第154話 未だその在り方を知らぬ勇者




 癖のある金髪を左眼にかかる程度に伸ばし、右目側の前髪は後ろへ流した青年。

 星の影を想わせる黒き星を宿すその瞳を怪しく煌めかせ、その手に持つ鈍く光る聖剣に付着した血液を振り払う。


「フ、フフフ……、救世主負け犬の差金ですか。何度足掻こうが無駄だといまだ理解できぬ猿めが」


 バアル・ゼブルは心臓を貫かれ、肩から脇腹へと大きく切り裂かれて満身創痍。

 しかし、その相貌そうぼうは苦しげに歪められながらもこの場にいない者へ向けた侮蔑ぶべつに満ちていた。


「負け犬はどちらだか……」


 大きなため息を一つ。

 バアル・ゼブルがその動作を知覚した時には、彼の四肢は断たれ、懐に潜り込んだ聖剣使いがその手に持つ鈍く光る聖剣を構えていた。


今は名もなき聖剣ネームレス・セイヴァー


 聖剣の真名も真価も知らぬが故に、その真名解放は何の信念も伴わぬ空虚な囁きだった。

 本来の力の1割にも満たない微弱な解放。

 けれど、それでも放たれた力は絶大だった。

 

 天へと振り上げられた聖剣から振り下ろしと共に放たれた極大の聖光はバアル・ゼブルを残滓さえ残さず消滅させた。


「まずは一匹」


 まるでルーティーンかのような態度で大悪魔を一蹴した聖剣使いは背に負う鞘へと聖剣を収める。

 

「あのバアル・ゼブルを一蹴するだなんて……、君は一体何者なんだい?」


 かつては最高神の位に位置し、地獄界ではルシファーとさえ肩を並べた大悪魔でもあるバアル・ゼブル。

 そんな彼を鎧袖一触がいしゅういっしょくとばかりに葬った眼前の青年にソロモンは見覚えがなかった。


 だけど、見覚えがないからこそ大方の予想はついていた。

 彼が使役する七十二柱の魔神と千里眼による全世界規模の情報網で観測できない者など、その力そのものが常軌を逸した科学力によって弾かれるアトランティスと救世主の力によって弾かれる、世界最強の賞金首が率いる宗教組織——。


「僕は、薔薇十字騎士団ローゼン・クロイツ序列第四位ハイラル。世界を救うだけの力を持ちながら、その真意を理解できず、真価を引き出すこともできない出来損ないの勇者だよ」


 薔薇十字騎士団ローゼン・クロイツは、クリスチャン・ローゼンクロイツという謎の人物によって十五世紀に創設された薔薇十字団ローゼン・クロイツという秘密結社をメサイアが乗っ取る形で新生した組織だ。

 

 その目的は一切不明であり、構成員や規模、拠点に至るまで全てが謎。

 秘密結社薔薇十字団ローゼン・クロイツを乗っ取って生まれた組織故に、その目的であったとみられる財力に関しては相当なものを持っていると予測される程度にしか情報がない。


 故に、この場において彼が敵か味方かの判断さえつかない。


(順当に考えれば彼らは敵だ。八神くんの出生に裏から関わっていたであろう彼らは非道な実験にくみした悪だ。そうでなくとも、彼らは世界遺産、文化遺産、国宝などの略奪に手を掛けてる。捕える理由なんて枚挙にいとまがない。だけど——)


 しかし、


(ザンドに脱獄囚、魔神からの報告によれば近海にはアトランティスの機神までいる中、無闇に敵を増やすのは得策ではない)


 悪事に手を染める彼らが捕縛対象であることに間違いはない。

 だが、優先事項を見誤るわけにはいかない。

 今、この場において第一に優先すべきは民間人の安全確保。

 現状でもいっぱいいっぱいの中、バアル・ゼブルを一蹴するような怪物まで敵に回す余裕はないのだ。

 

「そう警戒しなくていい。僕は今回の件にこれ以上首を突っ込むつもりはない」


 警戒を露わにするソロモンに対して、ハイラルはバアル・ゼブルを消し飛ばした跡地を指差してそういった。


「僕はボスの命によって、魔獣の眷属を間引く為に派遣された。だから、これ以上この件に干渉する理由もないんだ」

「ハワイ大学でルシファーと交戦中のジョーカーは放置してもいいのかい?」

「アレは君たちが越えるべき試練だ。だから、あえて捨て置く。……ボス曰く、この程度は越えてもらわねば話にならないとのことだ。」


 そう言うと、ハイラルは背を向けて歩き出す。

 そして、去り際に首だけソロモンの方へと振り返り、


「元凶は排除したけど、転がり出した災禍は止まらない。後始末は大変だろうが、ボスの期待に応えてくれることを祈るよ」


 そう言い残すと、彼は凄まじい身体能力で宙へ飛び去った。


「まったく、言いたいことだけ言って去ってくれちゃって……。まぁいいや、元よりそれは僕たちの役目だしね」


 ハイラルには聞きたいことが山ほどあった。

 薔薇十字団騎士団ローゼン・クロイツの目的。 

 魔獣との関わりが深そうなメサイアについて。

 本件と魔獣との因果関係。


 どれも捨ておくには大きすぎる問題だ。


 だが、それも本人がいなくなってしまった今となってはどうしようもない。

 彼が立ち去るのを変に引き止めて交戦に入ってしまってはそれこそ本末転倒だ。

 だからこそ、ソロモンは彼が立ち去るのを見逃し、本件の早期終息を優先することとした。


 

   ◇



 水上らの活躍によって避難民が地下道へと逃れることに成功したおよそ二十分前。

 

 ルミは現在、いつ不測の事態が発生して避難民が予定より早く地下道に逃れてきても良いようにホテル直下の地下道にて待機していた。


 そして、彼女のパートナーである静はホテル内の防衛を高専生らへ任せて、避難経路を確保するべく地下道の安全確保を行っていた。

 先の百鬼夜行事件によって紋章が覚醒した彼女の空間把握能力は常軌を逸している。

 空気が存在する空間であれば、例外なく知覚可能であり、それを太平洋全域というバカげた規模で行えるのだ。

 故に、オアフ島の地下道全域の把握など容易いことであった。


 そして、その時地下道にはある一つの存在がいた。

 基本フォルムは鋭角的な黒龍を模した龍の亜人のような姿の人型機械生命体アンドロイド

 背部には無数の黒い菱形の結晶が集まって形成されているかのような翼。

 翼の根本からは左右二対の布のようなものが伸びており、そこには幾つもの紋章が刻まれている。

 そして、その機体の胸部にはHSを斜線で消した表記がある。

 そのマークはデリットで用いられていたものと同一であるが、元々は科学都市アトランティスの一派閥が用いていたマークであった。

 その意味はHard自然 Science科学の超越。

 “自然界にあるものを参考に、自然界にあるものを超越”するという理念の元開発された兵器群にこのマークは刻まれる。


 故に、その存在もまた自然界に存在するものを参考として、その存在を超越すべく開発された存在であった。

 アトランティスの尖兵にして最新鋭の人型機械生命体アンドロイドであるジルニトラ。


 彼女の空間知覚は当然地下道に潜む彼の存在を捉え、避難経路を確保する為にも排除ないし捕縛するため行動に移した。


 そんな彼女は今、避難シェルターへと続く薄暗いジメッとした地下通路にて何者かと連絡を取るジルニトラの背後をつけていた。


 気配を消して、空気と同化している彼女の存在を他所よそにジルニトラは通信を続ける。


「そうか、アルテミスとポセイドンは革命軍に足止めを食らってると……」


 通信の相手は恐らくアトランティスの中継役だろう。

 会話内容から察するに、何かしらのテクノロジーを活用して戦況を把握し、情報の共有を行なっていると見える。


(アルテミスにポセイドンって……敵さん本気過ぎでしょ!!)


 静は気配を殺すために平静を装いつつも、彼らが投入してきた大戦力の名を耳にして驚愕していた。

 オリュンポス十二機神はレート7最上位にさえ匹敵する正真正銘、人工的に造られし機械仕掛けの神だ。

 それを二機も投入してくるあたり、アトランティスの本気が伺い知れるというもの。


「それに、朝陽昇陽への応援要請を許し、この島へ向かっている……と」

(え、朝陽さん向かってんの? 勝ち確じゃん。お〜疲れ様で〜す)


 朝陽昇陽が向かっている。

 この一言を聞いただけで静はこの戦いの勝ちを確信したと共に、心内で両手を合わせて一気にお疲れ様ムードを迎えた。


(機神やレート7最上位の脱獄囚、狂嗤う道化クレセント・クラウン。今オアフ島で暴れる全戦力が束になっても絶対に敵わない最強が来るなら、後はそれまでにどれだけ被害を抑えるかって話かなぁ)


 とはいえ、依然としてオアフ島には怪物たちがその脅威を撒き散らしていることに変わりはない。

 中でもザンドは朝陽昇陽が君臨する最強の座に手が届き得る数少ない存在だ。

 気を緩めても良い状況ではない。

 静は一瞬緩みかけた気を改めて引き締める。

 そんな時だった。


「全て想定通りだな。奴が到着し次第、時空間転送システム“ヘルメス”でアレスを投入しろ。以上、通信を終了する」


 そう端的に指示を出したジルニトラは通信を切断した。

 そして、静かに振り向くと、何もない空間へ視線を向ける。


「聞いた通り、我々には朝陽昇陽を始末する算段がある。奴に希望を見出しているのなら悪い事は言わない。諦めろ」


 その眼は空気と同化している静を正確に捉えていた。

 常人には目視できず、熟練の紋章者であっても空気中の魔力濃度と同一化する彼女を魔力探知することはできず、達人であろうとその気配を捉えることはできない。

 しかし、ジルニトラの機械の眼は空気の流れを捉えていた。

 自然に流れる空気。

 その中にほんの僅かに滲む人為的な動き。

 その動きを彼の眼は逃さなかった。


「諦めて死ねって? ありえないわね。私たちはたとえ最後の一人になろうとも諦めず、己が信念を貫くわ」


 存在を悟られた以上隠れる意味もない、と静は実体化してその姿を現し、真っ直ぐとした視線を向ける。


「それに、朝陽さんを始末する算段……だっけ? 悪いけど、そんな世迷言を言ってボッコボコにされてきたバカなんて五万と見てるんだよねぇ」


 先までの真剣な眼差しはどこへやら、心底バカにした表情を浮かべる。


「そっちこそ、諦めることをオススメするけど?」


 相手の意識の隙を突くことで、まるで瞬間移動したと錯覚させる移動技術——縮地。

 ジルニトラの機械の眼さえ欺く練度を持ってして至近距離まで近づいた静は彼の顔を下から覗き込むようにして言葉を放った。


「平行線だな。俺としてはどちらでも構わない」


 ジルニトラは下から覗き込む静の視線を冷徹に見下す。


「ただ、無為な作業が増えるだけの話だ」


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