第60話 お姉ちゃんは最強なんだから



『お姉ちゃん! 無理しないでね。怪我しちゃやだよ』

『心配すんなよ! 姉ちゃんは最強なんだ! どんな奴が相手だろうと敵じゃねぇぜ!』


 気弱そうな少年が瞳を潤ませて上目遣いに心配する。

 生意気そうな少年はそんな弟の心配を晴らすように、胸を張って彼らの姉が一番であると声高に叫ぶ。


 彼らにとって姉は完全無欠最強無敵のヒーローだった。

 勉強では常に一番。

 運動神経も抜群で、どの競技をやっても一番。

 喧嘩だって強い。

 バンチョーだってボッコボコだ。

 いじめられてもすぐに駆けつけてくれて、困ってる時はいつもそばにいてくれる。


 誰よりもカッコよくて、誰よりも優しいヒーローなのだ。


『アハハ、流石に無傷ってのは難しいかな。……でも、絶対勝つよ』


 そういう彼女の表情は何処までも柔らかく、愛しげであった。

 そっと、壊れ物を扱うように優しく二人の頭を撫でて、


『だって、お姉ちゃんはヒーローだからね。知ってる? ヒーローはね、誰にも負けないんだぜ!』


 彼女には負けられない理由がある。

 何よりも大事な二人の前では、誰にも負けないと誓っているのだ。


 二人に、ではない。

 自分自身にだ。

 

——だから、お姉ちゃんは最強なんだってところ、ちゃんと見ててね。



    ◇



 湖の水と一体化した水上叶恵の巨躯は木々の高さなど遥かに越える。

 全長およそ三〇〇〇メートル。

 富士山にすら届きうる高さを誇る、その巨躯は人間に近いものではなく、どちらかと言えば怪獣に近しいものであった。


 頭部は恐竜のようであり、眼に相当するであろう紅の宝玉のようなものは左右三対存在する。

 身体の基本フォルムは恐竜。

 脚は存在せず、湖から生えるようにしてその巨躯を形成している。

 両腕は太く、鋭い爪を持つが、半流動体故に硬度も鋭さもない見かけ倒しではあるだろう。

 しかし、その大質量を活かした攻撃は侮れない。

 津波が街を容易く破壊し尽くすように、その巨腕を振るえば容易く大災害を引き起こせるだろう。


 そんな、怪獣そのものとなった水上であったが、彼女は油断などしない。

 

 右腕を掲げると、分離して上空へと射出する。

 射出された右腕は空に舞うと、瞬く間に膨張する。

 そして、臨界点に到達した右腕は水風船が如く破裂し、大雨となって降り注いだ。


 しかし、それはただの雨ではない。

 身体をも溶かす強酸性の雨だ。

 湖を囲む森林地帯の全域を覆い尽くすほどの広大な酸性雨は容赦なく何もかもを溶かし尽くしていく。


 そんな死の雨の中を彼は駆け抜けていた。

 死の雨を剣圧で全て斬り伏せながら一直線に水上のいる湖へと向かっていたのだ。


『やっぱバケモノだね。センパイ』

「鏡を見たことはあるか?」


 “毎日見てまぁす”という巫山戯た返答と共に数千トンに及ぶ大質量の右腕が振り下ろされる。

 未だ彼我ひがの距離は数百メートルもある。 

 しかし、人智を超えた巨躯を誇る怪物にとって、その程度は手を伸ばせば容易に届く距離でしかなかった。


 真上に迫る。

 大空全てを埋め尽くすかのような巨腕。

 柳生はその巨大な腕を一刀両断する。


 ズバァァンッッ!!


 切り落とした腕と腕の間を縫うように回避した彼は勢いよく飛び上がり、そのまま半流動体の彼女の腕を駆け抜ける。

 水のような完全な流体ならば駆け抜けることはできなかったが、スライムのプルプルとした半流動体の身体ならば、駆け抜けることもできる。

 スライムの酸性も、足裏から小規模の魔力放出を行って跳ねるように駆ければ問題はない。


 しかし、彼女が腕を伝う彼を妨害しないはずもない。

 彼の伝う右腕全域を急激に膨張させ、破裂させる。

 半径数百メートルを吹き飛ばす莫大な破壊力の嵐は森を薙ぎ払い、当然柳生もそれに飲み込まれる。


 はずだった。


『うっそでしょぉ』


 彼は弾け飛び、宙を舞う岩や木片を足場に空を駆け抜けていたのだ。

 先の爆発によるダメージは負っているようだが、それでも彼の脚は止まらない。

 空に残る最後の木片を足場に、最大の力を込めて一気に加速する。


「柳生一刀流“桜華”おうか


 柳生新陰流勢法は対人の技。

 故に、人の領域を超越したものとの相対には不向きである。

 この一ヶ月の鍛錬期間において、日向夏目ひゅうがなつめと相対した時にそう考えた彼は、新たな流派を立ち上げた。

 それこそが“柳生一刀流”。

 対人ならぬ、対魔の流派。

 人ならざるものを斬る為の技。

 

 水上は視界が斜めにズレたことで漸く気づいた。

 “ああ、斬られたんだな”、と。


 全長三〇〇〇メートルの巨躯が、切り裂かれる。

 核と見られる三対の紅玉も全て切り裂いた。

 まるで桜の花が風に散るように、切り裂かれてバラバラとなった巨躯は崩れ落ちていく。


『なぁんてね』


 瞬間、天をく大爆発が起きる。

 突如、斬り裂かれてバラバラとなった水上の巨躯が爆発したのだ。


 柳生はその爆発に巻き込まれながらも、なんとか寸前でもう一度“桜華”を放ち、その剣圧によって直撃は避けられた。

 しかし、その勢いを完全には殺せず、またもや数百メートルは吹き飛ばされてしまった。


 確かにバラバラにした。

 それも“超克”を用いてバラバラに斬り裂いたのだ。

 たとえ自然格の紋章者でさえその流動的な身体は斬り刻まれ、再生することはできない。


 だと言うのに、まるで手応えがない。

 斬った感触は確かにある。

 しかし、命を刈り取ったという感触が全くないのだ。

 

 スライムの半流動的な身体だけを斬り裂いた先とは違い、今度は核である紅玉も確かに斬り裂いた。

 だと言うのに、まるでその身を覆う皮膜だけを斬ったかのような……。


「いや、なるほど。そういうことか」

 

 “核を破壊されない限りありとあらゆる攻撃を無効化”

 

 先程斬り裂いたものは核に擬態した偽物。

 本物はあの巨体の中を流動でもしているのだろう。


 柳生はデータベースに記載されていた彼女の情報を思い出して事の真相に辿り着くが、その前に死が迫る。

 先の大爆発で舞い上がった大量の水が大空から降り注ぐ。

 それも、今度はただの強酸性の雨ではない。

 一発一発が鋼鉄をも貫く強酸の弾丸となって大地を穿つ。


 ズガガガガガガガガガガッッッ!!!!


 重機関銃を思わせる馬鹿げた威力の雨粒が大地を穿つ。

 そして、その弾丸を構成する強酸があらゆるものを溶かして白煙を上げる。

 緑豊かだった森林は天災によって瞬く間に焼けただれた死の大地へと変貌してゆく。


 しかし、それでも彼は倒れない。

 自身の感覚を極限まで研ぎ澄まして、全ての雨粒を切り裂き、湖を目指す。


 先の比にならぬ強酸性の豪雨。

 大地を穿つ雨粒は防げど、強酸の雨飛沫しぶきまでは防げず、その身を溶かす。

 ジワジワとその身をむしばむ傷が彼の死を、敗北を近づける。

 身体を動かす気力を、刀を握る握力を奪い去ってゆく。

 

 だが、それがどうしたと彼は、死の雨を斬り裂いて駆け抜ける。

 負けたくない。

 我が身に宿る江戸という一つの時代において最強の名を守り抜いた大剣豪。

 剣術無双の異名に恥じぬ大英霊の名に泥を塗るわけにはいかない。

 何よりも、誰にも勝ちを譲りたくないという純粋なまでの勝利への渇望が彼の身体を突き動かす。


 後、三〇〇メートル。

 三〇〇〇メートルにも及ぶ巨躯は雨粒が集積する事で再生し、元通りとなる。

 そして、その両腕は無数の触腕へと分裂し、縦横無尽に暴威を撒き散らす。

 触腕は一つ一つがビル程の大きさを持つ。

 それほど巨大な触腕による攻撃は、直接的な大質量攻撃だけでなく、その余波で飛んでくる土砂や木片でさえ致命傷を与えうる武器へと変える。


「柳生一刀流“鳳仙花”ほうせんか


 故に、斬るのではなく、刀の峰で受け流す。

 そうすることで、受け流した触腕が別の触腕を弾く。

 受け流した木片が土砂を防ぐ。

 そうして、少ない手数で暴威の嵐に自ら穴を穿たせた柳生はその穴を潜り抜ける。


 後、二〇〇メートル。

 触腕を元の腕へと戻した彼女は、巨大な両腕を森に叩きつけ、柳生を逃がさないように囲い込む。

 そして、続け様にその恐竜のような口腔から莫大な量の水を吐き出した。

 

 逃げ場は既に封じられている。

 前進するか。

 後退するか。

 二つに一つ。


 彼が選び取った選択肢は、当然前進あるのみ。


「柳生一刀流“唐竹からたけ”」


 居合いによる真上への凄まじい切り上げ。

 迫り来る大瀑布は両断され、切り上げによって生まれた莫大な剣圧が崩れることを許さず、暴風の道となって彼の行く道を築き上げる。


『ここまで来て覚醒パート突入? まるで主人公みたいだね。でも、主人公がいつの世も勝利するだなんて思わないで!!』


 後もう少し。 

 もう少しで、最強の座から引き摺り落とすことができるところまで来たと言うのに。

 このまま彼のペースに飲まれるわけにはいかない、と水上も死に物狂いの攻勢にでる。


 両腕を天へと掲げて、天を覆い尽くす極大の水球を構築する。

 

厄災を濯ぐ慈雨メギド!!』


 その水球から無数の高圧水流が射出される。

 それも、一発一発が先の比にならない威力。

 先までの雨粒が弾丸とするならば、これはもはやレーザー兵器だ。

 

 そして、その程度で終わらせる気もない。


悪虐を濯ぐ大洪水デリュージ!!』


 自身を構成する大質量の水。

 その三分の二を用いた大洪水。

 本体は全長三〇〇〇メートルから一〇〇〇メートルまで縮小してしまうが、それだけの大質量を構成していた水全てが地表を洗い流す大洪水となって湖畔を飲み込む。


 しかし、それでも柳生寿光は止まらない。

 

 大洪水は莫大な剣圧を持って薙ぎ払う。

 上空からの高圧水流によるレーザーの雨は受け切れないと判断し、全弾回避すべく意識を集中させる。


 だが、全てを避けきるなど、どだい無理な話だ。

 避けきれなかったレーザーによって四肢の肉を削がれ、脇腹にも風穴が空いた。

 大洪水だって無事で済むわけがない。

 薙ぎ払えなかった濁流によって身体を打ちつけられ、体力も奪われる。


 最早、満身創痍。

 意識だって、全身を貫くような痛みがなければとうに途絶えていたことだろう。


 それでも。


 それでも彼は前へと進む。

 

 前へ。


 前へ!


 後、一〇〇メートル。


『さっさと倒れてよ!』


 脇腹に風穴を開け、四肢はレーザーによって肉が削がれている。

 左腕に至っては溶けて骨すら見えている。

 全身に血で塗れていない箇所などないといっても良い。

 なのに、倒れない。

 

(どうして、死なないの!!? どうして、まだ立ってられるのよ!?)


 その姿に、水上は知らず、恐怖を抱いていた。

 普通の神経をしている人間ならとうの昔に倒れているはずだ。

 全身ボロボロで、全身をさいなむ激痛は普通ならショック死していてもおかしくない。

 失血死していないのが不思議なくらいだ。


 だというのに、まだ倒れない。

 ただ、この一戦に勝利する。

 その一念だけで、ここまで死に物狂いで戦う彼に彼女は恐怖を抱いた。

 

 けれど、その恐怖が彼女の敗因となるわけではない。

 彼女は恐怖するからこそ、彼を近づけぬ為に自身の持ちうる全てを引き出す。


『おぉぉぉぉぁぁぁああああアアアアアアアッッッッ!!!!!』


 大地を震わす咆哮。

 それで覚悟は決まった。

 この最後の一撃で、全てを決める覚悟が。


地平を禊ぐ、其は開闢の波濤オルフェウス・マグナ!!!!』

 

 瞬間、全長一〇〇〇メートルの巨躯を形成する水が。

 大地を洗い流す大洪水が。

 天から降り注ぐ裁きの水流が。

 

 その全てが弾け飛ぶ。

 凄まじい衝撃波を生み出した爆発はまさに天地開闢かいびゃくの光に等しい暴威。

 広大なフィールド、その全域を余さず破壊し尽くす水蒸気爆発が巻き起こる。


 その破壊力は最早学生の域などとうに越えていた。

 レート6相当の実力者でさえ即死は免れぬ暴威。

 ともすれば、レート7にすら及ぶやも知れぬ天災。


 逃げ場などない。

 フィールド全域に及ぶ開闢の波濤はとうは回避を許さない。


 その暴威を、逃げ場のない不可避の裁きを前に、彼は覚悟を決める。

 グズグズに溶けて骨すら見える左腕を無理矢理動かし、刀を両手で構える。

 とてつもない激痛が走り、視界は明滅する。

 食いしばった奥歯は、あまりの力に砕けた。


 それでも彼は、迫り来る死に立ち向かう。

 スローモーションになった世界で、迫る死に刃を向ける。

 己の全てを掛けて、運命を切り拓く為に。


——柳生一刀流“天晴てんせい


「うぉォォぉぉおおおおおおおおおアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 柳生一刀流最強の奥義。


 天すらも別つその一刀は、見事、天地開闢かいびゃくの光を斬り伏せてみせた。

 

 その代償は大きい。

 死の運命を切り拓いた一刀は、彼から両腕を奪い去った。

 彼を支えてきた日本刀も半ばから砕け散った。


 しかし、それでも彼が止まる理由とはなり得ない。


 両腕が砕け散って地面に落とした、半ばから砕けた刀を口で咥えて拾い上げる。

 

 全身からおびただしい量の血が流れている。

 もう、頭も碌に回らない。

 どうしてここまで勝ちに拘るのかも分からなくなってしまった。


 それでも、彼は一直線に湖へと駆ける。

 血の足らない頭ではもう勝利を求める理由が分からずとも、彼の身体は、彼の心は、覚えている。

 この足を止められない理由を、覚えている。


「私、だって……ハァ、負けたくない。……あの子達の前では……、私は、最強で居続けるって、……ハァ、……決めてるんだ!!」


 湖のほとりで倒れ込む水上もまた、満身創痍だ。

 傷はなくとも、あれだけの暴威を振るった代償が何もないはずがない。


 彼女の体力はとうに尽きていた。

 身体の何処にも力が入らない。

 紋章術を使う為の魔力だって、先の一撃で使い果たした。

 それでも、彼女は諦めない。


 トーナメントに勝つ為に、入学時からその実力を隠し通してきた。

 生物部を立ち上げて、親友たちと共に人知れず己が技術を、紋章術を鍛え上げてきた。

 一年生であることのアドバンテージを保ち続けてきた。


 全ては、応援してくれる弟たちに、お姉ちゃんは完全無欠最強無敵のヒーローなんだって。


 お姉ちゃんは最強にだって勝てるんだってところを見せる為に。


「だから、負けられないんだぁぁぁああああああアアアアアアアッッッッ!!!!」

「ンンンンンンンンンンンッッッッ!!!!」


 気力を振り絞る。

 それでも、体力の残っていない彼女は立ち上がることなどできないはずだった。

 魔力を使い果たした彼女は紋章術を行使できないはずだった。


 けれど、足りないものは意思の力で補った。

 弟の前では最強であり続ける。

 その誓いを胸に、彼女は立ち上がる。

 弟たちの描く理想を護る為に、その腕を水流の刃と化す。

 そして、満身創痍の両者は最後の刃を交える。


 彼女の斬撃は、確かに最強へ届いた。

 その一太刀は、彼の胸を大きく斬り裂いた。



 しかし、



「……ごめん、ね。お姉ちゃん、次は……必ず勝つ、から……」


 核を断ち切られた彼女は、涙ながらにその身を崩壊させ、水となり消え去る。

 その背後で、血染めの侍は咥えていた刀を吐血と共に溢れ落とし、天を仰ぐ。


「天晴れだ。私が認める。貴殿こそが我が最強の好敵手であったと」


 会場中の誰もが、息を呑んだ。

 誰も予想などしていなかった。

 まだ入学して間もない一年生が、前大会優勝者。

 つまり、戦闘において高専最強を誇る柳生寿光を後一歩のところまで追い詰めるなど。


 誰もが、彼女の勇姿を刻んだことだろう。

 誰もが、彼女の健闘を胸に刻んだことだろう。

 一年生にして、誰よりも最強を倒さんと渇望した少女の強さを、誰もが認めたことだろう。


 その裏に少年たちの涙などない。

 少年たちの描く理想は、崩れてなどいない。

 確かに、彼女は敗れた。


 だけど、彼らは知っている。

 ヒーローとは、倒れても、挫けても、それでも立ち上がる。

 だから、負けないのだと。


 彼らは知っている。

 彼らの姉が、折れることのないことを。

 誰よりも諦めが悪い女の子だということを。


 彼らは知っている。

 たった二人の弟の理想を護る為に戦った姉は、どんな英雄よりもカッコいい、最高のヒーローだということを。


『僕たちのお姉ちゃんは』

『俺たちの姉ちゃんは』



『『完全無欠最強無敵のヒーローなんだ!!』』

 


 そうして、今大会最大の番狂わせとなった最終試合は、柳生寿光の勝利に終わった。

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