第148話 上位妖精種




 紋章高専生徒らが宿泊していたホテル。

 そこには数多の避難民が集まり、肩を寄せ合って事件の早期終息を願っていた。


「お母さん、大丈夫だよね?」

「大丈夫よ。みんな懸命に戦ってくれてる。だから、私たちは彼らの勝利を信じましょう」

「……うん」


 肩を寄せ合い、不安に震える親子がいた。


「なぁ、俺たちも戦った方がいいんじゃ……」

「バカを言うな! ……素人が立ち上がったところで無駄な死者を増やすだけじゃ。今はただ、彼らを信じるしかない」


 拳を挙げて立ちあがろうとする若者をいさめ、立ち上がりたい気持ちを拳を握って押さえ込む老人がいた。


「怖いよな。不安だよな。ごめんな。俺には君の手を握ってやることくらいしかできない。だけど、ずっと一緒にいるからな」

「ありがとう。怖いし、不安だけど、……それでも貴方が一緒にいてくれるだけで、大丈夫って思えるよ」


 不安と恐怖で震える彼女の手を握り締め、その不安を少しでも和げんとする若者がいた。


 その場にいる誰もが、今も戦い続ける彼らの勝利を信じていた。


 だが、


 そんな彼らを喰らわんとする獣が、


 市街地の路地からホテルを眺めている。


「さぁて、食事の時間だ」


 元懸賞金56億7500万円の怪物、ジェイル・グランツが虎視眈々こしたんたんとホテル内に潜む数多の獲物へ狙いを定める。


 だが、獣が獲物を狙う時。

 その最大の隙を狙うのが狩人という生き物である。


——制限解除/極点超越躍動リミテッド・ゼロオーバー!!!!

——軌跡残らぬ極星疾走ドロメウス・アステール!!!!


 左右の民家の屋根上から流星が如く飛来するは二つの牙。

 大英雄アキレウスの全霊を込めた槍による刺突。

 生物の限界さえ突破した狩人の爪による斬撃。

 両者の牙が隙を見せた獣へ叩き込まれる。


 しかし、


「効かねぇな。テメェらの牙はそんなもんか?」


 風早と宍戸の矛はジェイルの肩へ届いたが、その柔軟な皮に受け止められてしまっていた。


「ッチ!!」


 だが、想定通りではある。

 相手がレート7の怪物であることは敵を観測したマシュからの情報によって理解している。

 遥か格上の怪物にこの程度の攻撃が効かないことなど、蘆屋道満との戦いで嫌というほど思い知らされている。


 故に、これは二の矢を当てる為の囮でしかない。

 彼らが超スピードで退避すると同時、彼らの背に隠れた第二撃が飛来する。


——鮮血魔弾レッドバレット

——空凪からなぎ


 初めに感じたのは強化された肉体さえ焼き焦がす熱と息苦しさ。

 そして、確かに攻撃を受けているにも関わらず、それを視認できない不可解さ。

 だが、その疑問を解き明かす時など与えるはずもなく、間髪入れず両眼に四発、四肢の関節へそれぞれ二発ずつ、胸部、股間へ五発。

 合計二十二発の弾丸が撃ち込まれた。

 

「…………ッッチ!」


 ジェイルは即座に全身へ魔力を回し、強化することで弾丸を弾き返す。


 しかし、


「咲き誇れ、黒き荊ブラックバカラ


 弾丸は着弾と同時に弾け、赤黒いイバラとなってジェイルの全身を縛り挙げる。


 そして、物陰に隠れていた篠咲がジェイルを縛る黒き荊を硬化させる。

 

「(水素の燃焼を利用した見えない炎で酸素を奪われた上に拘束……)これは、策にハマっちまったか……」


 水素の燃焼反応は目視できない上に高温だ。

 とはいえ、それだけでダメージを与えられると日向は考えず、あくまで酸素を奪うことに焦点を当てていた。

 そして、その目論見は見事功を奏した。


 周囲の酸素が眼に見えない炎によって燃焼され、酸素欠乏症を発症し、朦朧もうろうとする意識の中でジェイルは漸く己が追い詰められている事実に気づく。


 だが、時既に遅し。


 最速の狩人二人風早と宍戸は最後の決定打を送り届ける。

 レート7に相応しき無敵の防御力さえも斬り裂く二つの刃。


 即ち、

 

 並行世界より斬撃を一つ所へ収束させ、事象崩壊現象を引き起こす必滅の刃。

 

 開闢の光と呼称するに相応しい暴虐の嵐さえ斬り伏せた究極の一刀。


白斂びゃくれん霹靂雪華へきれきせっか!!!!」

「柳生一刀流“天晴てんせい”!!!!」


 二つの斬撃が、今度こそレート7の怪物を両断してみせた。

 両肩から脇腹へクロスに斬り裂かれたジェイルは血飛沫を噴き上げる。


 それを見て誰もが勝利を確信し、安堵する。

 誰が見てもその傷は致命傷で、確実にその命を刈り取っている。


 しかしそんな中、熱量を感知できる日向ただ一人だけが生命の温もりが失われていない事実に気づき、顔面を蒼白にして叫んだ。


「ダメ!! まだ終わってない!!!!」

「人権が剥奪されてるからって殺人に一切の躊躇ためらいがねぇとは、殺しの才に溢れてるじゃねぇかヒヨッ子ども」

 

 クロスに両断されたはずのジェイルは鋭い牙を想わせる殺気と共に眼前にいる柳生へと殴りかかる。

 レート7に相応しき音速など遥かに越えた速度。

 轟音と共に放たれたその拳は柳生の顔面を狙い違わず撃ち抜く。


「柳生新陰流勢法“まろばし”」


 だが、その動きを冷静に見切った柳生は、ジェイルの拳を刀の円運動で受け流す。

 腕を斬り裂かれながら、拳の勢いそのままにジェイルは民家へと吹き飛んでいった。


 そして、そこへ追撃をかけるは日向夏目。


迸る紅き灼光ソーラーフレア!!」

 

 地に着けた彼女の両手から放たれた純白の炎は地下を通り、ジェイルが吹き飛ばされた民家の直下から噴き出す。

 莫大な熱量は制御されて尚、周囲の建物を融解させるほどの熱量を持っていた。

 

 だが、


「躊躇いがねぇのは評価できる。だがな——」


 数千万度に及ぶ灼熱の炎の中、悠然と佇む影が見える。


「俺はテメェら新参者ニュービーとは違う。生粋の魔術師にして、古来より人類史の影で生きてきた上位妖精種ハイエルフの生き残りだ」


 ドロドロに融解し、液状化した大地に波紋を残して歩みを進めるジェイル。

 灼光に包まれていたその姿が現れる。

 

 襟足を伸ばした銀髪に、猛獣が如き鋭い目つきの整った相貌。

 逆三角形の理想的な筋肉の鎧に刻まれたはずのクロスの傷はその影もなく見当たらない。


「嘘……だろ……。攻撃は確かに通っていたはずだ。なのに、なんで傷が残ってないんだよ……!?」


 宍戸はジェイルに深く刻まれたはずの傷が既に癒えていることが信じられず驚愕の声を挙げる。


「頑丈な動物格の覚醒者な上、魔術適正に優れた上位妖精種ハイエルフが恵みの雨から無限の魔力を得てんだ。どんな攻撃を受けようと即座に魔術で癒せる。テメェらが何をしようが意味ねぇよ」


 そう言ったジェイルは憐れみさえ孕んだ侮蔑の笑みを浮かべる。

 だが、それも無理はない。


 天より降り注ぐ無限の魔力を与える恵みの雨と高い魔術適正を持った上位妖精種ハイエルフの相性はまさに鬼に金棒であった。

 彼の言葉通り、どのような攻撃を受けようとも、動物格由来の頑丈さで生きながらえ、天性の魔術適正による治癒魔術で即座に傷を癒すだろう。


 ジェイルが自ら明かした事実にこの場の面々は一様に絶望を突きつけられる。


 けれど、それでも彼らは折れない。

 彼らの瞳は今なお眼前の敵を捉えて離さない。


 本当に上位妖精種ハイエルフなどという種族が実在するのか、ブラフではないのか。

 そんなくだらないことに思考は割かない。

 妖怪だってこの眼で見たのだ。

 妖精だっていてもおかしくはない。

 その眼で見た真実だけを噛み砕き、常に価値観を更新しながら誰もが打開策を模索する。


 そして、染谷はその真実を冷静に見抜いた。


(いや、違う。あの攻撃は確かに奴にダメージを刻んでいる。だからこそ、奴は先まで隠していた上位妖精種ハイエルフとしての姿を見せてきたんだ)

 

 今までは認識阻害の術でもかけていたのだろう。正しく認識できていなかった彼の瞳の色・・・とその背にあるもの・・・・・・が、今は正しく認識できる。


 黄金が入り混じった深緑の瞳。

 妖精種の象徴たる半透明で、光の加減により七色に輝くはね

 そして、まるで血を啜ったかのように赫黒く染まった翅に刻まれた葉脈のような紋様。


 今まで隠していた手札を晒したという事実は、彼へダメージを刻んだという事実を証明した。

 故に、染谷はジェイルが提示した絶望を真っ向から否定してみせる。


「ならば何故その姿を晒す羽目になった? 認識阻害の魔術を保てなくなるほどにダメージを受けたからだろう。貴様は致命傷の基準が尋常でなく高いが、それでも殺すことができる一つの生命に過ぎない」


 染谷が突きつけた事実にジェイルは浮かべていた笑みの種類を変える。

 憐れみさえ孕んだ侮蔑の笑みから、歯応えのある獲物を見つけた肉食獣の笑みへと……。


「へぇ、良い観察眼してんじゃねぇか」


 己が突きつけたブラフを見抜き、か細くも確かにある一筋の希望を見つけた若人たち。

 それは、彼の闘争本能を刺激するに足るものであった。


「悠長にしてる暇はねぇんだが、ちぃっとばかし遊んでやるよ新参者ニュービーのヒヨッ子ども!!!」


 ジェイルは歯を剥き出し、獰猛な笑みを浮かべて全身から悍ましい程の殺気と魔力を解き放つ。


 敵はかつて戦い、手も足も出なかった蘆屋道満と同じ位階レート7に位置する怪物。

 蘆屋道満と比べればその実力は遥かに劣るであろうが、それでも今の彼らとの間には隔絶した実力差がある強者だ。


 しかし、だからこそ彼らは誰一人として諦めずに立ち向かう。

 彼らの背後には護るべき人々がいる。

 彼らの勝利を願う人々がいる。


 故に、彼らは覚悟を決めた。

 今ここで、限界を越えて打ち勝つ覚悟を。



    ◇



 そんな彼らの勇姿を、雨戸は一人、ホテルの窓際で戦いの様子を見守りながら祈っていた。


「お願い。みんな、死なないで。みんなで勝って、また一緒に笑おうよ」


 大切な人が死ぬかもしれない不安に押し潰されそうになる。

 紋章高専生だというのに何もできない己の実力不足に嫌気がさす。

  

 だからこそ、彼女はまたみんなで笑い合える時を想い描き、心の底より心血を注いで祈り続ける。

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