第133話 大浴場




 湯煙漂う石造りの露天風呂。

 僅かに濁りのある湯船に身を預ける八神はお湯にタオルを付けるべきではない、というルールに則り、一糸纏わぬ肢体を露わにして湯船に自慢の胸を浮かべながらリラックスしていた。

 金糸が如く艶やかな髪が湯に浸からぬよう纏めているが故にあらわとなったうなじもまた、彼女の魅力を引き立てていた。


「ふぁ〜、いい湯だなぁ〜」


 八神ら一行は豪華なコース料理が振る舞われた夕食に舌鼓したつづみを打つと、ホテルのはずれにある露天風呂へと赴いていた。


 自然石を組み上げて作られた露天風呂はここが街中であることを忘れさせてくれる。

 露天風呂を取り囲む南国特有の木々やハイビスカスなどの花々から香る甘い空気もまた、自然味を感じさせて心を落ち着かせるのに一役買っていた。


 だが、そんなものはお構いなしに落ち着きのない輩がいるのも事実。


「先に言っておくけど無礼講ということで許してくださいお願いします!!」


 ジンは身体を大気へと変化させて八神の懐の内へ忍び込み、実体化することで彼女の胸を枕に極楽を味わう。

 とはいえ、それは死を覚悟した上での特攻に等しい。

 静は先に謝ることでこの後の罰を少しでも軽くしようと試みるが……、


「…………はぁ、分かったよ。過度なセクハラをしないなら、今日くらいは許してあげる」

「…………へ?」


 そういって八神は静を後ろから抱き締めると、リラックスした面持ちで夜空に煌めく満点の星々を眺める。

 静もまさか許しを貰えるとは思っておらず、一瞬戸惑いをみせるが、即座に状況を理解してこの極楽浄土を堪能することに決めた。


「……ふ、ふにゃ〜」


 八神の柔らかな胸に包まれて緩みきった顔を見せる彼女はとても特務課や陸自を目指す少女高専生らに見せられるものではなかった。


「随分と仲が良いんですね」


 そう話しかけてきたのは雨戸だ。

 しっとりと濡れた、腰まで届く黒髪をポニーテールに纏めた彼女は胸元に抱えるタオルで申し訳程度に身を隠しながら湯船の縁に腰掛けて涼んでいた。


「まぁ、なんだかんだ言って一番仲の良い親友……いや、悪友だからね」

「ええ〜、そこは素直に親友って言ってくれても良かったのに〜」

「なにかとセクハラしてくるような奴は悪友で充分」

「ぶーぶー! そんなエッチな身体してる方が悪いんだぞー!」

「語彙力オッサンか。魅力的なプロポーションと言え」

「プッ、あははは! ホント仲が良いですねお二人は」


 気兼ねなく話す二人の姿を見て雨戸は噴き出すように笑い声を挙げる。


「あ、仲が良いと言えばさ、雨戸さんはどうなの? 風早くんとの進展は!」


 そう尋ねたのは静だった。

 静と彼女らはあまり交流があると言える間柄ではなかったが、それでも彼女が風早に好意を抱いていることは容易に察することができた。

 なぜなら、静はこれでも武術の達人。

 視線の動きだけでもある程度の心情は読み取れるのだ。


「し、進展!? いや、その……、特にこれといった進展はないですけど……」


 急に振られた答えづらい話題に雨戸は頬を朱に染めて、モジモジと恥じらいを見せる。

 けれど、雨戸は成長したのだ。

 名も知れぬ妖精さんのアドバイスを受けて、自信を取り戻した彼女はしかとその眼に八神恋のライバルの姿を映して宣言する。


「でも……。でも、私だって負けたくありませんから! 勇気を出して、アプローチしてみせます!!」


 恋のライバルは強敵だ。

 彼女は容姿、性格、家事スキルと完璧な上に、風早が憧れる特務課でも一目置かれるほどの実力者。

 今はまだ、彼女自身にそういった感情がない(もしくは気づいていない)からこそ付き合っていないが、それがいつまで続くかは分からない。

 だからこそ、雨戸は妖精さんの言葉を胸に、勇気を振り絞ってアプローチを仕掛ける覚悟を決めたのだった。


「いいね、そうでなくっちゃ! 応援してるから手伝えることがあったらどんどん頼ってね!」


 しかし、渦中の人物は未だに錯綜する想いに全く気づく様子もなく部外者ヅラ。

 八神当事者は、雨戸の複雑そうな眼に気づくこともなく、弟子とその幼馴染による淡い恋模様に眼を輝かせていた。



    ◇



「お、いいねぇ。ここからなら思う存分覗けるぞ」

「あ、あのー、やめた方がいいんじゃないですか?」

「ここまで来て何を日和ったこと言ってるんだか……」


 風早は今、吉良きらと共に茂みに隠れながら女子風呂を目指して移動していた。

 当然、見つかれば即座に死が待ち受けるこの行為になんの準備もしていないはずがない。

 二人は頭に木の葉が付いた木の枝を刺して、持ち前のセンスで気配を遮断することで完璧に茂みに紛れていた。


「いいか? 女子が風呂に入ってるんだ。なら、覗かなきゃそれこそ魅力がないって言ってるようなものだ。逆に失礼に当たるんだよ。分かるか?」

「え? そ、そんなことはないんじゃ……」


 吉良はここに来てまだ渋る風早へ畳み掛けるように言葉を並び立てる。


「なら、どうしてお前は着いてきたんだ? 入浴姿を見たいと思うほど魅力的な女性がそこにいたからじゃないのか?」


 吉良の言葉に風早は思わず息を呑む。

 その言葉は図星であった。

 覗きはダメだと止めたい気持ちももちろんあるが、己の師であり、想いを寄せる相手である八神の入浴姿を見たいという想いがなかったかと言えば嘘になる。

 

「そ、そりゃぁ見たいよ。見たい気持ちは確かにあるけど……」

「なら見ようぜ。それが男の流儀ってもんだ」

「そう……なのかな……?」

「ああ、そういうもんだ」


 女子風呂が近づくにつれて、どこか甘く良い匂いが漂ってくる。

 そんな香りを嗅いでしまえば、思春期男子である風早の理性だって揺らいでしまうのも仕方がない。

 吉良の甘言に乗せられる形で共犯者に仕立て上げられた彼は共に女子風呂へと無事到着してしまった。

 

 彼らが辿り着いた場所は草花生い茂る高台。

 女子風呂を上から覗けて、茂みに身を隠すこともできる絶好のロケーションだ。


「さぁて、お楽しみの時間といこうか」


 吉良は茂みを掻き分けて、天女の楽園をその眼に刻み込むべく視界を開ける。

 すると、


「おやぁ〜? なぁにやってるのかな吉良くん? それに風早くんまで」


 引き締まった身体をタオルで隠した日向ひゅうがの笑顔によってお出迎えを受けた。

 ただし、目は一切笑っておらず、その右手はメラメラと燃えている。


「……め、目も笑おうぜ? 女の子は笑顔でいる時が一番輝いて見えるからさ?」


 吉良は冷や汗を垂らしつつ、自身の頬を両手で釣り上げてスマイルを浮かべる。


「そう、輝いた瞬間が見たいなら今から存分に見せてあげるよ」


 日向の右手がメラメラとした炎から煌々こうこうと輝く炎球へと変化していく。


「え、いや、それは違っ——!?」

「ま、待ってください僕もですかっ——!?」

「問答無用!!」


 覗き魔共へと放たれた火球は爆炎を上げて二人を容赦なく吹き飛ばした。

 しかし、吉良の方は狙い通り男子風呂方面へと吹き飛ばせたのだが、風早の方は少し距離感がずれていたのか、吹き飛ばす方向を誤ってしまった。


「あっ——」


 爆炎に吹き飛ばされた風早は上方へと打ち上げられ、そのまま綺麗な放物線を描いて湯船へと墜落していった。



    ◇



「むがぼがごぼっ——ぷはぁ!! し、死ぬかと思っ……た…………」


 日向の火球によって吹き飛ばされ、湯船の中へと墜落した風早は一瞬溺れかけるが、すぐに湯船の底を把握して水上へと顔を出す。

 しかし、その位置が不味かった。


「は…………へ…………?」


 彼が水上へ上がったちょうど目の前には、その胸に抱える薄いタオル一枚では隠しきれぬ、一糸纏わぬ姿で足湯を楽しむ雨戸の姿があった。

 ちょうど彼女の股の間に収まる形で顔を上げてしまった彼は当然、その姿を全て視界に収めてしまった訳で……。


「ご、ごめん!! これには訳があってっ——!!」

「そんなことより眼を閉じてよバカァァァアアアアアッッッ!!!!」


 乙女の恥じらい蹴り上げを顎に食らった風早はまたしても綺麗な放物線を描き、男子風呂の方へと吹っ飛んでいくのであった。


「前途多難だなぁ、これは……」

「羨ましいくらいのラッキースケベ体質。私じゃなけりゃ見逃しちゃうね」

「割と見たまんまじゃない?」


 風早の存在に逸早く気づいて身体を手足で隠していた静と、静の身体で身を隠していた八神がアホな会話を繰り広げる横で、雨戸は全身真っ赤っかにして悶え苦しむ。


「お願いだから記憶から消してぇ…………」

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