第122話 事件の裏で動く英雄たち
全ての戦いに決着が着いた同時刻、オホーツク海沿岸。
宇宙に飲まれたかのように侵食された領域が、まるで砂城が如く内側からボロボロと崩れ去っていく。
その中から現れたのは、テュール・リード。
光を一切返さぬ純黒に眩い金糸が混じったアッシュショートヘアは多量の汗で乱れていた。
着崩した黒のワイシャツには血が滲み、生地が吸いきれなかった鮮血を
緩めたワインレッドのネクタイはボロ
その上から羽織っていたオフホワイトのサマージャケットなど、とうの昔に消し飛んでしまっていた。
「フ、フフフ。分かっていたことではありますが、これほど……力の差がありますか」
対する、彼の正面に立つ男、
身体の要所と手足、肩に輝く黄金の鎧、そして耳に輝く日輪の耳輪には汚れこそ見えど、かすり傷一つ付いていない。
その内に纏う漆黒の衣と、それら全てを覆う黒き闇のようなファーコートにも一切の破損はみられなかった。
しかし、それはテュールが傷一つつけられなかったことを意味しない。
「お前は強かったとも。
テュールは神々でさえ破壊困難な鎧による防備を突破して、その身へと刃を届かせていた。
人類史上最強とされる紋章者へ、確かにその牙を突き立てていたのだ。
しかし、
「自動修復機能、話には聞いていましたが……反則的ですね」
朝陽昇陽が着込む大英雄カルナの鎧である『
装備者に絶大な自己治癒性能さえ与えるのだ。
そんな埒外な性能を誇る装備を最強の紋章者である朝陽が扱えば、たとえ致命傷を負ったとしても即座に再生可能。
「隕石を直撃させても、超新星爆発を引き起こしても、ましてや切り札であるビックバンまで耐えきるなど……こんな怪物、果たして倒す方法などあるのですかね……」
あまりに威力が高過ぎて侵食領域内でしか使えない数々の紋章術はおろか、紋章画数まで消費して発動した実物そのものの威力を誇るビックバンでさえ朝陽を殺しきることはできなかったのだ。
想像の遥か上をいく化け物加減にいっそ笑みすら湧き上がってくる。
「それでも、お前は俺に勝ってみせただろう」
テュールと朝陽。
二人の怪物は現在地である北海道から遠く離れた地にて着いた、一つの決着を感じ取っていた。
そして、この勝負は蘆屋道満の元へと辿り着かせず、見事足止めを完遂させたテュールの勝ちだと朝陽は認めていた。
「そう……ですね……。今は、この勝利で満足して……おきましょうか」
そう言い残して、テュールは背後に展開した漆黒の穴へと身を落とすようにして消え去った。
朝陽にその後を追うつもりはない。
特務課職員としては、賞金首である彼を捕らえるべきだ。
しかし、
(今はまだ、その時ではない)
彼はある予感を抱いていたのだ。
救世主と自称していたメサイアが言っていた終末の未来。
それが現実に起こるという根拠はないが、彼自身の勘はその未来が必ず訪れると確信していた。
仮にここでテュールを捕らえてしまえば、政府によって彼が従える革命軍への人質として活用される。
最悪の場合、革命軍の志気低下を狙って公開処刑が行われてしまう。
だからこそ、来たる未来に備える為にもテュールという絶大な戦力をここで喪失するわけにはいかないと考え、あえて見逃したのだ。
(それに、奴は悲劇を撒き散らす類ではない)
革命軍とはいえ、彼らは悪政を敷く政府の打倒を掲げる組織であるため、彼が護るべき対象とする善き人々への被害が皆無である点も見逃した理由の一つであったりする。
そうでなければ、未来の戦力といえど見逃す道理など存在しない。
だが、そんなことよりも彼には重大な懸念事項があった。
「これは、また怒られるのだろうか?」
彼の眼前に広がるのは、荒れ果てたオホーツク海沿岸。
溶解した大地が海と接触して絶えず白煙を撒き散らし、比較的無事な地点も風圧で地面は抉れ、木々は軒並み薙ぎ倒されている。
人的、物的損害は軽微であるとはいえ、荒れた自然環境を元に戻すにはそれなりのお金がかかってしまうことだろう。
「始末書は、苦手なんだがな……」
心なしか肩をしょんぼり落としつつ、事後報告を行うべく
◇
東京都某所に存在するとあるオフィス。
一見ごく普通のオフィスでありながら、特殊な建材で造られたそこは核兵器さえ耐え凌ぎ、電磁波の類すら一切通さない特別な造りであった。
当然、そのような場所にいる人物といえば要職に就く者であり、秘書官である
その中央に座する人物こそが日本を統べる内閣総理大臣である
白髪をバックに撫でつけ、
「——以上が本事件における事の顛末となります。人的被害は負傷者一三八七名、死傷者、行方不明者は共に皆無です」
「そうか。ご苦労だったな。現場の者にも後ほど個人的に報償をくれてやらんとな」
時透が述べる事の顛末を静聴していた坂上は薄らと白髭が生えた顎を撫でつけながら、本事件における功労者たる彼、ひいてはその後ろへ続く現場の者へと労いの言葉をかける。
「総理、お言葉は誠に嬉しく存じますが、公人たる貴方が個人へ傾注されるようなことはなさらない方が宜しいのでは?」
「バカを言え。私は総理であると同時に一人の人間だぞ? 感謝を伝える権利くらいはあるさ」
“とはいえ、何かと難癖をつけてくるバカ野郎は湧いてくるだろうからオフレコでな”、と坂上はニヤリと笑みを浮かべる。
面倒な類とはいえ、国民の一部をバカ野郎呼ばわりする総理大臣に周囲の大臣は揃ってため息を溢した。
「それにしても、あれだけ大規模な戦いが巻き起こっていながら死傷者が皆無とは……。喜ばしい事ではありますが……解せませんな」
無精髭を蓄えた大柄な男性——防衛大臣、
レート7でも上位に位置する怪物が八体。
加えて、それを纏めていた本事件の首謀者である
だというのに、誰も死んでないどころか、後遺症が残るような怪我人さえ出ていないというのは不可解であった。
「腐っても、蘆屋道満という稀代の陰陽師は人類を守護する側の者だったということだろう。事実、時透の報告によれば事態の隙を突いて
田中の疑問に答えたのは坂上であった。
蘆屋道満は確かに日本を混乱の渦へと叩き込み、多くの被害を出した。
しかし、それは無秩序な破壊ではなく、どこまでも計算され尽くした緻密な破壊であった。
破壊区域を結界で覆う事で限定し、民間人への被害を極力抑えた。
彼が使役していた八体の厄災にしても、誰一人殺さぬように制御していた。
ましてや、無秩序な破壊を
つまり、蘆屋道満という男は悪であることに間違いはない。
しかし、決して信念を持たぬ無法者などではなかったということだ。
「そうですね。彼が民間人を護った側面があるのは事実でしょう。しかし、問題は彼が引き起こした事件によって、弱体化した今の日本を他国が攻めてくる恐れが浮上したことです」
そう述べたのは、縁なし眼鏡をかけた細身の男——外務大臣である
「ご存知の通り、アトランティスは世界各国をいつでも狙える衛星兵器アルテミスを所持しています。加えて、諜報員から寄せられた情報によれば、何やらきな臭い動きも見られるようです」
「きな臭い動きだと?」
曽根屋が発した言葉に坂上が反応を返す。
「ええ。情報によれば、近々大きな戦を企んでおり、その為に軍備を強化しているとのことです。明確にどこの国を狙っているのかは現在調査中ですが、国力が弱まった今の日本が狙われる可能性は高いということです」
それに、と曽根屋は続ける。
「仮にアトランティスの狙いが違えど、国力が弱体化した日本を狙う国は多数挙げられます。隣国として友好を結んでいる中国にしたって、油断できる相手ではないでしょう?」
曽根屋の言い分は最もであった。
敵は不穏な動きを見せるアトランティスだけではない。
日本を狙う理由は領土的価値、水産的価値だけでも充分だ。
加えて、人道的な手法で日本を陥し、国民を手厚く保護さえすれば史上最強戦力たる朝陽昇陽だって手に入れられる可能性があるのだ。
日本を取る以上、朝陽を相手取ることになるとはいえ、他戦力がほとんどダウンしている現状ならば勝ち目が皆無な訳ではない。
それに、
朝陽昇陽に勝つこと叶わずとも、足止めは可能であると。
そんなことができる人物はそうそういないと各国も理解してはいるが、それだって皆無ではないのだ。
「曽根屋大臣、貴方の懸念は最もでありますが、その点はご心配なく。既に牽制の一手はうちの優秀な部下が打っていますので」
そんな彼の懸念に時透が答える。
彼は何もせず戦場の後方に控えていただけではない。
大局を見据え、戦いが終わった後に備えて指示を出していたのだ。
「ほう、どんな策を打ったんだ?」
興味津々と言った眼でニヤつく坂上へ、時透は言葉を紡ぐ。
「事件収束後、他国への牽制が必要となることは予測できましたので、戦いの一部始終をリアルタイムで全世界へと流していたのですよ」
「…………は?」
時透が打った策はあまりにも荒唐無稽なものであった。
あれだけの規模の戦いだ。
それを流して、どれだけの激闘だったのか、どれだけ常軌を逸した化け物どもが凌ぎを削ったのか、それを己が眼で見ることができればそれこそが最大の牽制となるのは間違いない。
しかし、どうやって?
そんな激戦を中継できるような修羅が如きマスメディアなどいるはずがない。
仮にいたとしても、それをどうやってリアルタイムで伝えるというのか。
「戦場の映像は
つまりは、糸魚川が捉えた映像をパトリックが全世界の放送局をジャックして流していたのだ。
そんなことできるはずがない、と常人ならば思うだろう。
事実、ノートPC一つで全世界の放送局をジャックするなど、アトランティス所属のハッカーでさえ不可能だ。
しかし、その上で言わせてもらおう。
それができるからこそ、彼は特務課の班長を任されているのだと。
「なるほど。それならば問題ありませんね。そこまでお膳立てして頂けたのでしたら、後は私の仕事でしょう。アルテミスの件では満足のいく結果を得ることはできませんでしたが、今回こそは最高の結果を約束しましょう」
他国への牽制は既になされた。
だからといって、それだけで踏み留まる国々ばかりではない。
常軌を逸した激戦よりも、国力低下を注視する国だっているだろう。
アトランティスのように、軍事力に自信を持つ国家ならば後一手牽制の手が足らないだろう。
だからこそ、外務大臣たる曽根屋は最後の一押しを行い、なんとしても戦争を回避してみせると意気込んでいるのだ。
「よぉし! 現場の英雄達は命を賭して頑張った! 次は我らが彼らの励みに応える番だ! 気合い入れていくぞ!!」
「「ハッ!!」」
坂上総理の一声に各大臣も気合いを入れた声で返す。
現場で命をかけて勝ち取った勝利へ『戦争の引き金』などという余計な泥を掛けぬべく、影の英雄達は己が戦場へと繰り出すのであった。
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