第55話 獣王


 先に動いたのは風早かざはやだった。

 左腕の負傷をものともしない神速の刺突が空気を押し出し、空圧弾となって宍戸ししどを襲う。

 

 宍戸は岩塊すら撃ち砕く空圧弾を恐れず真っ向から飛び込む。

 空圧弾は彼の胸板に直撃するも、傷一つ与えられず霧散。

 

 動物格の紋章者は総じて身体強度が凄まじく増強されるのだ。

 その上昇率は並の偉人格を遥かに上回る。

 加えて、筋肉を圧縮した今の彼の肉体は鋼鉄すらも上回る頑強さだ。

 この程度では傷一つつけられない。


 一切速度を緩めず彼我ひがの距離を詰めた宍戸は、その凄まじい膂力を活かした拳で風早を撃ち抜く。

 だが、風早の敏捷性は動物格でも随一の敏捷性を誇る豹の紋章者である彼すらも越える。


 拳を避けた風早は背後から神速の刺突を繰り出す。

 今度は刺突で空気を押し出す空圧弾ではなく、槍による直接的な刺突。

 頑丈な彼の筋肉装甲すらも穿つ一撃。

 しかし、その刺突は彼の尻尾によって受け止められる。

 刺突を受け止められたことで慣性によって前のめりになり、一瞬だけ隙ができてしまう。


「しまッ!?」

 

 その隙を逃すはずもなく、宍戸は鳩尾みぞおちを蹴り抜いた。


 風早は咄嗟に槍を手放して後ろに飛ぶも、それでも殺しきれなかった衝撃によって五〇〇メートル以上吹き飛ばされる。

 

 だが、吹き飛ばされたまま終わる風早ではない。

 攻撃を受けた時こそ反撃のチャンスとは、師である八神の教えだ。

 宍戸の尾に掴まれたままのトネリコの槍が眩い光を放つ。


 危険を察知して咄嗟に槍を離すも、もう遅い。

 トネリコの槍に蓄えられたエネルギーが莫大な熱量へと変換され、大空をも焼き焦がす巨大な火柱となり宍戸を呑み込む。


「〜〜〜〜ッッッッ!!!」


 あまりの痛みに声をあげそうになる口を歯が砕ける程食い縛って耐える。

 莫大な熱量の中で声などあげようものなら一瞬で肺まで炭化してしまうからだ。

 宍戸は痛みに硬直する身体を無理矢理動かし、渾身の力を振り絞ってなんとか火柱から離脱することに成功する。


「……ハ、カハッ、……ハァ、ハァ」


 水分が蒸発して張り付いた喉を無理矢理開いて酸素を確保する。

 

 アキレウスの持つトネリコの槍は、ケンタウロス族の賢者ケイローンから贈られた世界樹の力を宿す槍だ。

 故に、地脈から蓄えられたエネルギーを蓄積して溜め込む性質を持っている。

 先程の一撃はその蓄えたエネルギーを熱エネルギーに変換して解き放ったものだ。


 並の動物格ならば一瞬で灰燼に帰すかいじんにきす程の莫大な熱量。

 けれど、幸いなことに筋肉を圧縮することで身体強度を高めていたお陰でなんとか耐えられたようだ。


 しかし、それでも傷は深い。

 全身に大きな火傷を負い、熱で眼球の水分が蒸発してしまった両眼は最早もはや光を映さない。


 たった一手の反撃で盤上をひっくり返された。

 相手は偉人格幻想種。

 神話の英雄の力を借りる者。

 ただの動物格とは紋章の格に歴然の差があると知っているが故に、細心の注意を払っていた。


 宍戸は風早のことを格下だとあなどりながらも誰よりも警戒していた。

 同じ学年で、授業を共にすることもあり、彼が戦う姿を目にしていたからだ。


 風早の戦闘技術や筋力はその並外れた努力によって培われた、認めるに値するものだった。

 しかし、紋章術の扱いは誰よりも下手くそだった。

 なまじ強力過ぎる紋章を持つが故にその扱いが難しく、幻想種は希少故に、その扱いを教えられる者もまたいなかったからだ。

 

 けれど、そんな奴が紋章術の扱い方を教えてくれる師に出会ったら? 

 その身に余る紋章を正しく十全じゅうぜんに扱う術を身につけたら?


 練習期間は僅か一ヶ月。

 幼少期より身体を、紋章術を鍛えてきた己には届くべくもない。

 あの人の背中を追って戦い続けた日々に裏打ちされた戦闘技術が奴に劣る訳がない。

 それでも、彼のポテンシャル自体は認めざるを得ないものであった。

 だから、最大限の警戒をして、策を講じて、一切手を抜かずに戦った。


 だと言うのに、たった一手でこの有様だ。

 火力に差があり過ぎる。

 紋章の練度は明らかに自身の方が上だ。

 身体能力も動物格として鍛えてきた自身の方が勝る。

 だと言うのに、紋章の強さというどうしようもない才能の差で全てが覆される。


「だから、俺はテメェが気に食わねぇんだ」


 風早が才能にかまけて努力していないなんて口が裂けてもいえない。

 奴がこの学園の誰よりも努力していたのは知っている。

 それこそ周りに心配され、止められるほどに。


 風早が悪いわけではない。

 しかし、どれだけ努力を重ねてもたった一つの光輝く才能で覆されるこの現実が腹立たしいのだ。


制限解除/極点超越躍動リミテッド・ゼロオーバー


 これはその腹立たしい現実を力で捩じ伏せる為に開発した技。

 脳のリミッターを強制解除し、生物としての限界を遥かに越えた躍動を実現する技。

 この技はたった一分しか保たない。

 その躍動に耐え切れず、強靭な身体を自壊させる破滅へ至る奥義。


 しかし、その一分間。


 彼は誰にも負けない最強の狩人となる。


「行くぞ、三下ぁぁぁああああああああ!!!!!」


 内に秘めていた激情が、解放された獣性と共に表出する。

 全力の風早の速度にすら迫る超高速の獣が地を駆ける。

 その獣に応えるように、血に塗れた風早も槍を構えて迎え撃つ。

 

「来い!! 宍戸翔駒ししどしょうまぁぁぁあああああああ!!!!!」


 彼らしくもない咆哮でもって応える。

 宍戸がどのような技を使ったのか風早には分からない。

 けれど、この技がそう長くは保たず、近く自壊してしまうことだけは、彼の筋骨から響く異音によって理解できた。

 逃げ回れば、その時間を耐え切れば風早は彼に勝利することができる。


 だが、そんな情けない勝利があってたまるものか。

 偉大なる英雄アキレウスの紋章者である自身が彼の名を穢すような行いを。


 師匠である八神の顔に泥を塗るような真似を。


 できるはずがない!!


 故に、作戦などない。

 そんなものはこの決闘において無粋以外の何者でもない。

 正面突破で彼を、宍戸翔駒を撃ち倒す。


 大地を踏み砕き、飛び出した両者は荒れ果てた荒野が如き工場跡地で激突する。

 野生の獣性を全開放し、生物としてのリミッターの全てを解放した宍戸の破壊の拳と大英雄アキレウスの力の全てを引き出した最速の刺突がぶつかる。


 それから始まるは猛攻と呼ぶのも烏滸おこがましい神速の攻防。

 超高速で瓦礫散らばる廃工場跡地を駆け巡り、時には宙に舞った瓦礫すら足場として、両者血風吹き散らしながら相手を破壊することだけを考える。


 槍の刺突が耳を削ぐ。

 獣の拳がひしゃげた左腕を千切り飛ばす。

 神速の突きが脇腹を抉り飛ばす。

 獣の爪撃が左眼を切り裂く。


 両者回避、防御をしても尚、甚大なダメージを負いながら互いが互いの身体を完膚なきまでに破壊していく。 

 

 永遠と続くかのように思われた濃密で刹那的な攻防は、互いの蹴りが互いの肋骨を粉砕して吹き飛ばすことで一端の幕引きとなる。


 瓦礫に埋もれた両者は既に死に体だ。

 全身は血に塗れ、風早は左腕を喪失し、宍戸は脇腹を大きく抉られている。

 

 だが、それでも両者は立ち上がる。

 互いに時間が残されていないと分かるからこそ。

 最後は己が手で決着を着けたいと願うからこそ。

 力の入らない身体を意思の力で捩じ伏せて立ち上がる。


「強くなったじゃねぇか。三下」

「言ったでしょ。僕は、みんなを越えて、……憧れに追いつくって」

「言って……ねぇよ、クソボケ」

「あれ? ……そうだ、っけ」


 朦朧もうろうとした意識の中、自分が何を言っているのかすら定かではないが、それでもその手に入る力だけは確かだった。


「これで、最後だ。……宍戸くん」

「一々、呼ぶん……じゃ、ねぇよ。三下」


 風早は“最後まで三下呼ばわりかぁ”と苦笑する。


 合図はない。

 だが、示し合わせたかのように同時に大地を蹴り砕いた両者はその槍と爪を交わす。


 決着は、あまりにも静寂に着いた。


 大英雄の、


 いや、


 風早颯の槍は獣王、宍戸の爪を打ち砕き、その心臓を穿った。


『勝者、風早颯!!』


 視界は白く埋め尽くされ、投影されていた仮想から現実へと戻る中でどこか遠くに響いたアナウンスの声で、自身の勝利を確かに感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る