第151話 戦う意志
時は少し戻り、ラプラスの悪魔の紋章者である青年が
事のあらましを聞いた水上は一も二もなくその言葉を信じて、彼の言葉に従って次なるピースを求めるべくホテル内のある一室を目指していた。
「僕が言うのもなんですが、どうして僕の言葉を信じてくれたのですか? 発狂してしまった一般人の
ラプラスの青年は水上と共に廊下を駆けながら問う。
恐怖に耐えられず発狂した一般人。
狂言を振り撒いて混乱させるスパイ。
そういった可能性があったにも関わらず、彼女は即断即決で青年を信じて行動に移った。
その姿が青年には頼もしく感じると共に疑問にも映ったのだ。
「答えは単純です。貴方の瞳が
「だとしても、騙そうとしているとは……」
「それこそありえません」
そう彼女は断言した。
そして、廊下をかけながら彼女は青年の瞳を真っ直ぐと見て、微笑む。
「私は今の貴方のような眼をする子をよく知っています。真摯で誠実で裏表のない真っ直ぐな眼差し。だからこそ、見間違えるはずもありません」
彼女にとって、真摯で誠実な眼差しは最も見慣れたものだ。
なにせ、愛すべき弟たちにいつもその眼差しを向けられ、全幅の信頼を寄せられているのだから。
だからこそ、既視感を感じた。
だからこそ、信じるに値すると直感した。
「それに、仮に騙されたとしても問題はありません」
そう言って、可愛らしく微笑んでいた表情が小悪魔的なものへと変わり、
「だって、私は完全無欠最強無敵のヒーローですから」
ニシシ、と笑みを浮かべる彼女に青年は安堵を覚える。
ああ、彼女を頼って正解だった。
彼女がいてくれて良かった、と。
戦力的な意味合いや状況打破の可能性だけではない。
危機的状況下にあって尚、一般人を安心させようとする確固たる英雄像を体現する彼女だからこそ、己の運命を預けられると信頼できたからだ。
「頼りにしてるよ、ヒーロー!!」
二人が一室に辿り着く。
それと同時。
タイミングを見計らったかの如く内側から扉は開かれた。
「アタシの力が必要なんでしょ? 状況は全て把握しているから安心して頂戴」
「さっすが、話が早い!」
扉を開け放って現れたのは特務課第五班班員にして、凄腕のハッカーでもあるマシュであった。
彼ないし彼女はホテル内の監視カメラを利用して水上らの様子も把握しており、読唇術によってその会話内容すら読み取っていた。
だからこそ、己が為すべきことなど言われるまでもなく理解していた。
「
マシュは懐から取り出した絵筆で空間へ絵画を描いていく。
凄まじい速度で描かれたそれは巨大な水の龍となり、ホテルの内壁を食い破りながらホテル内の民間人を次々と喰らっていく。
しかし、それは彼らを傷つけるためのものではない。
水の龍が破砕するものはホテルの内壁内装のみで、飲み込まれた民衆たちは傷一つつかぬまま保護されている。
だが、なんの説明もなく放たれた紋章術に込められた意図を汲み取ることなどできない。
紋章高専生徒らは次第に迎撃を試みることだろう。
その前に水上は動いていた。
リヴァイアサンへと触れて、その身を同化させる。
動物格幻想種:スライムの紋章者である彼女にとって水とは身体を大きくする為の媒介でしかない。
逆に言えば、莫大な水がなければ七夜覇闘祭で見せたような巨体を形作ることはできないのだ。
故に、マシュの力を借りる必要があり、彼ないし彼女はその意図を明確に汲み取っていた。
『説明は後です。一先ずこの水は危害を加えるものではないとご承知ください。これより敵の攻撃が来ます。地下へ流しますので高専生徒や
水上は体内の水分を振動させることで直接声を届けると、尻尾を形作って一息に地盤を貫き、地下道へと繋げる。
そして、尻尾を介して有無を言わせず
「来るよ!!」
ラプラスの青年が叫んだ次の瞬間。
終末の未来は訪れた。
大地より芽吹いた巨木の顎によって、ホテルは飲み込まれ、噛み砕かれた。
だが、
「
ホテル内にいた者たちがその命をちらすことはなかった。
ホテル内部を砕いて巨体を築いていた水上は体内に取り込んだ民衆を傷つけぬよう、体表面のみを水蒸気爆発させることで内部から巨木の顎を粉砕してみせたのだ。
そして、ホテルの内で生まれた怪物は巨木の殻を破り、神代の森林地帯へと変貌したハワイの市街地へ産まれ落ちた。
「みなさん、気を引き締めて!! 本番はここからです!!」
ラプラスの青年が声を張り上げる。
眼下では
彼らの攻撃を受けて、その身に傷を負いながらもジェイルはその魔の手を伸ばす。
「随分と数を減らされちまったが、それでも優先すべきは弱者だってこと理解してんのかぁ!?」
ラプラスの青年らの働きによって避難民の大多数は地下道へと逃がされてしまった。
しかし、それでもまだ水上の体内には逃げきれていない避難民やそれを護らんとする者たちが百数十名と残っている。
紋章画数の増幅を狙い、眼前にいる捕食が難しい強者よりも、彼らが護らんとする弱者を狙うのは至極同然と言えるだろう。
ジェイルは神代の森林を操り、右腕に絡めて龍頭巨木のガントレットとして水上を捕食せんと喰らいかかる。
「理解しているとも。だからこそ彼はワシらへ協力を仰いだのじゃからな」
龍頭巨木のガントレットの牙は水上の身体へと喰らいついた瞬間、ボヨンっと弾かれてしまった。
概念格:弾性の紋章。
それは水上の紋章術によるものではない。
特務課でも、捜査班でもない。
戦闘経験など持たない。
されど己と大切な者を護る為にと奮起した、戦う意志を持った避難民の老人によるものだった。
「あぁ!? 民間人風情がなんで俺の攻撃を防げる!?」
ジェイルの攻撃には当然超克を発動させていた。
超克などできぬ一般人の紋章術など如何なる能力であろうが、捻じ伏せることができるはずだった。
しかし、
「ええ、確かに超克を使えない彼らでは貴方の攻撃は防げないでしょうね」
——だから、私が肩代わりしちゃった♡
「
水上の内にいる避難民の身体をよく見ると、それぞれ身体のどこかしかに黄色のマークが描かれていた。
マシュは避難民全員を水龍で飲み込んだと同時、彼らの身体にこのマークを刻んでいたのだ。
その効力は共通したマークを持つ者同士を意識的に結びつけるというもの。
それらを繋ぐのは紋章術という魔力を介したもの故、結果的に魔力的な
そして、超克とは己を疑わず、その強固な意志によって他の法則さえ
だからこそ、意識を共有してマシュが超克を肩代わりし、さらに足りない魔力も補うことで一般人にさえジェイルの攻撃を防ぐ紋章術の行使を可能とさせたのだ。
(だとしても、本来なら
ラプラスの青年は紋章術によって作り出した共有外の意識領域にて思案する。
国防の要である特務課の人員故に正確な情報流出を防ぐ為、ダミーの情報が流されていたというのならまだいい。
だが、もしそうでなかったのなら……、
(いや、今はそんなことより死の未来を回避することが先決だ)
脳裏によぎった最悪の可能性を胸の内に仕舞い込み、ラプラスの青年は死の未来を回避すべく、己が見た最適な未来への選択肢を共有する。
「ああ、次は俺の番だよな!」
——
バリッと雲にさえ届きそうな水上の巨体の更に上方より空気が焼けて弾ける音が聞こえた。
そして、その音が届いた頃にはもう遅い。
攻撃を弾かれて空中で体勢を崩していたジェイルは天から降り注いだ落雷によって撃ち抜かれた。
その威力は凄まじく、大地に底の見えぬ穴を穿つばかりか、余波で生じた莫大なソニックブームによって神代の森林を薙ぎ倒すほどであった。
その下手人の名は捜査班班長にして、自然格:雷の紋章者ルーク・スペンサー。
女性と見紛うほど線が細く、されどしなやかな筋肉を発達させた美丈夫であった。
赤色のシャツにぴったりとした黒のズボンは全体の印象を引き締め、首にはプレート状のシルバーネックレス。
右腕には極細の鋼糸で編まれた、艶消しが施された黒い包帯状の金属が全体を覆うように巻かれている。
腰で交差するように巻かれたベルトには、握り拳大の正方形の黒い金属塊が幾つかぶら下がっていた。
長く艶やかな金髪を揺らす彼は怒涛の勢いで畳み掛けていく。
「電磁砲身形成。供給電力二五〇〇メガワットオーバー。電熱による砲弾の形成……完了」
ルークは大空から地上に開いた大穴へ向かって落下しながら、腰につけた正方形の金属塊全てを電磁力で浮遊させ、両腕と共に前方へ突き出す。
金属塊は彼が放つ電熱によって即座に融解し、常温で凝固する特異な金属の性質を利用して形状変化を完了させる。
そして、砲身は既に彼の両腕の先から地上に空いた大穴へと電磁レールが敷かれている。
そこから放たれるは、ローレンツ力によって物体を高速発射する単純な機構にして最速の現代兵器。
「ぶち抜け、
天から地上へ放たれた神の鉄槌に次いで、人が築き上げた
瞬間。
オアフ島全土をマグニチュード6に相当する揺れが響き渡った。
そして、地下深くまで開いた大穴の底からまるで火山の噴火が如く舞上げられた土砂が噴き出す。
「射線問題なし! 直線方向に来たるべき敵影以外の生体反応なし!!」
一般の協力者であるスーツ姿のOLは自身の動物格:ニシキヘビの紋章を用いて前方の熱源をピット器官によって感知する。
本来の彼女では島の端まで届くほどの広範囲を感知することはできないが、今は水上の内部にいるもの全員がその魔力や意志を共有している状態にある。
そのことを利用して、概念格:拡張の紋章者である
そうして強化された彼女の熱源感知能力は前方数十キロメートルに渡って、誰もいないことを捉えていた。
先ほどまでは大穴の周辺にジェイルと交戦していた染谷ら高専生がいたが、水上の考えを察した彼らは即座に散開し、彼女の射線に入らないようにしていた。
そして、染谷だけは己の力が必要となると読んで水上の頭上へと駆け上がっていた。
「先の攻撃でも奴は死なない。それがレート7というものだ。だが、それを可能とする攻撃なら俺は既に見たことがある。……そうだろう? 水上君」
そう、水上の身体を駆け上がりながら一人呟いた染谷の背後にて動きがあった。
あれほどの猛攻を受けたジェイルが地下一〇〇〇メートルに至る大穴の底より飛び出してきたのだ。
その姿は血みどろでありながら、一切の傷はない。
どれだけの攻撃を受けようと、覚醒した動物格:ラーテルの紋章で耐えられる攻撃であれば天より降り注ぐ無限の魔力で癒し、無に帰すことができるからだ。
そんな彼の相貌には笑みが浮かんでいた。
久方ぶりの闘争。
紋章に愛されるあまり人類の尺度から逸脱した
生きているという実感が彼に笑みを作らせていた。
だが、その全てをラプラスの青年は読み切っていた。
無限の魔力の恩恵を受けるのは何もジェイルだけではない。
本来ならば全魔力を消費してしまう極大の紋章術であろうと、今ならばノーリスクで放つことができるのは水上らも同じであった。
「
前方にはジェイル以外の生体反応はない。
だからこそ、水上は全霊を振り絞った最強最大の一撃を解き放った。
それは、莫大な水蒸気爆発。
イタズラに放てばオアフ島そのものを消滅させるほどの埒外の破壊。
だが、この場にはその無法を許さぬ者がいる。
後輩を導き、その背を押して支える優しくも頼もしき学生会長の姿が水上の頭上にて見えた。
「安心するといい。君たち後輩の無茶を支えるのが私の役目なのだから」
——
無秩序に放たれるはずだった水上の水蒸気爆発は染谷の紋章術によって収束され、一本の槍と化す。
その一撃はもはや、七夜覇闘祭で見せた絶対的な蹂躙を児戯と思わせるほど。
レート7上位クラスにさえ届き得る破壊の槍がジェイルに迫る。
だが、
「やっと、戦いらしくなってきたじゃねぇか」
その破壊の奔流を前にしても、
「ああ、最高だ」
ジェイル・グランツはただ、愉し気に笑っていた。
そして、破壊の奔流はジェイルを飲み込み、その勢い止まらず水上の前方に広がる全てを抉り飛ばした。
その先にはもはや何も残らず、オアフ島に刻まれた深い傷跡を埋めるように流れ込んできた海水が新たな湾を形成していた。
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