第80話 瀬戸一真/原点たる想い

 


 

 仮想空間内、無人島北西部。

 この辺りは噴き出した溶岩の影響も、それを凍りつかせた凍てつく風の影響も受けてはいなかった。


 北西部は切り立った崖の下に広がる広大な森林地帯。

 他地域よりも数百メートル単位で高低差がある為、多少降り注いだ火山弾によって炎上している箇所こそあれ、他と比べれば大した影響を受けなかったのだ。


 そんな森の中で、第二班代表浅井景虎あざいかげとらとルキフグスは対峙していた。


「いつもめんどくさがって動かないテメェが今日はやけにやる気じゃねぇか!!」

「……勝ったら班長が美味しいご飯作ってくれるから」

「飯に釣られたのかよ!?」


 気の抜けた会話を続けながらもその攻防は凄まじい。

 先の高専生徒らの戦いですらかすんでしまう程の練達した動きだ。


 浅井は総数百に及ぶ剣や槍、げきといった、いずれも超一級品の武具を地面や木に突き刺し、眼にも留まらぬ速さで持ち替えながら戦う。


 対するルキフグスも掌中に武器を出しては消してを繰り返して数多の武具を切り替えて戦う。


 方式は違えど、類似した戦闘法を取る二人の戦いは緩まるどころか加速度的にその激しさを増していく。


「浅井さぁぁぁあああああん!!! 早く倒して助けてくださいっスぅぅぅううううう!!!!」


 ルキフグスと激戦を繰り広げる中、あまりにも情けないヘタれた悲鳴が響き渡る。 

 視界の端では第三班、もう一人の代表である東城とうじょうに襲われる瀬戸せとの姿があった。

 と言っても、新人相手に大人気なく本気を出す訳もなく、あからさまに手加減されて遊ばれていた。


「うるっせぇぞ!! ちったぁそのヘタれた根性叩き直して貰え!!」

「さっきと言ってたこと違う!! 護ってくれるって言ったじゃないっスかぁぁぁあああああ!!!」

「知るか!! 私は今を生きる女だ!!」

「無責任なだけじゃないっスかぁぁあああああ!!!」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、東城の振るう拳を確実に無効化していく。


 瀬戸は概念格:スカラーの紋章者だ。 

 スカラーとは大きさのみを持つ量のことを指す。

 質量、長さ、エネルギー量、電荷、温度といったものが代表例と言えるだろう。

 つまり、彼は認識さえできれば、攻撃によって発生するエネルギーをゼロにして無効化することもできるのだ。


「いつまでも浅井の嬢ちゃんにおんぶに抱っこじゃいけねぇだろ? そろそろ覚悟決めて気合い入れな。じゃねぇと新しく入ってきた第五班の後輩ちゃんに笑われちまうぜ?」


 僅かに速度を上げながら攻撃を続ける東城は、情けない後輩に一人前になって欲しいと言う思いで言葉を投げかけるが、


「あんな凄すぎる新人と比べないで欲しいっス!! 何スか!? 最初っから“超克”使いこなしてるし、あの凍雲いてぐも先輩やシャオ先輩と同じくらい強いとかおかしいっス!! あんな凄い新人が後輩とか嫌すぎるっスぅぅぅうううう!!」


 瀬戸のヘタレ加減は筋金入りだ。


 “相対評価ではなく絶対評価でお願いしたいっス!!”

 “俺は俺の速度でゆっくりまったり成長したいんス!”

 “というか後方勤務したい!!”


 と情けない声を挙げ続ける。

 

 そんな情けない姿に呆れて溜息が零れ出るが、それはそれとして彼のポテンシャルに勿体もったいないという想いも抱く。


(こいつ、気づいてんのか? もう殆ど手加減なんざしてねぇってのに全部防ぎきってんだぞ? ポテンシャルは充分八神の嬢ちゃんに負けてねぇと思うんだがな)


 東城が振るう拳の速度はとうに音速など越えている。

 偉人格:ベオウルフの紋章者である東城要とうじょうかなめは近接戦闘に特化した生粋の脳筋だ。

 その膂力りょりょくは容易く地形を変え、ドラゴンすらも殴り飛ばした程だ。

 その敏捷性は容易く音を置き去りにし、戦闘機にすら追いついてしまう。

 

 そんな彼の猛攻をビビりながらも完全に無効化している瀬戸が弱いはずがないのだ。

 このヘタれた根性さえ叩き直せば、瀬戸は班長さえ目指せる程のポテンシャルを秘めている。

 そう思っている者は特務課でも少なくないはずだ。

 だからこそ、天羽あもう班長は彼をこの試合に選抜したのだろうから。


(瀬戸の坊主には悪いが、ここは心を鬼にしてスパルタでいくか)


「坊主、悪いがそろそろ本気で行くぞ」

「いや、死んじゃ——」


 瀬戸が喚く前に背後に回り込んだ東城の蹴りが脇腹を蹴り抜いた。


 スカラーの紋章は認識さえできればそれがエネルギーだろうが、温度だろうが、電荷だろうが、問答無用でゼロにできる。

 しかし、当たり前の話ではあるが、認識できなければ紋章術は発動せず、ゼロにできないのだ。


 紋章術こそ間に合わなかったが、日頃の鍛錬のお陰で常に身体強化はしていた。

 故に、木々を数本へし折って吹き飛んだが、なんとか無事ではあるようだった。


「ゲホッゲホッ……死、死ぬ……。い、今からでも辞職願じしょくねがいって間に合いますか?」

「んなくだらねぇこと言ってないで反撃くらいしろ。お前の力は防ぐだけじゃねぇだろ」


 ここにきてまだ情けない言葉しか垂れ流さない瀬戸。

 そんな彼を見下ろすように木の枝に座る東城は頬杖をついて諭す。


「東城さんの顔が怖いから萎縮いしゅくしちゃうんスよぉぉおおお!! 顔見ただけでちびりそうなんスよぉぉおおおお!!!」

「……ハァ、さっきからヤケに消極的なのはそれも理由かよ」


 東城の顔はとてもいかつい。

 顔中に傷痕を残し、サングラスをかけ、髪はオールバック。

 今の海パン姿だと、身体残る無数の傷痕も背中に入った龍の刺青いれずみあらわになっている為、威圧感もいっそう強まっている。


 彼は元々日本でも有数の規模を誇る極道の組長だった。

 班長であるクラウスに敗北して、刑罰を免除する代わりに特務課入りを果たした人物だ。


 そういった経歴を知る瀬戸が恐れるのは無理もないか、と納得する気持ちもある。

 しかし、特務課職員がその程度で萎縮していては話にならない。


 恐れるのは構わない。

 恐怖を無くした人間など無謀なバカでしかない。

 だが、萎縮してはダメなのだ。

 特務課職員たる者、恐怖を抱きながらも動かなければならない。

 戦うにしろ、逃げるにしろ、萎縮していてはその選択肢すらも選び取れないのだから。

 

「いいか、坊主。恐れるのは構わない。恐怖は誰にだってある。なくちゃならない生物としての本能だ。だが、立ち止まるな! 足を動かせ!! 生きる為に足掻け!!! お前の原点を胸に、その想いを燃やせ!!」

「俺の……原点……」


 瀬戸は金に釣られて特務課のスカウトを受けた。

 福利厚生も一般的な警察官よりも充実していたのもある。


 だけど、そうじゃない。


——俺は、何の為に金が必要だったんだ?


 決まってる。妹を養う為だ。

 

 瀬戸には高校生の妹がいる。

 本当の妹ではない。

 親戚の両親が事故で亡くなって、瀬戸の両親も既に他界していた為、頼れる人間が彼以外にいなかったから引き取らざるを得なかったのだ。

 

 最初は嫌だった。

 自由気ままな一人暮らし。

 彼女はいないけど、友達を呼んでバカみたいに騒ぐ日常は好きだった。

 そんな日常も、妹ができてからはしにくくなるだろうと思ったからだ。


 だけど、そんなことはなかった。

 彼女は両親がなくなったことを気にしていないのかと思うくらい明るく元気な子で、友達ともすぐに馴染んだ。

 一人暮らしの頃よりもずっとずっと楽しく明るい毎日になった。


 ……気にしていない訳がなかった。

 中学生の少女が、両親の死をそんな簡単に乗り越えられる訳がなかった。

 夜な夜なすすり泣く声が聞こえた。

 その翌日には、そんな涙を感じさせない笑顔を見せた。

 

——俺には、その涙を拭うことはできなかった。


 唯一の家族である瀬戸がその涙に気づいてしまえば、彼女は今まで以上に笑顔の仮面を厚くしてしまう。

 その下で、誰にも気づかれないように涙を流してしまう。

 だから、彼はただ彼女を見守ることしかできなかった。

 

 そんな彼女が心の底から笑顔になれるものが音楽だった。

 ピアノを弾いている時だけは、悲しみを忘れたかのように晴れやかな笑顔を見せてくれた。

 

——だから、俺は音楽に特化した高校への進学をすすめた。


 とても喜んでくれた。

 いつもの空元気ではなく、心の底から嬉しそうだった。

 しかし、たくさんのお金がかかるのでは、と考えた彼女の表情はすぐに曇ってしまう。


——金なら心配するな。俺はこう見えて倹約家なんだ。金ならいっぱいある。


 咄嗟に出た嘘だった。

 金なんてない。

 倹約家だなんて嘘だ。

 大学生で、友達と遊び歩いていた瀬戸にそんな大金があるわけがない。

 だから、安定した給料がある警察官を目指した。

 

 必死に勉強して、身体を鍛えて、なんとか警察官になれた。

 その直後だ。

 特務課からのスカウトがあったのは。

 

(ああ、そうだ。俺は、あいつの笑顔を取り戻す為に警察官になったんだ。あいつに心の底から笑える未来をあげたくて、特務課のスカウトに応じたんだ)

「東城さん、ありがとっス。お陰で、大事なもんを思い出したっス」


 木の幹を背に座り込んでいた瀬戸は立ち上がり、汗で顔に張り付く邪魔な髪を後ろに撫でつける。


「ああ、何で忘れてたんだろ? やっぱ最近忙し過ぎて妹に会えなかったからっスかねぇ」

「浅井にどつき回され過ぎて記憶飛んでたんじゃねぇか?」

「普通にありえるから怖いっス」

「ハッハッハ! ねぇよ」


 冗談だと思って笑う東城に“いや、これはガチでありうるっスから”と真顔でツッコむ瀬戸。

 “あの人いつも気絶するまでスパーリングするんスよねぇ”と最早諦観ていかんの域に達した目で遠くを見る。

 そんな彼に東城は引きった笑みを浮かべることしかできなかった。


「ま、いいや。こっからは俺もちょっと本気っス。妹の前でカッコ悪いところは見せられないっスから!」

「いや、それはもう手遅れじゃねぇか?」


 “お兄ちゃんはいつもダサカッコイイから大丈夫だよ”という妹の声は残念ながら本人には届かなかった。

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