第59話 大番狂わせ



「天晴れだ。私が認める。貴殿こそが我が最強の好敵手であったと」


 そう、晴れやかな表情で語る柳生は満身創痍であった。

 全身に焼け跡と切り傷を刻み、両腕は砕け散っていた。

 脇腹にも風穴が開き、夥しい量の鮮血が零れ落ちる。

 そして、彼の愛刀すらも半ばから砕け散り、その役目を終えていた。

 

 試合会場であった森の湖畔が先の戦闘の苛烈さを物語る。

 元は湖を囲うように生い茂っていた緑豊かな森林。

 広大な緑地は今や見る影もなく、遥か彼方にグシャグシャに砕けた木片を残し、その全てが消え去っていた。

 湖を中心として、その一切が吹き飛び更地となっているのだ。


 第一回戦最大の大番狂わせ。

 その顛末を語る為、時を戻そう。



    ◇



 『お待たせいたしました。遂に、一回戦最終試合が始まります! 選手!! 入場!!!』


 司会進行者の大音声を合図に仮想空間内に二人の選手が転送される。

 フィールドは森の湖畔。中央に位置する澄みきった湖を取り囲むように木々が生い茂る清涼な湖畔だ。

 

『紋章高専四年C組! 柳生やぎゅう 寿光としみつ!!』


 一人は柳生寿光。

 偉人格:柳生宗矩の紋章者。

 袴に身を包み、毅然とした態度で試合に臨むその姿はまさに侍が如く。

 その腰には彼の得物。

 紋章高専の名工が拵えた日本刀を履いている。

 短く整えた黒髪が涼やかな風に靡かせ、試合が始まる時を静かに待つ。

 


『対するは紋章高専一年A組!! 水上みずかみ叶恵かなえ!!』


 対するは水上叶恵。

 動物格幻想種:スライムの紋章者。

 薄く青みを帯びた銀のショートヘアを揺らす彼女は不敵なまでに静かに試合の始まりを待つ。


 前大会優勝者ということもあり、今大会でも優勝候補筆頭である柳生に対し、彼女の情報はあまりにも少ない。

 一年生故に、というのもあるが、まるで意図的に隠されているかのように彼女の戦闘データだけが見えないのだ。

 いや、正確には閲覧は可能だ。

 それによれば確かに彼女は優秀であり、十二名に選出されるだけの実力を持っていることは確かだ。

 十二名中最下位の成績とはいえ、一年生で選出されたというだけでも評価に値する。


 けれど、実力者は彼女に違和感を抱く。

 彼女の戦闘力は意図的に隠されていると。

 彼女は、十二名中最下位の実力などでは決してないのではないか、という懸念を抱かせる。


 当然、柳生寿光もその違和感を覚えていた。

 故に、油断などしない。

 元よりそのようなつもりもないが、より一層気を引き締める。


「そう身構えないでくださいよ。私はそんなに強くないですから。精々胸を貸してもらいますね」

「すまないが、胸を貸すつもりはない。あいにくと、強者に胸を貸せるほどこの身はまだ高みに至ってはいないのでな」

「過大評価が過ぎるよぉ」

 

 若干涙目となる水上を他所に、試合開始のゴングが鳴る。


『では、一回戦最終試合! Ready. Fight ! 』


 司会進行の声と全く同時に一条の高圧水流が柳生を襲う。

 開幕からの奇襲にも関わらず、柳生はその一撃を身体を半身にするという最小限の動作で回避する。

 そして、続け様に抜刀。

 常人では目視不可能な速度で振われた剣閃は、彼女を背後の木々ごと一文字に両断する。

 “超克”と紋章の拡大解釈の応用による飛ぶ斬撃。

 それが彼我の距離感を超越して水上を切り裂いたのだ。


「ホントに容赦ないよねぇ。センパイ」


 しかし、彼女は無傷だ。

 彼女の持つスライムの紋章は自然格のように流動的な肉体を持つことが特徴だ。

 故に、攻撃を見切った彼女は両断される前に身体を流動させて自ら分離することで斬撃を避けていたのだ。

 初手の高圧水流もこの応用だ。

 本当に水流を射出したのではなく、彼女の身体を超高速射出したのだ。

 その威力は彼の背後。

 遥か遠くまで風穴を開ける木々が物語っている。


「やはり、油断ならんな」


 そう、短く呟くと。

 瞬きの間に彼我の距離を詰めた彼は、神速の抜刀で水上を斬り裂く。


 あまりの速度。

 いや、緩急による体感的な速さ——縮地——によって反応できなかった水上は右腕を切り落とされる。


「——ッッ! ッッぁぁああああああアアアアアアアアッッッ!!!」


 “超克”を用いて切り落とされた右腕から鮮血が溢れる。

 しかし、そんなことに拘泥していては即座に命を刈り取られる。

 切断された右腕を振るって柳生に鮮血を振りかける。

 右腕を切断されたことを逆手に取った視覚の簒奪だ。


 血が目に入らぬよう、咄嗟に顔を背けるが、結果的には彼女を視界から外してしまう。

 その隙を突いて、彼女は柳生の左腕に抱きつく。 

 すると、


 ジュゥゥゥ……


 彼女に抱きつかれた左腕は白煙を上げながらグジュグジュと溶け出してしまった。

 スライムはプルプルとしているだけの無害なものから、強力な酸性を持つ凶悪な個体まで幅広く存在する。

 故に、彼女は紋章を拡大解釈することで、自身の身体に強力な酸性を付与することができたのだ。


「——ッッ!? 離れろ!!」


 左腕を襲う激痛を歯を食いしばって耐えながら、左腕を振るって体重の軽い彼女を木の幹に叩きつける。

 偉人格の膂力を存分に発揮し、樹木をへし折るほどの威力で叩きつけられた彼女は思わずその手を離してしまう。

 しかし、成果は上々。

 彼の左腕はグジュグジュに溶け、爛れている。

 最早使い物にはならないだろう。


 これでイーブン。

 柳生は左腕を失い、水上は右腕を失った。


 けれど、彼女の攻勢はまだ終わらない。

 血反吐を口端から垂らしながらも、地面に落ちている自身の右腕を拾い、柳生へと投げつける。

 投げつけた右腕は頭を逸らすことで難なく避けられて、湖に落ちる。

 その右腕で作ったほんの僅かな隙を広げるべく、口から鮮血混じりの赤い高圧水流を見舞う。

 それも、鞘から僅かに覗かせた刃によって受け止められるが、構わない。

 そのまま、彼に走り寄る。


(狙いは先程同様、酸による溶解か)


 狙いが分かれば対処も容易い。

 彼女が抱きつく寸前で身を引き、バランスを崩した所を一太刀で斬り捨てる。

 そう考えた柳生はギリギリまで引きつける。

 

 あと、二歩。

 

 あと、一歩。


 そして、彼女が飛びかかった瞬間に背後へ飛んだ。


 瞬間、眼前に迫る彼女の身体を居合いにて横一文字に両断する。

 

 それと同時に、彼の身体を凄まじい衝撃が突き抜け、湖を囲う木々を幾つも巻き込んで吹き飛ばされる。


「ガハッ、……な、にが……」


 彼女は確かに斬り伏せた。

 身体を分離することで避けられた先と違い、今度は“超克”で斬り伏せた感触が確かにあった。

 確かにこの刀で斬り伏せたはずだ。

 にも関わらず、彼の眼前には信じられない光景が広がっていた。


「……フフ、とんだ狸だな。彼女は」


 何が強くないだ。

 

 何が過大評価だ。

 

 ——私は、ここに来てまだ彼女を過小評価・・・・していたようだ。


 彼が吹き飛ばされた方向。

 つまり、彼の背後にあった湖。

 そこには、湖から遠く引き離されたここからでもよく見えるほどの水の巨人が聳え立っていた。

 “これほど巨大なものを見たのは富士山以来だろうか”、と柳生は思考する。


『セ〜ンパイ。巨人と戦った経験ってありますぅ?』


 スライムは核を潰すことで倒せるというのが通説だ。

 当然、彼女にもこの法則は当てはまるということは高専のデータベースでも確認済みだ。

 つまり、核こそが本体。

 もしかしたら、右腕を斬られたのもそう見せていただけの演技であり、即座に再生可能だったのかもしれない。

 

 彼女が湖畔で柳生に右腕を投げつけたのは何も隙を作る為じゃない。

 湖に核を潜ませた右腕を投げ入れることで、湖の水と一体化することにこそその真意があった。

 柳生に向けて投げつけたのはその意を隠す隠れ蓑でしかない。

 その為に、態々彼の背後に湖が来るように位置取りにも気を使ったのだ。


 半個体状の水で強引に声帯を構築して発生しているのか、その声は何処か歪なもの。

 しかし、今の彼女にはピッタリの声色だった。

 先の可愛らしい少女の声ではなく、巨大エイリアンのような怪物の声だ。


「ああ、私とてここまで巨大な生物と戦うなど初めてだとも」


 しかし、彼は諦めない。

 文字通り天と地ほどの体格差があろうと。

 左腕を失い、万全とは言い難い状態であろうと。

 彼はそんなことを言い訳にするような漢ではない。


「故に、胸を貸してもらおうか」

『やぁ〜、えっちぃ』

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