第116話 人智を超えた決戦



 遂に、蘆屋道満あしやどうまんがその足をメインスタジアムの中へと踏み入れた。


「ほぉ。君ら二人が最終防衛ラインか」


 荒廃したメインスタジアム。

 観客席は全て崩れ去り、瓦礫さえも消滅したまっさらな地面に光樹で構築されたシェルターだけがポツンと存在している。

 

 そんな最早見る影もないメインスタジアムにて、光樹のシェルターを背に立ち塞がるは二人の怪物。


 一人は、高槻厳たかつきげん

 額をかち割られたかのような傷痕がこめかみに刻まれた彫りの深い顔立ち。

 綺麗な角刈りに整えられた黒髪は、桜をモチーフにした帽章煌めく隊帽に隠されている。

 彼が着込む迷彩柄の隊服には幾つもの徽章きしょうが煌めき、その多大なる功績を象徴している。

 その身は既に臨戦態勢に入っているのか、煮えたぎる溶岩がスタジアムの各所から噴出していた。

 

 もう一人の人物は東城要とうじょうかなめ

 黒髪をオールバックに纏めた筋骨隆々の偉丈夫。

 顔中に傷痕を残し、サングラスをかけた彼はその強面も相まってカタギには見えない。


 彼は、八岐大蛇との戦いによって一時戦線離脱した厳と違い、終始避難誘導やクラウンによる感染者の対応をしていたため、着替える暇さえなかった。

 故に、その身は未だ海パン姿であり、無数の傷痕が刻まれた肉体と背には彫られた龍の刺青が晒されている。

 

「不服か?」

「いやぁ、八岐大蛇にヤられてボロボロな身体で儂の相手が務まるんかなぁと思ってな。そこの彼に至ってはスタートラインにすら立ててないみたいやし」


 蘆屋道満の言葉は全て事実であった。

 八岐大蛇によって刻まれた傷は未だ癒えきっておらず、魔力だって万全に回復したとは言い難い。

 東城にしても、レート6最上位クラス。

 レート7に足を掛けているとはいえ、その程度ではこの戦いに着いてくることは難しいだろう。


「そうだな。お前の言う通り、マグマ親父は消耗してるし、俺はスタートラインにも立てちゃいねぇ」


 蘆屋の言葉に東城は素直に頷く。


「だがな、それが立ち向かわねぇ理由にはならねぇんだよ。ここで立ち向かわなくちゃ大切なものを失うことになる。なら、誰だって立ち上がるに決まってんだろ」


 東城は彼の言葉を受け入れた上で、それでも鋭い眼差しで睨み返す。

 実力が到底及ばないことなど分かっている。

 厳は疲弊し、万全でないこの状況は確かに悪い。

 だけど、彼らの背後には護るべき大切な存在がいる。

 戦う術を持たない民衆が、未だその牙を研ぎ澄ませる段階でしかない紋章高専生が、これからの未来を担う子供達が、彼らを護るべくその知力を、その全霊を振り絞る仲間がいる。


 だからこそ、彼らは決して退がらない。

 前だけを見据え、その厄災を打ち払わんと立ち向かうのだ。


「せやけど、お前らも気づいてしもうてるんちゃうか? 儂は民間人には手を出さん。それでも命を掛けるんか?」


 これまで蘆屋道満は可能な限り民間人への被害は避けるように動いていた。

 正真正銘の殺し合いの最中でさえ、彼は己が式神に殺しを禁じた。

 だが——。


「お前は絶対に人を喰わない猛獣を見たことがあるのか?」


 悪党の言動が必ずしも真とは限らない。

 殺さないと油断したところを畳み掛けるように殺戮することだってあり得るのだ。

 なにより、信頼関係などない敵を信じることなどできるはずがない。


「クク、そりゃそうか。悪党の言動を間に受けるバカがおる訳も——」

絶技再演リ・アーツ大地開闢の拳聖ガイア・グロスィヤ


 言葉の途中、凄まじい衝撃が蘆屋の腹部を襲った。

 口端から鮮血を溢しながら目線を下ろすと、腹部に拳をめり込ませる一人の少女の姿があった。


「ルキフグス……ッッ!!」

「吹き飛べ」


 星の記憶アカシックレコードに刻まれた己が班長クラウスの絶技の再現。

 その拳に秘められた、大気を震撼させる地震エネルギーが炸裂し、蘆屋を空へと撃ち飛ばす。


 二人を囮に奇襲を成功させたルキフグスは最初から全力全開だ。

 ぴょこん、と飛び出した長いアホ毛が特徴の白雪が如き純白のロングヘアー。

 毛先にいくほど淡く焔のように赤みを帯びるその流麗な頭髪からは、三本のねじくれた角を覗かせている。

 両手は肘あたりまで龍鱗りゅうりんに覆われ、その手をまるで龍のように鋭い爪へと変貌させた魔龍戦型だ。


ウル・赤き龍リュシフュージェの咆哮・ロア


 油断も様子見もない彼女がただの一撃で終わらせるはずもない。

 間断なく、ルキフグスは口腔に留めた莫大な魔力を空へ打ち上げた蘆屋道満へ解き放つ。

 一都市をまるごと消し飛ばす程の熱量が蘆屋道満を飲み込んだ。


 それでも、彼女の攻勢は止まらない。

 糸魚川いといがわからの指示オーダーは『敵が本気を出す前に速攻で仕留めること』。

 その存在が確実に消え去るまで、彼女の猛攻が止まることはない。

 

多重顕現デュアルロード——」


 一都市すら容易く消し飛ばすドラゴンブレスに飲み込まれた蘆屋の周囲に、数多の砲門が顕現する。

 不完全な顕現・・・・・・によって多少綻びが見えるそれは、超科学都市アトランティスにて秘密裏に製造されていた、銀河間航行すら可能とする宇宙戦艦の主砲。

 隕石やまだ見ぬUMA、UFOとの戦闘を想定して設計された荷電粒子砲だった。

 その数、一二〇門。

 

「——銀河系航行戦艦オリュンポス主砲、臨界駆動……斉射」

 

 自壊もいとわない限界以上の性能を引き出した一二〇の砲門から、破滅の閃光が解き放たれる。

 

 瞬間。

 

 世界から音が消えた。


 もう一つの極大な太陽が顕現したと思うほどの極光が日本全土をあまねく照らし出した。

 

 そして、遅れて暴風という言葉すら生温い、それだけで大災害を引き起こすであろう爆風が巻き起こった。


「クゥッ!! ヤベェな。ハハハ、あまりに次元が違いすぎて笑けてくるぜ」


 東城は彼女の紋章術によって生じた爆風に煽られ、その場に立っていることがやっとであった。

 この暴風の中では、まともに動くことなどできず、とても戦闘などできる状況ではない。

 武闘派であり、龍を殴り殺した逸話を持つベオウルフの紋章者である彼ですら、彼女らの戦いには加わる権利すら与えられなかった。


「東城、今の内に後方へ退避しておけ。ここでのお前の役目は終わりじゃ。後は戦闘の余波から皆を護れ」


 対して、厳は余裕の態度であった。

 余波によって巻き起こる莫大な暴風を焼き尽くすことで無効化しているのだ。


(不甲斐ねぇが、これ以上俺にできることはねぇな)

「承知した。後は頼んだぜ」


 そう言い残して、東城は爆風に乗って後方へと退避した。

 厳の頭上では、未だに宇宙生物すら滅ぼす閃光の只中へと無数の武器を展開し、自壊オーバーロードを前提とした破壊の奔流を叩き込み続けるルキフグスの姿があった。


領域再現リ・ドメイン・溟き冥府の檻タルタロス


 ルキフグスは無数の武具を展開、射出を繰り返しながら新たな紋章術を発動する。

 それは、ギリシャ神話に語り継がれる冥府の檻の再現。

 星の記憶アカシックレコードに刻まれた情報を元に再現された、直径二メートル程度の黒き小世界が蘆屋を飲み込むように展開される。

 

 タルタロスに放り込まれたが最後、神でさえ抜け出すことは不可能だ。

 なぜなら、ありとあらゆる可能性未来が閉ざされ、現在が永劫に繰り返されるからだ。


 しかし、この程度で蘆屋道満を封印できるとルキフグスは考えない。

 彼をこの小世界へ幽閉したのは、彼が溟き冥府の檻タルタロスを突破するまでの僅かな時を利用して、絶死の一撃を確実に叩き込むためだ。


武装顕現リ・アームズ天叢雲剣あまのむらくものつるぎ

 

 星の記憶アカシックレコードを辿り、再現するは日本神話に名高い神剣。

 ありとあらゆるものを抵抗なく斬り裂くその刀を構え、繰り出すは世界最強の剣士と名高い柳洞寺紫燕が編み出した絶技。


絶技再演リ・アーツ徒桜あだざくら


 光速で振るわれた斬撃は黒き小世界タルタロスごと蘆屋道満を切り刻んだ。

 抵抗は不可能。

 舞い散る桜が如く斬り刻まれた黒き小世界諸共に、今度こそ蘆屋道満は葬りさられた。


 

    ◇



「蘆屋道満の生体反応消失……ッ!! やった、やりました!! 僕たちの勝利です!!」


 その事実は、方舟内部にいる糸魚川いといがわも計器を通して観測していた。

 ルキフグスの絶死の猛攻を受けながらも耐え抜いていた蘆屋であったが、溟き冥府の檻タルタロス諸共に斬り刻まれたのを最後にその反応を完全に消失させていた。


「いやいや、落ち着け。最大の脅威は去ったといえど、まだ朝陽さんや柳洞寺さんの戦いは続いてるんだ。映像が途絶えた那須なすの様子だって原因究明を急いで打開策を講じなきゃいけないし、気を緩めるにはまだ早い」


 ペチッ、と両頬を叩いて気合を入れた糸魚川は未だ続く各地の戦いをサポートするべく観測を再開する。


 その時だった。


 バトルドームを観測していた計器があり得ない反応を捉える。


「え、……な、なん……で……?」


 糸魚川は震える手で再度、目標地点を精査する。


「あり得ない。……あり得ないですよ。だって、……だって!! 一度死んだ人間が甦るなんてあり得ない!!!」


 バトルドーム内メインスタジアム。

 完全消失を確認した蘆屋道満の生体反応が復活した。

 計器の故障を疑って何度も何度も何度も精査を繰り返しても、その反応は変わらない。

 方舟の計器は、確かにそのあり得ざる反応を検知していた。


「……終わり……だ。……こんな奴、どうやったって勝てっこないじゃないか……ッ!!」


 方舟の計器は蘆屋道満の復活を示していただけでない。

 その存在規模も正確に捉えていた。


 先までの蘆屋は手を抜いていた。

 この程度で問題ないだろう、と持てる力の一部しか使っていなかった。

 星の記憶アカシックレコードで喰らった数多の幻想種の存在かたちを加工して振るいはしていても、それはあくまで武器として扱っていただけだった。

 謂わば、人間としての蘆屋道満の力でしかなかったのだ。

 だからこそ、そこに付け入る隙があった。

 『慢心』という唯一の隙があったのだ。


 しかし、復活を遂げた蘆屋道満からは『慢心』という唯一の弱点が削ぎ落とされてしまった。

 これより猛威を振るうは、呪術を極めた上で数多の幻想種と一体化し、その権能さえも自由自在に扱う修羅神仏習合体としての蘆屋道満。

 その身から放たれる濃密な魔力は、余人が浴びればそれだけで死に至る程。

 彼と同じく人の領域から逸脱した者レート7クラスだけがその眼前に立つ資格を与えられる正真正銘の怪物だ。


「喰らい尽くした神々の力を完全解放した。それだけの話だろう」


 声を震わせて絶望する糸魚川にそう告げたのはオペレートを手伝っていた特務課第三班班員、鬼衆きしゅう実誠さねみであった。


「それだけ? 何がそれだけだって言うんですか……。もう終わりなんですよ。もう、人間が勝てる相手じゃなくなったんですよ」

「そうか。ならば、勝手に諦めて隅で泣いていろ」


 諦観に支配された糸魚川は弱音を零すが、鬼衆はそれを冷たく一蹴した。


「俺は諦めない。戦いで役に立てない俺にできることはヤツを観測して、その情報を探ることだけだ」


 彼は一切糸魚川の方を見ることなく、その視線は常にモニターへと注がれている。


「ならば、この命尽きるまで続けるのが俺の選択だ」


 その言葉を受けた時、糸魚川の覚悟は決まった。

 目元に溜まった涙を袖で乱雑に拭うと、震える手で観測を再開する。


「クソッ! クソッ!! クソッ!!! 元犯罪者のクセにカッコいいんだよコンチクショーッッ!!」


 悪態を吐き捨てる糸魚川は素早いタイピングで計器を操作して、食い入るようにモニターを睨みつける。

 

「僕だって諦めないよ!! お前みたいにカッコよく最後まで足掻いてみせるよ!!」


 そう吼える糸魚川を横目に、鬼衆は口角を僅かに上げて笑みを浮かべる。


「ああ、それでこそ俺が輝きを見た特務課お前たちの在り方だ」


 “諦めず、最後の時まで己が信念を貫き通す”。

 それは、かつて復讐代理人として猟奇殺人を繰り返していた己に与えられた言葉だ。

 あの日見た、目映くも暖かい輝きを胸に彼は己が戦いを続ける。

 今度は復讐の連鎖を繋ぐものではなく、あの日見た輝きを繋ぐものとして。


「この命尽きるまで、その輝きを繋ごう」



______________________


【ちょっぴり補足】

ルキフグスが扱う星の記憶アカシックレコードより再現した絶技は紋章絶技ではありません。

本来はその者しか扱えない技という意味で絶技と称しています。

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