第143話 先輩としての在り方



 

 各地で戦闘が勃発する中、凍雲いてぐもを始めとした特務課第二班、第五班のメンツも事態終息のために動いていた。


「こちら凍雲。ポイントC-1に潜む全脱獄囚を捕縛。転送を頼む」

『了解。脳内に敵の位置を送りますので、引き続き制圧をお願いします』


 観光名所であるアロハ・タワーがある沿岸部に潜む脱獄囚を制圧した凍雲は糸魚川いといがわへ連絡を取って捕縛した彼らを引き取らせた。


「本当に方舟はこぶねの防衛に回らずに問題はないのか? 異空間にあるとはいえ、油断はできんぞ」

『大丈夫です。問題はありませんよ』


 その言葉をもって通信は終了した。

 だが、凍雲は糸魚川のその言葉が嘘であることを即座に見抜いていた。


 問題は……ある。

 では、その問題とはなにか。

 人手不足、住民への被害状況、新たな脅威の発生。

 パッと思いつくだけでも幾つかあるが、恐らくは方舟内部への敵の襲撃だろう。


 異空間に身を潜めて、外界からの干渉を無効化する糸魚川の方舟は無敵の居城だ。

 しかし、脱獄囚の中にはレート7の怪物も存在する。

 彼らであれば、異空間に干渉する術を持ち合わせていても不思議ではない。

 

 とはいえ、そもそも特務課班員の紋章に関する情報は機密事項であり、七夜覇闘祭出場者だけが概要を知られている程度。

 その詳細までは謎に包まれているが故に、糸魚川がどのような紋章を持ち、どのようなことができるかは世間的には知られていないはずなのだ。

 つまり、それを知っているのは内部にいた人間以外にあり得ないということだ。


(ザンド……)


 彼の脳裏に浮かぶは、かつての仲間であり、力を育んでくれた師であり、あの日決定的に決別した友の姿であった。


 十中八九この予想は当たっている。

 奴ならば、糸魚川の紋章の厄介さを熟知しており、身を潜める為には真っ先に彼を潰さなければならないと理解しているからだ。


 だが、同時に命までは取らないことを彼は確信していた。

 ザンドが憎むものは『悪』だ。

 民を護る『善』である糸魚川が殺害される可能性は万に一つもない。

 それは糸魚川自身も理解しているからこそ、凍雲に救援を頼まずに、“問題ない”と答えたのだろう。


 だからこそ、凍雲は糸魚川の救援には向かわず、彼の覚悟に応えるべく、引き続き脱獄囚らの制圧に向かう。


(あの気弱で弱虫な糸魚川が『大丈夫』と言ったのだ。ならば、俺は仲間として、その言葉を信じるのみだ)


 仲間を見殺しにする冷血漢と罵られようとも構わない。

 気弱な後輩が初めておとこを見せたのだ。

 信じて後を任せるのが先輩としての在り方というものだろう。

 


   ◇



 異空を漂う方舟はこぶね内部。

 糸魚川いといがわはコントロールパネルを操作して、ディスプレイに表示される敵の位置を脅威度別に、逃げ遅れた住民の位置を優先度別に仕分けして実働部隊の統制を行っていた。


「ウォルターさん、ポイントB-2ダニエル・K・イノウエ国際空港内部に脱獄囚多数。内35名がレート6以上。レート7脱獄囚レイモンドの反応も見られますので、天羽あもう班長と共に十分注意して制圧に向かってください」

『ウォルター、了解』

『天羽、了解。こっちは任せて』

ジンさん、ルミさんは避難所の護衛を。周辺にはレート7脱獄囚、ジェイル・グランツの姿も確認されています。充分注意してください」

『静、了解』

『ルミ、了解』

「マシュさんはオアフ島全土の監視カメラをハッキングし、脱獄囚の補足とみんなのサポートをお願いします」

『マシュ、了解したわ』


 ディスプレイの表示を高速で切り替え、それぞれに適切な指示を出していく。

 とはいえ、作業量はそれほど多くはない。

 脱獄囚のおよそ九割は監獄内部及びその周辺にて影の王ザンドによって殲滅され、外部に流出した脱獄囚は実力こそ粒揃いであれ、数はそう多くない。

 避難住民にしても、浅井、瀬戸、捜査班アンダーグラウンドの尽力によってじきに避難が完了するであろう。

 

 故に、糸魚川は緊張の糸を緩めて少しばかり小休憩に入ろうかと身体の力を抜いた。


 その時だった。


 ゾクリッと背筋に走った嫌な感覚に従って椅子から転がり落ちるようにその場を離れる。


「相変わらず勘はいいな。だが、そう警戒する必要はない。厄介であれど、悪ではないお前を殺すつもりはないからな」


 椅子の影から滲み出すように二人の人物が現れる。

 一人は黄金のような髪を足下まで伸ばした女性。

 両の目は七色に輝いており、その身には囚人服ではなく、クリーム色の修道服を纏っているレート7の脱獄囚、天上院てんじょういん輝夜かぐや

 

 もう一人は、袖がダボついた、全身のシルエットを隠すようなロングコートにフードを被り、顔には右の目元部分が割れて、白目が漆黒、黒目が夕焼け色に彩られた瞳を覗かせるペストマスクをつけた、素顔も性別さえ不祥のレート7脱獄囚、ザンド。


「ハ、ハハ。やっぱり来ますよね。近いうち、身を潜める為にぼくを狙ってくるだろうとは予想していましたよ」


 糸魚川にとって、この事態は予想できていたことだった。

 ザンドは元特務課第五班所属の犯罪者。

 特務課職員の紋章を熟知しているからこそ、敵の正確な位置情報を補足できる己を狙ってくるであろうことは予想できていた。

 

「予想していたという割には震えが止まらない様子だが? それに、迎撃の用意もできていないように見える」


 ザンドの言う通り、糸魚川は地べたに尻餅をついて恐怖で震えていた。

 ザンドが特務課職員の紋章を熟知しているのと同じく、糸魚川も彼の規格外の強さを熟知しているからだ。


「そりゃあ、あなたを前にしたら震えを止めることなんてできませんよ」


 糸魚川はガクガクと震える膝を押さえつけて、無理矢理立ち上がる。

 恐怖で引き攣る表情を、笑みを浮かべて誤魔化す。


「それに、迎撃準備なんてそもそもしていません。今、割ける戦力であなたを迎撃することなんて絶対にできませんから、そんなものは無駄でしかない」


 オアフ島を襲う脅威はザンドだけではない。

 脱獄囚の中にもレート7の脅威はいるし、天から降り注ぐ恵みの天災から避難住民を守る必要もある。

 割こうと思えばある程度の人員を方舟の防衛に回すことはできたが、そんなものはいたずらに犠牲を増やすだけの愚行でしかない。


 だからこそ、必ずくる絶望を前提として糸魚川は動いていた。


「だから、ぼくはあなたが来るまでに全ての仕事を終わらせることにしたんですよ」

「なるほど。己の敗北を前提として、戦場における勝利を優先したか。……成長したな」


 ザンドは元後輩の成長を喜び、ペストマスクの下で表情を緩める。

 今は信条の相違によって対立関係にあるとはいえ、それでも面倒を見てきた後輩が成長する様は嬉しかったのだ。


「ぼくにも、後輩ができたんです。だから、いつまでも震えている弱虫のままじゃいられないんですよ!」


 脳裏には、実力も精神的にも、己より遥かに強い後輩八神の姿を浮かべる。

 今までは一番の後輩として、周りに助けられ、甘えていられた。

 だけど、彼女という後輩ができた以上そうも言っていられない。


「だが、その後輩は死んでしまったようだが?」

「生きてますよ、彼女は」


 ザンドの言う通り、護るべき後輩である八神は狂嗤う道化クレセント・クラウンが一柱、ジョーカーの手によって殺害された。

 その後、かろうじて蘇生を果たしたとはいえ、未だその意識は戻らず、ルシファーが身体の保護を請け負っているのが現状だ。

 常軌を逸した魔力感知によってその事実を知り得たザンドはもちろん、方舟からオアフ島全域を観測していた糸魚川もその始終を把握していた。

 

 しかし、それも全て織り込み済みだ。

 糸魚川はあえて八神の死を見過ごした。

 そして、その後の復活を信じたのだ。


「彼女の身体が特別なものであることは知っていましたから。死の淵から這い上がることができると確信していました」


 これは彼と彼の協力者の二人だけが知る真実。

 方舟の解析能力によってつまびらかにして、今もなお誰にも明かしていない事実。

 彼女の身体にはある人物の血統因子が組み込まれていたのだ。


「その内に眠る力を目覚めさせるには明確な死を体験させる必要があった。だから、あえて見殺しにしたんです」


 デリットアジトにて、八神はアルテミスの砲撃によって跡形もなく消し飛んだ。

 しかし、それでは細胞一つ残らなかったが故に血統因子は作用せず、その力が目覚めることはなかった。

 だから、今回の事件を機に彼は八神を身体が残る形でもう一度殺すことを決意したのだ。

 

「力を目覚めさせる為だけに大切な後輩を見殺しにするか。それが彼女の為だと?」

「ええ、ぼくには未来を見る力はありませんが、厄災を予知する力はあります」


 それは、神話の時代、人類を洗い流す大洪水のお告げを授かったノアの紋章者としての力。

 明確なビジョンは見えないが、必ず訪れる厄災を予知して、その対策を練ることができる力だ。


「この世界を護るため、彼女自身が未来を生き抜く為、彼女には文字通り死力を尽くしてもらう必要があった」

「それが、お前が描く先輩としての在り方か」

「ええ。後輩の力を信じて、越えられる試練を与える。そして、死に物狂いで頑張る後輩の為に、後方で死力を尽くしてその背を支える。それが先輩ってものでしょう?」


 そういって、糸魚川はディスプレイにある映像を映す。

 それは、太平洋沖を超高速で飛行するとある人物の映像。

 その瞳は結膜が黒く染まり、角膜は赤みを帯びた金色という異形のもの。

 身体の要所と手足、肩には日輪の如く輝く黄金の鎧。

 その内には漆黒の衣を纏い、それら全てを黒き闇のようなファーコートが覆い隠す。

 そして、耳には日輪を抽象した耳輪。

 

 生来より纏う日輪の輝きを具現化した鎧——『日輪は生誕を言祝ぐスーリヤ・パドマ・チャクラ』——を纏った完全なる臨戦態勢にて人類史上最強の紋章者、朝陽昇陽あさひしょうようが糸魚川の緊急信号を受け取ってオアフ島へと向かっていた。


「…………来るか」

「苦労しましたよ。関係各所に連絡を取ってあの人の出撃許可を得るのは」


 ディスプレイを一瞥いちべつしたザンドは再び糸魚川へと視線を戻す。

 そして、久方振りの敗北の味を噛み締める。


 彼の仕事は事実全て終えていた。

 オアフ島にいる敵の所在地は仲間へ全て伝えた。

 逃げ遅れた住民の位置も伝え、避難も直に完了する。

 八神の行動を管理し、彼女の力を目覚めさせる手助けも終えた。

 そして、全てを解決する圧倒的な戦力の投入を可能とした。


 ここまでされては、こと情報戦においては完全敗北だとしかいえないだろう。


「完敗だ。お前の矜持、見事だった」

「……後はまぁ、信じて託しますよ」


 方舟を黒き影が蹂躙する。

 仲間を、愛すべき後輩を、誇るべき英雄を信じて託した方舟の主人は静かな笑みを浮かべ、影に飲み込まれた。



   ◇



——朝陽昇陽到着まで、あと一時間。

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