第77話 私は信じたい

 七夜覇闘祭しちやはとうさい四日目。

 投影された仮想空間は無人島。

 無人島と言っても想像に容易いこじんまりとした大きさのものではない。

 総面積約二二〇〇平方キロメートル。

 東京都の総面積とほぼ同じくらいの広大な土地だ。


 天候は快晴。

 燦々さんさんと陽光が降り注ぎ、気温は高いが、湿度はそれほど高くなく、ハワイのようにカラッとした気候のため不快ではない。


 細かな粒子で、ゴミ一つない白浜が何処までも続く。

 沿線にはヤシの木を始めとした南国由来の植物が生い茂っていた。

 海も透明度が非常に高く、南国特有のエメラルドグリーン。

 水面からは、色とりどりの小魚やイソギンチャク、珊瑚礁さんごしょうも見える。

 

 そんなリゾート地のような浜辺で八神は眉尻を下げて悄気しょげていた。



    ◇



 時間は少しさかのぼる。

 陸自と特務課による合同競技が行われる少し前。

 凍雲いてぐも八神やがみてがわれた控室にある人物が訪れていた。

 

 その人物の名はルーク・スペンサー。

 金髪長髪、女性と見紛みまがうほど端正な顔立ちをした、自然格:雷の紋章者にして、傭兵として数多の戦場を駆け抜ける戦争代理人。


 しかし、それは正体を隠す表の顔。

 特務課の下部組織にして、国内外問わず、日本を害する可能性のある国家、秘密結社、犯罪組織などへの諜報活動を行う組織 、捜査班アンダーグラウンドのトップこそが彼の本当の姿。


 そんな彼が控室に訪れたのは、彼が突き止めた一つの情報を伝える為だった。


『例の人物、高専生徒の中にいるぞ』


 ルシファーが勘付いた高専に潜むよからぬ者。

 世界を滅せる力を持った彼自身にすら匹敵すると言わしめる程の強者。

 

 その人物が高専生徒の中に紛れている。


『根拠は?』

 

 凍雲は彼がそう考えた根拠を尋ねた。


 東京湾に沈んでいた巨大生物に残った魔力残滓とその付近に落ちていた七夜覇闘祭限定ストラップに付着した魔力残滓が同一のものであった為、例の人物が七夜覇闘祭に関わる者とまでは判明していた。

 しかし、それが運営スタッフも務める高専事務員なのか、高専生徒なのか、それとも教師なのか。

 そこまでは分かっていなかった。

 それを高専生徒だと断言するからにはそれだけの証拠を見つけたということだろう。


『まぁ、そう急かすなよ。順序立てて話すさ。まず、この七夜覇闘祭で騒動を起こそうとする動機を考えたのさ。一体例の人物は何を企んでるんだろう? ってさ』


 まず、思いつくのは多くの人が集まり、特務課のほぼ全戦力と陸上自衛隊の精鋭が集まる大会で多くの死傷者を出させることで信頼を地に落とすこと。

 日本の秩序を護る警察組織が世論からの信頼を失えば、治安悪化に繋がるばかりか、責任問題によって有能な人材を切り捨てなければならない事態にもなりかねない。


 次に思いつくのが、将来有望な高専生徒を鏖殺おうさつすることで、将来的な戦力を削いで国力を低下させること。

 将来的な人材を失うばかりか、先述の責任問題も付き纏う結果となるだろう。


 最後に、特務課職員や陸上自衛隊の精鋭といった現在の有力な戦力を削ぐことで、この次の戦いを有利に進めるため。

 相手が世界を滅ぼせる程の力を持った存在ならば、朝陽昇陽あさひしょうようや彼に匹敵する実力者である柳洞寺紫燕りゅうどうじしえん天羽華澄あもうかすみといった規格外を除いて全滅させることすら可能だろう。

 場合によってはそういった規格外の人物だって危ういかもしれない。

 そうして、戦力が削がれた所で戦争など起きようものなら日本はほぼ間違いなく堕とされる。

 

 現在の戦争は紋章が現れる前とは違い、上位の紋章者こそが最大戦力。

 戦闘機や化学兵器、核兵器ですらレート7相当の紋章者には太刀打ちできない。

 故に、国家の治安維持を行う特務課であろうと、国家の最大戦力の一つとして数えられるのだ。

 そんな彼らを欠いた状態で戦争に勝つことは難しい。


 陸上自衛隊と特務課。

 この双璧があるからこそ現在の平和があるとも言えるのだ。


『だけど、俺の読みではこのどれでもない』


 責任問題。

 将来の芽を摘む。

 特記戦力の壊滅。

 いずれの手段にしても、その目的は日本の戦力を削ぐことにある。

 けれど、彼はそうではないと考えた。


『例の人物は生徒の有用な紋章を狙ってる。その証拠に、昨夜高専の資料室から生徒の紋章に関するデータが盗まれていたことが発覚したんだ』

『え!? データ流出!?』


 八神が驚きの声を挙げる。

 生徒の紋章に関する情報とはすなわち、将来的な国家戦力の情報漏洩だ。

 国家機密とまではいかないまでも、かなり重要度の高い機密情報であることには変わりない。

 そんな情報は普通、かなりのセキュリティーに守られているはずなのだが。


『昨夜発覚ということは、データはそれよりも前に盗まれていたんだろう? 何故気づかなかった?』


 凍雲が疑問を呈する。

 厳重なセキュリティー下にて保管されている機密情報ならば、盗まれた時点で気づいていてもおかしくない。

 それが、昨夜まで気づかなかったというなら相応の理由があるはずだ。


『データはハッキング対策として紙媒体で管理していて、警備が最も厳重な資料室の奥の金庫に入れていたらしい。毎日管理員が点検して、盗まれていないかチェックも欠かさず行っていた』


 赤外線センサー。

 電磁波ソナー。

 死角のない無数の監視カメラ。

 空気の流れを感知する気流センサー。

 資料室内を浮遊する目に見えない程小さいナノサイズの監視浮遊ユニット。

 紋章者の身体に常に働いている微弱な紋章術の力場——内在力場ないざいりきば——を掻き乱すことで紋章を使用不能にするAアンチ・Mマジック・Fフィールド


 幾重もの対策を重ねた上で、金庫の鍵だって暗証番号、網膜認証、ダイヤルと三重ロックで厳重に管理していた。

 金庫を開けられるのは資料室を管理する住み込みの管理員ただ一人だけだ。


『昨夜もデータの存在事態は確認できた。だけど、不意に不安感を抱いた管理員は念の為にデータを科捜研に送ったんだ』

『そうしたら、管理員以外の何者かのDNAが見つかった、と』


 察しのついた八神があたりをつける。

 その推測は正解だったようで、ルークは首を縦に振って肯定を示すと、言葉を続ける。


『ああ。どうやったのか、二日前に侵入してデータに触れた人物がいることが発覚した』


 紋章を使わず、数多のセンサーを掻い潜って、死角のない監視カメラに一切映らず、空気の流れさえも乱さずに、三重ロックの金庫を開けてデータを盗み見る。

 そんなことが人間にできるはずがない。


『でも、AMFだって絶対じゃない。確か、土御門つちみかどは魔力の扱いが異次元レベルだから内在力場を掻き乱されながらでも逆位相の魔力を放出することで相殺できたんだよね? 犯人も同じ手段で相殺して、センサーは幻術か何かで騙してんじゃない?』


 土御門つちみかど晴明はるあきはデリット攻略戦の際、AMFを相殺してデリット首領である鮫島を討ち破った。

 犯人も同様の方法で掻い潜ったのでは? と八神は考えたのだ。


『恐らくはその通りだと思う。ルシファーと同等の実力者ならその程度できてもおかしくないしな』

 

 八神の推測をルークは肯定する。

 ルシファーと同等の実力ならば、それだけの芸当ができても不思議ではない。

 それに、相手は時透課長の紋章術による『機密の開示』すらもジャミングする手練てだれ

 緻密な技術も常軌を逸していることは明らかだ。


『事情は理解した。高専生徒の紋章データが盗まれたから生徒が狙いだと判断し、犯人もターゲットに近づく為にその近くに潜んでいると考えた訳だな』


 聞きに徹して情報を吟味していた凍雲が先の話を要約すると、ルークは“その通り!”と返した。


『ここまで姿を現さない用意周到な人物なんだ。生徒を直接的に拐うのはリスクが高いと判断して、生徒に紛れて紋章を略奪しようとしてる可能性が高い』

『つまり、犯人は生徒に近づいて、油断した所で紋章を剥ぎ取って紋章武具にしようとしてるってこと?』


 紋章を削いで食べても紋章画数が増えるだけで、所持者と同様の紋章術が使えるようになるわけではない。

 しかし、紋章を削いで加工すれば、紋章武具として所持者と同様の力を保持した状態で手元に置くことができる。

 生徒の紋章が狙いというのならば、紋章武具に加工することが狙いなのだろう。


『心底胸糞悪いが、そういうことだろうな。しかも、時透ときとう長官の紋章術や朝陽さんの真実を見抜く眼でも見抜けない程の常軌を逸した使い手だ。生徒の近くにいることまでは分かったが、例の人物が誰に化けているかまでは分からなかった』

『厄介だな。今できることといえば生徒を極力一人にせず、注視することくらい、ということか』


 後手後手に回ってしまっている事態に凍雲は歯噛みする。

 八神も難しい表情で思い悩むが、そこで精神世界からルシファーに呼びかけられる。

 彼から伝えられた言葉に、八神は更に難しい表情を濃くする。

 しかし、その表情は先までの、どのように最悪の事態を防ごうか考える類いのものではなく、できれば考えたくない可能性を考えなくてはならないといったものだった。


『……あんまり疑いたくはないんだけど、この子を注視していて欲しい。根拠があるわけじゃないけど、ルシファーが怪しいと思ったみたい』


 そういって、八神は紋章術でその人物の顔写真を作り出してルークに手渡す。


『……分かった。今はこれ以上の情報がないしな。勘とはいえ、あのルシファーがそう思ったんなら可能性としては十分だ。注意しておく』



    ◇



 時は戻り、現在。

 涼やかな風が頬を撫でる砂浜。

 赤を基調としたホルターネックビキニを着た八神は溜息を吐いていた。


「ハァ」

「いつまで気にしてるつもりだ。さっさと切り替えろ。貴様が気を揉んだところで結果は変わらん」

「そうだけどさぁ! ……そう、だけど……」


 彼女としてもできれば疑いたくなどない。

 見知らぬ人間ではないのだ。

 人となりを知った以上、例えそれが偽りのものだったとしても、彼女にとっては真実だったのだから。

 これが見知らぬ人間ならば良かった。

 彼女とて聖人君子ではない。

 知らない人物ならここまで感情を動かされることもなく、冷静に疑うこともできた。


 しかし……、


 そうして気落ちする彼女の様子を見て凍雲はため息を吐く。


 彼女の感情は理解できる。

 彼女は研究所を逃げ出し、特務課に訪れたことで漸く温かい感情に触れることができた。

 そんな彼女だからこそ、一度懐に入れてしまえば人一倍大切に思ってしまう。

 容易く冷たい感情を向けることができなくなってしまう。

 

 しかし、それは彼女の美点でもあるが、同時に弱点でもあるのだ。

 もしも、彼女が親しくなった者の中に悪しき者がいた時、彼女はそれに気づけない。

 気づいた時には既に遅く、取り返しがつかない。

 何より、一度懐に入れた者に裏切られるという行為に誰よりも傷ついてしまう。


 だから、

 

「なら、信じろ」

「……え?」


 凍雲は真っ直ぐと彼女の瞳を見る。

 

「貴様が特務課に入った時、班長に贈られた言葉を忘れたか?」


 全てを護ることは難しい。

 人一人の矮小な力では到底叶うことのない傲慢な考えさ。

 だからこそ人は集まり、補い合うんだ。


 君は君の正義に則って好きに護ればいい。

 他のものは他の誰かが必ず護ってくれる。

 それが組織というものだからね。


「貴様が疑えないというのなら、俺が疑ってやる。だから、貴様はただ、そいつを信じろ。そして、そいつを疑う俺を信じろ!」

「……ふ、ふふ。アッハハハハハ!! ……なにそれ。あの子を信じろって言ったり、あの子を疑う貴方を信じろって言ったり、思いっきり矛盾してるじゃない」


 思いっきり矛盾した言葉に八神は思わず吹き出してしまう。

 けれど、


「うん、でもまぁ、言いたいことは分かったよ。ごちゃごちゃ考えるのは私の性に合わない。私はどうしたって一度ふところに入れた人を疑いたくなんてない。それが結果的には裏切られることになっても、私は信じていたい。……だから、私の分も疑ってね。相棒」

「ああ、俺はどうしたってあらゆることを想定してしまう。時には怪しかろうと信じることが良き結果に繋がることもある。だから、俺の分も信じろ」

「相棒とは呼んでくれないの?」

「……調子に乗るな。さっさと行動を起こすぞ」

「ふふ、はーい!」


 先までの曇りようが嘘のように、晴れやから表情で砂浜を歩く凍雲の後ろを八神は追いかけた。



______________________


おそらく七夜覇闘祭に潜む何者かについてややこしいと思ってる人もいるかと思うので、全容が明らかになる頃に補足説明をさせていただきます。

もう暫く考察をしてお待ちくださいませ。

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