第118話 秩序の守護者



「……ここでお前が出てくるか。想定はしてたけど、その中でも最悪の展開やな」


 未だ煌々と禍々しい赤光しゃっこうを放つ紅き月を背に、蘆屋は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。


「そう言うなら大人しく捕まってくれないかな?」

「アホか。言うたやろ、想定はしてたって。お前が加わった所で、策を変えるだけや。予定に支障はない」


 “それに”、と蘆屋は続けて言葉を紡ぐ。


「ようやっとお前の紋章も暴けたわ。データベースに載ってないのは当然として、儂の情報網にすらお前の紋章は引っ掛からんかった」


 天羽は日本防衛における特記戦力の一人だ。

 だからこそ、朝陽昇陽の詳細情報と同じく国家機密として秘匿されていた為、どれだけ探ろうともデータは見つからなかった。

 彼女が一体なんの紋章者なのかさえ分からなかった。


「せやけど、見れば一目瞭然や。お前の紋章は概念格:生命の紋章。生命力を自在に操るからこそ、儂ほどの術師でもないのに星の命脈たる龍脈からエネルギーを抽出できた。そして、儂の領域顕現を防ぐこともできたんやろ」

「まぁ、ここまで見せたらそりゃバレるか。そうだよ。私は概念格:生命の紋章者。君の領域顕現と相性が良かったのは幸いだったよ。生命を領域で塗り潰す術式なら、私の紋章術で生命の形を保ってあげればいいだけだからね」


 天羽は涼しげな表情で述べるが、実際はどれだけ相性がよくとも侵食領域の極地である彼の領域顕現を防ぐことは不可能だ。

 それを可能としたのは……、


「相性だけで覆せるほど儂の術式が甘い訳あるか。魔眼で術式に通う魔力の流れを見極めた上で、その流れに抗うように龍脈から調達した無限の魔力でゴリ押しした、ただのゴリラ戦法やろうが」


 紋章を極めた者は稀に肉体に変化をもたらす。

 例えば、ルキフグスの尻尾と心臓。

 例えば、朝陽の病的なまでに白い肌と日輪が如く眩い黄金の瞳。

 

 それらと同様に、紋章を極めた天羽の肉体は変異を遂げており、その眼は生命力や魔力といった力の流れを見通す魔眼『生命系統樹セフィラ・:叡智コクマー』へと変生へんじょうしていたのだ。


「いいじゃないか。ゴリラは森の賢者様なんだぜ?」


 ニヤリ、と天羽が笑みを浮かべると同時に、彼女たちの足元に巨大な魔法陣が展開される。


「準備時間をありがとう。お陰できちんと術式を組み直せたよ」


——生命系統樹セフィラ・:栄光ホド


 足元の魔法陣から放たれた翠緑の光が天羽、ルキフグス、厳の身体を包み込むと、身体に刻まれた傷が瞬く間に癒えていった。


「身体強化と呪いへの概念防御、権能への耐性に傷の治癒も施しておいたよ」


 サラッと述べられた言葉に二人は驚きもなく頷く。

 三種の高水準なバフと治癒を同時に行使するという常軌を逸した御業ではあるが、龍穴上における彼女はあの朝陽昇陽にさえ迫る実力者なのだ。

 この程度は朝飯前にできて当然だ。


「準備時間は儂の為でもあること、分かってるよな?」


 蘆屋は右手の人差し指と中指を剣に見立てるように立てると、それを天へと向ける。

 

——天文道:奈落。


 突如、天を覆い尽くすほど巨大な深淵のワームが現出する。

 それは、安倍晴明が十八番とした『天文道』の極地にして、彼が奥の手の一つとしたものであった。

 

「彼奴にできて、儂にできんことなんかあってたまるか」


 かつての蘆屋道満であれば、天文道の極地たる『奈落』は扱いきれなかった。

 だが、安倍晴明を越えるために研鑽を重ね続け、陰陽道を極めた今の彼であればその術を完璧に御しきれる。


「ルキフグス、行けるな」

「任せて」


 天から覆い被さる純黒の深淵を頭上に見上げた厳とルキフグスはアイコンタクトで通じ合い、己が為すべきことをなす。


——天焦紅蓮てんじょうぐれん!!

——天地別つ翡翠の剣イガリマ臨界励起オーバーロード


 星に刻まれた数多の伝説を味方につけるルキフグスは、深淵さえも退ける武具を所持していた。

 シュメール神話における戦神ザババが使用していた、『地平線』の概念を持つ神造兵装。


 森羅万象を飲み干す深淵であれ、地平を切り拓く神造兵装ならば斬り裂くことができる。


 そして、同時に放たれた天をも焼き焦がす紅蓮の溶岩流が蘆屋を足元から飲み込んだ。

 しかし、それを託宣の神であるアポロンが有する未来視の権能によって先読みした蘆屋は余裕を持ってかわす。

 それを追うように、大地から噴き出した溶岩流は本流から氾濫はんらんした激流が如く、枝分かれして蘆屋を追撃する。

 

「で、本命は背後に回ったお前やろ?」


 片手で顕現させた大仏によって厳の溶岩流を防ぎきり、背後に回って挟撃してきた天羽の斬撃をもう片方の手に現出させた真言が刻まれた霊剣:布都御魂フツノミタマによって受け止める。


「うーん、術式で防いでくれてたら両断できたんだけどねぇ」

「大方、術式を無効化してぶった斬る腹積りやったんやろ? んなもん、お見通しや」


 天羽の愛刀にはエネルギーを裁断する術式『生命系統樹セフィラ・: 峻厳ゲブラー』が刻み込まれている。

 彼が物質的な霊剣ではなく、魔力というエネルギーで構築された術式で防いでいれば容易く断ち切られていたことだろう。


「流石は神算鬼謀しんさんきぼうの陰陽師。実力だけじゃなくて素のポテンシャルからして化け物じみてるね」


 交わされる剣戟の一つ一つが厄災の怪物さえ斬り裂く絶大な一撃。

 それを瞬きの間に数百、数千とぶつけ合う。

 その余波だけで、周囲には斬撃の嵐が荒れ狂い、平安京へと塗り替えられた世界を斬り刻んでいく。


「お前がそれを言うか? 喰らい尽くした全ての力を総動員してる儂と互角に斬り結べるお前の方がよほど化け物染みてるけどな」


 星の記憶アカシックレコードに眠る数多の修羅神仏を喰らった蘆屋道満。

 地球という一つの星が持つ無限に等しい生命エネルギーを振るえる天羽華澄。


 両者共に化け物じみた力を持ってはいるが、それでも本来の実力であれば蘆屋道満に僅かながら軍配が上がる。

 それを互角にまで持っていけている要素が存在することを天羽は見抜いていた。


「それは君がいろんなことに気を遣ってるからこそだよ。彼らの相手だけじゃない。日本各地に展開してる結界の維持もそうだし、こうしてる今もその全てを見通す千里眼で他国が攻め込んできた時に備えてずっと監視し続けてるんでしょ?」


 蘆屋道満は日本を攻め滅ぼす外敵ではなく、ましてや秩序なき破壊を良しとするヴィランでもない。


 その本質は秩序の守護者。


 晴明への執着によって結果的に日本へ牙を剥く形にはなってしまったものの、平安時代から日の本の守護者であり続けてきた彼の矜持が変わることはない。

 だからこそ、己が行いによって民間人へ被害が出ぬように結界を展開し続けている。

 こうして戦っている今も尚、この隙を突いて他国やテロリストに攻め込まれぬよう、千里眼で監視を続けているのだ。

 オホーツク海で革命軍のテュールが恩着せがましく朝陽の足止めを行なっていることだって彼は見通していた。


「まぁ、龍脈を通して世界を見通すお前なら分かって当然か。……日本政府が他国への防衛処置や政治的牽制を今この時も行ってるのは知っとる。けどな、この戦いは儂が引き起こしたもんや。自分のケツくらい自分で拭かんとやろ」

「ホント、悪役らしくないよね。君って」

「性に合わんのは自覚しとる」


 両者が凄まじい剣戟の応酬を繰り広げる背後では、両断された『奈落』から溢れ出した無数のワームがルキフグスと厳を襲っていた。

 それらは蘆屋の術式によって地獄界ゲヘナより召喚された異界の怪物に修羅神仏の力を習合させた特別強力な魔物であった。

 

「ぬぅ! 油断するな。此奴ら一体一体がレート6最上位クラスに匹敵する怪物じゃ!!」

「言われなくても分かって——ッッ!!」


 数万体に及ぶ異界の怪物を斬り伏せている最中、突如横っ腹に何かが激突してルキフグスは吹き飛ばされた。


「ルキフグス!!」


 厳は周囲を莫大な溶岩で飲み込んで彼女の元へ駆けつけようとするが、そんな彼の行先を阻むように一体の怪物が立ち塞がる。


「愉シイナ? 嫌ガラセハヤッパリ愉シイ!」


 嫌に甲高い声音で不気味な笑みを浮かべるのはシュメール神話における原初の女神『ティアマト』が生み出した十一の怪物。


 七岐頭の大蛇ムシュマッヘ

 暴虐なる龍ウシュムガル

 蠍の尾を持つ龍ムシュフシュ

 王権示す獅子ウガルルム

 畏怖される猟犬ウリディンム


 それら五体の怪物が合成された上で神仏が習合されたものこそが眼前を阻む怪物の正体だった。

 その姿は頭部が龍で、首周りには獅子の立て髪を想起させる毛髪がある。

 肩甲骨の辺りからは三対六頭の龍頭が生え、全身は龍の強靭な鱗に覆われている。

 手足に備えられている獣の如き鋭い爪が空気を掴んで空を踏み締めていた。


 ルキフグスの方を見ると、あちらには残り六体分の魔物と神仏の合成獣が彼女と交戦していた。


「貴様らの相手をしている暇などない!! そこをどけぇ!!」


 厳は四方八方から襲いくるワームを焼き尽くしながら合成獣に殴りかかる。

 しかし、


「弱イ弱イ!! 人間如キ、我々の敵ジャナイ」


 紅蓮の猛火は合成獣に受け止められた。

 猛火はその体表を焼き焦がしてはいるが、それを上回る龍の自己治癒能力が負傷を帳消しにしていた。


「鬱陶しいわァァァアアアアアッッッ!!!」


 だが、彼の激情は現実を凌駕した。

 人の域を超越した激情は、合成獣の再生力さえも焼き尽くしていく。


「アレ、オカシイナ? 再生シナイ? ……デモ、マァイイカ? 最期ノ最後マデ我々ト遊ボウ?」


 再生力さえ焼き尽くされ、受け止めた左腕が溶解されていく合成獣であったが、だからと言って一歩も退くことはなかった。

 不気味な凶笑を挙げながら、厳の身体へと空いた右拳を打ち込み続ける。

 拳を打ち込む度に厳の煮えたぎった体表に触れた拳は少しずつ焼き溶かされ、原型を失っていく。

 されど、その勢いは止まらず、拳が溶けきって肉の塊となっても尚打ち込み続けた。

 

 厳から発せられる高熱だけで周囲に蠢くワームが蒸発していく中、合成獣はひたすらに拳を打ち込み続ける。

 そして、厳も合成獣の右腕を焼き焦がしながら、空いた左腕で合成獣を打ちのめす。


「楽シイ! 楽シイ! 楽シイッッ!!!」

「ウオォォォァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」


 ラッシュに次ぐラッシュ。

 相手を最速最短で滅することだけを考える殺し合いは程なくして決着を迎えた。


「キャハ! 愉シイ時間ハ過ギルノガ早イナァ」

「失せろッッ!!」


 遂に合成獣の両腕は焼き尽くされ、満足気な笑みを浮かべて立ち尽くす彼の顔面を溶岩の拳が吹き飛ばした。


「ハァ……ハァ……、ルキフグスは……、大丈夫のようじゃな」


 息を整えつつ彼女が交戦していた地帯を見ると、ちょうど決着が着いたのか、莫大な閃光が合成獣を飲み込んでいた。

 

 そして、それと同時に蘆屋と斬り結んでいた天羽が弾かれてくる。


「参ったよ。まさかバトルドーム内の私でも押し切れないなんて——」


 彼女が言いきる前に、突如眼前に現れた蘆屋が斬撃を見舞う。

 蘆屋の布都御魂と天羽の愛刀が火花を散らして鍔迫り合う。


「おや、意外と余裕がないのかな?」

「アホ抜かせ。余計な仕事はちゃっちゃと済ませる性質タチなだけや」


 涼し気な表情で煽る天羽に、蘆屋は獰猛な笑みを浮かべて刀に込めた力を増大させる。

 しかし、それに比例して天羽の力も龍脈から調達する無限の魔力にモノを言わせた莫大な魔力放出で押し返す。


 その時、突如として地面が抜けて溶岩に脚が浸かる。


「——ッッ!?」


 蘆屋の意識が天羽へ向いてる隙に厳は彼の足下を溶岩で溶かしてマグマの沼地を形成したのだ。

 それに足を取られた僅かな隙を突いて、二の太刀が迫る。


絶技再演リ・アーツ:白斂びゃくれん霹靂雪華へきれきせっか


 ルキフグスの全魔力を身体強化へと回した最速の一閃が放たれた。

 魔力は悪魔の心臓によって回復するとはいえ、一時的に魔力を全て使い切ってしまうリスクを負った一太刀。

 その価値に釣り合うだけの速度を伴った、光など及ぶべくもない超光速にして防御不可な事象崩壊現象を引き起こす刃が蘆屋の首を確実に断ち切った。

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