第136話 裏切り



 

 ダイヤモンド・ヘッド内部に造られたハワイ地下大監獄。

 そこでもコオラウ山脈にて起こった大噴火の衝撃は伝わっていた。

 だが、問題はそこではない。

 現在、ハワイ地下大監獄はコオラウ山脈噴火というインパクトの影に隠れた襲撃者によって強襲されていた。


「なるほど、噴火は囮だった訳だ」


 監獄内管制室にて、監獄内をモニタリングしていた看守長コーラル・ドラクリアは共にいる看守たちが慌てふためいている中、一人冷静に呟く。

 

「か、看守長!! モニターを始めとした電子制御の一切がジャックされました!!」

「襲撃者の身元判明! 狂嗤う道化クレセント・クラウンが一柱、ジョーカー!! 現在第一から第二階層の牢獄が全て破壊され、囚人が脱走を始めています!!」

「レイルはどこに?」


 蜂の巣箱を突ついたかのような騒ぎの中でも冷静な思考を崩さぬコーラルは部下の言葉を耳に留めた上で、頼りになる副官の所在を尋ねる。


「レイル副看守長は現在第一層入口にて脱走した囚人たちを制圧しています!」

「そう」


 彼がいるならば囚人たちが外部へ流出することは万に一つもない。

 そう判断した彼女は全職員に通信を繋ぎ、命令を下す。


「各フロアの看守には時間稼ぎを命じて。 私が彼らを制圧するまでなんとしても耐え抜きなさい」


 部下に命令を言い残したコーラルは管制室を後にし、襲撃者の元へと向かった。



   ◇


 襲撃者はたったの二名だった。

 一人はアトランティスの尖兵。

 デリットアジトを消し去ったアルテミスの後始末をする為に特務課の前に現れた人型機械生命体アンドロイド——ジルニトラ——。

 彼は己が身体に搭載された未知の科学技術を用いて監獄の電子的セキュリティの尽くを無効化して監獄最深部へと堂々とした歩みを進めていた。

 

 そして、もう一人は狂嗤う道化クレセント・クラウンが一柱であるジョーカー。 

 肩まで伸びた白髪が外側にカールし、顔には白化粧が施されている。

 目元には血涙を流しているようにも見える赫い化粧。

 純白のスーツを着こなした彼は時に爆炎で牢獄を破壊し、時には腕をハサミにして壁を斬り裂き、時には防護壁を溶解液で溶かして囚人たちを解放しながらジルニトラと共に堂々とした歩みを進めていた。

 

「いつまで着いてくるつもりだ」

「君のお家まで着いていくのも一興だがね?」


 フハハハハハハハッッッ!!、と高笑いを浮かべるジョーカーに辟易しながらも、ジルニトラは彼と共に最深部へと向かうことをやめない。

 邪魔にはならない、という合理的判断の元ではあるが、それ以上に強力無比な紋章者だからだ。

 下手に突き放すよりも、放置した方が益があると彼は合理的に判断を下した。


 しかし、それは最適解であると同時に最悪手であることを知るのはそう遠くない未来の出来事だった。


「ここで打ち止めだよ。快進撃ご苦労様」


 レート5〜6の囚人たちが収容されている第三階層。

 そこには関係者用通路を用いて先回りした看守長コーラル・ドラクリアの姿があった。

 

 流れるような金のロングストレートヘアにスカイブルーの瞳。

 両耳には金の耳飾りをつけている。

 軍人のように引き締まった体躯を黒を基調として、金の装飾で彩られた刑務服で包んだ彼女こそがこの大監獄の長にして、脱獄不可能とされる最たる所以であった。


「動物格幻想種:ヴリトラの紋章者。特務課班長クラスの強さを持つとも言われる傑物か」

「ほう? それはまた垂涎ものの紋章じゃないかね」


 特務課班長にさえ匹敵するとされる怪物を前にしても、襲撃者の二人は堂々とした態度を崩さなかった。

 それもそのはずだ。

 彼女を倒す算段をつけているからこそ、二人は襲撃を実行したのだから。

 そして、それはコーラルも理解していた。


(さて、こいつらの策はなんだ? Aアンチ・Mマジック・Fフィールドによる紋章封じか? それとも龍殺しの紋章武具か? なんにせよ、問題はないがな)


 コーラルにAアンチ・Mマジック・Fフィールドは意味を成さない。

 ヴリトラの名は“障害”や“遮蔽物”を意味し、天地を覆い隠す者とも言われる。

 その名の通り、障害や遮蔽の権能を持つが故に、自分自身を外界の干渉からシャットアウトすることで“超克”を有さない一切の有害物を遮断しているのだ。

 だからこそ、人工的な魔力波で内在力場を乱し、魔力を上手く練れなくするAアンチ・Mマジック・Fフィールドは意味を成さない。

 

 後者にしても、邪竜であるヴリトラには相性の良い手ではあるが、たかが相性が良い程度でどうにかなるのならハワイ地下大監獄はとうの昔に脱獄を許している。

 彼女が就任してからたった一度の脱獄も成功していない事実こそが、彼女の強さを証明しているのだ。


「コーラル看守長! 助力致します!!」


 ジョーカー、ジルニトラと向かい合う中、コーラルの背後からレイル副看守長が駆けつけた。


「レイルか。脱獄囚の制圧は……」


 そこまで言ったところで、彼女は己が言葉とこの状況に違和感を抱いた。

 何故、第一層入口で脱獄囚たちを制圧していたレイルが侵入者の背後ではなく、己の背後から現れた?


 その疑問に思い至った瞬間、コーラルは即座にその場を飛び退く。

 瞬間、彼女が先までいた地点が粉塵を舞いあげて砕け散った。


「おっと、寸前で気取られてしまいましたか」


 粉塵が晴れたそこには、右手に剣を携えるレイルの姿があった。


「君が裏切るなんてね。あの子を救いたいという想いは、これまで過ごした時間は嘘だったっていうの?」


 コーラルは彼の奇襲を完全に避けることはできなかった。

 不意打ちで放たれた一撃は彼女の脇腹を大きく斬り裂き、鮮血を溢れさせていた。

 

 だが、そんなことは瑣末な事だ。

 それ以上に、彼女は外面でこそ冷静さを保ちつつも、その内心を激しく揺らされていた。


 誰にも認識されず、まともな生活も困難な透明少年を幸せにすると、彼がこの監獄を自身の居場所だと思える暖かい居所にすると言ったのは嘘だったのか。

 彼のために何ができるか考えて、話し合った日々は偽りだったのか。


「ええ、全て嘘偽りですね」


 レイルは清々しいまでの笑みでそう断言した。

 彼にとって、この監獄で過ごした時間など、先の一撃を与えるための布石でしかない。

 透明少年に割いた時間など、コーラルを始めとした看守たちの心に踏み込む為の足掛かりに過ぎない。


「私は狂嗤う道化クレセント・クラウンが一柱。貴女達と過ごした時間も、透明少年に割いた時間も、全ては必要経費に過ぎません」


 和かな笑みとは裏腹に、その言葉はコーラルの心を斬り刻む。

 彼に与えられた外傷など、百戦錬磨の猛者である彼女にはさしたる影響もない。


 最も頼りにし、心を寄せていた相手に裏切られた事実。

 これまでの時間を踏み躙られたことこそが、彼女を動揺させた。

 そして、それこそがレイルの真の狙いでもあった。


「では、いただきます」


 認識をズラして・・・・・・・、背後に回っていたジョーカーはコーラルの右手の甲を撫でる。

 それだけで、彼女の紋章は消失し、紋章を失った彼女は身体の端から灰となり崩れ去っていく。


「そんな……、その紋章術は……あの子……の……」


 彼女の脳裏に過ぎるは、己が意志に反して覚醒した紋章によって不自由な生活を余儀なくされた少年の姿。

 彼さえも敵の手に堕ちていたことを知った彼女は、今際の際に一筋の涙を零して灰塵へ帰した。


「なんとも用意周到なものだ」

「エンターテイメントとは度重なる準備の上でのみ成り立つものなのですよ」


 フハハハハ、と高笑いを挙げて、ジョーカー、レイル、ジルニトラの三名は囚人を脱獄させながら最深部へと潜っていく。

 コーラルという最大の壁が消えた今、彼らを止められるものなど誰一人いやしなかった。

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