第134話 大噴火



 

 時刻は午前5時。

 夜の帳は僅かに明け始めるも、冷えた夜風が涼やかに肌を撫でる。

 

 ホノルル、ワイキキといった人々で賑わう街を見守るように聳え立つコオラウ山脈。

 潮風に混じり、僅かな硫黄の匂いが鼻腔をくすぐる山肌にて、特務課第五班班長であるソロモンは一人の男と対面していた。


「報告には聞いていたけれど、本当に裏切ったんだね。シュメルマン」


 背後から声をかけられたシュメルマンはゆったりとした動きで振り返る。

 シルクハットにモノクル片眼鏡を掛けた、瀟洒しょうしゃなスーツ姿。

 英国紳士と称するに相応しい初老の彼はソロモンの姿を視界に入れると穏やかな笑みを浮かべて迎えた。


「これはこれは、ソロモン班長ではありませんか。……いえ、神代より存命せし神秘の残り香、魔術王ソロモンとお呼びした方がよろしいか?」


 シュメルマンは穏やかな笑みから一転、悪辣極まる邪悪な笑みでソロモンの正体を言い当ててみせる。

 彼の述べた通り、ソロモンも蘆屋道満と同じく偉人格の紋章者などではなく、神代より生き続ける者の一人。

 古代イスラエルの第三代王にして、七十二柱の悪魔を従え、後世に伝わるほぼ全ての魔術の基盤を築いた魔術王本人であった。


「好きにするといいよ。君に勘付かれた時点で隠す必要性は無くなったからね」


 蘆屋道満と同じく、彼も神代より生き続ける存在であることを隠してきたが、その意味も最早なくなった。

 なぜなら……、


「そうでしょうなぁ。貴方が在位の折、その過去と未来を見通す千里眼にて垣間見た世界の滅亡。その発端である存在に知られたも同然なのですからな」

 

 ソロモンはかつて古代イスラエルの王として君臨していた折、遥か未来において七つの厄災によって世界が滅亡する未来を見た。

 それを防ぐ為に彼は己の死を偽装して、現代まで生きながらえてきた。

 七つの厄災に己の存在と目的を悟られぬ為、偉人格:ソロモン王の紋章者という皮を被りその正体を隠してきた。

 

 だが、それももう無意味だ。

 蘆屋道満という平安より生きながらえてきた存在が表舞台に出てきたことによって、『神秘の残り香』が存在することをヤツら・・・に知覚されてしまった。

 だからこそ、ヤツらに関係する者であるシュメルマンが彼の正体を言い当てることができたのだ。


「どうです。ここからの景色は綺麗でしょう? 人々の暮らしが一望できる」


 シュメルマンは眼下に臨む、人々の暮らしの灯火に彩られる街並みを見て笑みを浮かべる。

 ただし、それは感動によるものではない。

 純粋な悪意だけによって歪められた三日月のような笑みであった。


「裏を返せば、ただの一手でその全てを破壊できる絶好のロケーションって訳だけどね」


 ソロモンが述べた通り、街並みを一望できるということは、その全てを射程圏内に収めているということに他ならない。

 

「ええ,ええ,その通りでございますとも。しかし、我が魔術ではこの街並みを一撃で灰燼に帰すことは難しい。ましてや、魔術王の御前にて魔術を使えるはずもなく」


 ソロモンは十の指輪を装着時、全ての魔術を無効化ないし制御権を強奪することが可能だ。

 故に、この場においてシュメルマンが魔術を使える可能性は皆無。

 

「ですが、貴方も既にご存知でしょう? 今宵この場において民草を焼き払うのは私ではございません」


 シュメルマンは徐に人差し指を上へと向ける。


 瞬間。

 

 彼の背後の地面から天へと昇る暗黒の奔流が吹き荒れた。

 同時に、立っていることさえ難しくなるほどの地響きが発生し、ソロモンは思わず地に伏せる。

 

「——ッッ!!」


 地に手をつきながらも、シュメルマンの凶行を無効化するべく十の指輪を行使するソロモンだったが……、


「無効化……できない……!?」


 全ての魔術を無効化ないしは制御権を強奪できる十の指輪をもってしても、吹き荒れる暗黒の奔流を止めることはできなかった。

 だが、それもそのはず。


「とくとご覧あれ。これは魔術にあらず」


 ソロモンは目を凝らして彼の背後で吹き荒れる暗黒の奔流を観察する。

 夜闇も相まってその正体を正確に捉えることは難しかったが、漸く理解できた。


 アレは魔力操作でも、呪詛でも、ましてやソロモンさえ知らぬ魔術でもない。

 

 アレは……


「ハエの大群!?」


 彼の背後の地面から天へと昇る暗黒の奔流の正体は数えるのもバカらしくなる数のハエだった。


「彼らは私の眷属でしてね。魔術など行使せずとも、私の意志一つで命令を全うするのでございますとも」


 その言葉を聞いて、ソロモンの脳裏にはある一つの存在が浮かび上がった。


「そうか、君の正体は——ッッ!!」

「今更気づいたところでもう手遅れですよ」


 本命はそれではなかった。


 何故、大量のハエが地中から飛び出してきたのか。


 その理由をソロモンは肌に感じる熱で悟った。

 シュメルマンの背後から噴き出したのはハエの大群だけではなかった。

 その後を追うように、莫大な衝撃波を伴って大噴火が引き起こされたのだ。


「まさか、コオラウ山脈に人工的なマグマ溜まりを作ってき止めていたのか!?」


 ソロモンは自身に襲いかかる衝撃波と熱を障壁で遮りながら噴火による被害が拡散しないよう、コオラウ山脈全域に圧力と冷気をかけて抑え込まんとする。


「どれだけ対策を講じようとも、計画の一部が露呈することは避けられないと考えましてね。故に、本来なら噴火の可能性などない山脈を利用させていただいたのですよ」


 コオラウ山脈には現在噴火を引き起こすほどのマグマ溜まりは存在しない。

 幾つか溶岩が噴き出す可能性のある地点は存在するが、噴火を吹き起こすほどの場所は存在しないのだ。


 故に、シュメルマンは己が権能を用いて、大量のハエを圧縮して莫大な圧力を幾年もの間掛け続けることでマグマ溜まりを作ってみせた。

 つまり、これは突発的な事件などではなく、幾年もの歳月を要した緻密で狡猾な計画的犯罪だったのだ。


「そして、当然貴方が出張ってくることは可能性の一つとして考えられましたのでね。魔術に寄らぬ手は既に講じています」


 そう言うと、シュメルマンは身に纏っていたスーツのジャケットを開く。

 あらわになった彼の腹部には、多量のダイナマイトが巻きつけられていた。

 

「これはアトランティスによって作られた特別製でしてね。緻密に調整された爆発の衝撃波が溶岩を急激に揺らし、多量のガスを発生させるそうです」


 その言葉を耳にしたソロモンは彼が何をしようとしているのかを即座に理解した。


「させるわけがないだろう!!」

「後手に回った時点で貴方の敗北ですよ」


 ソロモンは即座に魔術を行使してシュメルマンを止めようとするが、彼は既に対策を放っている。


 大量のハエは火口を隠蔽する蓋の役割を成すだけではないのだ。

 上空に渦巻いていた大量のハエがソロモンを足止めするべく、濁流となって襲い掛かる。


 既に放っていたシュメルマンとこれから放とうとしたソロモン。

 当然、ソロモンの対応が間に合うはずもなく、彼は濁流に飲み込まれる。


「シュメルマン!!」


 ハエの大群はソロモンの魔術によって即座に焼き払われるが、その頃にはもうシュメルマンは全ての準備を終えていた。

 ソロモンがその手を向けて魔術を放たんとするも、それは間に合わなかった。


「さぁ、これから始まる豪勢なる前座をお楽しみくださいませ」


 シュメルマンは業火に燃えるハエに紛れて、シルクハットを手にボウ・アンド・スクレープお辞儀をする。

 そして、彼の身体に巻き付いていたダイナマイトの導火線が遂にその役目を果たす。


 一拍の後。


 シュメルマンが引き起こした爆発は地下に溜まる溶岩を誘発し、一度目など比にならぬ、オアフ島全域を揺るがすほどの大噴火を巻き起こした。





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