第156話 再現性こそが科学の真髄




 超至近距離。

 ほんの少し動いただけで触れ合うほどの距離感で、ジンとジルニトラは視線をぶつけ合っていた。

 静は余裕を感じさせる不適な笑みを浮かべ、彼女よりも身長の高い彼は感情を感じさせない冷血な視線で見下す。


 先に動いたのは静だった。


——虚狼うつろ


 超至近距離からの前兆を感じさせぬ、予備動作さえない大気の拳による不可視の拳打。

 武術の達人であり、衝撃のベクトルさえも自在に操ってみせるほど技巧を誇る彼女から放たれた拳打は頑丈な人型機械生命体アンドロイドの身体といえど関係なくその身を破砕する。


 だが、


舞風まいかぜ


 ジルニトラは身体を僅かに波打つように動かすことで、体内に撃ち込まれた衝撃波を足から地面へと逃した。


「え?」


 その技を見た静は驚愕のあまり思わず動きを止めてしまう。

 ほんの僅かな隙。

 一秒にも満たない思考の空白であったが、それを見逃すほど彼は甘くない。


六合八極拳りくごうはっきょくけん波旬はじゅん


 瞬時に右脚を引くことで腰を落とす。

 そうして身体を捻る運動エネルギーを十全に伝え、左手の五指を鉤爪のように開き、螺旋軌道を描いて静の鳩尾へと抉り込む。

 そして放たれる完全制御された衝撃波の嵐は紅蓮の炎を幻視させ、地下道の外壁を抉り飛ばしながら静を吹き飛ばした。


「ゴプッ! ゲホッゲホッ……ハァ、……ハァ……なんで、あいつが…………」


 地下道の曲がり角の壁を破砕し、その瓦礫にもたれかかるようにして血反吐を吐く静は未だ己の目を疑っていた。


「それほど不思議か? お前たち姉弟だけが使えるはずの流派を俺も使えることが」


 静が驚愕した理由。

 それは彼が用いた武術にあった。

 八極拳最強の使い手にして、殆どの敵を牽制の一打にて倒したことから“二の打ち要らず”と謳われた李書文りしょぶん

 彼の最後の弟子、リュウ雲樵ウンショウの系統である台湾武壇ぶだん系八極拳を源流として派生させた“六合りくごう八極拳”。

 それは当時天才の名をほしいままにした静と彼の義理の弟であった飛龍フェイロンが完成させた彼女ら二人だけの武術であった。

 

 そして、静の義理の弟である飛龍は五年前に謎のレート7の襲撃者から静を庇って殺されている。。


 だからこそ、今となっては静以外に使える者がいるはずはないのだ。


「当たり前でしょ……!! それは私とロンだけが使える、私たちだけのものよ!! どこぞの馬の骨が勝手に模倣していいもんじゃない!!」

「勝手に模倣した訳ではない。俺はお前の弟の協力の下、流派を解析して再現したまでだ」

「協力……? あの子は死んだ。……私が護れるだけの強さが無かったばかりに殺されたのよ!! 仮に生きてたとして、あの子がお前らなんかに協力するはずがないでしょうが!!!!」


 静は心内から無限に湧き出る煮えたぎる激情のままに飛び出す。

 されど、身体に染みついた術技は冷徹なまでの冴えを保つ。 

 両足を大気の爆弾とし、その爆発力をもってして飛び出した静は己の力に推進力の全てを余すことなく加算して拳打を放つ。


「我々が貴重な研究素材をむざむざ死なせる訳がないだろう。それに、意思など関係ない。協力しないというなら従わせるのは当然の流れだろう」


 飛龍フェイロンが、……最愛の義弟が生きている。

 その微かにもたらされた希望の光が、ほんの僅かに静の術技を鈍らせた。

 そして、大気の僅かな流動さえ感知する彼の機械眼がその隙を見逃す訳もない。

 ジルニトラは静の放った拳を受け流すと同時、地面を踏み込んだこと震脚で得たエネルギーを肘頭ちゅうとうの一点に集約させて放つ。


——六合八極拳りくごうはっきょくけん破城鉄斎はじょうてっさい


「ごぷっ……!!」


 静は体内から響くベキベキという耳障りな異音を確かに感じながら、体内から迫り上がった多量の血液を吐き出して吹き飛んだ。


飛龍フェイロンの体内に眠る力、“五神龍”ごしんりゅうは研究素材として多大な価値を持ち、彼自身の術技も技術的再現の有用性が高い。あの時、殺して“五神龍”の力だけを抜き取るのはいささ勿体無もったいないと感じたんでな。心臓を抉り潰した時に新しい機械の心臓を埋め込んで延命してやったんだ」

「あの時……? 延命……!? お、前が……、お前が……あの時の……!!!!」


 静は憎悪と憤怒が入り混じる叫び散らしたくなるほどの激情を歯を食いしばって堪える。

 激情のまま考えなしに飛び込んでも先の二の舞になるだけだ。

 だが、それでも抑えきれぬ、決壊したダムが如き殺気が、溢れ出した魔力の猛りが、大気さえも鳴動させる。

 なにより、その激情を一心に向けられるジルニトラは視線を通じて如実にょじつに感じ取っていた。


「厳密には異なるが、あの時の襲撃者と言っても相違ないだろう。……お前には感謝している。お前のお陰で飛龍フェイロンには“五神龍”の力に加えて“六合八極拳”りくごうはっきょくけんという付加価値まで付いたのだからな」


 痛いほど伝わる彼女の殺気。

 対するジルニトラは冷徹な視線に侮蔑の意を込めて返す。


 そして、突如死角から飛来した十三発の魔弾を全て拳で弾き落とす。


「これの仲間か。……狙撃など通じるとでも? 感知範囲外から放とうと、感知範囲内に弾丸が侵入すれば気づくに決まっているだろう」


——黙れ


 地面へと弾き落とした弾丸が突如として破裂し、その内部から氷雪の奔流を解き放つ。

 冷気の爆弾に寸前で気づいたジルニトラはそれをバックステップで回避する。


 だが、彼は一つ読み違えた。


(違う。……これは、攻撃じゃない!)


 そう考えた時には既に彼女——ルミ・ラウタヴァーラは龍をも穿つ対紋章者ライフルAldebaranアルデバランの銃口を彼のすぐ背後から突きつけていた。


「今すぐその汚い口を閉じろゲス野郎!!!」


 友を、彼女の大切なものを傷つけられたルミは憤怒の激情を弾丸に込めて、ジルニトラの後頭部を撃ち抜いた。


「惜しいな。だが、後一歩足りない」


 ジルニトラは咄嗟に首を振ることで弾道を逸らし、頭蓋の一部を吹き飛ばされて内部の機構を露出させながらも頭部の全壊は避けられた。

 そして彼は振り返り様に右腕から莫大な熱線を放出して地下道に舞い散る氷雪諸共ルミを灰燼かいじんへとす。


「判断が早い。レート6最上位相当の雑魚ではあるが、そのポテンシャルは我々の領域レート7にも届き得るものだな」


 熱線を雪中間の空間移動によって静の近くに退避することで躱したルミ。

 ジルニトラは彼女へ視線をやりながら感心する。

 そんな僅かな間にも、ルミが負わせた頭蓋の傷は細かな粒子が寄り集まるようにして修復されつつあった。


「お前みたいなクズに褒められても何も嬉しくなんてない」

(……自動再生機構。核を破壊しない限り致命傷にはならないってこと?)


 ルミは親友を傷つけられて湧き上がる激情を理性で押さえつけつつ、傷を修復するジルニトラを観察して、努めて平静に分析する。


「どうしてルミがここに……?」

「女の勘。とっても嫌な予感がしたから来てみれば、案の定だった訳」

「女の勘って……、ルミには一番似合わない言葉ね」


 そう苦笑する静にルミは幼子おさなごのようなその小さな手で彼女の頭をポンポンと撫でる。


「余計なお世話。でも、私が来たおかげで少しは冷静になれたでしょ?」


 そう言ってルミは静かな笑みを浮かべる。

 そう言われて、静は先まであった身を内側から焼き焦がすような激情がなりひそめていることに気づいた。

 決して消えたわけじゃない。

 だけど、その激情を力へ変えられるだけの平静さを、理性を取り戻すことができていた。

 

 ルミは知っていた。

 静という女性は人一倍仲間を大切に想う心優しい人だと。

 誰かがそばにいる時ほど最も冷静な思考を巡らせて、全員の生存を第一に考えられる人だと。


 だからこそ、彼女は狙撃手であるにも関わらず、距離という優位性を捨ててでも彼女のそばへと現れたのだ。

 

「まったく、我が相棒ながら私のことをよく分かってらっしゃる」

「そうでなきゃ相棒は務まらないよ」

「ふふ、そうね。ありがとう」

「どういたしまして」


 微笑み合う二人。

 そんな彼女らの間を割って入るように雷が迸る。


 ズガンッ!! という鋭い破砕音を響かせてコンクリートの地面が雷に穿たれる。

 その上方には黒曜石のように黒光りする菱形の小型浮遊ユニットが浮かぶ。

 それはジルニトラの翼を構成するユニットの一部であった。


 上方から放たれた雷を左右に分かれる形で回避していた二人は悪態を吐きながらジルニトラへ攻撃を仕掛ける。


「ホンット空気の読めない男!!」

「まったくだね」

 

 しかし、翼は多数のユニットの群体によって形成されており、それ一つなどではない。

 ジルニトラの翼から分離した一〇〇を越える浮遊ユニット。

 そこから放たれる雷撃の雨が静とルミの二人に襲いかかる。


「くだらない友情ごっこに付き合う義理はないな」

 

 そう冷たく言い放ったジルニトラは雷撃の雨で行動を制限させつつ、正確無比な演算から割り出された回避不可能な軌道を描く雷撃にて二人を撃ち抜いた。


 だが、


「そ。ならさっさと退場してちょうだいな!」

「同感」


 浮遊ユニットの雷撃が撃ち抜いたのは静の紋章術によって作られた幻影であった。

 大気密度を操作し、光の屈折率を間接的に操作した陽炎を再現してみせたのだ。


 機械の目さえ欺く魔力を宿した陽炎が気を引くその隙に、二人は反撃の一矢をつがえる。


 ジルニトラの背を取る形でルミは後退して狙撃銃Aldebaranを構え、静はそんな彼女の射線を隠す盾となるように前へ繰り出す。


 予備動作無しの大気の拳による不可視の拳撃——虚狼うつろ

 Aldebaranアルデバランによる龍をも穿つ一射——天穿つ一閃ドラゴンストライク


 ジルニトラは即座に振り返り、走りながら繰り出された大気の拳撃を拳の甲で受け流す。

 だが、コンマ数秒の間隙かんげきさえ空くことなく、その身で射線を隠していた静は自発的に霧散して大気となり、その影に隠れていた龍をも穿つ一射が迫る。


「六合八極拳・拍牙天衝はくがてんしょう


 しかし、彼女らの連携攻撃を予測していたジルニトラは至極冷静にその奇襲を迎え撃つ。

 身体を半身にして、震脚によって生み出されたエネルギーを全身の関節の捻りによって増大させながら放たれた掌打がルミの渾身の一射を真正面から粉砕する。


「知ってた? その技、懐に入られちゃうと次の対応が遅れる隙を作っちゃうってこと」

「無論。熟知している」


 ジルニトラの懐にて身体を再構成した静は地を踏み砕くほどの震脚で得たエネルギーを余すことなく利用した鉄山靠てつざんこうを放つ。

 しかし同時に、ジルニトラも翼の根元からたなびく二対の帯に刻まれた紋章に宿った力を発動し、全身を莫大な電撃そのものへと変化させ、雷撃の大爆発を引き起こした。


「ガカッッ!?(まさか、……これは、ルークの!?)」


 この世界に同種の概念を司る紋章は同時に存在しない。 

 そんな紋章の絶対法則を覆すような事象を眼にして驚愕する静だったが、電撃によって硬直した身体を大気へと変化させて爆発することでジルニトラを吹き飛ばして距離を取ることに成功した。


「この紋章はお前も見知ったものだろう? 紋章の人工的再現など我々にとってはとうの昔に確立された技術だ」

「こんのチート国家が……!!」


 ルークの自然格:雷の紋章だけではない。

 紋章の人工的再現が可能とはつまり、朝陽昇陽あさひしょうよう天羽華澄あもうかすみら世界最強レベルの紋章者の紋章さえも再現可能であるということだ。

 

 その脅威度は現段階で正確に推し量ることは難しいが、最低でもレート6最上位クラスの量産は可能と考えた方が良いだろう。


「この程度で一々驚いていては我々の相手は務まらんぞ」


 概念格:生命、動物格古代種:デイノスクス、概念格:遅延、自然格:雷——並列起動。


 黒く硬質な龍鱗に覆われていた腕はそれとは別種の生物的で強靭な鱗によって更なる強化が施され、雷さえも纏う。

 生命の拍動が莫大なエネルギーを生み出し、先までの震脚で得ていたエネルギー効率とは比にならぬ力が漲る。

 

 あれはダメだ。

 まともに受けたら死ぬ。


 彼女たちの脳裏に最大級の警鐘がなり、全力で回避行動に移ろうとする。


 だが、脳が発した回避動作は僅かな遅延を引き起こした。

 そして、回避しようとした運動エネルギーが空回りして、二人はつまずくように体勢を崩してしまう。


「さらばだ」


 体勢を崩した彼女たちはただその一撃を受け入れるしかない。


 ジルニトラは身体を雷へと変換し、雷速で彼女たちへ迫る。

 そして、すれ違い様に放たれたワニの咬合こうごうが如き握撃は彼女たちの脇腹を大きく抉り取り、追撃の雷撃が意識を完全に奪い去った。

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