第105話 双極の陰陽師



前書き補足

・五行相生

順送りに相手を強化する相性関係。

木→火→土→金→水→木

ex)木→火=木生火 木行が火行を強化する。


・五行相剋

順送りに相手を打ち滅ぼす相性関係。

木→土→水→火→金→木

ex)木→土=木剋土 木行によって土行を打ち消す


・五行比和

同属性が重ねると互いに高め合う関係。

ex)木+木=双方の威力増大


______________________


「相変わらず気取った野郎やな。この時を待ちに待ったぞ、晴明せいめい

「こんな形で僕は会いたくなかったよ。道満」


 喜びを噛み締めたような表情の蘆屋あしやとは対照的に、土御門晴明つちみかどはるあき——否、安倍晴明あべのせいめい——は苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。


「遅い、ぞ。……土御門」

「全くだよ。今まで、ハァ……何をしてたのさ」


 立つのもやっとな凍雲いてぐも八神やがみの二人はそれぞれ氷の槍、光の剣を支えに立ちながら文句を垂れる。


「堪忍な。此奴こいつを倒す為の準備に手間取ってしもたんや」


 晴明は蘆屋の背後で立つのもやっとな二人へ笑みを浮かべて返す。


「ほう、儂を倒す準備……ねぇ。安倍晴明ともあろう男が儂ごときを相手に下準備に奔走してくれたとは、嬉しいもんやなぁ」


 一〇〇〇年も昔から越えるべき目標として追い続けていた陰陽師が己を倒す為だけに奔走した?

 そんな訳がない。

 いつも余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった態度でいつも己を打ち負かしてきた、憎くも偉大なる陰陽師がそんなことの為だけに注力するはずがない。

 だからこそ、蘆屋は苛立たしげに皮肉で返した。


「何を言うとんのやら。お前が相手やからこそ入念に準備せなあかんねやろうが。宮廷に仕えてる時からお前の相手が一番面倒やったわ」


 しかし、晴明としては嘘など何一つ吐いてはいなかった。

 真実、彼は蘆屋道満という強敵を倒す為だけに数々の下準備を整え、万全の策を練ってきた。

 そしてそれは、言葉通り昔から行ってきたことであった。

 蘆屋道満という男を相手に、楽に勝てた記憶など安倍晴明には一つとしてなかった。


「その割には随分と余裕綽々な態度で毎度負かされたもんやけどな」

「アホ。弟子に負けれるわけがないやろ」

「お前を師などと思ったことは一度ったりともあらへんわ! そもそもあれはお前が呪詛でみかんを鼠に変えたんやろうが!!」

「後手を譲ったお前がアホなんやろ。陰陽師たるもの騙くらかしてなんぼやろうに」

「ホンマに昔っから姑息な奴や! お前のそういうところが儂は嫌いやったんや!!」

「そうか? 僕はお前のそういう純粋なところ好きやけどなぁ」


 クククと口元を狩衣のダボついた袖で隠して笑う晴明。

 対する蘆屋はまるで芦屋であった頃のようにありのままの姿で怒りの表情を見せる。


 静けさを保った怪しげなやりとりは瞬く間にヒートアップし、しまいにはまるで仲の良い男友達のような掛け合いを見せる二人だったが、それもここまで。


「なぁ、道満。お前は僕なんかとうに越えとる。それでもやる気なんか? 僕を越えることは、大事な友人との日常を捨ててでもなし得たいことなんか?」

「儂はお前を越えることだけを目指して生き抜いてきた。その為に人間の枠を越えて、平安から現代まで研鑽を重ねてきたんや。今更止まれるはずがないやろ」

「そうか、そうやな。言葉で止まれる段階はとうに過ぎとるよな」


 懐に抱き抱える雨戸に呪符を貼り、片手で印を結ぶと、彼女の身体は瞬く間にかき消えた。

 あらかじめマーキングしておいた糸魚川いといがわ方舟はこぶね内部へと転送させたのだ。

  

 その様子を見た八神と凍雲は戦いの予兆を感じ取り、傷だらけで倒れ伏す風早らを保護している凍結空間を背に護る形で後退する。

 魔力を絞り切った彼女らは力を振り絞り立ち上がったものの、最早もはや戦う力は残されていない。

 だからこそ、これから始まる戦いの邪魔にならぬように、そして、隙を見て援護ができるように後退したのだ。


 蘆屋越しにその様子を見ていた晴明は笑みを浮かべ、その手に呪符を構える。


 対する蘆屋も呪符を構える。


「さぁ、久しぶりの術比べと洒落込もうか」


——炎魔神勅えんましんちょく急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!!


 先手を切ったのは蘆屋道満。

 呪符から解き放たれた莫大な炎の奔流が晴明へと迫る。


真言オン大日大聖不動明王アビラウンケンソワカ!!」


 晴明を守護するように三枚の呪符が舞い、呪符を起点に光の結界が展開される。

 結界に接触した炎はその勢いを倍以上に増大させ、術者である蘆屋の元へとひるがえる。


五行相生ごぎょうそうしょう! 火行かぎょう巡りて土行どぎょうてんず。火生土かしょうど!!」


 蘆屋を飲み込んだ莫大な炎の奔流。

 だが、飲み込んだのは炎ではなく蘆屋の方であった。

 蘆屋は飲み込んだ炎を源流として、皮膚を硬化させる。


 そして、鋼鉄以上の硬度に硬化した肉体を振るい、晴明へと殴りかかる。


 対する晴明は冷静沈着に真言を唱える。


真言ノウマクサンマンダ大不動バザラダセンダ・明王・金剛マカラシャダ・ソワタヤ縛り・ウンタラタ・の陣カンマン


 真言を唱えると共に、蘆屋の背後に顕現した不動明王が抱きとめる。

 まるで惑星そのものが重石となったかのような束縛に、さしもの蘆屋道満も一切の身動きが封じられる。


 そして、続け様に晴明は口頭による詠唱、思考によってのみ完結する無詠唱。

 二つの方法による二重詠唱で二種の呪術を同時発動する。


真言オン・十一面観音菩薩ロケイジンバラキリク・ソワカ!!」

(五行封核ごぎょうふうかく:じん幻乱木魚げんらんもくぎょ)


 晴明の身体を覆う鎧のように、半霊体状の半透明な十一面観音が顕現する。

 そして、十一面観音を纏った晴明の渾身の殴打が金縛りによって無防備な姿を晒す蘆屋の鳩尾みぞおちへ容赦なく叩き込まれる。


「ゴハッ!!」


 土行どぎょうの術式と相剋そうこくの関係にある木行もくぎょうによる術式は蘆屋の硬化した肉体を容易く貫いた。

 凄まじい威力の拳を受けた蘆屋は、たまらず遥か後方へ吹き飛ばされる。

 同時に、腹部から体内へ、霊体状の魚が多数侵入して蘆屋の体内を掻き乱していく。


「ウ、グギ、ガ……」


 身体の内側を無数の小魚が泳ぎ回るような不快感。

 そして、魔力回路と呼吸器官を掻き乱されて魔力が上手く練れないばかりか、呼吸すらままならない蘆屋は泡を噴いて悶え苦しむ。


(呪骸流し!!)


 術による解呪は困難と判断した蘆屋は適当な神格を見繕って、体内を泳ぎ回る霊体の小魚ごと体外へ排出することでことなきを得た。

 すぐ横で霊体の蛇に内側から食い破られている戸山津見神トヤマツミノカミを見てゾッとする。

 あと少しでも対処が遅れていれば内側から食い破られていたのは己であったろう。


「ク、ハハハ!! ホンマエグいことやらしたら天下一品——!!」


 昔を懐かしんで言葉を紡ぐ蘆屋であったが、敵に休む間を与える程、安倍晴明という男は甘くはない。


——天文道てんもんどう奈落ならく


 刹那。

 夕暮れ刻の木々生い茂る戦場に夜が舞い降りる。

 否、突如夜が訪れた訳ではなかった。

 

 夕焼けの光さえも飲み込み、覆い隠す巨大な深淵のワームが大空より蘆屋を飲み込まんと迫っていたのだった。

 その深淵に飲み込まれたが最後、果てのない深淵を永遠に堕ち続けるハメになることを彼は知っていた。

 これこそが安倍晴明の十八番オハコ、天文道における切り札の一つ。


 だからこそ、蘆屋道満は笑みを浮かべる。


「ええで! それでこそ儂の越えるべき壁や!! お前が最も得意とする天文道を打ち破らな何も始まらんよなぁ!!」


 蘆屋は獰猛な肉食獣のような笑みで禹歩うほと呼ばれる独特のステップを踏むことで、己が内に取り込んだ十二柱の神々を顕現させる。

 

 国之常立神クニノトコタチノカミ

 豊雲野神トヨクモノノカミ

 宇比地邇神ウヒヂニノカミ

 須比智邇神スヒヂニノカミ

 角杙神ツノグイノカミ

 活杙神イクグイノカミ

 意富斗能地神オホトノヂノカミ

 大斗乃弁神オホトノベノカミ

 於母陀流神オモダルノカミ

 阿夜訶志古泥神アヤカシコネノカミ

 伊邪那岐命イザナギノミコト

 伊邪那美命イザナミノミコト


 日本神話における天地開闢のおりに産まれた七代ななよの神々。

 それらが蘆屋道満の呪詛によって形を変え、混ざり合い、一本の極彩色の矢となる。

 

呪装転換じゅそうてんかん神世七代かみよななよ


——常世破りの破界矢オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ!!


 ただ、威力が高いだけの技であれば、底なき深淵に墜ち続けるだけで何の意味も為さない。

 だが、彼が放つ矢は十二柱もの神々を練り合わせて創造した規格外の概念兵装。


 極彩色の矢は世界そのものを削りながら突き進む。

 そして、何者をも飲み込み、永遠に続く深淵へと突き落とすワーム奈落を穿ち祓った。

 矢の射線状は文字通り世界そのものが穿たれて真っ白な空白に染められるが、世界の修正力によって次第にその色を取り戻していく。


 そんな世界の終わりを思わせる攻防も、彼らにとっては数ある手札の衝突に過ぎない。


 蘆屋の足下に魔法陣が展開される。


——五行封核ごぎょうふうかく金気重葬ごんきじゅうそう


 無詠唱で展開された術式は蘆屋の身体へ凄まじい重圧をかけて地面へ平伏させる。

 そして、変化はそれだけに留まらず、地に膝をついた蘆屋の身体を金属へと変質させていく。

 しかし、その程度のことは想定内だった。


「返すぞ、晴明!!」


 大技の後には絡め手が来る。

 晴明の癖を見抜いていた蘆屋は両手で地面を叩き、自身にかけられた術をそっくりそのまま晴明へと返した。

 そして、同時に目にも止まらぬ速度で駆け出し、肉弾戦を仕掛ける。


「アホ、お前が僕の癖を見抜いてるなら逆も然りやろうが」


——五行相生ごぎょうそうしょう・金行滴りて水行と成す。金生水ごんしょうすい


 術を返された晴明はそれすらも読み切っており、返された術を燃料に新たな術式を発動する。

 

水鏡みかがみ

「お前ならそう来ると思ったわ」


 蘆屋は晴明が展開した術式がどんなものか知らなかった。

 だが、この局面で用いる術がどんなものかは晴明のことを誰よりも知る彼ならば容易に察しがついた。


 だからこそ、彼は握りしめた拳。

 その五指に呪詛を込めていた。


 蘆屋が晴明の身を守るように展開された水の鏡へ触れると同時、五指に宿った呪詛が晴明の術式さえも利用して猛威を振るう。


五行相生ごぎょうそうしょう:水生木すいしょうもく天嵐那由多てんらんなゆた”!!」

「しまッ——!!」


 読み負けた。

 そう気づいた時には既に蘆屋の五指から呪詛は放たれ、己の術式さえも利用した嵐のような雷撃が晴明の身体を焼き貫いていた。


 だが、ただでは終わらない。

 咄嗟とっさ相剋そうこくに位置する金行の術式で威力を軽減した晴明は、明滅する意識の中、次なる一手を打つ。

 精密な魔力操作によって、自身を焼き貫いた雷撃の嵐に己の意思を介入させ、意図的に暴走させる。


「友達なら分け合わんとな」


——五行比和ごぎょうひわ相嵐天舞そうらんてんぶ


 術者の制御を離れ、晴明が流した木行の呪術によって更に威力を強めた雷撃の嵐は晴明、蘆屋両名を諸共に焼き焦がす。


「ガァァァァアアアアアアアッッッ!!!」

「晴明!! せいめェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッッ!!!!」


 蘆屋は油断などしていなかった。

 だが、まさか己すらも巻き込んで術式を暴走させるなどとつゆほども想定していなかったのだ。

 故に、防御など間に合うはずもなかった。


 だが、それは晴明も同じだ。

 己が保身を考える暇などなかった。

 そんなことをしていれば確実に防がれてしまっていたからだ。

 だからこそ、なんの防御術式も展開せず、術式を暴走させたのだ。

 

 そして、致死に至る電流によって二人の陰陽師による激闘は幕を閉じた。


 最後に立っていたのは——




______________________


【補足的小話】


蘆屋が言っていた呪詛で蜜柑を鼠に変えたという説話は実在するもの。


道満は晴明の噂を聞き、「私以上の天才陰陽師はいないのだ」と言う事を証明するために播磨から上京してきて、晴明と対決をします。

この対決は、内裏の庭で行われました。

多くの公卿や役人たちを前にした法力勝負。

幾つかの勝負の末、最後は木箱の中身を当てると言う勝負。


その際、道満は「これに負けたら弟子になる」と宣言しちゃいます。


道満の答えは「木箱の中身は蜜柑十五個」

対する晴明は「鼠が十五匹」と回答。


始めから木箱の中身を知っている天皇や公卿たちは、「さすがの晴明ももはやこれまでか」と考える。

ところが、木箱の中から出てきたのは、姿を変えた十五匹の鼠達でした。(『ほき抄』『安倍晴明物語』より)


晴明は木箱の中の蜜柑を鼠に変えるという後出しジャンケンで勝利を収めたのでした(ずっちぃなぁ


【コソコソ裏話】

芦屋初登場回(第39話)にて、女好きの彼が八神を見かけたのに声を掛けなかったのは、大気中に散布した式神によって彼女の中にルシファーがいると知っていたからです。

ルシファーに正体を見抜かれることを防ぐ為に、あの場では遭遇を避けて、陰陽術で隠蔽後に彼女と関わりを持つようになりました。

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