第114話 託された想い



 狂乱に満ちた方舟内部。

 宍戸ししどらがいる巨大ホールとはまた別の避難民待機ホールにもまた、クラウンの魔の手が進行していた。


 いや、進行というと語弊ごへいがあるかもしれない。

 

 なぜなら、このホールにはもう、未感染者はたったの四名しか残されていないのだから。

 未感染者は紋章高専トーナメント出場者である滝澤遥たきざわはるか水上叶恵みずかみかなえ、そして彼女の弟である水上蒼みずかみそう水上海みずかみかいの四名。

 しかし、今また一人、クラウンの手に堕ちようとしていた。


「お、お姉ちゃん!!」


 そうは滝澤の背に庇われながら大粒の涙を零すことしかできなかった。


「もういいよ! それ以上無理しないでくれよ!!」


 かいもまた、蒼と同じく背に庇われながら、涙で顔をくしゃくしゃにしている。

 そこにいつも強気に振る舞う彼の面影はない。


 彼らの眼前では、総数三〇〇をも越える感染者を相手に立ち向かう最愛の姉の小さな背中があった。


 感染者の多くは戦う術を知らない民間人だとはいえ、その誰もが紋章者としての力は振るえる。

 普段は許可されていない故に行使できないが、クラウンに身体を乗っ取られている今は民間人全てが数多の紋章を駆使して襲いかかってくる。

 

 だが、問題はそれだけではなかった。


「だ、いじょうブ。タ、きザわさん、……絶対、ふたリを護って。少し、デも傷つ、……ケタら。……死んでもユルさないから」


 水上はスライム状にした両腕を巨大化させて、その半流体状の腕に民間人を飲み込ませる形で壁へと叩きつける。

 壁に叩きつけられた民間人は一切のダメージなく、その衝撃によって意識だけが刈り取られて無力化される。

 

 感染者を次々と無力化させていく彼女は、決して振り返らなかった。

 いつもなら、余裕の笑顔を見せて弟達を安心させる彼女が、決してその顔を見せることはなかった。

 

 それだけで、滝澤達は全てを察していた。

 三〇〇人以上の紋章者を相手に感染を防ぐ手立てなどない。

 宍戸ししどと同じく、二秒間の接触という感染条件を解き明かしていた彼女達であるが、そうと分かっていても対処などできるはずがない。

 故に、水上叶恵は既にクラウンの紋章術に感染していた。

 感染した上で、最愛の弟達を護るという硬い意志だけで侵食に抗って戦い続けているのだ。


「アハハ★ ボクの紋章術にこうも抗ってみせるとは感心感心♠︎」

「でもでもぉ❤︎ いつまで護れるかな? いつまで自己を保っていられるかな?」

「気づいてる? キミ、さっきからずっとボクみたいな素敵スマイルを浮かべてるってさ★」


 乗っ取った民間人の口を借りたクラウンの耳障りな声が方々ほうぼうから聞こえる。

 水上はそんな雑音を遮るように、肥大化させた腕で先程と同じく民間人を壁に叩きつけて無力化していく。


「へ、ヒヒ★ ……うるサイ」


 気持ちの悪い笑い声を溢す己が口を、水上は己の拳で破砕して無理矢理閉口する。

 下顎ごと破砕した口はスライム故に即座に再生するが、その口元は彼女には似つかわしくない嫌らしい笑みに歪んでいた。

 

 己の身体がもう殆どクラウンに侵食されていることは彼女自身が最も理解している。

 己の口角が気味の悪い笑みに歪んでいることも、目元が三日月のように歪んでニタニタとした笑みを浮かべていることも自覚している。


 だからこそ、彼女は弟達を振り返れない。


 彼らを安心させてあげることができない。


 ……最愛の弟達の涙を止めてやることもできない。


「だから、セメて。大切ナモノを害スルオマエだけは——」


 水上はスライム状に変化させた身体を肥大化させ、その身で全ての感染者を飲み込む。

 飲み込まれた感染者はハサミに変化させた腕で切り裂いたり、身体中から針を出して貫いたりと抵抗するが、自然格の流動性ともまた異なる彼女の身体は超克を駆使するクラウンでさえ傷一つつけられないでいた。

 そうしているうちにも、彼女は全てを終わらせる準備を整えた。


「——ワタシが倒ス!!」


——太平震撼す、其は大海揺るがす鼓動テテュス・カルディア!!

 

 全ての感染者を飲み込んだ彼女は、その身を心臓が如く脈動させる。

 巨大な心臓と化した彼女の鼓動による衝撃で、全ての感染者の意識が途絶える。

 それは術者である彼女も例に漏れない。

 最も厄介な感染者は核以外への攻撃が殆ど通用しない自分自身であると理解していた彼女は、己自身も術の対象としてその意識を刈り取ってみせたのだ。


「姉ちゃん!!」

「お姉ちゃん!!」


 意識が刈り取られ、人間形態へと自動で戻った水上の元へ弟達が駆け寄ろうとする。

 しかし、滝澤は二人の身を抱えて引き止める。


「何すんだよ! 姉ちゃんが!」

「お姉ちゃんの元へいかせてよ!!」


 突然、抱き止められた蒼と海は滝澤へ食ってかかるが、その身を抱きとめる力が緩まることはない。


「絶対にダメ。……まだ、何も終わってなんかない」


 滝澤は二人を抱き止めたまま、地に倒れ伏す感染者達から眼を離さなかった。

 疑問を抱いた二人は彼女の視線の先を追う。

 

 すると、そこには気を失ったはずの感染者達の中から立ち上がる一人の姿があった。


 その男は、ヘアバンドで赤髪を纏めた青年だった。

 腰につけたホルスターには、彼が愛用する一丁の拳銃が納められている。

 ワルサーP38にも似た拳銃であるが、紋章術の使用にも耐えられるように耐久性が高められた特別な一品。 

 紋章高専トーナメントにおいて第三位の成績を勝ち取った猛者。

 

 吉良赫司きらあかしがその瞳にスペードの紋章を浮かべて立っていた。


「ン〜ンッンッン★ いや、実に素晴らしい♣︎ 魔力は強い意志に応える。それは時に物理法則さえ歪め、人の可能性さえ拡張する❤︎」


 吉良の身体を乗っ取ったクラウンは、ニタニタとした笑みを浮かべ、瞳を三日月に歪めながる。


「故に、我が紋章術に抗ったことに驚きはありません❤︎ しかし、その健闘には拍手を持って応えるべきでしょう★」


 静寂が包むホールにクラウンの拍手だけが虚しく響き渡る。

 その隙に、滝澤は水上に託された、彼女の命よりも大切な二人を背後へ隠す。


 相手はこれまでの紋章を使えるだけの民間人ではない。

 紋章高専トーナメント第三位に至るほど、その肉体と技術を、そしてその身に宿る紋章を鍛え上げた猛者。

 その内に宿る者も、世界的な犯罪組織の一人として申し分ない実力を秘めた怪人だ。

 勝率など計算するまでもなく低い。

 ゼロとまでは言わないが、一桁あれば良いほうだろう。


(それでも、それが刃を取って立ち向かわない理由にはならない!)


 水上は自我をむしばまれながらも、強固な意志の力で最後まで抗って大事な弟達を護ってみせた。

 なら、次は己の番だ。

 彼女に託された二人を護る為、命を賭して戦う。

 その覚悟を決めた彼女は腰に履いた刀の柄に手を掛ける。


「あ、メンゴ★ そんな顔されるとつい奪いたくなっちゃうんだ❤︎」


 片目をつむり、舌を出したクラウンは地に伏す水上へと無慈悲な凶弾を放つ。

 紋章高専トーナメント第三位にして、紋章高専随一の銃の使い手による早撃ちなど、到底反応できるものではない。

 

 

 それが、紋章高専随一の才覚の持ち主でもなければ。


「奪わせません。貴方なんかに、何も奪わせたりするもんですか!!」


 クラウンが放った凶弾は、滝澤の居合切りによって弾かれていた。


「ンッン〜♣︎ 弾丸より速く動くとは……♠︎ いえ、ここはボクの早撃ちに反応できたその反射神経を誉めるべきでしょうか★」

「貴方の早撃ちなんて大したことありませんでしたよ。吉良先輩は貴方なんかよりももっと凄かったです」


 吉良と直接戦ったのは去年の紋章高専トーナメントの時だけだ。

 その時でさえ、彼の弾丸は予測が難しく、いつ弾丸を放ったのかも見えなかった。

 今年に至っては、特務課職員である凍雲の指導によって更なる高みへと至っていた。


 そんな彼の早撃ちに比べれば、同じ肉体を使って経験も知識も、何もかもを自分のものにしていても、クラウンの早撃ちなど彼の足下にも及ばなかった。


「なるほど★ ……嬉しいコト言ってクレンじゃねぇか」

「えっ」


 ズガンッ!

 一発の銃声が響いた時、銃口から放たれた三発・・の弾丸が吉良の利き手を除く両手足を撃ち抜いていた。


「カッコ悪い姿晒しちまッタな。悪い、後は……頼んだ」


 その言葉を最後に、再び肉体の主導権はクラウンへと戻る。

 しかし、もう遅い。

 自力で支配を振り切った彼の意志は、確かに託された。


「いいえ、最高にカッコよかったよ。吉良くん!!」


 神速の居合切りが解き放たれる。

 クラウンは吉良の類稀なる動体視力をフル活用し、その斬撃を完全に見切っていた。

 精細さは欠けるが、魔力糸で外部から矯正すれば無理矢理四肢を動かすこともできる。

 しかし、避けようとした身体はまるでラグが発生したかのように言うことをきかなかった。


 彼女の紋章は概念格:遅延。

 脳から肉体へ流れる電気信号を遅延させることで、ほんの一瞬身体の動きにラグを生じさせたのだ。

 そして、この神速の攻防においてはその一瞬が命取りとなる。


「ンッンッン★ 敗北ですね♠︎」


 神速の居合切りから放たれた峰打ちはクラウンの胴体を逆袈裟に叩きつけて壁まで吹き飛ばした。

 崩れた瓦礫の山に埋もれる吉良の身体はぐったりとしており、そこにクラウンの気配はもう感じられなかった。

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