第119話 生涯唯一の好敵手



絶技再演リ・アーツ:白斂びゃくれん霹靂雪華へきれきせっか


 ルキフグスの全魔力を身体強化へと回した最速の一閃が放たれた。

 魔力は悪魔の心臓によって回復するとはいえ、一時的に魔力を使い切ってしまうリスクを負った一太刀。

 その価値に釣り合うだけの速度を伴った、光など及ぶべくもない超光速にして防御不可な事象崩壊現象を引き起こす刃が蘆屋の首を確実に断ち切った。


 だが……、


「油断しないでッ! まだ終わってない!!」


 唯一生命エネルギーを目視できる天羽あもうだけが蘆屋道満の生存を確認していた。

 だからこそ、声を挙げた。

 

 しかし、生命エネルギーを感知できないルキフグスと厳は彼女の声が届くまでの僅かコンマ数秒間、確実に息の根を止めたと油断していた。


(あの時の言葉はブラフか!?)


 一つ限りの奥の手と称していた蘇生の秘術:生活続命之法しょうかつぞくみょうのほう

 その言葉に嘘偽りこそ存在しないが、それは蘇生方法はもうないと思わせるミスリードだった。

 その結論に至った三人であるが、彼らが行動するよりなお早く、首のない蘆屋は地に身体を横たえたまま人差し指と中指を結ぶ。


——天文道:無明天元むみょうてんげん


 蘆屋は日本全土にあらかじめ素粒子レベルの極小式神を散布しており、誰もが知らず知らずの内に体内へとそれを取り込んでいた。

 それを厳は権能にも等しい溶岩によって無意識化で焼き尽くし、天羽は常に身体を巡る莫大な生命エネルギーで知らず知らず無効化していた。

 けれど、ルキフグスだけは気付く術もなく、自動発動するパッシブの対抗策もなかったが故に体内の式神を起点とした呪術を防ぐ術を持ち合わせていなかった。

 

 蘆屋の首が断ち切られることで生まれた一秒にも満たない僅かな隙。

 そこに挿入された呪術は『輪廻の輪を仮想顕現させ、そこへ意識を飛ばして暗き世界における一生を無限に流転させる』と言うものだった。

 ルキフグスならば数時間もあれば自力で打ち破れるだろうが、この戦いにおいては致命的だった。

 意識を飛ばされたルキフグスは力なく倒れゆく。

 

 そして、ルキフグスを再起不能にすると同時に首のない蘆屋はそのまま厳の元へ駆け出していた。


「クッ——!?」


 ルキフグスがやられたほんの数瞬の間に態勢を立て直した厳は、反撃として己の身体全てを溶岩へと変化させて迎撃に出る。

 反撃として繰り出した溶岩の拳は蘆屋の胸部を容易く貫いた。


 しかし、蘆屋はそれに構うことすらなく、魔力さえ焼き尽くす溶岩となった厳の身体を指先で緻密に掻き乱して直接術式を刻み込んだ。

 厳の身体によって指先は溶解して原型を留めていないが、その程度は些細な問題であった。


 そして、身体の負傷を『暴食の餓狼グラトニー』によって喰らい尽くすことなかったことにすることで再生した首で、しゅを紡ぐ。


「汝が身によどみ積もりし魔をみそはらわん——急急如律令!!」


 厳の身体に刻まれたものは陰陽術を語る上で最も有名な紋様である六芒星であった。


 其は、魔を祓う魔除けの術式。

 蘆屋は『魔』という定義に魔力を照応させることで、厳の残存魔力全てを一息に吹き飛ばしてみせたのだ。

 生命エネルギーにも似たものである魔力を全て失ってしまった厳は手足に満足な力も入らず、そのまま蘆屋の掌底によって吹き飛ばされてしまう。


 僅か一秒にも満たない油断によって、形勢は一気に逆転。

 ルキフグス、厳というレート7でも上位に位置する二人は戦線離脱を余儀なくされた。


「……首を絶たれても生きてるなんて、いよいよ化け物じみてるね」


 最早生死の概念すら超越した蘆屋を前に、天羽は冷や汗を垂らす。


「そら死を司る神かて大量にようさん喰らったからな。死の定義を改変するくらいお茶の子さいさいや」


 蘆屋は涼しげな顔で黒と白の入り混じる長髪を背に流す。

 普通は首を絶たれれば失血死する。

 仮にそれを免れても脳との接続を絶たれた身体は動かせないし、次第に各身体器官も機能を停止していく。

 しかし、死を司る神を含めた数多の修羅神仏を取り込んだ彼に最早その道理は通用しなかった。


「今の儂は肉体的な死を迎えることはあらへん。誰かの記憶に残ってる限り、この身は永劫不滅の存在や」


 本当の死とは誰の記憶にも残らなくなることだ、とは誰しも一度は耳にしたことがあるフレーズではあると思う。

 しかし、それを本当の意味で実現してしまうなど、なんの冗談だというのか……。


「ハハハ、いやぁ、もう笑うしかないね。どうやって決着をつけようか」


 人類史上最高クラスの実力者をもってして、彼を殺しきる術を想像すらできなかった。

 

 物理的に消し飛ばしても、誰もが彼の強さを記憶に刻み込んでいる以上、また再生するだけだ。

 

 彼に関する記憶を消そうにも、そんなことができる紋章者などいない。

 仮にできたとしても、蘆屋道満という歴史上の偉人でもある彼に関する記憶は何も人の身に刻まれたものだけではない。

 データや書物に記された情報だって、それは電子媒体や書物の記憶に違いないのだから。


 それら全てを消し去ることなどどう足掻いてもできない。

 そう、結論付けてしまった天羽の口からは乾いた笑い声が漏れる。


「諦めて脇役に徹するなら見逃したるけど?」

「……悪いけどそうもいかない。土御門くん、いや、今は安倍くん? 晴明くんでいっか。彼は私の大切な部下だからね。この国を護る特務課職員である前に、一人の上司として彼を護る筋があるのさ」


 天羽は十字架を想わせる長刀を蘆屋へと向け、不敵に笑む。

 勝つ方法など依然、思い浮かばない。

 それでも、立ち向かう理由はある。

 なら、最後まで他を安心させる笑みを浮かべて大切なものを護り通す。

 

 それこそが、彼女の信念なのだから。


「カッコええ上司やな。あぁ、ホンマ彼奴は昔から妬ましいくらい人に恵まれとるわ」

「それは君もだろう? 少なくとも、私は君を大切に思ってる人物に幾人か心当たりがあるけど」


 宿敵である安倍晴明の周囲にはいつも人がいた。

 だけど、そう思うのは安倍晴明ばかりに目を向けて盲目的になっていただけだったのかもしれない。

 彼の周りにだって、彼を大切に思う人物、彼を尊敬する人物は多くいたのかもしれない。


 ……いや、確かにいたとも。

 当時は気づきこそしなかったが、今となっては彼らの存在にありがたみを感じることができる。

 そして、今も……。


 安倍晴明との決着をつける為に切り捨てたにも関わらず、それでも己を止めようと必死になる愛しき親友バカたちがいる。


 確かに、彼女の言う通りだった。


「……隣の芝生は青く見えるってやつか。そうやな。確かに儂も人の縁には恵まれてるのかもしれんな」


 しくも、八神と出会う前、周りが見えておらず、ただ一つの目標ばかりに目を向けていた風早と同じだったことに蘆屋は苦笑を浮かべる。


(似た者同士っちゅうわけか)


 奇妙な共通点に、“これもまた運命か”と感慨深いものを感じる。


「まぁええ。儂の前に立ち塞がる言うなら、お前を踏み越えて、一〇〇〇年に渡る宿敵との決着をつけるとしようか」


 “勝ち目なんかないけど、堪忍な”、と薄く笑みを浮かべる蘆屋。

 

「勝ち目がない? いつもながら早計やな道満!!」


 そんな時、突如上方から聞こえてきた声は、一〇〇〇年も前から聞き馴染みのある声だった。


「来たか! 晴明ッ!!」


 喜色満面に上空を見上げると、紅く染まった満月を背に、巨大な鷲に乗った安倍晴明が蘆屋の元へと向かっていた。

 

 だが、それは彼の眼を上へ向ける為の囮だった。


 ズズズゥゥゥゥゥンッッッ!!!、と地をじ開けるような重低音と共に蘆屋道満を囲い込む十二の柱が隆起した。

 それこそは、最高峰の式神使いとして名を馳せた安倍晴明の切り札の一つ。

 彼が最も信頼を置いた最強の式神衆である十二神将だった。

 

 けれど、その姿は今や柱に閉じ込められ身動き一つ取れないもの。

 一切の動作を封じるという縛りによって、式神としてではなく、ある術式の効力を高める歯車の一つとして力を集約させたのだ。


六壬神課りくじんしんか!! 我が想いに応え、運命を調律せよ!!」


 晴明の言霊に応え、十二神将の柱が仄かに光を発する。

 発せられた光は即座に結びつくと、十二神将を起点とした幾何学きかがく模様の魔法陣が展開された。

 

「因果逆転の呪術か!!」


 展開された魔法陣に刻まれた術式は『因果逆転』。

 結果を刻んでから原因が後付けされる術式だった。


(大方、奴の狙いはこの身に刻まれた五行封核ごぎょうふうかくを完成させることやろう)


 先の晴明との戦いの最中さなかでは気づかなかったが、彼と戦い終わった後に封印術式:五行封核の内、四つの封印核が刻まれている事を蘆屋は自覚していた。

 

 火行は反射された炎魔神勅えんましんちょく取り込んで相生して土行術式へ転換した際に。

 

 木行は土行で硬化した肉体を貫くと共に体内をかき乱した術式『幻乱木魚』によって。


 金行は天文道:“奈落”を打ち破った直後に放たれた術式『金気重葬』によって。


 水行は晴明へ反射した『金気重葬』を彼が転換した術式『水鏡』に触れた一瞬で。


 本気の殺し合いの最中で、安倍晴明という男は四つもの封印術式の核を刻み込んでいたのだった。


(とはいえ、幾ら因果逆転の術式を使おうと、狙いが分かってるなら防ぎようはある)


 相手の術式を利用して己が術式へ流用する『相生』では肉体へ封印核を刻まれてしまうことは避けられない。

 しかし、相手の術式を対となる属性で打ち消す『相剋そうこく』であれば防ぎきることができる。


(そして、残る封印核は土行のみ。なら、全身に土行と相剋関係にある木行の呪力を纏っとけばいい話や)

 

 そして、晴明の呪符が蘆屋道満の肉体へ呪術を解き放つ。

 それは、彼が予測していた土行の術式。





 ではなかった。


「五行相剋! 頑健たる金行は木行を討ち滅ぼさん!! 金剋木きんこくもく!! ——金剛縛鎖こんごうばくさ!!」


 晴明が繰り出した術式は蘆屋が肉体の防護に用いた木行と相剋関係にある金行の呪術。

 それは、蘆屋を護る木行の術式を完全に打ち消してその身を鋼の鎖が縛り付ける。


「なん……やと……ッッ!?」

「言うたはずや、お前が僕にどんな理想を描いてたのかは知らんけど、お前の実力は僕なんかとうに越えとるって」


 それは、先の戦いにて敗北した折、蘆屋へ届けるはずだった言の葉。

 彼が平安の頃よりずっと抱いてきた想い。


「でもな、だからといってそれが勝ちを譲る理由になんかならん。他の誰でもない。蘆屋道満。お前にだけは、生涯唯一の好敵手であるお前にだけは! 絶対に負ける訳にはいかんのや!!」


 金行の術式で縛るまでもない。

 晴明の心の底からの言葉は、蘆屋を縛るに十分過ぎる破壊力を秘めていた。


「それが僕の! 一〇〇〇年前からずっと貫いてきた意地やからな!!」


 平安京にて毎日のように術比べをしていた頃からそうであった。

 飛び抜けた才能を持つ晴明。

 そんな彼に唯一並び立つことができた良きライバルである道満。

 そんな彼に負けることだけはどうしても認めたくなかった。

 だからこそ、天才でさしたる努力をせずとも天下を取っていた晴明が、彼と出会うことで初めて泥臭い努力をして、幾重もの策謀を巡らしたのだ。

 全ては、己と同じ位置に立てるただ一人のライバルに勝ち続けたいという一心で。

 

「でも、僕だけじゃもうお前には勝たれへん。だからこそ、僕は仲間を頼るんや」


——侵食領域展開: 遍く世を照らす光輪アウレオラ・マグナ!!

 

 聞き覚えのある声と共に、世界は黄金に染め上げられる。

 しかし、蘆屋は己が無意識化で展開していた侵食領域が塗り替えられていないことに疑念を抱く。


(そうか! 侵食領域の内部に更に規模の小さい侵食領域を展開したのか!!)


 八神の今の実力では蘆屋道満が無意識に展開している術式全てを塗り替えることはできない。

 だけど、この方法であれば範囲が縮小される分、より力は集約され、実力で劣る八神であろうと彼が展開している侵食領域を限定的に塗り潰すことができる。


 背後には空間転移で突如現れた八神が、その手に土行の術式が刻まれた呪符を持って迫っていた。

 必中効果が付与された侵食領域内での行動故に、その手を避ける術は存在しない。

 後、ほんの一瞬っで勝負は決まってしまうだろう。

 

(ここでやられるのも、良いんかもしれんな)


 そういった考えが一瞬頭の片隅を過ぎる。

 晴明の言葉は今度こそ彼の心の芯にまで響いていた。

 一〇〇〇年以上もの永き時を憧れて追い続けてきた理想の陰陽師に認められた。

 そう思うだけで、彼の心は満足してしまっていた。

 しかし、直後にそんな無様な考えは唾棄だきする。


「満足感なんかクソ喰らえや。儂は最後のその時まで足掻き続けるぞ! それこそが、我が無二の親友より学んだ儂の生き方や!!」


 風早颯は圧倒的な格上蘆屋道満を前にしても尚、最後の瞬間まで足掻き続けた。

 ならば、彼の親友として恥じぬよう、己とて最後の瞬間まで醜くも足掻き続けてみせよう。

 

(まずは、金行の呪縛術式を振り解く!)


 晴明に仕掛けられた金行の呪縛術式を解呪する。

 しかし、八神の手はもう間近まで迫っている。

 木行の術式を展開して防ぐだけの時間はない。


(問題ない! この身に宿る全魔力、全神性を純粋な身体強化へ回す!!)


 数多の修羅神仏を喰らって身につけた力と残る全魔力を全て身体強化へ回した蘆屋の肉体速度は時を置き去りにした。

 後、ほんの数センチメートルという距離にまで達していた八神の手を膝蹴りで打ち上げる。


 そして、続け様に掌底を放って彼女を吹き飛ばす。


「舐めないでよ。私だって無策で来た訳じゃないんだから」


 掌底をモロに喰らっても彼女が吹き飛ぶことはなかった。

 いや、それ以前の問題として、彼女は時を置き去りとした蘆屋の速度領域へ着いていくことができていた。


——僅かコンマ数秒間における全能性無限の存在格の完全解放。


 未だ馴染みきっていない天魔ルシファーとしての権能の完全解放こそが彼女が考えていた奥の手の正体であった。

 コンマ数秒とはいえ、時の概念など超越した真に全能たるルシファーの力を振るえる八神にとっては悠久にも等しい時間だった。


「言ったでしょ。君を止めてみせるって」


 全能たる権能は蘆屋の一切の動作を封じた。

 本来の蘆屋であれば解ける術式も、身体能力に全てを費やしてしまった今の彼に打ち破れるものではない。


 そして、晴明より託された土行の呪符が蘆屋へと刻まれる。


 ここに五つの封印核が揃った。

 

 そして、ここには未来さえも見通す人類史上最高峰の術師である安倍晴明がいるのだ。

 

 未来さえ見通す彼にとって、時を置き去りにした速度領域など関係ない。

 刹那にも満たぬ超高速空間でのやりとりも、つぶさに見通していた。


「汝が身に宿る数多の修羅神仏! 五行の相関をもって祓い封じる!! ——急急如律令!!」


 かくして、蘆屋道満の身に宿る全ての修羅神仏はここに完全封印された。



_______________________


【蛇足かもしれない補足】


蘆屋道満は安倍晴明のことは親友ではなく、無二の好敵手。

風早のことは好敵手ではなく、無二の親友と思っています。

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