第88話 動き出す学生達



 メインスタジアム避難所。

 天羽の紋章術で生み出した光り輝く樹木に護られた仮設シェルターにて、宍戸ししど篠咲、しのさき柳生やぎゅう染谷、そめや吉良、きらの五人は集まってある事柄について話していた。


「吉良君、その話は本当だな?」


 染谷はもたらされたその情報の真偽を問うべく、情報をもたらした人物——吉良——の瞳をその鋭い視線で射抜く。


「間違いねぇよ。この目で確かに見た」


 吉良はそんな彼の視線を気にする素振りもなく、返答する。

 吉良がもたらした情報とは、風早かざはや雨戸あまどの居場所を特定したという情報だ。


 彼らが姿を消す瞬間は、近くで試合観戦をしていた高専トーナメント出場者全員の知る所だ。

 当然、ことの一部始終を特務課へ報告はしたものの、不安は拭えない。

 今は現れた八体の怪物の対処と民間人の避難で特務課も陸上自衛隊も手がいっぱいだからだ。

 

 だから、少しでも出来ることを行うために吉良は独断で観客席外縁部を周り、最上段からメインスタジアムの外を眺めて風早たちの姿を探した。

 と言っても、結界から出られない以上、観客席の最上段から外の景色を見る程度ではある為、見つけられない確率の方が高かった。

 しかし、吉良の優れた視力は遙か遠方にかすむ風早たちの姿を辛うじて捉えることに成功したのだ。


「なら、次はどうやって結界の外に出るかだな」


 彼らの中では、すでに救出へ向かうことは決定事項となっている。

 幾ら高専生徒は紋章術の使用が許可されているとはいえ、未だ学生の身分である彼らが独断行動をするのは問題である。


 しかし、それでもここで動かぬ臆病者はこの場にはいない。

 彼らは大切な者を護りたいからこそ、紋章高専に入学し、日々研鑽けんさんに励んでいるのだ。

 ルールを護ることは大切だが、ルールに縛られて仲間を見殺しにすることなどできるはずがない。


「ぶっちゃけこればかりは俺たちの力じゃ無理じゃねぇのか? 転移も破壊もできねぇだろ」

 

 宍戸の言う通り、糸魚川いといがわは異界を渡る舟を所持しているからこそ結界を素通りできるが、彼らの中にそのような便利な紋章を持っているものなどいない。


「柳生君、君でも結界を切り裂くことは敵わないかい?」


 そう尋ねるのは篠咲だ。

 高専最強の剣士である柳生ならばあの結界も斬り裂けるのではないか、と考えたのだ。

 しかし、


「いや、それならもう試したとも。不甲斐ないが、俺程度では傷一つつけることはできなかった」


 柳生は既に結界を斬り裂けるかどうかを試した後だった。

 水上と激闘を繰り広げたトーナメント第二回戦。

 その時に彼女が放ったレート7相当の大技——地平を禊ぐ、其は開闢の波濤オルフェウス・マグナ——をも斬り裂いてみせた柳生一刀流奥義『天晴』ですら傷一つつかなかったのだ。

 

 その事実を前に、一同の表情は更に険しいものとなる。


 当然だ。

 水上の技は高専トーナメント全試合において最大最高威力だった。

 それを斬り裂いてみせた柳生の『天晴』ですら傷一つつかないということは、物理的破壊は不可能であることを意味するからだ。


「揃いも揃って何をしょぼくれてるんですか情けない」

 

 そこに現れたのは日向ひゅうが滝澤たきざわ水上みずかみの女子三人組だった。


「大方、風早先輩を助けに行こうにも結界がどうしようもなさ過ぎてお手上げ状態だったんでしょう?」

 

 水上は腕組みをしてニヤリと不敵な笑みを向ける。


 図星であった。

 事実、行き詰まって何も方法が浮かばなかった一同は言い返すことができない。


「もう、かなちゃん。意地悪はダメだよ。なっちゃんも!」


 むにー、と背後から水上の頬を引っ張るのは滝澤だ。

 背丈が小さく、滝澤の顎下にすっぽり収まる水上は頬を引っ張られて頭上の彼女を睨みつける。

 しかし、彼女からすればかわいいだけであった。


「はなひて」

「ふふ、ごめんごめん」


 むにむにと柔らかい彼女の頬をもう少し味わっていたかったが、今はそれよりも優先する事柄があると、滝澤は水上の頬を離した。


「結界を越える方法ですよね。私達が話をつけてきました。糸魚川さんが送ってくれるそうです」


 滝澤の言葉に集まっていた女性陣を除いた全員が驚きのあまり唖然とする。


 そこに畳み掛けるように日向が言葉を引き継ぐ。


「私達だって同じ学校の仲間を助けたいと思う気持ちは一緒だよ。その為にも、あの結界こそが一番の難関になると思ったから解決してあげたのだ!」


 えっへん、と胸を張って威張る日向。

 滝澤はそんな彼女が愛らしく、いい子いい子と頭を撫でる。

 ほのぼのとした彼女らを華麗にスルーした吉良は、日向の発言に疑問の声を挙げる。


「それはありがてぇことだが、良く許可が出たな? 幾ら高専生徒とはいえ、今回はことがことだ。許可なんてそう簡単に出るもんじゃないだろ」


 吉良の言う通り、普通ならば許可など降りない。

 実践経験に乏しい高専生徒をレート7が複数現れるような前代未聞の大事件の戦力として扱うなど、むざむざ死なせに行くようなものだからだ。


「うん、最初はしぶられたよ。でも、人手が足りないのも事実だからって条件付きで許可してくれたんだよ」


 彼女らが直談判に向かった時、時透ときとうは当然渋った。

 彼女らでは経験的に未熟なことは勿論として、今回の事件は特務課でさえも死を覚悟しなければいけない程の戦場だ。

 戦力的にも高専生徒では足りない。


 しかし、時透は蘆屋道満あしやどうまんという人物の人となりをある人物から聞いていた。

 所用があると言って勝手に姿を消したその人物によると、蘆屋道満は子供を殺すような外道ではないとのこと。


 この情報がどこまで信じてよいものか定かではないが、トーナメント上位者ならば、実力的にも数分持ち堪えることはできるだろうと判断した。

 その数分さえ持ち堪えることができれば、仮想空間を開放して戦力を投入することができる。

 故に、時透は条件付きで彼らの戦闘参加を許可した。


「風早くんの救出に向かって良いのは私と柳生先輩、会長、篠咲先輩の四名のみ。当然、主目的は敵の打倒ではなく救出。それが困難であれば、増援がくるまでの時間稼ぎ。他のトーナメント出場者は避難民の警護をお願いしたいだって」


 日向がそう告げると、宍戸が真っ先に口を出す。

 しかし、口を開く前にその口はプルプルとした半固形の液体で塞がれてしまう。


「篠咲先輩が行くなら自分もって言うんでしょ? 身の程を弁えてくださいよ。私より弱い貴方が言っても足手纏いにしかなりませんよ」


 宍戸の口を塞いだのは水上のスライムだった。

 彼女は冷徹な眼差しで宍戸を射抜く。


 今回救出メンバーに選ばれた四人はその実力を認められてのものだ。

 本来ならばそこには水上もいたのだが、彼女はシェルターにいる弟達を護る為、辞退したのだ。


 認められていないということは、実力が足らず、戦闘に参加すれば死ぬ危険性が高いと判断されたということ。

 だからこそ、戦力として認められてもいない彼がでしゃばることを彼女は許さない。

 彼を無駄死にさせない為にも、彼女は冷徹に言い放った。

 それが分かっているからこそ、周囲の誰もが彼女を止めることはなかった。


「……!!」


 宍戸は反論することもできなかった。

 口を塞がれていたからではない。

 柳生と戦った第二回戦を見て、“勝てない”と認めてしまっていたからだ。

 今の彼ではどう足掻いても彼女には敵わない。

 その実力差を正しく理解できているからこそ、彼は反論を吠えることもできなかった。


 宍戸は悔しげに眉をひそめ、座り込むと地面に拳を打ちつけた。

 そんな彼に、篠咲は静かに歩み寄り、その肩にそっと手を添える。


「翔駒、今はできることを成せ。大丈夫、悔しいと思う気持ちがあるなら、まだまだ上を目指せるとも」

 

 篠咲はそれだけ言うと、彼から離れていく。


 静かに首肯した宍戸を見て、己の至らなさを理解したと判断した水上は無言で彼の口を覆っていたスライムを解除する。


「えっと、は、話は纏まったみたいですね?」


 いつの間いたのか、背の高い滝澤の背後からひょっこりと顔を出して、糸魚川いといがわは確認を取る。


 一同、その存在感の無さにビクッと驚くも、今は一刻を争う事態。

 気にせずに、問題ない旨を伝える。


「はい、ゲートをお願いします」

「分かりました。くれぐれも自身の命を大事にしてくださいね」


 一同は糸魚川の忠告に頷く。

 それを確認した糸魚川は八角形のメインゲートの周りを六角形、五角形などの幾何学模様の光が散らばる空間の穴を展開した。

 ゲートの先には近代的な戦艦内部を思わせる金属製の通路が広がっていた。


 糸魚川の紋章術はノアの方舟。

 空間と空間を繋ぐような紋章ではないため、一度方舟内に移動してから、もう一度ゲートを開いて移動する必要があるのだ。


 開いたゲートへと日向、柳生、染谷、篠咲の四名は入っていく。

 そして、最後の一人。

 篠咲はゲートへ入る前に立ち止まり、振り返らずに言葉を掛ける。


「翔駒。君の友達は俺が助ける。だから、俺の大切な仲間たちは任せたよ」


 篠咲はそう告げると、ゲートの先へと消えた。


「はい! 俺の誇りにかけて、必ず護り通してみせます!!」


 ゲートの先に消えた篠咲に言葉が届いているかどうかは分からない。

 けれど、そんなことはどうだっていいのだ。

 言葉が届かなくとも伝わる想いというものはあるのだから。

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