどその方針は善であるため、少なくとも民間人の存在しない今のオアフ島であればどこに行ったのか追及するほどでもないだろう。
そう判断した二人は目下急務である黒い靄への対処へと向かうべく方舟のゲートを管理する糸魚川を探しに行くのであった。
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