第90話 不敵に笑む者達


 夕陽に照らされ、黄金に煌めく稲穂の高原に腰を据えてティーカップを傾ける。

 その男の風体は全体的に胡散臭かった。

 シルクハットにモノクル片眼鏡を掛け、瀟洒しょうしゃなスーツ姿は英国紳士と称するに相応しいものだろう。

 白い口髭は老年の渋さを演出し、茶の香りを楽しむその相貌そうぼうは柔らかなものだ。

 

 これが中世ヨーロッパならばまだ違和感も少なかっただろう。

 しかし、現代でこのような格好をするとなると、高貴な優雅さよりも胡散臭さが先行してしまうのは道理ではなかろうか。


「ふざ、けるな。……人間!!!」


 腰掛けていた稲穂の高原から突如大きな咆哮が轟く。


 彼が腰掛けていた場所は夕陽に煌めく稲穂の高原などではなかった。

 その真の姿たるは、岩肌に鎖で雁字搦がんじがらめに拘束された巨大な金毛九尾の狐の頭の上だった。


「ふむ、ふざけるとな? 私は至極しごく真面目にティータイムを楽しんでいるだけだがね?」


 紳士然とした胡散臭い男——シュメルマン——は九尾の狐の咆哮をものともせず、優雅にティーカップを傾ける。


 彼らの勝負は一瞬でかたがついた。

 簡単な話だ。

 転移させられたと同時に事態を把握したシュメルマンが九尾の狐を紋章術で生み出した鎖で拘束した。

 ただそれだけだ。


 九尾の狐は日本のみならず、アジア圏全体でその伝承が見られるほど広域圏を渡り歩いた神代のあやかしだ。

 かの妖は妲己だっき褒姒ほうじと名乗り、数々の王を騙しては国を滅ぼしてきたとされる。


 されど、奸計かんけいけるだけの妖ではない。

 その力はもとを容易く沈められるだけのもの。

 平安時代、安倍晴明あべのせいめい上総介広常かずさのすけひろつね三浦介義純みうらのすけよしずみらと那須なすの地で激闘を繰り広げた時は、戦闘の余波によって震度7の地震に相当する揺れが日本全土を襲い続けたとされている。


 故に、異常たるはそんな怪物を微動だにせず拘束し続ける彼だ。

 シュメルマンが生み出した鎖は微動だにしないどころか、軋み一つあげることなく九尾の狐を拘束し続けている。


「恨み言を吐く暇があるのなら、この拘束を解けるように神にでも祈ったらどうだね?」


 隠そうともしない愉悦ゆえつに満ちた表情で、シュメルマンは咆哮轟く金毛の丘にて優雅な午後の一時ひとときを堪能する。



    ◇



 バトルドーム北部。

 鍛錬施設やだだっ広いだけの演習場が広がる地域。

 そこにある広大なグラウンドにて、巨大な骨の怪物は顕現した。


 その怪物の名は餓者髑髏がしゃどくろ

 戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者たちのむくろや怨念が集まって巨大な骸骨の姿になったとされるあやかしだ。


 昭和中期に創作された妖ともされるが、真実は異なる。

 平安時代にその妖は誕生し、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、時代を経るごとに怨念が積み重なり、時代の影に潜んで強大な力を蓄えてきた狡猾こうかつな妖という姿こそが真実。

 昭和中期に記されたとされるのは、人々の妖への畏敬が薄まってきたことを感じ取った餓者髑髏がしゃどくろが再び妖の存在を認知させる為に姿を現しただけのことだ。

 そうして、現代に至るまでかの妖は力を蓄え続けていた所、蘆屋道満あしやどうまんとの出会いを経て、彼に付き従う道を選んだのだ。


 そこに叛意など欠片も存在しない。

 彼の胸中にあるはただ、己が主人への畏怖と忠誠のみ。

 彼と共にいれば望みが叶う。

 それ故に餓者髑髏は命じられるがままにその身を捧げる。

 ただ、己の理想を手に入れる為に、己が主人の命を遂行する。

 物的被害を発生させて目立つことで強者を引きつけ、足止めするという役割を果たす。

 その為に、手近にあった建造物を破壊しようとその巨大な骸の手をかける。

 

 その直前、


——抉り殺せゲイ・必滅の紅き牙ボルグ!!


 突如飛来した紅き彗星によって餓者髑髏の頭部が粉砕される。


 次いで、上空から凄まじい勢いで一人の男が降り立って、餓者髑髏がしゃどくろの胴体を粉砕した。

 濛々もうもうと立ち込める土煙を餓者髑髏がしゃどくろの残骸諸共、手元に戻ってきた真紅の魔槍を一閃して払ったその男の名はウォルター・ホーリーウッド。

 紅き眼光は獰猛どうもうな肉食獣を想起させる。

 短く整えられた髪は深海の神秘をたたえる深蒼ディープブルー

 その手に振るうは紅き牙が如き槍。


 彼こそが第二班最後の一人。

 女漁おんなあさりにかまけて、七夜覇闘祭しちやはとうさいメインイベントなど欠片も見ていない不届き者。

 特務課職員であるにも関わらず、規定のスーツ姿ではなく勝手にアロハシャツを着ている不埒な男。

 しかし、その実力を誰もが認める男。


 偉人格幻想種:クー・フーリンの紋章者にして、戦場で数多の紋章を喰らった紋章喰いクレストイーター

 その紋章画数は実に二十四画。

 八人分の記憶を持って尚、人格を崩さぬ正常たる異常者だ。


「さぁて、腹ごなしくらいにはなるんだろうな?」



    ◇



 バトルドーム南部。

 オフィスや社宅が並ぶこの地域に、八体の怪物が一体、扇を携えた老婆が嵐を巻き起こしていた。

 天に覆い被さる黒雲からは雷雨がとめどなく降り注ぎ、暴風はガラス窓を割り、瓦礫を巻き上げる。

 巻き上げられた瓦礫や木々は周囲の建造物に衝突し、被害は加速度的に増大していく。


 三五階建てのオフィスビルの屋上にて、この災禍を引き起こした老婆は扇で口元を隠し、荒れ狂う地上を見てほくそ笑んでいた。


善哉よきかな善哉よきかな。破滅の様相ようそうとはいつの世も甘美なものなり


 彼女こそが鞍馬山くらまやまの奥地、僧正ヶ谷そうじょうがたにに住むと伝えられる大天狗。

 つやの失われた白き長髪を暴風に巻き、扇の下ではしわだらけの相貌そうぼうをくしゃりと歪ませる。


 頭襟ときんを被り、白き麻造あさづくりの鈴懸すずかけと称される衣服を身に纏った姿は山伏やまぶしが如く。

 かの者の名は、鞍馬山くらまやま僧正坊そうじょうぼう

 俗に、鞍馬天狗くらまてんぐと称される大妖怪。

 幼少期の源義経みなもとのよしつね——牛若丸うしわかまる——に剣術と妖術の全てを叩き込んだとされる鬼一法眼きいちほうげんと同一視される大天狗だ。


 その力は強大無比きょうだいむひ

 一度ひとたび扇を振るえば嵐を巻き起こし、地水火風ちすいかふうの全てを思うがままに支配下に置く。

 それだけではなく、容易く空を駆け抜け、巧みな妖術で亜空間すら渡り歩く。

 レート7と認定されるに相応しい天災の体現者だ。


 そして、その彼女を討ち果たさんとする者が、荒れ果てた曇天どんてんの更に上、真っ新まっさらな大空を駆け抜けていた。

 特務課第五班所属、自然格:大空の紋章者にして、神域の技巧を身につけし武術の天才。

 蕭静シャオ・ジンは不敵な笑みを浮かべる。

 

「天を統べる者がアンタだけだと思わないことね!」


 雷雨渦巻く地上とは対照的な、燦然さんぜんと輝く陽射しが気持ちの良い上空。

 そんな眩い光を背後に背負い、両足を爆裂させることで得た莫大な推進力をもって彼女は雷雲を引き裂く。

 彼女が巻き起こした暴風が雷雲を掻き消し、差し込んだ光と共に鞍馬天狗くらまてんぐへ痛烈な蹴りを浴びせる。


 しかし、相手はレート7の怪物にして、古来よりその名と畏敬いけいを轟かせる大天狗。

 彼女の大気を轟かせる蹴りは扇によって防がれてしまう。


小癪こしゃくな小娘じゃわい。風情ふぜいを楽しむ心を持ち合わせなんだか」

「おばあちゃん、嵐に風情を見出すのは中学二年生までだよ?」


 ミシミシと音を立てるのは果たして扇なのか、鞍馬天狗の額に浮き出た血管か……。


「じゃかぁしいわいこの小娘——!!」


 怒りのままに吠えた鞍馬天狗の口内へと遠方より音もなく飛来した一発の弾丸が滑り込む。

 戦っているのはジン一人ではない。

 彼女の頼れる相棒ルミは、遠く離れたビルの屋上からスナイパーライフルを構えていた。


「揃いも揃って小癪こしゃくな」


 しかし、鞍馬天狗の口内へと撃ち込まれた弾丸は歯で咥えることで受け止められていた。

 不意を突いた一撃でさえ、レート7の怪物には届かない。


「教育を施してやろう」

「おばあちゃんったらすぐ説教したがるんだからもう……」


 天を覆い隠していた雷雲は晴れ、快晴の大空から時期外れの白雪が舞い散る。

 

 彼女の苛立ちを孕んだかのような雷雲と天帝の暴風がバトルドーム南部を席巻する。

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