第139話 虐げられる弱者を護るため




「討ち漏らしは五十六人か」


 日光に焼かれて炎を上げる影なき者たち。

 ハワイ大監獄へ繋がる洞窟を抜け、展望台へ続く道へ出た彼らは影を奪われたが故に、陽射しに焼かれて苦しみ悶えながらその生涯を終えていた。

 至る所で炎に包まれた遺体が転がる中、ザンドは悠々とふもとへ向けて足を動かす。

 

 彼の魔力感知技術は常軌を逸している。

 オアフ島にいる全人口の事細かな位置を把握することさえできるのだ。

 故に、逃走した脱獄囚たちの居場所も手に取るように把握していた。


「いや、五十七人だったか」


 だが、そんな彼でも正確には把握しきれない例外がいた。


「上手く隠れていたつもりだったのだけどね」


 ダイヤモンド・ヘッドの麓にある駐車場。

 その一角で車の影から両手を上げて、観念した様子で一人の女性が出てきた。

 女性は黄金のような髪を足下まで伸ばしていた。

 両の目は七色に輝いており、その身には囚人服ではなく、クリーム色の修道服を纏っていた。

 しかし、シルエットを曖昧にする服装であっても分かるほど、彼女の肉体は豊満であり、魅力に溢れていた。


「ワタシが周囲へ放った魔力波と同調することで上手く躱したようだが、気配を断ち切る技術は少々未熟だったな」

「仕方がないわ。人々を救う救世主として、目立つことこそあれ、人目をはばかって隠れたことなどなかったもの」


 彼女こそがハワイ大監獄にて収容されていた八人目のレート7の囚人。

 その名は天上院てんじょういん輝夜かぐや

 迷える人々を言葉で救い、彼女に宿る概念格:肯定の紋章によってその願いを叶え続けてきた民衆の救世主。

 そして、三大宗教にさえ匹敵する規模の宗教団体へと成り上がった新興宗教の教祖である。


「私も彼らのように殺されてしまうのでしょう? 貴方に勝てるとも、逃げられるとも思えないし。どうせなら痛みのないよう一思いにお願いね」


 レート7に位置こそすれど、他の囚人たちと異なり、彼女は世界への影響力や紋章の危険性からその危険度を制定された。

 故に、彼女の実力だけでいえば、確かにレート7相当の実力はあるのだが、その位階は下位に位置し、ザンドには遠く及ばないのだ。

 

 だからこそ、彼女は逃げることも、抵抗も諦めて、目を閉じて己の最期を待っていた。


 だが、……その時は一向に訪れることがなかった。


 ふと、閉じていた眼を開くと、ザンドは黒のロングコートを揺らして彼女の横を抜けて、背後へ立ち去っていた。


「見逃してくれるの?」

「ワタシが殺すのは悪だけだ。祭り上げられた挙句、下の者が勝手に世界へ牙を剥いたが故に悪と見做みなされたお前は悪ではない」


 天上院が監獄へ収容されることとなったのは、信者たちの暴走によるものだった。

 彼女こそが神であり、世界は彼女の下に一つとなるべきだ。

 その考えのもと、信者たちは教祖である彼女の意思も顧みず、自己の意思で武力による領土侵攻を繰り返したのだ。

 その結末として、信徒の想いとは裏腹に、教祖である彼女が主犯であるとされ、監獄へと収容されることとなったのだ。


 ザンドは元特務課の人間として、その事実を知るからこそ、彼女が悪でないことを理解していた。

 彼からすれば彼女は断罪すべき悪ではなく、むしろ……


「なら、貴方に着いて行ってもいいかしら? また捕まるのも、誰かを救って教祖に祭り上げられるのももうごめんだから」


 そう言って彼女はザンドのコートの裾を掴み、不安気にペストマスクで隠された彼の目を見つめる。


 彼女には特務課から逃げ延びるだけの実力はない。

 よしんば逃げられたとしても、人々を救う性分を捨て去ることなんてできない。

 困っている人がいたならば、彼女は目立つことになるのを承知の上でその者を救ってしまうだろう。


 だからといって、また困ってる人を見つけては救う内に宗教組織が誕生するなんてことはもうごめんだ。

 だからこそ、彼女は己を護ってくれる存在を欲していた。

 

「…………ハァ、好きにしろ」


 彼女を同行させても、護る対象ができてその分行動を制限されるだけで、裁かれぬ悪を裁く彼の目的を阻害する要因にしかならない。


 しかし、彼が悪を裁くのは虐げられる弱者を護るためだ。

 その本質を見失わず、保ち続けている彼は面倒ごとだと自覚しながらも、彼女を見捨てることなどできるはずもなかった。


「ええ、これからよろしくお願いね。私のナイト様!」


 不安気だった表情から一転、花咲くような笑みを浮かべる天上院。

 そんな彼女の笑顔を見て、ザンドはペストマスクの奥に隠れる口角が上がるのを自覚する。


(ああ、そうだ。ワタシはこの笑顔を護るためだからこそ戦える)


 悪を裁くことはあくまで手段に過ぎない。

 悪なき平和な世界など過程でしかない。

 その先にある人々の笑顔という目的を果たす為に彼は戦い続ける。


(さて、まずは脱獄囚らを殲滅しなくてはな)


 彼は手始めにオアフ島にて散り散りに逃げた脱獄囚らを追う。


 そうして歩みを再開した瞬間、足下が爆炎に包まれた。


 轟く轟音と衝撃波。

 巡航ミサイルにさえ匹敵する爆発はたった一撃で駐車場を粉々に粉砕した。


 そして、襲撃はその程度で収まることはなかった。


 突如、世界が暗転する。


 光一つ見えぬ閉ざされた暗黒が支配した刹那の後、莫大な光の柱が先の爆心地へと降り注いだ。


 オアフ島全域を揺らすほどの衝撃波が吹き荒れて、駐車場の周囲にあった木々は軒並み吹き飛ばされてしまった。


 車両も、道路標識も、地盤さえも紙吹雪のように舞い上げられる。


「ルーカス。対象の生存反応は?」

「ないけど、油断はしないでね。この程度でくたばるならわざわざオレたちを呼ぶ必要もないんだからさ」


 襲撃者の正体はアメリカ最強の紋章者にして、アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレーに所属する軍人であるルーカス・ガルシアとその上官である概念格:爆発の紋章者メイベル・ロバーツであった。


「そうだな。アメリカ政府がダイヤモンド・ヘッドを捨てる覚悟を決める程の敵だ。この程度で終わるはずもないか」


 未だ黒煙を上げ続ける爆心地をルーカスが作った空気の足場から見下ろすメイベルの眼には一切の油断がない。

 爆心地はもちろん、常に周囲への警戒も怠らず索敵に努めていた。


 だからこそ、彼らが服の皺でできた僅かな影から伸びる刃を見逃すことはなかった。


 メイベルは身にまとう服を爆破することで影の刃を無効化する。

 概念格:爆発の覚醒紋章者である彼女であれば、自身さえも爆炎にすることを可能とする。

 故に、それで傷を負うことなどなく、自然格の様に爆炎が収束して形を成すことで、中に着ていた水着姿となった無傷のメイベルがそこにはいた。


 ルーカスも全身の服を弾き飛ばして水着姿になることで、影の刃を無効化していた。


「強制的に服を剥ぐなど、紳士ではないな」


 先の光の柱によって底の見えぬ大穴となった駐車場。

 その周囲、赤熱したコンクリートに何事もなかったかのようにザンドは天上院をお姫様抱っこしながら立っていた。


「ワタシに紳士という評価はお門違いだ」


 ザンドは両手を離して天上院を己の影に沈める。

 そして、ダボついた袖から伸ばした影の刀を背後へ振るう。


 ギィィィンッッ! 、という甲高い音を響かせて、背後から奇襲を仕掛けていたルーカスの逆手に持ったナイフと火花を散らす。


「へぇ? じゃぁなにか、淑女だとでも言うのかい?」

「さぁな、気になるならこのマスクを剥いでみることだ」


 火花を散らして鍔迫り合うナイフと影刀。

 両者余裕の笑みを携えたまま、一際力を込めて互いに弾き飛ばし合う。


「我々にはそのふざけたマスクを剥ぎ取ることさえできないとでも言うつもりか?」


 ルーカスから距離を取ったザンドへ即座に次の爆撃が襲いくる。

 それも、一撃ではない。

 先の巡航ミサイル級の爆撃が数百数千と乱れ咲く。

 轟音を轟かせ、衝撃波と熱波が駐車場から外れた道路を跡形もなく吹き飛ばし、無数のクレーター群へと変貌させる。


「たかがアメリカ最強程度に手傷を負わされるようでは、ワタシが葬るべき敵には届かないというだけだ」


 ザンドは影の外套を纏い、爆撃の雨を正面から突破した。

 回避さえ行わないと思っていなかったメイベルは意表を突かれ、彼の放った蹴りを腹部に受けて蹴り飛ばされてしまう。


「メイベル!!」

「私に構うな馬鹿者!!」


 幾つもの木々を吹き飛ばして、山肌を抉り飛ばす程の威力で蹴り飛ばされたメイベルを心配するルーカスだったが、ザンドはその僅かな隙を見逃すはずもなかった。


「好意でも寄せていたか?」


——影狼


 ルーカスの影から現れた影の狼が彼を襲撃する。

 咄嗟に念動力で防御したものの、あまりの威力に彼もまたダイヤモンドヘッドの山肌を抉り飛ばす威力で吹き飛んでいく。


「いっつぅ〜ッ! まったく、これでただの通常攻撃だって言うんだから信じたくねぇなぁ」


 ルーカスはへし折られた右腕を紋章術を行使・・・・・・して元の状態へと戻すついでに、己とメイベルの傷も全快させていく。


「この程度は当然だろう。私たちが今相手をしているのはあの朝陽昇陽あさひしょうようから唯一逃げ延びた囚人だぞ」


 ザンドは凍雲との決闘を機に、特務課とたもとを別った。

 その後、幾度もの捕縛網を掻い潜り、あの人類史上最強の紋章者である朝陽昇陽からも一度は逃亡することに成功している。

 結果的にはソロモンが一切の魔術を封じた上で朝陽昇陽に捕縛されたのだが、逆に言えばそれだけのことをしなければ捕縛できなかったということだ。


「そうだね。いつまでも出し惜しみしてられるような敵でもないか」

「紋章解放の許可は降りてる。存分に振るえばいいさ」


 実の所、ルーカスはここに至るまで折れた骨を治す以外に紋章術は一切行使していなかった。

 彼は天然の超能力者であり、偉人格:ルーナ・クラギーナの紋章者などという情報は真の紋章を隠す為の工作でしかなかった。

 アメリカ最強の紋章者であるが故に、朝陽昇陽と同様に牽制用の情報は流出させていても、真に重要な情報は隠蔽していたのだ。


「ぶっちゃけ、この力は加減が難しいから使い勝手悪いんだけど」


 ルーカスのが真ん中分けにしていた金髪を後ろへ撫で付ける。

 それと共に、彼の頭髪は金から銀へと変貌していく。

 スカイブルーの瞳には淡い金色が差し込み、身体には紅い炎のような紋様が浮かび上がる。

 そして、その身には蒼銀に輝く稲妻が迸る。

 腰には四振の蒼銀に輝く短剣。

 右手には同じく蒼銀に輝くロングソード。


 これこそは、北欧神話に名高い大神オーディンを祖とする大英雄。

 邪竜ファブニールを討ち滅ぼした龍殺しにして、魔剣グラムを携えし勇士。

  

 そう、彼の真の紋章、それは……


「でも、君には加減なんて必要ないよね」


 偉人格幻想種:シグルドの紋章。

 それこそが、アメリカ最強の紋章者であるルーカス・ガルシアの真の紋章であった。

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