第115話 未だ朽ちぬ矜持

 


 方舟はこぶね内部にある病室。

 個人用の小さな病室には、人一人入れる大きさのカプセルが設けられており、内部は特殊な液体で満たされていた。

 そこに酸素マスクをつけてただよう者が一人。

 腰まで届く金糸の髪を揺蕩たゆたわせ、爛々らんらんと輝く黄金の瞳は安らかに閉じられている。

 一糸纏わぬ姿の八神紫姫やがみしきが浮かんでいた。

 

 蘆屋道満あしやどうまんに敗北した彼女は、クリスの治療を受けた後、魔力を回復させる為にこの装置へと放り込まれていたのだ。

 

「ンッンッン★ 実に美しい♠︎ 是非ともボクのコレクションに加えたい逸品ですね❤︎」


 八神が揺蕩うカプセルのすぐそばには、瞳にスペードの紋章を宿した一人のナースが佇み、三日月のような不気味な笑みを浮かべていた。

 彼女こそが方舟内部へとクラウンの意志を運び込んだ最初の感染者感染源だ。


 方舟内部を経由して外部へ避難させる際、怪我人は治療してから待機所である五箇所の巨大ホールのどれかに割り振られる。

 それを読んでいたある人物・・・・はクラウンにあらかじめナースの一人の身体を乗っ取らせて、怪我人を治療と同時に随時感染させていったのだ。

 その結果こそが、先のパンデミック。

 少数の怪我人が鼠算方式で感染者を増加させていったのだ。


「ンッンッン〜★ さぁてさてさて、それでは最高の手駒をもって、醜くもいまだこの世にしがみつく旧文明を滅ぼしましょうかね♠︎」


 ニタニタとした笑みを浮かべるクラウンは彼女が揺蕩うカプセルに満ちる液体を循環させている装置へ手をかける。


 この装置に己の血を混入させる。

 たったそれだけで彼女はクラウンの紋章に感染する。

 彼の紋章術に感染する条件は数あれど、その中でも血液による感染は最も強力な効力を発揮する。

 彼女の内部に存在するルシファーやミカごと感染させて、肉体を乗っ取ることさえも可能であろう。

 

(そうすれば、世界すら滅ぼせる完全解放されたルシファーの力で新しき世界の到来を妨げる不純物を漸く排除できる♠︎ そして……、王の寵愛は我が物に……❤︎ ああ、想像するだけで絶頂してしまいそうです❤︎)


 仮に彼女の身体を乗っ取ったところで、未だルシファーの力が完全に馴染んでいない彼女の身体では、完全解放したルシファーの力が振るえる時間は半日にも満たないだろう。

 それも、彼女の身体を使い潰すことを前提としてだ。


 しかし、クラウンはその僅かな時間で十分だった。

 感染者の身体など使い潰すまでがワンセットと考えている彼にとっては、身体が崩壊しようとどうだっていい。

 その僅かな時間で旧き時代より醜く生き残る残留物どもを排し、新しき世界の到来を妨げる旧時代の遺産を根絶やしにさえできればその後などどうでもいいのだ。


(寧ろ快感ですらあります❤︎ ぐちゃぐちゃになるまで使い潰して最後には肥溜めにでも捨てましょうかね♦︎)


 循環器に接続されているタンクを開帳し、クラウン本体の血液が入ったボトルを傾けた。


『魔獣に自我を汚染された弱輩風情が、随分勝手な真似しとるやないか』


 脳内に直接声が響いた瞬間、身体が微動だに動かなくなった。

 あとほんの少し手首を傾けるだけで、特大の玩具が手に入るというのに、その僅かな動きさえも封じられてしまっていた。


『己の私利私欲で大勢を傷つけた儂は、今となってはどう足掻いても正義の側には立てん』


 動きを止められたのはナースだけではなかった。

 方舟内部にひしめく数多の感染者、その全員の動きが一斉に止められていた。


『それでも、儂が魔を払う者であることには変わりない。その矜持まで捨て去った覚えはない』


 どう足掻いても指一本動く様子のない感染者達に、痺れを切らしたクラウンは巨大ホールの感染者を全機停止させ、接続対象をナース一人へと一本化し、分散させていた力を集約する。

 しかし、それでも指一本動かすことは叶わなかった。


『この蘆屋道満が、お前らみたいな邪悪を野放しにするとでも思ったか?』

「ンッンッン〜★ 旧き時代の残留物風情が不遜な……♠︎ とはいえ、貴方には何もできません♣︎ 私の本体はアフリカにいますからねぇ〜♠︎ 幾ら貴方といえど、手も足も出せないでしょう❤︎」


 クラウンはふざけた口調こそしているが、その実力はレート7に相当する。

 中でも、精密な魔力操作技術においては世界最高峰の実力を誇る。

 そんな彼だからこそ、アフリカ大陸の何処かから日本にいる感染者を操るという常軌を逸した芸当ができたのだ。


「とはいえ、今回はここまでのようです♣︎ 狂乱のクラウン、次回の活躍をこうご期待★」

『ドアホが。お前に次なんかないわ』

「? ——あ、れ?」


 ナースの身体が突如、糸が切れた人形のように床に崩れ落ちる。

 そして、変化はそれだけに留まらない。


「ンッンッン〜♣︎ 呪詛返しですか♠︎ 感染者に繋がった原子レベルの魔力糸を通して、ボクの肉体へ干渉するとは……侮りました、ね★」


 アフリカ大陸某所。

 人々が行き交う大通りに面したカフェテリアの一角にて、外資系サラリーマンのようなスラっとした高身長で金髪の白人男性から突如鮮血が舞い散り、騒乱の中でその息を途絶えさせた。



   ◇



 方舟内部の騒乱が一つの収束を迎えた頃。

 八神やがみは肉体を眠らせながらも、その精神を他所へ飛ばしていた。

 その行き先は、治療後少しでも身体を休ませる為に、八神とは別室にて同じくカプセルに浸かりながら眠っている安倍晴明あべのせいめいの下だ。


 安倍晴明の精神世界は、彼にとって最も思い出深い土地である平安京であった。

 千里眼を使えば、案の定といった場所に彼の姿はあった。

 碁盤ごばんの目に沿って整地された道を歩き、彼女はこの精神世界の主人がいるであろう場所を目指す。

 

 辿り着いた先は現代では晴明神社が建立されている場所。

 平安時代の風景そのままである精神世界では、一条天皇によって晴明神社が建立される前の姿、即ち彼が住む邸宅の姿があった。


 八神は軒先で靴を脱ぐと、彼の気配がする奥まで歩みを進める。


「そろそろ来ると思ってたで」


 ふすまを開けると、そこには一人の美丈夫が胡座あぐらをかいて練り菓子を頬張っていた。

 

 肩まで届く長めのおかっぱ頭。

 腰まで届くほど長い流麗な後ろ髪はうなじで一本に縛られている。

 中性的ではあるが、精悍せいかんさも併せ持つその顔立ちは非常に整っており、日本人離れした青みがかった紺碧の瞳はサファイアを想わせる。


 白の狩衣かりぎぬに身を包み、烏帽子えぼしをかぶる。

 えりには日輪を背にわしが翼を広げている紋章が刻まれた特務課職員のバッジを着けたその人物は、お目当ての人物である安倍晴明に相違なかった。


「呑気だね。というか精神世界で食事して意味あるの?」

「別に腹が満たされる訳やないからそういった意味では意味ないのかもしれんな。でも、味覚はちゃんと感じられるから美味しいっていう幸福感はきちんと得られるで」


 “そういうものか”と八神は脳裏で優雅にワインとミカ特製お菓子を頬張るルシファーを思い浮かべて納得する。


「どうせ肉体の回復はまだなんや。お菓子でも食べながらゆっくりしようや」


 “この練り菓子は平安の頃からずっと好きでな、使用人の姉ちゃんに作ってもらってたんよ。一緒にどうや?”と勧めてきた彼の言葉に乗って、八神は机の上に置かれた兎を模した練り菓子を頬張る。


「ん、美味しい」

「やろ?」


 もきゅもきゅ、と少しずつ味わって食べる彼女はまるで小動物みたいで、思わず晴明は優しげに目を細める。

 

「ほれ、本場京都の抹茶も一緒にどうや? 甘い後味を抹茶の苦味で流すと次の手が止まらんくなるけどな」


 八神は促されるままに抹茶を飲むと、彼の言う通り口内に残る甘さが抹茶の苦味で良い具合に中和され、思わず次の手が伸びてしまっていた。

 ニヤニヤと笑みを浮かべる晴明に気づいて一瞬手を止める彼女であったが、ここで止めたとしても彼の術中のような気がして気に食わない。

 それならば、彼の掌の上であろうと甘味を堪能する方が良いと、新たな練り菓子へと手をつける。


「ククク、気に入ってもらえたようで良かったわ」

「そのニヤニヤした笑みは気に食わないけど、和菓子に罪はないし」


 未だニヤニヤとした笑みを浮かべる晴明の視線から逃れるように和菓子を手に持ったまま顔を背けると、軒先から覗く日本庭園が目に入った。

 視線の先にある透明感のある池では錦鯉が自由に泳いでいた。

 鹿威ししおどしが時折奏でるカコーンという音は小鳥のさえずりと合わさって自然のオーケストラのようだ。


 そんな日本が誇る美しき姿を眺めながら、八神は本題を切り出す。


「晴明には彼を止める策があるんだよね?」

「ある。とはいえ、成功確率は半々ってとこやけどな」


 八神は方舟内部へ搬送される間際、クリスと話す彼の言葉を耳にしていた。

 だからこそ、精神世界に干渉してまで話に来たのだった。


「それは私が作戦に組み込まれても?」

「その上で、半々やとも」


 晴明は最初から彼女の存在を勘定に入れて計算をしていた。

 大事な弟子に代わって、彼の親友を止める為に。

 そして、己にとってもかけがえのない友を止める為に。

 彼女は敗北してもまた必ず立ち上がると予測していたのだ。

 しかし、それでも確率は半々。

 

「この作戦においては彼奴あいつの強さは関係ない。彼奴がただ強いだけじゃなく、頭までキレるってとこがネックなんや」

「つまり、作戦を読み解かれる可能性があると?」

「そういうことや」


 蘆屋道満という男は数多の幻想種を取り込んだ規格外の存在というだけではない。

 千年に及ぶ用意周到な計画を企てて、特務課や陸自ら全員を欺いてみせたその狡猾こうかつな頭脳だってこの上ない脅威だ。

 そんな彼ならば、現在進行形で進んでいる晴明の策すら看破してしまう恐れがあるのだ。

  

「なら、読み解かれた上で回避不可能なものにしよう」

「侵食領域か」


 八神が言わんとしていることを晴明はズバリ言い当てて見せた。

 侵食領域の必中効果ならば、確実に当てることができる。

 とはいえ、あくまで必ず当たるだけだ。

 防がれる可能性は十分にある。

 だからこそ、


「それだけじゃない。その上で私が隠し玉を披露する」

「隠し玉?」


 ちょいちょい、と彼女が手招きするままに顔を寄せると、コソコソと耳元で隠し玉の詳細が告げられる。


「……それがホンマに可能なら確実に彼奴の虚を突くことはできると思う。でも、そんなことしてホンマに大丈夫なんか? いや、そもそもそんなことが可能なんか?」

「大丈夫。そこは私を信じて欲しい。必ず成功させてみせるから」


 そう言う彼女の眼は自信に満ちていて、確実に成功させるという気概が感じられた。

 だからこそ、彼はその想いに掛けることにした。

 彼女ならば必ず成功させると信じて。


「分かった。それじゃ、君に掛けてみることにする。絶対成功させて、あの馬鹿野郎を一緒に止めよう」

「うん、あのバカに私たちの全部をぶつけてやろう!」


 ニッと笑みを浮かべた二人は互いの拳を合わせると、更なる詳細を詰める為の話し合いを続けるのであった。

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