第104話 役者は揃った



 

 場面は移り変わり、蘆屋道満あしやどうまんとの死闘が繰り広げられる、夕焼けに染まるメインスタジアムから数キロメートル離れた戦闘訓練用の敷地。


 世界を侵食していた領域は砕け散り、キラキラと天からは煌めく破片が舞い散る。

 黄金に染め上げられた天蓋てんがいは破られ、崩落した箇所からは夕焼けに燃える本当の空が顔を見せていた。


 パラパラと崩れ落ちていく理想郷。

 荒れ果てたその大地で八神やがみ凍雲いてぐもの両名は地に伏せていた。


 その正面には、無傷の蘆屋道満。


「ンン。思ったより消耗させられたなぁ。まさか一六柱も神を使い潰させられるとは思わんかったで」


 “と言っても、在庫はまだまだあるんやけども”と溢す蘆屋は余裕綽々といった態度で倒れ伏す二人の前で座り込む。


 世界を侵食していた黄金に輝ける理想郷は完全に崩れ去り、元の夕焼けに燃える空と周囲を林に囲まれた原っぱが姿を取り戻す。

 

 彼の背後では、侵食領域の外に出されていた雨戸が依然としてドス黒い呪詛の十字架にはりつけにされている。

 そして、その頭上に掲げられている数字が示すは——『弐』。

 

 世界が崩壊するまで残された時間は、たったの二分しか残されてはいなかった。


「さて、残された時間も少ないところやけど、その前にちょっと聞きたいことがあるんや」


 スッと、指を振り降ろすだけで地に伏す二人の身体を呪詛が拘束する。

 そして、蘆屋はしゃがみ込むと、ずっと疑問に思っていたことを八神へ投げ掛ける。


「なぁ、八神の姉ちゃん。お前はなんでまだ特務課の人間として戦い続けるんや?」

「どういう……こと……?」


 蘆屋の問いかけに八神は身体の痛みを堪えながら疑問を返す。

 

「だって、お前はデリットを滅ぼして一人の人間、八神紫姫やがみしきとして自由な人生を送る為に特務課に入って戦ってたんやろ?」


 蘆屋が述べるは、彼が本来知るはずもない八神が特務課に入ることとなった理由。

 これまで戦ってきた理由であった。

 

 だが、不思議ではない。

 数えきれない程の修羅神仏を喰らい尽くしてきた彼ならば、過去を観測する程度造作でもないのだろう。


「なら、もう戦う理由なんかないはずや。やのになんでまだ戦いの道に身を置いてるんや?」


 八神は明るい世界に憧れていた。

 その発端は、彼女を生み出した開発者が悪意をもって入力した煌びやかな平和な日常表世界の記憶。

 彼女を苦しめる為だけに入力されたその記憶がしくも彼女の心を支え、戦う力を与えた。

 

 だからこそ、デリットが壊滅した今、彼女が戦う理由はもうないはずなのだ。

 日常を謳歌したって良いはずなのだ。

 なのに、何故未だに戦場に身を置いているのか、蘆屋はどうしても理解できなかった。


「そんなの、居心地が良かったからだよ」


 対する八神の返答は、何処にでもありふれた平凡なものであった。


「凍雲は仏頂面だけど、仲間想いで優しい」


ジンは先輩のくせにバカで面倒ばかりかけられるけど、一緒にいて楽しい」


「ルミはちっちゃくてかわいいけど、酒乱なのが玉に瑕」


「マシュはちょっとドライなところがあるけど、面倒見の良い姉貴分」


「班長はゆるふわで一緒にいるだけで安心できる」


ひじりはオドオドしてるけど、意外と頼りがいのあるみんなのパシリ」


 “え!? 僕パシリ扱い!? 先輩なのに!!”という幻聴が聞こえた気がするが気のせいに違いない。


「そんなみんなと過ごす日常は掛け替えの無いもので、それこそが私の望んでいた煌びやかな日常なんだ」


 彼女が欲した未来。

 ささやかなことで笑みを溢し、気の置けない仲間たちと共にいる日常は……、既にその手にあった。

 特務課第五班こそが、八神紫姫やがみしきという一人の人間がありのままで過ごせる居場所となっていたのだ。


「そんな日常を護るために、私は戦うんだ」


 蘆屋へ語り聞かせる中で、己の最も大切な戦う理由を再確認した八神の身体に再び力がみなぎる。

 もう、魔力はほとんど残っていない。

 だけど、それでも戦う理由はある。

 

 八神は気力を振り絞り、身体を拘束する呪詛を力技で破壊していく。

 彼女の横では、凍雲が八神には負けていられないという意地だけで呪詛の拘束を破壊しつつあった。


「ありがとね。私をもう一度立ち上がらせる為にあんなことを聞いてきたんでしょ?」

「なんや、なんでもお見通しやなぁ。せやで、だってこれからが本番やゆうのに演者が少なかったら盛り上がらんやろ?」


 雨戸の頭上に表示される文字がついに『壱』を示した。

 最早、一刻の猶予もない。

 即座に術式を解除しなければ、雨戸の存在全てを消費した紋章絶技が強制発動され、世界は彼の呪詛に呑み込まれて崩壊してしまうだろう。


 だが、その心配はもう必要ない。


 この場にいる誰もが待ち望んでいた主役が、漸く辿り着いた。


真言・聖観自在菩薩オン・アロリキヤ・ソワカ!!」


 人の身を優に超える大きさの鷲から舞い降り、現れた人物は夕陽を背に、空中で印を結ぶ。


 すると、雨戸を拘束していた呪詛はいとも簡単に光り輝く粒子となって解け消えた。

 そして、狩衣かりぎぬを纏ったその人物は、着地と同時に拘束が解けて倒れ込む雨戸を優しく抱きとめた。


「随分遅い到着やないか。我が宿敵」

「主役は遅れて登場するのが華やろ」


 現れた人物は、彼らの見知った人物であった。

 

 肩まで届く長めのおかっぱ頭。

 うなじで縛られた腰まで届くほど長い流麗な後ろ髪が風になびいて揺れ動く。


 中性的ではあるが、精悍せいかんさも併せ持つその顔立ちは非常に整っており、日本人離れした青みがかった紺碧の瞳が蘆屋を真っ直ぐ射抜く。


 蘆屋とは対照的な白の狩衣かりぎぬに身を包む姿は陰陽師という言葉で表すが相応しいだろう。

 烏帽子えぼしをかぶり、えりには日輪を背にわしが翼を広げている紋章が刻まれた特務課職員のバッジを着けたその人物の名は——


「相変わらず気取った野郎や。この時を待ちに待ったぞ、晴明せいめい


 彼の名は、土御門晴明つちみかどはるあき


 否、断じて否である。


 そんなものは転生の秘術“泰山府君祭”たいざんふくんさいによって現代に転生した肉体の名でしかない。

 

 彼は平安の頃から蘆屋道満の内に秘められた執念を察していた。

 その為の計画を予測していた。

 神々を含めたありとあらゆる幻想種を喰らうことで、一〇〇〇年以上もの時を生きることを未来視の千里眼によって目撃した。

 だからこそ、彼を止めるため、彼と決着を着けるため、死の間際全てをかけた大秘術によって現代へと転生を成したのだ。

 

 その真名こそは、平安の世にて最強と謳われた伝説の陰陽師。


 安倍晴明あべのせいめいである。



    ◇


 

 所変わり、北海道オホーツク海沿岸。

 最早その原型は残っておらず、地表はあまりの熱量に溶解し、天は地表の熱量によって発生した上昇気流によってゴロゴロと稲光を轟かせている。

 そんな荒れ果てた大地にて、朝陽は足元で虫の息となって転がる大太郎法師ダイダラボッチ一瞥いちべつする。


 三〇〇〇メートルを優に越える巨体は神との融合によって人間と同程度の大きさにまで変生へんじょうしていた。

 

 前髪は腰あたりまで長さがあり、まるで幽鬼のような不気味さを抱かせる。

 身体のいたる箇所が苔むしていて、頭部にはねじくれた四本の枝のような角が生えた異形。


 これこそが、蘆屋道満によって神の力を借り受けた彼の新たな姿だ。


 だが、それでも朝陽昇陽あさひしょうようには敵わなかった。

 

 共にいた海坊主は既に跡形もなく消滅させられていた。

 

 そして、残る大太郎法師ダイダラボッチもその後をすぐに追うこととなる。


「さらばだ。遥かなる太古の強者よ」


 朝陽の掌から照射された魔力が大太郎法師ダイダラボッチを跡形もなく消滅させる。

 なんの技でもない、ただの魔力放出が蘆屋道満の結界さえも焼き貫いて水平線の彼方かなたまで一切を焼き尽くした。


「急がなくてはな」


 こうしている今も仲間たちが、そして守るべき一般市民が傷ついている。

 だからこそ、最速で向かうべく魔力放出で空を駆けようとしたその時、遥かなるそらから飛来する何かを感じとる。


 朝陽が頭上を見上げる。

 彼の視線の先にあったもの、それは隕石だった。


 それも一つではない。

 夕焼けの空を埋め尽くす無数の隕石が流星群となって朝陽昇陽を滅さんとばかりに降り注いでいた。


 それを見た朝陽は言葉もなく、一つの弓を取り出す。

 それこそは、マハーバーラタの英雄カルナが用いたインド三大弓の一つに数えられる強弓ごうきゅう——勝利へ導く殲弓ヴィジャヤ

 担い手を如何なる傷からも護り、勝利へと導く、弦の切れることのない弓だ。

 

 そこにつがえるは、眩く黄金に輝く焔の矢。


日天よ、遥かなる尊き陽を与えよスーリヤストラ


 天より降り注ぐ流星群大災害へ放たれた矢は瞬く間に大気を斬り裂き、隕石へと直弾する。


 直後、眩い光が大空を埋め尽くす。

 それはまるで、もう一つの太陽が顕現けんげんしたかのような御業みわざであった。


 極光が晴れると、そこに流星群の姿はなく、雲一つない夕空だけが広がっていた。


「流石は人類史上最強の紋章者。日本など容易く滅ぼす大災害すら一蹴ですか」


 パチパチと拍手の音と共に声が聞こえ、背後を振り向くと、そこには一人の男がいた。

 

 光を一切返さぬ純黒に眩い金糸が混じったアッシュショートヘアの男。

 着崩した黒のワイシャツに緩めたワインレッドのネクタイ。

 その上からオフホワイトのサマージャケットを羽織った新進気鋭のIT企業にでも属していそうな彼の名はテュール・リード。


 現行社会の破壊を掲げる革命軍“リベラルファミリア”のトップに立つ男だ。

 その脅威度はレート7の中でも最上位に位置し、彼の首にかけられた額は日本円にして61億1200万円にものぼる。

 それは国家に対する危険度も加味されているが、当人の並外れた実力によるところが大きい。


「テュール・リード。お前もこの事件の首謀者の仲間か?」


 蘆屋道満が展開した結界は未だ健在。

 レート7でも上位に位置する大太郎法師ダイダラボッチらでさえ破壊には多少の時間を要するであろう強固な結界を素通りできたということは、首謀者の一味であると推測した朝陽であったが、


「仲間……というよりは友人ですよ。ここへは君の足止めをする為に勝手気ままに参りました」


 仲間ではなく、友人として此処へきたという彼の言葉に嘘はなかった。

 言葉通り、本当にお友達感覚で蘆屋道満の助太刀に来たのだろう。

 そして、それは恐るべき事実をも孕んでいた。

 

 つまり、彼はレート7上位の実力者でさえ穏便に破壊することは敵わない結界をなんのズルもなく、正面突破してきたということだ。

 先の流星群といい、油断できる相手ではない。


「そうか。悪いが火急の要件がある。速やかに撃破させてもらうぞ」

「それはいけませんね。彼にこれ以上はないほどの借りを作る絶好の機会ですので——」

 

 朗らかに笑みを浮かべるテュール。

 彼に構えはない。

 ただ、悠然と佇むのみ。


 対する朝陽はその手に太陽を象った、日輪が如く輝きを放つ焔といかずちを纏いし神槍——神々を葬る必滅の槍マヘーンドラ・シャクティ——を構える。


「——精一杯粘らせていただきましょうかね」

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