第137話 最奥から解き放たれし影の王




 ハワイ地下大監獄最深部。

 レート7最上位に位置する囚人が収容されるエリアにて、ジョーカー、レイル、ジルニトラの三名は囚人達の解放を続けていた。


「まさか君がコーラル君を出し抜くために潜入していたスパイだとは思いもしなかったよ」


 牢獄から解放されたレイモンドは常に己の魔力を吸い続けて、この地へ縛り付けていた拘束具が外れた手首を摩りながら話す。


「嘘吐きめ。少なくともこちら側の人間であることをお前は気づいていただろう」


 レイモンドの言葉に反応したのは金髪の髪をシニヨンに纏めた女性だった。


 名をエリス・リンドバーグ。

 レート7(上位)の位階に位置する元懸賞金44億2000万円の賞金首だ。

 彼女はジョーカーが看守室から奪い、手渡された己が得物であるレイピアの調子を確かめながらレイモンドを睨みつける。


「買い被りだとも」


 肩をすくめて否定するレイモンドにエリスは舌打ちで返す。


「レディ、舌打ちはいけないな。淑女たるもの貞淑に振る舞わなければ品位が損なわれるよ」


 エリスと同じくレート7(上位)の囚人。

 その首に掛けられた元の懸賞金は50億1200万円。

 顎髭を蓄えた紳士然とした男性、リチャード・エイブラハムは彼女の粗野な態度を嗜める。


「随分と時代遅れなこと。今のジェンダーレスな社会においてはその発言こそ品位を貶めるのではないかしら?」


 リチャードの言葉にそう返したのは腰下まで伸ばした紅蓮の御髪に黒目の日本人女性である毒島ぶすじま絵梨花えりか

 レート7(上位)の位階に位置する元懸賞金40億3200万円の囚人だ。


 キャバ嬢のような派手に胸元が開いた格好へと公衆の面前で着替え終えた彼女は不敵な笑みを浮かべる。


「だからといって公衆の面前で生着替えを披露するのはどうかと思うがね?」


 たった一人、囚人服が気に入らないという理由だけで公衆の面前での着替えを選択した彼女にリチャードは呆れた笑みを浮かべる。


「レイル、分かってるとは思うが最奥にいるヤツだけは解放するなよ」


 そう、レイルに忠言したのはジェイル・グランツだった。

 襟足を伸ばした銀髪に、猛獣が如き鋭い目つきの整った相貌。

 それそのものが武器となる逆三角形の理想的な筋肉の鎧を纏った男。


「あら? 戦闘狂で有名な貴方が臆病風に吹かれたの?」


 強者を求めて闘争本能のままに戦場を荒らし尽くすと噂に名高いジェイルが嫌厭けんえんする様子に皮肉混じりな疑念を呈する毒島。

 その言葉にジェイルは鋭い殺気と共に返す。


「否定はしねぇよ。俺は戦うことが好きだ。……だが、あの規格外が相手じゃ戦闘そのものが成立しねぇんだよ」


 彼の言葉はハワイ地下大監獄の最奥に幽閉されるとある囚人の脅威を身をもって知っているが故のものだった。

 だが、毒島はその囚人について知らないため、“彼がそうまでして恐れる囚人とは一体何者なのか”と首を傾げるばかりであった。


 そして、その囚人の危険性について、副看守長を務めていたレイルは重々承知していた。


「ええ、彼だけは解放しませんよ。そんなことをすればせっかく解放した囚人たちが軒並み殺戮されてしまいますから」

「ほう? それは聞き捨てならないね。この私が殺されると?」


 レイルの言葉にリチャードがめくじらを立てる。

 レート7の紋章者として彼は己の実力を自負していた。

 そしてそれは、他の囚人も同じものだと思っていたのだが、周囲を見渡すに、彼以外は全員ジェイルやレイルと同意見のようで追従する者は誰一人いなかった。

 例の囚人について知識のない毒島さえ、周囲の反応を見てその規格外振りを察したのか無反応を貫いていた。


「おやおや、レート7ともあろうものが情けない有様だ。それほどまでに奥にいる囚人が恐ろしいので?」


 リチャードは周囲の囚人を煽るが、その程度で刺激される安いプライドの持ち主などこの場には誰一人いなかった。

 

「お前はヤツを知らないからそんな大口が叩けるんだろうよ。過剰な自信を持つのは結構だが、相応に現実も見据えろ」


 エリスは鋭い視線で一瞥をくれると、ジルニトラへと話しかける。


「この施設全体に展開されている紋章術を阻害する結界は解除されているのか?」


 ハワイ地下大監獄には万が一囚人の魔力操作を阻害する腕輪が外された時を想定して、一切の紋章術行使を阻害する結界が貼られている。


 だが、それはあくまで紋章術を阻害するもの。

 アトランティスが誇る超常的なまでに発展した科学技術でアプローチすれば解除するのも容易なことだった。


「既に解除済みだ。紋章術で脱獄するなら好きにするといい」


 ジルニトラの言葉に“そうか”と短く返したエリスは紋章術を用いて脱出を試みる。


 だが、その直前。


 莫大な殺気がハワイ地下大監獄全体を震撼させる。


 監獄の深奥より放たれた殺気は、レート7の猛者達さえ震え上がらせるほど濃密で冷たいものだった。


「——ッッあ……グッ! こ……この……殺気は……ッッ!!!」


 ジェイルは滝のような汗を流し、息を詰まらせた。


「おいおい、これが人の放てる殺気かい!!」


 リチャードは隔絶した実力差を即座に理解し、いっそ笑えてきた。


「まさか!! ジョォォオオオカァァアアアッッ!?」


 レイルは彼を解き放ってしまった者へ憤怒の声を挙げた。

 そして、物理的な波動さえ伴った殺気が放たれる方向から、脱獄を幇助ほうじょした張本人のなんとも危機感を感じさせない声が響いてくる。


「いや〜噂通り、いや……噂以上の強さで私も驚きました」


 地下大監獄の最深部に続く階段。

 暗闇に飲まれたその先から、コツ……、コツ……、と静かな歩みが聴こえてくる。

 

 そして、暗闇から現れたのは頭部だけとなったジョーカーを右手に持つ一人の人物。


 その人物は袖がダボついた全身のシルエットを隠すようなロングコートにフードを被り、顔にはペストマスクをつけて素顔を隠していた。

 彼こそは、かつて特務課第五班に所属していながら、法の脆弱性を受け入れられず、そして今この瞬間も生まれ続ける悲劇を見ていることができなかったが故に、社会に背いてでも己の正義を貫くことを決めた人物。


「ザンド……ッッッ!!」


 エリスは奥歯が震えるのを堪えて、彼の名を呟いた。


 それと同時、今まで沈黙を貫いていた囚人。

 白い髪を無造作に伸ばした不気味な青年、ディーン・ラックは己が紋章である概念格:幽霊の紋章を発動して己を幽体化する。

 そして、間に隔たるあらゆるものをすり抜けて地上へ向かって一目散に逃げた。


 ザンドがまだ現役の特務課職員であった頃に彼は捕らえられた。

 だからこそ、彼の強さを知っているのだ。

 だからこそ、レート7としてのプライドなどかなぐり捨ててでも一目散に逃げ出したのだ。


「…………」


 ザンドは右手に持っていたジョーカーの頭部を壁面に叩きつけて壁のシミにすると、その身から放つ殺気をより濃密なものとする。


 殺気が放たれると同時、他の囚人たちも一斉に各々の行動を開始する。


 ジェイルは全魔力を身体強化と防御に回して岩盤をぶち破る勢いで逃走した。

 

 リチャードも最大級の警鐘を鳴らし続ける生存本能に従って全魔力を防御に回して逃走を開始する。

 

 エリスは空間転移で一息にダイヤモンド・ヘッド上空へと退避した。


 ジルニトラは空間転移機構にて予めマーキングしておいた、ダイヤモンド・ヘッドからおよそ六キロメートル離れたワイキキにあるとある建物の屋上へと退避した。


 同じレート7最上位クラスであるレイモンドさえ、魔力が乏しい現状で相手するには分が悪いと判断し、大嵐で目眩しをした隙に手元に現界させた神斧で岩盤を吹き飛ばして脱出した。

 

 そして、愚かにも毒島絵梨花という女は戦闘という選択肢を取ってしまった。


「貴女が如何に強かろうと! 同じレート7の紋章絶技を今の魔力不足の状況で受け切れるかしら!?」


 脱獄囚はみな、日頃から腕輪を介して魔力を奪われ続けていたが故に魔力は最低限にしか残っていない。

 だからこそ、毒島は紋章絶技であれば眼前の怪物を倒せると踏んだ。


「紋章絶技:死毒撒き散らす三頭龍ヒュドラ!!」


 自然格:毒の紋章者である彼女が放てる最強の技。

 紋章二画を消費することで絶大なる力を秘めた猛毒の三頭龍は床や壁を腐食させながらザンドへと向かいくる。


 後方にはザンド、前方には通路全体を埋め尽くす大きさの毒龍。

 逃げ場を失ったレイルは紋章画数を消費した絶大なる剣戟にて抵抗を試みるが、それさえも融解した毒龍に巻き込まれて即座に消し飛んだ。

 

 そして、レイルの一撃でも一切減衰することがなかった毒龍はザンドを飲み込まんと襲い掛かる。


影狼かげろう


 目視はできなかった。

 気がつけば毒龍は大きく抉り取られ、その射線状にいた毒島は上半身が丸ごと抉り取られて絶命していた。


「お前たちに逃げ場はない」


 ザンドはダボついた袖に隠された両手を合わせて、己の影を瞬時に広げていく。


 広がる影は瞬く間に監獄全域を覆い尽くし、その周囲五キロメートルにまで至る。


「うお! な、なんだこの黒いのは!?」

「誰かの攻撃か!?」


 監獄を脱獄し、夜が明けて朝日が昇る地上に出ていたレート1〜6までの多くの囚人たちの足元にも黒い影は伸びていた。

 そして、変化は即座に訪れる。


——影の簒奪者シャドウズ・プランドラ


 パッと、先まで足元を覆っていた黒い影が嘘のように引いた。

 しかし、何も変化が無かったわけではない。

 影が引いたその後には、囚人たちの影だけが跡形もなく消え去っていた。


「え? あ、熱い! 熱ぃぃぃいいいいい!!??」

「ぎゃああああああああああッッッッ!!!」

「た、助けて!! 助けてくれえええええええええええええええ!!!!」


 影を奪われた者たちは軒並み朝焼けの光に焼かれて灰となっていく。

 影を持たぬ吸血鬼が陽の光に焼かれるように、影を失った彼らは陽の下を歩く権利を剥奪されていたのだ。


 そして、総勢数千名にも昇る影を簒奪さんだつしたザンドは彼らが持っていた魔力と経験の全てを己のものとしていた。

 

 全盛期には未だ及ばずとも、十分な魔力を回復したザンドは逃亡したレート7を掃討すべく行動を開始した。

 

 まず目をつけたのは上空へと空間転移した概念格:空間の紋章者エリス・リンドバーグ。

 機動力の高い彼女を殺害すべく、彼女の服の隙間にできた影を介してその懐へと潜り込む。


「——ッックソ!!」

「影狼」


 超至近距離で放たれた影は腰に履いたレイピアごと彼女の脇腹を容赦なく抉り飛ばす。


 致命傷となる傷だけならばまだ良かった。

 自身の得物であるレイピアまで破壊されてしまった事実に彼女は舌打ちを溢すと同時、初手で戦力を低下させる確実な一手を打つザンドへの警戒レベルを更に上げる。


 だが、この程度のことに拘泥している暇など一秒たりともない。

 口腔を満たす鮮血を吐き出した彼女は秒間二〇〇〇回という馬鹿げた速度で己とザンドをデタラメに空間転移させる。

 方向感覚が狂い、上下左右の感覚さえ曖昧となる中で彼女は絶えず体術を叩き込んでいく。


「こいつ——ッ!! 体術も出来るのか!?」


 無数の空間転移によって方向感覚が狂いきった中、ザンドは全ての攻撃を完璧に捌き切っていた。

 押される中ギリギリの攻防などではない。

 まるで焦りを感じさせない様子で、ザンドは淡々と彼女の攻撃を受け流し続けていた。

 

「……しまッ!?」


 そして、彼女はザンドに腕を掴まれ、体勢を大きく崩される。


黒刀こくとう無月むげつ


 ダボついた袖から構築された影の刃が崩れた体勢の彼女を正確に捉えて、胴体から両断する。


「——ッガ……ゲフッ! ふざ……けるな……!! この陰キャ野郎!!」


 胴体を両断された彼女は己の死を悟り、即座に道連れを選択する。


 漸く陽の光を浴びられたかと思えば、かつて己を監獄へぶち込んだ元凶に葬られる。

 そんな理不尽な目に合わせた元凶に一矢報いなければ死んでも死にきれない。


 彼女の右手に刻まれた紋章が眩く光り輝き、三画全てを消費した紋章絶技が放たれる。


「紋章絶技……ッ! 帰滅の空白サンヴァルタ・カルパァアッッ!!!!」


 エリスは視界に収まるザンドを空間諸共破砕するように握り締める。

 それだけで、文字通り空間の全てが破砕され、虚空の塵へと変えられた。

 その後には空気一つ残らず、真空となった地点に吸い寄せられるように風だけが渦巻いていた。


「巡れ。そして、来世では善き行いを……」

 

 直後、地上から伸びる一条の影によってエリスの心臓は射抜かれた。


「……バケ……モノ……が」


 紋章絶技で握り潰したものは彼が作り出した影分身に過ぎなかったと、今際の際に悟った彼女は悪態を零してその生涯を終えた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る