第91話 人類史上最速の大英雄アキレウス


 

はやてくん!!」


 メインスタジアムから数キロメートル離れた戦闘訓練用の広い敷地。

 周囲は林に囲まれ、地面は綺麗に管理された芝生に覆われている。

 その中央で、ドス黒い呪詛じゅそが形を成した十字架に雨戸あまどはりつけにされていた。


 その眼前では、蘆屋道満あしやどうまん風早かざはやの戦闘が繰り広げられていた。


 否、それは戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的過ぎた。

 戦闘を生業なりわいとする陸上自衛隊や特務課といったプロですら対応が難しい程の速度域で蘆屋道満に無数の槍撃を繰り出す風早。

 その全てが致死の槍撃。

 プロにすら通じる研ぎ澄まされた槍捌やりさばきだ。


 けれど、棒立ちで佇む蘆屋道満に傷一つつけられないでいた。

 彼の身体はある霊装を起点とする概念結界に護られている。

 朝陽あさひのような空間を捻じ曲げる埒外の攻撃でもなければ傷一つつけることはできないのだ。


「どんだけ攻撃しようと無駄やで。この結界霊装は儂の特別製や。お前じゃ一生かけても傷一つつけられんわ」


 ならば、蘆屋道満ではなく雨戸を縛りつける十字架を攻撃するまでだ。

 そう考えた風早は、更に速度を上げて彼女を縛りつけるドス黒い十字架を槍で斬り裂く。


「——ガッッ!?」


 しかし、雨戸へ辿り着く前に風早は目に見えない壁に激突して跳ね返される。

 幸い、アキレウスの紋章には受けたダメージを千分の一以下に減衰する加護があるので、激突のダメージはそうでもない。

 問題なのは、


「言い忘れてたけど、雨戸ちゃんの周囲には儂が結界を張ってる。儂を倒さん限り絶対解けへん結界がな」


 蘆屋には傷一つつけられない。

 雨戸にも近づくことさえできない。


 手詰まりだ。

 だが、風早颯はこの程度で諦めるような男ではない。

 そのことをよく知っている蘆屋は更に絶望的な情報を提供する。


「風早、助けたいなら急いだ方がええで。雨戸ちゃんを軸に展開してる呪術が完成するまで残り三十分。完成と共に雨戸ちゃんの紋章、概念格:拡張の紋章による紋章絶技が強制発動されて規模を拡張した呪術が全世界を飲み込み、この星を腐敗させるからな」


 すると、十字架を構成するドス黒い呪詛が雨戸の頭上に『三〇』と描き出す。


 つまりは、タイムリミットだ。

 この数字が『零』を示すと同時に、拡張された呪詛はこの星を汚染し尽くす。

 そこに住むあらゆる生物は死滅し、紋章絶技を強制発動された雨戸も当然死に絶える。


 状況は絶望的だ。

 どうしようも無い状況下で、ただ終焉だけが刻一刻と迫り来る。


 しかし、それよりも風早は聞かなければいけないことがあった。


「蘆屋、お前の野望っていうのはそんなくだらないことをすることなのか?」


 世界の滅亡。

 そんなちんけなことが彼の野望であるはずがない。

 これまで過ごしてきたからこそ分かる。

 蘆屋道満芦屋道永という男はそんなくだらないことに固執するような男ではないと。


 そして、彼の洞察は正しかった。

 

「せやな。お前に嘘ついたかてしゃーないわ。ホンマのこと教えたる」


 蘆屋はクツクツと狩衣かりぎぬのダボついた袖で口元を隠して笑う。


「儂の目的はある男を越えることや。それこそが一〇〇〇年以上も前から掲げてた儂の唯一にして最大の野望」


 その為に、一〇〇〇年以上も前からずっとずっと研鑽に励んできた。

 その為に、自力で星の記憶アカシックレコードへと至り、神代の怪物達を支配下に置いた。

 その為に、全てを捨て去ってきた。


 全ては、あの男を越えるが為に。


「この呪術もその男を誘き出す為だけのもんや。……つっても効果は本物。急がんと世界が滅亡することに変わりはあらへん」


 彼が仕掛けた呪術はいわば撒き餌だ。

 派手な事件を引き起こし、これみよがしに馬鹿げた呪術の準備をする。

 おまけに周囲の頼りになる人物は軒並み手が塞がっている。


 こうすれば確実に奴はやってくる。

 奴ならば、撒き餌が危険性を孕んでいないなどという愚考はしない。

 世界の終わりは確実に起こりうると考えた上で行動を起こす。

 誰よりも奴のことを理解している蘆屋はそう確信していた。


「そうか。やっぱりお前はそういうやつだよな。何処までも用意周到で、誰よりも容赦がない。……そして、とっても嘘吐きな男」


 風早は彼の嘘を見抜いている。

 たしかに、彼の呪術が発動すれば世界は汚染されて崩壊するだろう。


 だけど、それは阻止されることが前提のものだ。

 本当に世界を崩壊させようだなんてこれっぽっちも思っていない。

 

 彼が越えたいと望む相手が必ず阻止すると信じているからこそ、一切手を抜かずに世界崩壊の種を撒き餌としたのだ。


「でも、お前を止める役は僕だ。親友として、必ず止めてみせる!!」


 風早は身体を半身にして、槍を構える。

 そして、全てを乗せた一撃。

 彼が今出せる最大最強の一撃で、蘆屋道満親友を撃ち破る。


極点に輝く星の穂槍セイリオス・ロンケーイ!!」


 仮想空間で繰り出された世界樹の力を借り受けた一撃には劣る。

 しかし、それでもその一撃は一等星が如く煌めいていた。

 闇夜を切り拓くさきがけに相応しい極大の槍撃であった。


 しかし、胸部を穿たんと放たれたその槍撃は蘆屋の右腕によって呆気なく受け止められてしまう。


「……クソ、こんなにも、……遠いのかよ!!」


 蘆屋は風早の言葉には応えず、ただ、お前にこのステージは早すぎたと、現実を突きつけるように烈風を引き起こして彼を吹き飛ばす。

 斬撃を孕んだ烈風はアキレウスのダメージを千分の一に減衰する加護の上からでも彼の身体を斬り刻む。


 一瞬にして血染めにされた風早は周囲を囲んでいた木々を派手に破砕することで漸く勢いを止めた。


(クソ、……ちくしょう!! あれだけ努力をして、優勝できるくらい強くなったっていうのに。僕は幼馴染も、親友も救えないっていうのか……!!」


 破砕した樹木の下敷きとなり、うつ伏せに倒れる風早は己の未熟さに涙を零し、地面を強く握りしめる。

 

 八神やがみと出会い、紋章術の扱い方を教えてもらった。

 ミカとルシファーには、“超克ちょうこく”を教えてもらった。

 ジンとルミには、一線級の戦闘を教えてもらった。

 宍戸ししどには、勝利への貪欲さを教えてもらった。

 柳生やぎゅうには、研ぎ澄まされた技術の強さを教えてもらった。

 吉良きらには、智略の恐ろしさを教えてもらった。

 染谷そめやには、正しき強さを教えてもらった。


 彼らとの出会いがあったからこそ、今の自分がある。

 高専トーナメントで優勝することができるまでに強くなれた。


 だけど、それでもまだ足りなかった。

 今の実力では、大切なものは何一つ護れない。


「なんで……、僕は……こんなにも……!!」




「弱い。だなんて言うんじゃねぇぞ。自分を卑下する暇があるなら立ち上がれ。槍を握れ! 地を駆けろ!! お前が成すべきことは見えているだろう!!!」


 いつの間にか、風早は緑豊かな平原に立っていた。

 燦然さんぜんと輝く太陽に照らされ、爽やかな風が芝生をそよそよと揺らして、どこか気持ちを落ち着ける青臭い香りを運ぶ。


 何処までも続く地平線を背に、鎧を着た銀髪の男は仁王立ちしていた。

 逆立った銀髪に、草原を想わせる翠眼すいがんに神性を表す黄金を混じらせた瞳。

 風早が纏うものとは異なる、銀色ではなく黄金に輝く鎧。

 そして、彼が持つものと全く同じトネリコの槍。

 

 その男には見覚えがある。

 過去に一度だけ、紋章術の修行のし過ぎでぶっ倒れた時に会ったことがある気がする。

 

 その声には聞き覚えがある。

 八神との修行で精神を分割されることになった時、何処からか聞こえてきた忠告の声と似ている。


「……うん、僕は梨花りかちゃんを助けたい。そして、芦屋あしやをぶっ飛ばして、目を覚まさしてやる。もう一度、みんなが笑って過ごせる日常を取り戻すんだ!」


 アキレウスか、など聞くまでもない。

 そんなことはどうだっていい。

 今は、自分が何をしたいのか。

 それを明確にすることにこそ意味がある。


「それが分かってるなら問題はねぇ。力を貸してやる。だから、テメェの親友のつらぶん殴って、幼馴染の嬢ちゃんを取り返すぞ」


 アキレウスと風早は拳を合わせる。

 すると、光が平原を覆い尽くし、視界は先程までの木々の中へと戻っていた。


 背に乗る破砕した樹木の残骸を吹き飛ばして立ち上がる。


 その姿は、先とは一変していた。

 緑のソフトモヒカンだった髪には銀色のメッシュが入り、茶色だった眼には神性を表す金色が混じる。

 身体の各部を覆う銀色の鎧は黄金へと変化。

 何より、その身からは先とは比較にならない力が溢れていた。


「ありがとう、アキレウス。一緒にあのバカをぶっ飛ばして、梨花ちゃんを助けよう!」


 “応!!”と何処からか聴こえた気がする風早は、姿なき相棒と共に地を駆ける。

 

 今度こそ、いつも側で支えてくれていた幼馴染を救う為に。

 今度こそ、道を誤った親友をぶっ飛ばす為に。


 全ては、みんなが笑っていたあの日常を取り戻す為に。

 


    ◇



 雨戸梨花を起点とした呪術が発動するまで——


 ——残り二六分。

 

 

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