第140話 臨界者
「そうか。どうも違和感があったが、その正体がこれか」
ザンドは変貌を遂げたルーカスの姿を見て合点が入った。
彼と相対していて、身体強化以外に魔力を用いた痕跡が見受けられなかったのだ。
普通なら気づくことなどない。
それこそ、ソロモンや蘆屋道満のような術理において他の追随を許さぬ超越者ならば話は別だが、普通は魔力の痕跡を感知することなどできないはずだった。
けれど、彼は人類史上最も紋章に愛された者。
故に、彼の術技に一切の魔力が介在しないことを肌で感じ取っていたのだ。
「さぁ、ここからが本番だ。ギア……、上げてくよ」
「生憎と、お前と遊んでる程ワタシは暇じゃない」
ルーカスが魔剣グラムを構えて飛び出そうとした直前、徐に己の影を起き上がってきた。
彼は迷わず起き上がった己自身の影を両断しようと魔剣を振るうが、その一太刀は火花を散らして受け止められた。
「影法師、その影はお前自身と同等の力を持つまやかしだ。精々
「ちょ、待てって!! 逃げるのか!」
無数の剣戟を己の影と繰り広げながらもザンドを挑発するが、彼は一切聞く耳を持たず立ち去ろうとする。
「ッチ!!」
影法師が己と同等の力を持つというのは本当のようで、本気の剣戟を浴びせても全て受け止められてしまう。
故に、ルーカスは大技をもって一撃の下に吹き飛ばすことにした。
——
ルーカスの携える魔剣が放つ蒼銀の光が一際強くなる。
それと同時、影法師が持つ漆黒の魔剣も同様の光を放ち出した。
「ま、さか……ッッ!!」
ルーカスは驚愕を振り払い、全力で魔剣を振るう。
ルーカスによる上方からの振り下ろし。
影法師による下方からの振り上げ。
竜の心臓から生み出された無尽蔵にして莫大な魔力を乗せた両者の一撃が正面から激突する。
結果は全くの互角。
周囲の木々を吹き飛ばし、地盤を捲り上げ、路上駐車されている車を紙吹雪のように舞い飛ばして二つの銀光は激しく鍔迫り合う。
「メイベル!!」
「言われずとも分かってる!!」
このままでは埒が開かないと判断したルーカスはメイベルに託すことにした。
そして、彼に託されるまでもなく動いていた彼女は爆炎を推進力として加速し、ザンドへ急接近。
両腕に貯めた莫大な魔力を叩きつけるように、超至近距離で最大威力の爆撃を繰り出す。
——
それはただの爆発ではない。
たった一撃で数万、数十万の生命を葬る人類が生み出した最も忌まわしき兵器。
核爆弾と全く同一の爆発であった。
超克によって捻じ曲げられ、制御された核爆撃は寸分の狂いなくザンドだけを破壊する。
広島に投下された核爆弾と同等の威力を人一人分の範囲に凝縮した一撃は本来の数千倍〜数万倍の威力をもって対象を焼き尽くす。
仮に生き残れたとて、放射能がその身を芯から犯し尽くす。
しかし、
「威力は申し分ない。だが、魔力を主体とした攻撃がワタシに通じるはずもないだろう」
広島原爆の数千倍〜数万倍の威力を誇る制御された核爆撃さえ、ザンドには通じなかった。
爆炎から覗くザンドの姿には傷一つなく、唯一彼が着けているペストマスクの右の目元だけが欠けていた。
その僅かな隙間からは白目が漆黒に染まり、黒目が夕焼け色に輝く瞳がのぞく。
その瞳を見て、メイベルは薄々感じていた予感が的中したことに内心で舌を打つ。
「やはり、臨界者かッ!!」
「分かりきっていたことだろう」
魔力放出で加速した眼にも止まらぬ速さの拳がメイベルの鳩尾を撃ち抜く。
一切の無駄なく制御された魔力放出はその全てが力へ転化しており、最高効率を叩き出した拳は絶大な威力を持っていた。
直線上にある木々を軒並みへし折り、幾つもの建物を破砕して尚勢い留まらず、遥か彼方にあるワイキキビーチの沖合まで吹き飛ばされた彼女はダイヤモンド・ヘッドからでも窺い知れる程の巨大な水飛沫を上げて沈黙した。
「脱獄犯どもを駆逐する必要はあるが、その前に一度姿を眩まして身を潜めるべきか」
アメリカの最高戦力を退けたザンドは、目的を果たすためにも今は追撃を避けることに専念した方が賢明だと判断し、その身を影へと沈めて何処ぞへと姿を消した。
◇
足下にはネズミや害虫が這いずり回り、吐き気を催す悪臭が鼻腔をくすぐる下水道。
ザンドの追撃から逃れた、世界最大の軍需企業でもあるアトランティスの尖兵にして、数多の
「ディアス様、脱獄犯のおよそ七割がザンドの手によって粛清されました」
『そうか、少々予定外ではあるが支障はないとも』
ジルニトラが己に搭載された通信装置にて連絡を取る相手はアトランティスのトップであるバルトロメウ・ディアスだ。
『彼らの役割は“ハワイという場に悲劇を振り撒く”ことにある。彼らが悲劇を引き起こそうが、彼らに悲劇が訪れようが、結果的にハワイという場が悲劇の舞台になればそれで問題はない』
バルトロメウがハワイ地下大監獄の囚人たちを解放させたのは、大混乱を生むためでも、取り込んで戦力にするためでも、貴重な紋章を奪い取って兵器化するためでもなかった。
その真意はハワイというキャンパスを悲劇で塗り潰すことにこそあった。
「それに一体なんの意味が?」
『ようは、どれだけ悲惨な舞台を作りあげられるかだよ。民間人が多数死ねば最良ではあるが、脱獄犯らが多数死んでも、彼らの死体が悲劇の下地となる』
民間人が多数死ねば悲劇となるのは当然のことだろう。
だが、悪である脱獄犯が多数死んでも、その血はハワイの地を染め上げて、悲惨さを演出する要素にはなるのだ。
『脱獄犯の血に染まったハワイを見て、多くの一般人は命を助けられた事実ではなく、よりインパクトの強い悲惨な現状へと注目して恐れを抱く』
生まれてこの方、戦いなど経験したことのない一般人はその血が誰の者であろうと恐れを抱くものだ。
そしてそれは、当事者に限らず、映像を通してハワイで繰り広げられる悲劇を目の当たりにする外部の人間にしても同様に言える。
『そうした怯えは真の敵を曖昧にし、護る為に最善を尽くしたはずの味方へ向ける矛となる』
「つまり、現状のハワイが悲劇の舞台となれば、日本とアメリカの国交にも影響が出る他、国民からの責任追求という形で内圧をかけることができる……、ということですか」
『そうだな。……私の真の目的はそこではないがな』
バルトロメウはジルニトラの推測を肯定した上で、それを否定する。
だが、それに狼狽えることなく、ジルニトラに搭載された演算装置は即座にその答えを導き出した。
「……なるほど。日本とアメリカの関係性に支障が出るほどの悲劇を巻き起こし、そこへ我々が一石を投じることで彼らの共通的な敵となるのですね」
『そういうことだ。だが、この場で動くことは得策ではない。今はまだ潜伏していろ』
意図は不明だが、バルトロメウは全世界と一戦交えることを望んでいる。
何故、そのようなことをする必要があるのか。
勝算はあるのか。
彼の優れた演算能力を持っても、バルトロメウの意図は読めないが、彼はそれでいいと考えていた。
その道の先が栄光であろうと、破滅であろうと関係はない。
所詮ただ一つの兵器に過ぎない己は主の命を全うするのみ。
それを思考停止や依存と謗られようとも、彼は彼の意志でそう決めたのだ。
故に、彼に否はない。
ただ一つの決意を胸に、己が使命を全うするのみ。
「承知しました」
そこで通信は終了し、ジルニトラは目的を果たすべく再び下水道内を歩み始めた。
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