第106話 最強であった理由



 そして、地から天へと昇るかのようないかずちの奔流によって二人の陰陽師による激闘は幕を閉じた。


 最後に立っていたのは——




  ——蘆屋道満。


 雷撃に焼かれた晴明は息こそあるものの、最早立ち上がる力も残されてはいないようだった。


「ハァ……ハァ……、ふざけるなよ。晴明」


 念願の宿敵を討ち破ったというのに、蘆屋の相貌に浮かぶのはこれまでにないほどの憤怒だった。


「ふざけるな!! 儂をコケにするのも大概にせぇッ!!! お前が! 平安最強の陰陽師たるお前が、この程度の実力な訳がないやろうが!!!」


 蘆屋道満の知る安倍晴明の実力はこの程度のものではなかったはずだ。

 彼が千年以上もの永き時を費やしてでも手を伸ばし続けた綺羅星が如きいただきは、こんなものではなかったはずだ。


「立て!! 立ってもう一度戦え!! あの時越えたいと焦がれた頂点が! この程度でへばってんじゃねぇぇぇええええええええッッ!!!!」


 憤怒の咆哮を上げる道満に対し、晴明は力無く笑みを浮かべることしかできなかった。


「アホ抜かせ。僕の実力なんかこんなもんや。……言うたやろ。お前の相手が一番面倒やったって。僕がお前に負けへんようにどんだけ策と準備を練ってたと思っとんねん」


 晴明はまるで諭すような静かな声音で続ける。


「お前の実力は平安の頃から僕と大差なかった。お前が僕にどんな理想を描いてたのかなんか知らんけどな。星の記憶アカシックレコードすら喰い荒らしたお前に、今更僕なんかが勝てるわけないやろ」


 蘆屋道満が平安の頃から幾度も安倍晴明としのぎを削ったと言う話は現代でも有名だ。

 だが、実際にはそれ以上の数え切れないほどの勝負を二人は繰り広げてきた。

 何百、何千、何万と繰り広げられた勝負。

 その全てに晴明は勝利を収めてきた。


 安倍晴明の最期、蘆屋道満の生涯におけるただ一度の勝利でさえも晴明の掌の上だった。

 蘆屋の謀殺によって殺害されたはずの晴明は死を偽装していたのだ。

 その後、晴明は何食わぬ顔で宮廷に舞い戻り、蘆屋道満を殺人の罪で追放した。


 これだけ聴けば蘆屋道満と安倍晴明の間には越え難い壁があったと思うだろう。

 事実、蘆屋道満自身もそう思っていた。

 

 だが、実際は蘆屋道満という天才陰陽師に負けたくないという一心で、入念な準備と幾多にも分岐できる柔軟な策略を練ることで、漸く勝てていたというのが真実なのだ。

 

「でも——」

「言い訳はもうええわ。弱音も、弁明も、もう聞きとうない」


 晴明の言葉を遮り、蘆屋道満は地面に倒れる宿敵を睨みつける。


「儂はこれから龍穴りゅうけつに向かう。そこから呪詛を流して今度こそ世界を終わらせる」

「——ッッ!? そんなことをしてなんになるっていうんや! お前の目的は僕と決着を着けることじゃないのか!?」


 龍穴は地球全土をまるで葉脈のように巡るエネルギー経路の収束点。

 そこから蘆屋道満ほどの術師が呪詛を流し込めば、雨戸の拡張の紋章など用いずとも容易に世界を崩壊させることが可能だ。

 そうなれば最早宿命の決着もなにもない。

 全てはグズグズに腐食して無に帰すだけだ。


「お前と納得のいく決着が着けられんのなら、そんな世界になんの意味がある言うんや?」

「…………ッッ!!」


 そう述べる彼の言葉に、今度こそ嘘は感じられなかった。

 先のような晴明を誘き出す為のハッタリなどではなく、本気で世界を終わらせるつもりなのだ。

 宿敵との納得のいく決着が望めないのならば、彼なりの正義や信念を捻じ曲げてでも全てを終わらせる。

 それだけの覚悟を抱いて、彼はこの戦いに臨んでいたのだ。


「我が傷を喰らえ、暴食の餓狼グラトニー


 蘆屋は音もなく半透明な獣の顎門アギトを現出させ、身体についた傷の全てを喰らい尽くしてなかったことにする。


「お前にまだやる気が残ってるなら、追ってこい。儂は、お前以外の何者にも止められんぞ」


 そう言い残して、蘆屋道満はその場を立ち去った。


 隙あらば攻撃を加えようと考えていた八神と凍雲だったが、今の彼にそのような隙は微塵も感じられなかった。


 先まで僅かに残されていた甘さなど最早微塵もない。

 正真正銘、世界を容易く滅ぼせる力を持った修羅となった彼に、疲弊した彼らが横槍を入れることなど不可能であった。


 その時、突如八角形のメインゲートの周りを六角形、五角形などの幾何学模様の光が散らばる空間の穴が開く。

 それは、糸魚川いといがわ方舟はこぶねに繋がるゲートであった。


「皆さん無事ですね! すぐに治療を行いますので中へ! 晴明さんは僕が運びます!」


 中から現れた人物は少女のような男性であった。

 前髪のサイドを伸ばした白雪のようなショートヘア。

 今は翡翠ひすいの穏やかな眼差しを鋭く尖らせ、真剣な面持ちにある彼の名はクリス・ガードナー。

 特務課最強を誇る第一班の所属にして医療班班長を務める人物である。

 

 一部始終を方舟内部から観測していたクリスは蘆屋がいなくなったタイミングを見計らって治療を行うべく回収に現れたのだ。


 クリスがゲートから次々と出てくる医療班のメンバーに風早たち高専生徒の搬送を指示をすると、自身は晴明を医務室へ搬送するべく駆け寄る。


 細い身体に見合わぬ力強さで晴明を抱き上げたクリスは方舟内部にある医務室へと迅速に搬送を開始する。


 その道中、クリスの腕の中で晴明が声を上げる。


「クリス、僕の戦いはまだ終わってない。悪いんやけど、無理をしてでも戦えるようにしてほしい」


 クリスは晴明に負担をかけないように駆けながら逡巡しゅんじゅんする。

 方舟内部でやりとりは見ていたから事情は把握している。

 そして、彼が因縁や感情だけでこんなことを言っている訳ではないということは、それなりの付き合いであるクリスは理解していた。


 それでも、医師として、重傷である彼をこれ以上戦いの場に出すのは承知しかねる。

 

「後生の頼みや。彼奴あいつだけは、僕にしか止められへんのや」


 だが、クリスとて医師である前に一人の人間だ。

 彼の望みを叶えてあげたいという想いがある。


 そして、現在この場にいる戦力において、安倍晴明という存在はとても大きい。

 単純な実力だけではなく、敵の癖や性格を知っていて、ある程度考えを読めるというのはとても大きい。

 なにより、彼にはまだ勝ち筋があるように感じられた。


「…………分かったよ。君の願い、確かに聞き届けた」


 だから、クリスは医師としての己と特務課班員としての己の折衷案せっちゅうあんを遂行する。


「この医神アスクレピオスが君を万全の状態で送り出してあげるとも」


 傷だらけのまま戦場に放り出したくないのなら、己が治してしまえば良いだけの話だ。

 普通ならば全治二ヶ月に及ぶ大怪我だろうが関係ない。

 

(この身に宿る医神の名に掛けて、不可能を可能にしてみせる)


 それこそが、偉人格幻想種:アスクレピオスの紋章者である己にしかできない責務であると信じて。

 彼もまた、己の戦場で不可能を覆すべく戦うのであった。



    ◇



 その頃、東京湾沿岸に辿り着いたルキフグスは荒れ果てた港で立ち尽くしていた。

 それもそのはず、


「……班長、どこ……?」


 クラウスを救出するために全速力で駆けつけた彼女であったが、彼は既に糸魚川いといがわの手によって救出済みで現在治療中であった。


 クラウスが討伐した大嶽丸の遺体もいつの間にか消えていたため、港には最早何も残されてはいなかった。


「むむむ?」


 光を越える速度で駆け抜けた彼女を捕捉することは容易ではない。

 そんな彼女を補足した糸魚川いといがわが情報を伝達するまで、スク水姿のまま誰もいない港を捜索しては首を傾げるルキフグスであった。


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